第六話
パーティの当日、アントリアやメイドがこれでもかと言うように着飾ってくるのに辟易としながら準備を整えた。
真っ白なイブニングドレスは背中が大きく開いてノンスリーブだ。
重厚なドレープが幾重にも広がり、歩くと裾を引っ掛けて転びそうなほどだ。
首元やイヤリングなどの装飾も高そうなものをつけられ、包帯を巻く右腕には大振りのブレスレットが着けられた。
会場の様子をこっそり覗くと、映画やテレビで見るような煌びやかな世界が広がっていた。
立食形式でシャンパングラスを片手にした人が溢れている。ドレスやタキシードを着て歩くキラキラした人たちを見ていると、自分がいかに場違いか思い知らされるようだ。
一足先にパーティ会場にいるシリウスは、立派な服装に負けず劣らない堂々たる立ち振る舞いだ。
周りに取り巻きや美しい女性が群がっているのも、光に集まる蛾のようだ。
司会者の呼び込みで出て行かなければ行けなくなったときは緊張した。
扉を開いてもらい、会場に足を踏み出したとき、私はその場に自分の味方はいないことを悟った。
タキシードを着た男達の好奇の目、値踏みをするように、侮るように冷たい目を向ける女性たち、ヒソヒソとあちらこちらで交わされてる会話なんて想像したくもない。
そんな屈辱的な視線に晒されている中、重たいドレスと高いヒールで歩かなければいけないのは一体何故なのか。
私はふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。
すると、シリウスが駆け寄ってきて、私の手と腰を取りエスコートをしてくれた。好奇の目と冷たい視線は強まった気がするが、少し気が晴れたしどうでも良くなってきた。
目の前には車椅子に座った初老の男性がいた。その横にはグルースさんが立っている。その初老の男性がシリウスのお父さんであることはすぐに分かった。目の色が一緒なのだ。
座っているのもだるそうなほど体調が悪そうだが、優しい目で見つめていてくれた。
「父上、この人がアリアです」
シリウスが紹介してくれたので私は挨拶をした。こういう時、サラリーマンの性でお辞儀をして握手をしてしまうのが染み付いている。
本来の礼儀作法ではないのだろう、クスクスと笑う声が聞こえたが気にしないことにした。
「初めまして、星野アリアと申します」
「これはこれは、美しい女性ですね。そして聡明だ。もうボレアリス語を習得されたのですか」
そう言ってシリウスのお父さんはふふっと笑った。とてもチャーミングなおじさんと言う印象でなかなか素敵だ。
「私はボレアリス=コロナ=メラク。シリウスの父親でありアルデバラン国の先代国王です」
体は衰えているようだが、気力はしっかりしているようだ。白髪に白い髭を蓄え、立派な服で車椅子に座っている。
「シリウスが無茶をしたようですが、どうか許してやって欲しい。これが初めて心から欲しいと思った女性なのです。あなたには苦労をかけるかもしれませんが、どうかシリウスを憎まないでやってください」
私は何も言えずに俯いた。そして膝を突き、メラクさんの手を取る。皺くちゃで、か細い手だった。
「お誕生日おめでとうございます。おいくつになられたのですか?」
「ありがとうございます。今日で55になりました」
そう言うとメラクさんが咳き込んだ。
「・・・お体が良くないようですね。どうかお元気でいらしてください。シリウスがあなたの分も国をよくするため馬車馬のように働くそうですから」
そう言ってニッコリ笑うと、メラクさんも微笑んだ。グルースさんがシリウスにニヤリと目線を送っているのがわかる。
「さあ、お父様、挨拶の時間のようですよ」
グルースさんがメラクさんの車椅子を押して壇上へ向かっていった。私はシリウスにエスコートされるままに国王の席に連れて行かれた。
「お父様、素敵な方ね。いつからお体が悪いの?」
「数年ほど前から。ずっと鬼神の如き働きぶりだったので、がたが来てしまったのだろう。引退してから、少しずつ悪くなっていっている」
険しい顔が父親を案じている。私はテーブルにあったシャンパンを2つ手に取り、片方をシリウスに渡した。
「お母様は・・・?」
聞いてはいけないかと思いつつも、尋ねてしまっていた。シリウスは父親のスピーチを見つめる目を、ふっと俯かせた。
「亡くなった。レグルスの大規模な破壊活動の犠牲となり、10年ほど前に・・・」
「そう、ごめんなさい・・・」
「いえ、良いのだ。俺よりも、愛する伴侶を失った父上の悲しみようは、胸が痛くなるほどだった」
「あなたはその時18歳?」
「ええ、アルデバラン軍のアカデミーに所属していました」
「軍隊にいたの?」
「アルデバラン国王に就任するまで空軍で働いていました」
だからそんなに屈強な体つきをしていたのか。あの、会社に襲撃が起きた時の身のこなしも、普通ではなかった。
「じゃあ、日本に来た時も軍隊で働いていたのね」
「ええ、あの時はお忍びで、休暇をとって日本に滞在していました。王位継承者であるとわからないように、バックパッカーのような格好をしてレダの生まれ変わりを捜し歩いていました」
「私、学生かと思っていたわ。まさか異国の王子様なんて思わないもの」
「私には敵が多い。この国の王位継承権を今はボレアリス家が所持していますが、男児が生まれなかったり血縁が途絶えた場合は他の家に王位が移る事になっている。だから、身の危険を減らすためにカモフラージュしなければいけなかったんです。たとえ極東の土地とはいえ、油断は出来ない」
「他の家って?」
「王族は大きく5つの家に分かれています。先々代まではクラテール家が王位を持っていたが、あまりの悪政続きに王位を剥奪され、その時にボレアリス家のメラク、父上に王位が移りました。しかし今でもクラテール家は非常に大きな権力と財を持っていて、王位を奪い取ろうと暗躍している。・・・母も、本当はレグルスの仕業に見せかけてクラテール家が葬ったと言われている」
「そんな・・・」
「実行はレグルスだったでしょうが、どうやらレグルスも母がその場にいたことを知らなかったようです。クラテール家がレグルスを陽動して裏で暗躍していた。・・・もしアリアにその魔の手が及んだとしたら・・・俺は正気でいられないでしょう」
「だから日本で私を最初に見つけたときに、連れて帰らなかったのね」
そうだ、と言ってシリウスはシャンパンをクッと一息に飲んだ。
「残念なことに、貴族や商人などの金儲けしか考えていない連中はクラテール家を支持しています。その中で急速な改革を行った父上は体を壊し、伴侶も殺されました。私はこの国を捨てることもできず、あなたを諦めることも出来なかった。もう少し情勢が落ち着いてからあなたを迎えに行くつもりだったのに・・・」
迎えに行くって、私に恋人や夫がいても構わないような言い草ね・・・。私が文句を言おうかと思ったときに大きな拍手が起きて、メラクのスピーチが終わったことが分かった。
「今度は俺がスピーチに行かなくては」
そう言って、シリウスが壇上に歩いていった。私は贅沢な席で一人きり所在無げに座っている。スポットライトを浴びたシリウスは、しり込みもせずににこやかにスピーチを始めた。その時、一人の男性が近づいてきた。その人は白い肌に金の髪で30代半ばの小奇麗な男だった。
「初めまして、お会い出来て光栄です。あなたが陛下の寵愛されている方だとか・・・」
「あ、はい。星野アリアと申します」
「美しい方だ・・・一目見たときに運命的なものを感じました。あなたを寵愛できる陛下がうらやましい・・・」
調子の良い言葉に愛想笑いで返す。男は膝まづいて手にキスまでしてきた。
「あの、あなたは・・・?」
「ご存知ありませんか?」
自分の顔を知らないなんて、という尊大な態度に恐縮して申し訳ありませんがまだこちらに来て間もないもので、と謝った。
「私はあなたをずっと前から知っていたような気がします。私の名はクラテール=エリダヌス=リヴァ、クラテール家の当主でございます」
クラテールの言葉に私は一瞬反応した。この人が、シリウスの敵なのか。リヴァはにこやかな笑みで私の右手をひっくり返し、ブレスレットを親指でなぞった。探るような瞳に、私はゾッとして手を引くが、離してくれない。
とその時、スポットライトが急に当てられた。まぶしい光の中で、私に皆の注目が集まっている。
シリウスが壇上からこちらを見つめていた。怒ったような表情をしている。
「あそこにいる方が、私の愛する方。私はあの方を正妻として迎えようと思います」
一瞬で場が騒がしくなった。シリウスが壇上から降りて私のところにやってくる。その姿を見て、リヴァが名残惜しそうに手のひらにキスをすると、また、と言って去っていった。
「アリア、無事ですか?何もされていませんか?」
そう問われて、大丈夫だと返した。腕を引いて立ち上がらされ、壇上に連れて行かれる。
「シリウス、あなた一体何を・・・」
「皆にあなたは俺のものだと宣言する」
そう言うと、壇上で無理矢理キスをしてきた。押しのける前に唇が離れて行き、肩を抱かれる。
盛大な拍手が起こり、皆に私がシリウスの婚約者だとお披露目されたようなものだ。
私はスポットライトの眩しさと皆の視線から顔を背けると、背後にかかっている大きな絵が目に付いた。
その絵には“女神レダの祝福によりアルデバランは繁栄する”という言葉と共に、斜めから描かれた女性の肖像画がかかっていた。風に髪がはためき悠然と微笑み彼方を見つめるその顔は、どことなく私の顔に似ていて、上げられた右手の手首には星型の痣がついていた。
突然シリウスが正妻を娶ると発表したことで、パーティは大騒ぎになった。
偉い人がシリウスを取り巻いてあれやこれやと騒いでいる。
私はその喧騒から少しでも離れるため、グルースさんの側に向かった。
「災難だったな、アリア」
グルースさんは、セクシーで大人っぽい黒のドレス姿で私を迎えてくれた。
「急にあんなことを言い出すなんて・・・本当についていけません」
私は首を振って溜息をついた。
「さっき、クラテール家の当主があんたにちょっかいをかけてきていただろう?それでカッとなったんだろうな」
グルースさんは苦笑しながらワインを飲んでいる。
私は刺すような鋭い目線と悪意のありそうなヒソヒソ話に気がつき、そちらに目を向けた。
煌びやかなドレスを着た女性たちが、数名でかたまってこちらを見ていた。私に気がつくと目線を逸らしてまだヒソヒソと話し続けている。明らかに不満ありありと言った顔をしている。
「あれはどれも貴族のお嬢様方だ。シリウスに取り入ろうといつも必死に着飾って話しかけていたが・・・それをアリアに掻っ攫われて不満がたまっているようだな」
「そんなことを言われても、憎まれ損だわ。シリウスに直接言ってくれればいいのに・・・」
「そりゃそうだ」
私はぐいっとワインを飲み干した。何を言われているのか知らないが、いい気持ちはしない。
女性たちはみな美しく儚げで、ちゃんとした「お姫様」という感じだ。
男に付き添っている女性はにこやかな笑みを崩さず、男のすぐ後ろを着いてまわって一言も発しない。
「私はああいう風にはなれないな・・・」
ぼんやりと呟いていると、とんとんと肩を叩かれ、振り向くと知らない女性たちが3~4名立っていた。少し身構えたが、女性たちは友好的な態度で自己紹介をして話しかけて来た。
「折角お会いできましたので、少しお話しても宜しいですか」
「え、ええ、もちろん。ただ、アルデバラン語はまだ勉強中なので、少ししか話せませんが・・・」
「まあ、アルデバランの人ではないのですか?」
「はい、私は日本人です」
「日本人・・・アルデバランにようこそおいでくださいました。今度私達の庭園でお茶会をする予定なの。ぜひきていただけると嬉しいですわ」
「ありがとうございます。ぜひ伺います」
女性たちはニコニコ笑って話している。
普段の私だったら、この人達と話すことも出来なかっただろう。
そして彼女達の態度も180度違うものだっただろう。彼女達は恐らく、アルデバラン国王の正妻候補として、私に接している。あわよくば取り入ってやろうという腹が、嫌でも伝わってきた。グルースさんも隣で呆れているのが分かる。
しかし、相手が本音と建前を使い分けている以上、こちらは邪険にすることは出来ない。なるべくにこやかに私も相手をすることにした。すると、言いよどみながら女性の一人が尋ねてきた。
「あなたが、シリウス様の正妻になられるというのは本当ですか?」
「え、ええと・・・」
私が何と答えたものかと思っていると、いつの間にか側に来ていたシリウスが私の手を取った。
「本当ですよ」
そうニッコリと答えると、シリウスは私の手を引いて歩き出した。
「勝手に答えないでよ」
「絡まれていたみたいなので助けに来たまでですよ。もう部屋に戻りましょう」
そう言って会場の出口に向かっている。半ばほっとしていると、キャッという悲鳴が上がり、お酒を運んでいたメイドが転んだ。私の白いドレスに赤いワインのシミがじわじわと広がっていく。
メイドは真っ青になって、這い蹲りながら申し訳ありませんと何度も謝った。
私は先ほど陰口を叩いていた女性たちが、クスクスと笑っているのを尻目にメイドの肩に手をあてた。メイドを転ばせたのは、女性たちの一人だろう。
私を笑いものにしたいと思っての仕業にちがいない。
「大丈夫?怪我は無い?」
「い、いえ・・・」
「なら大丈夫。もう謝らなくていいわ。私は何も怒っていないから」
そう言ってにこりと笑うと、メイドの肩を撫でて起こしてあげる。
白いドレスはシミだらけになってしまっていた。皆の視線が私に集まっているのが分かる。
シリウスが着ていたマントを私にそっとかけてくれたが、私は首を振ってそれを拒否した。
「私ってとんだ嫌われ者みたいね」
そういうとシリウスの顔が曇る。
「でも、あなたは私の容姿や服装に執着しているかしら?違うでしょう?ならこのままで結構。服は汚れるものよ。早く洗ってシミ抜きしてもらいましょ」
そう言って私は堂々と胸を張って、シミがついたドレスのまま歩いた。私は結構頭に来ていた。そんなに私を貶めたいのなら、よく見てなさい。これがあなた達の望んでいた姿でしょう?でも、生憎こんなことで私は一つも傷ついたりしないのよ。
会場から出て行くとき、先ほどの女性たちに向かって華やかに微笑んでやった。
「あの姿を見たか、なんという堂々たる姿だ」
クラテール家当主、リヴァが愉快そうにそう告げた。彼が言っているのは先ほど会場を出て行ったアリアの事だった。側で控えていた腹心のコルウスは、仰るとおりですと返した。
「あの女はどこか違う・・・今まで見てきた女達と違う何かがある。それをあの若造が手に入れたと思うと死ぬほどムカつくな」
リヴァは王族のクラテール家専用の席で酒を飲みながらそう愚痴る。
「あの女について、探らせろ。何よりあの若造の弱点になるかもしれん。どこの誰かわからない謎の日本人女性を正妻になど、あの憎たらしいほど頭の切れる男がやることとは思えんな。何かがあるのだろう」
コルウスは「御意」と言って暗闇に下がっていく。リヴァは先ほどのアリアの勇ましく出て行く様子を思い出しながら、「不思議な女だ・・・」とつぶやいた。