第四話
突如として異国に連れてこられて、恋人も職も失った私は、久しぶりに心行くまで睡眠をとった。
忙しい仕事だったから、睡眠を十分にとることがなかなか出来ていなかったのだ。おかげで顔色が良くなったとシリウスが喜んでいた。
しかし、3日も経つとすっかり暇になってしまった。今まで馬車馬のように働いていた自分だが、その生活がなくなるとこんなにも暇で退屈なのかと思い知らされる。
折角時間があり余っているなら、趣味の読書でもしようと本をメイドのアントリアに頼んでみた。
すると嬉々としてアントリアは望んでいた本を揃えてきてくれた。どうやら、食事も質素で(普通だとおもうのだけど)、服装も頓着せず(だって外に出ることもないんだし)、わがままも欲しいものも言わない私に気を使っていたようだ。
アントリアにお礼を言うと、いれてもらった熱い紅茶を片手に、窓辺で本を読む。
右手首には包帯が巻かれていた。私がレダの生まれ変わりであることは内緒らしい。
シリウスと極少数の側近しか知らないため、いつもそこには包帯が巻かれることになっていた
天気の良い日など、爽やかな風が吹き込んできて、本を読むことに没頭できる。
窓の外は美しい庭になっていて、時折花の匂いも漂ってくる。とても落ち着いた気持ちになれる。
読書がてら、アルデバラン国の言葉も覚えようと、アントリアに教わるようになった。
ちゃんとした先生をつけたほうが、と恐縮するアントリアに、語学は慣れが大事だから話しやすい人の方が良いと言って教わっていた。
「シリウス陛下とは仲良くやっていますか」
アルデバラン語で話しかけられた。辞書を見ながら四苦八苦して答える。
「まだ、ぜんぜん、です」
「シリウス陛下は、アリア様が来てからとても機嫌が良いですよ」
機嫌が良い?いつも厳しい顔を崩さないからとてもそうは思えない。
「わからない。前の、シリウス、知らない」
「前は激務からよく眠れてなかったようですが、最近は熟睡できているようで、とても顔色が良いようです」
そうだったのか?私の前ではあっという間に寝てしまうから想像がつかない。
「なんで、眠れない、あるの?シリウス」
「陛下は28歳という若さで国王に就任されましたから心労が多くて・・・この国の政治についてはご存知ですか?」
「あまり、しらない、です」
「この国は20年前まで酷い悪政が蔓延っていました。商人・貴族とそれ以外の身分格差が激しく、庶民には重税が課せられていました。国庫は増え、商人・貴族が権力や私腹を増大させて、無駄とも思える王宮や娯楽施設の建設が進みました。民衆は飢えて死んでいくばかり・・・怒りが頂点に達し、先々代の王の悪政で終に人民解放軍レグルスが組織されました。分かりますか?」
「はい、なんとか」
アントリアはゆっくりと喋ってくれるので聞き取りやすい。
「その悪政をなんとかしようと、先代の国王、シリウス様のお父様が国王に就任され、大きな改革を行いました。しかし長年特権階級で私腹を肥やしてきた商人・貴族が猛反発。そこに庶民に熱烈な支持を得たレグルスも活動を激化して非常に国政が荒れました。シリウス様のお父様は心骨を砕いて政治に取り組み、若くして体を壊してしまったのです。それで2年前にシリウス様が国王に就任しました。まだ国政が荒れていて、若いシリウス様に何が出来ると反発したり邪魔をする人もいたそうですが、シリウス様は見事に職務をこなしておられます。まるで鬼神のような働きぶりで、父王のように体を壊さないか心配だったのですが、アリア様が来られて変わりました。張り詰めた糸の様だったシリウス様が、満たされた感じがするのです」
シリウスの境遇を思うと、非常に同情するし尊敬もする。有能な国王なのだろう。しかし私に対する扱いは非常にわがままで自分勝手だと思う。
「シリウス、良い人。でも、わがまま。私、大変」
「アリア様・・・あなた様が大変な犠牲を払われたと存じますが、どうかシリウス様のことを悪く思わないで下さい・・・あの方がそんな自分勝手な振る舞いをするのは、あなた様に関することだけなのです」
アントリアは切なそうに笑った。
「あの方はきっとこの国を変えてくれる人・・・その人を癒せる存在はあなたしかいないのです。だから、手元に置こうと必死なのですよ」
「へー、シリウスの癒しねぇ」
どこからか声がして身構えた。窓の外からひょこっと顔を出した人は、私を見てニヤッと笑った。
「グルース様!」
「誰?」
「シリウス様の姉上であります」
シリウスの姉という人は、確かに褐色の肌に青い瞳でシリウスの特徴に合致する。髪はウェーブがかった長い髪をざっくりと後ろで一つ結びにしている。豊満な胸が白いシャツをはちきってしまいそうだ。窓から入ってくるなり私のことをじろじろ見始めた。
「あのシリウスが日本から女を連れて帰ってきたと聞いて、どんな女か王宮中の噂になっていてな。折角だからあいつのいない間に見に来てみた」
「そうでしたか。どうぞお座りください、今お茶の用意をしてまいります」
そう言って席を立つアントリアにグルースさんはお礼を言って椅子に座った。
ゆったりと腰掛ける様はどこか気品があり堂々としている。さすが王族の人間といったところだろうか。
白いシャツにスラックス姿なのに、全くみすぼらしく感じさせない。
「さてと、あなたは一体何者なのかな?なぜこの国にやってきた?」
アルデバラン語で尋ねられ、私は答えに詰まった。アルデバラン語が少ししか話せないためではない。レダの生まれ変わりだとシリウスが信じ込んでいる話をせずに、どう説明しようかと悩んだのだ。
「宮殿ではあなたがどこぞの大富豪の娘で、アルデバラン国王に惚れて追いかけてきたなんて話が飛び交っているけど」
私は思い切り首を振って否定した。
「まあ、違うでしょうね。あなたは見たところそんな図太さを感じないし、贅沢な暮らしもしなれてないって所かしら?お嬢様方と違って顔もいじったりしていないし・・・まあその顔だったらいじる必要も無いでしょうけど」
私は逡巡しながら口を開いた。
「あの、英語でも良いですか?アルデバラン語はまだ不慣れなもので・・・」
「あら、そうだったの。もちろんよ、私も英語なら話せるもの」
「私は大富豪の娘でもなく、シリウスに惚れて追いかけてきたわけでもありません」
「なら、なぜこの国へ?」
「シリウスが・・・」
私はシリウスの姉という人に向かって言っても良い内容なのか言いよどんだ。しかし、それは事実でもあるのだ。
「シリウスが無理矢理私をこの国へ連れてきたのです」
へ?と間の抜けたような顔をしてグルースさんは呆気にとられた。
「嘘でしょ?あのシリウスが?」
「はい。ほぼ、だまし討ちのような形で、何か薬を飲まされて意識がぼうっとなって、気づいたらこの国にいました。勤め先の会社も辞めさせられ、恋人とも別れさせられ、日本ではほぼ失踪したような扱いになっている」
「なぜ、日本人のあなたをシリウスがそこまで執着するの?面識があったということ?」
私はレダの話は伏せ、分かりません、一度会ったことがあるだけですと告げた。
グルースさんは額に手を当てて呆れたような顔をしている。そこへ、アントリアがお茶を持って戻ってきたので、グルースさんがそれは事実なのかとアルデバラン語で尋ねた。アントリアは、悲しそうな顔で何も申し上げられません、と告げた。しかし、否定はしなかった。
「なんてことだ・・・わが弟は良く出来た奴で優秀な常識人だと思っていたのだが・・・とんだ人権侵害も甚だしい行為をするとは。頭がおかしくなったのか?」
「シリウス様はアリア様を愛していらっしゃるのです!あの方にはアリア様が必要なのです!」
「そうはいっても、君、アリアだっけ?アリアはシリウスを愛してはいないのだろう?」
私はこくりと頷いた。
するとグルースさんは私の手を取ってもう片方の手を添えた。
「我が弟が大変申し訳ないことをした・・・女性を攫って手篭めにするなど、言語道断のあるまじき行為だ。酷いことをされたのだろう?何か辛いことを言われてはいないか?」
私は静かに首を振った。シリウスは私の意思を無視してこの国に連れてきたが、私の体を無理矢理思い通りにしようとはしていない。
「良かった・・・手は出していないのか。ここはシリウスの部屋だから、この部屋に女を連れ込むと言うことは正妻を迎えるということになる」
「正妻・・・?」
「アルデバラン国王としてハレムに女は何人かいるが、今まで正妻を娶らなかったシリウスが謎の日本女性を正妻として迎える気なのかと、今王宮は大変な騒ぎになっている」
「そんな、私そんなつもりは・・・」
「こんな騒動はシリウスが望むところではないだろうに、一体何を考えていることやら・・・」
「私はアリアを正妻にと考えている」
突然声が響き渡った。扉を振り返ると、そこにはシリウスが立っていた。いつも通り、険しい顔をしている。
「シリウス・・・丁度良いとこに来たと言いたいが、アントリアが呼んだのか」
申し訳ありません、とアントリアが恐縮している。
「お前は今なんと言った?アリアを正妻にすると?」
「そうです」
私は顔が青ざめた。信じられない、何てことを言い出すのだろう。私の顔をみたグルースさんは怒りをあらわに立ち上がった。
「頭を冷やせ、シリウス!好きな女を無理矢理自分と結婚させるなど、愚劣な行為は許されない!先々代の悪政に匹敵する残酷な所業だぞ!」
「姉さんが何を言おうと、アリアは私の妻にする。邪魔立ては姉さんと言えど、許しません」
「お前、自分が何をしているのか分かっているのか・・・?」
シリウスが青い瞳を光らせて睨み付けている。震え上がりそうなほど冷え冷えとしていた。
「父上が、母上に始めてあった時に、世界の景色が変わったと言っていた・・・それが今の私にもよく理解できる。アリアは誰にも奪わせない、これは父上も承知のうえだ」
「父上が承知ですって・・・そんな馬鹿な!」
「疑うなら確認に行けば良い」
グルースさんは信じられないというように顔をゆがめ、ずかずかと足音をさせて部屋を出て行った。シリウスとすれ違う際に「好きな女を不幸にさせるなんて、私は絶対に反対だからな」と捨て台詞を吐いて行った。
シリウスが溜息をついて俯いた。そして私の方へ近寄ってくると、先ほどまでグルースさんが座っていた椅子に腰をかける。
「さっきの話、どういうことなの」
私は溜まらず詰問した。正妻として迎えるだなんて、聞いていない。
「隠していたわけではないが、突然知らされて驚いたでしょう。私はあなたを妻として迎えたい。少しでも早く・・・」
そう言って私の腕を取り、星型の痣のあるところにキスをした。
「父上には、あなたがレダの生まれ変わりであることを話しました。その上で、あなたを妻に迎えることを了承してもらった。あなたがレダであることを知る人間は、一人でも少ない方がいいのですが、父上を説得させるためには仕方ありませんでした」
「また、私の意思は無視されるのね・・・」
青い瞳が悲しげに揺れるが私はキッとシリウスを睨み付けた。
「あなたが私のことを愛しているのは良く分かったわ。でもあなたのやり方では私の心は離れていくばかりだと知ってください」
「そう・・・でしょうね。ここまでの仕打ちをして、俺を愛してもらえるほど、俺は思い上がりではありませんよ」
なぜ、そんな悲しい顔をするんだろう。泣きたいのはこっちの方だと言うのに。
「どうすれば、あなたは喜ぶのですか?」
「私を日本に帰してくれれば」
「それは出来ません」
「王宮を出て行くことは?」
「却下です」
「妻にはならないというのも」
「なりません」
無理だろうとは思っていたが、こう無碍に拒否されると頭にくる。私より年上のはずの人なのに、なぜこうも自分勝手なのか。
「あなたは本が好きだと聞きましたが、本を贈るなんてことは誰にでも出来る・・・もっと他に好きなことはないんですか?宝石やアクセサリー、有名ブランドの服やバックでも何でも良い、欲しいものがあればプレゼントするのに」
「残念ながら、そんなもので心を動かされたりしません」
私は吐き捨てた。私にとって、ファッションは武装だった。仕事の時に、相手に良い印象を与えるため、服装だけで見下されないため、そのための武装。だから今は全く必要ないし興味もない。
でも、目の前でしょぼくれている男を喜ばせるためではないけど、散々な仕打ちを受けているのだから少しくらい良い思いをしても良いのかも、と思い直した。賠償金に換算すると、自分の受けている仕打ちはいくらになるのか?その分払わせるのも良いか。それくらいのお金、痛くも痒くもないでしょうし。
「それじゃあね、一つお願いをしようかしら」
「なんですか?なんでも言ってください」
そういうシリウスに私は一つの提案をした。