第三話
ずっと、フワフワした気分だった。
深く物事を考えられない。起きているのに頭が働かない、そんな感覚。
誰かに大切に抱えられて、色んな乗り物を移動した気がする。
少し頭が働くようになると、誰かが微笑みながら何かを私に飲ませる。
するとまたフワフワと霞がかった思考になるのだ。
ずっと誰かが私を抱きしめていた。
その温もりに、思わず頬擦りをしてしまう。柔らかく頭を撫でられて、ホッとする。
ずっと、誰かにこうしてもらいたかったんだ・・・。
ハッと目が覚めた。ゆっくりと体を起こすと、そこは見たこともない部屋だった。
床にはふかふかの高そうな絨毯が敷き詰められ、カーテンのようなものがついた特大ベット。
白いシーツもふかふかの毛布もその手触りから極上品だとすぐにわかる。
部屋の中には見たこともない大きな鏡や分厚いカーテン、豪奢なシャンデリアに色とりどりの絵画がかけられ、ゆったりしたソファやテーブルまで誂えられている。
天井にもはめ込まれた絵と美しい装飾が施され、メイドの服を着た人がこちらに気づいて走り寄ってきた。
メイドは褐色の肌に金の瞳で、見るからに日本人ではなかったが、「お目覚めになったのですね」と流暢な日本語で話しかけてきてくれた。
「あの、ここは・・・?あなたは一体・・・?」
「私はメイドのアントリアと申します。アリア様のお世話を仰せつかっております。早速アリア様がお目覚めになったことをシリウス陛下にお知らせしなければ」
そう言ってメイドは部屋を出て行った。シリウス、という言葉に、私は一気に現実に引き戻された。
まさか、そんなまさか・・・ここは・・・。
私は焦燥感に駆られてとりあえずベットを降りた。いつの間にか白いワンピースに着替えさせられている。
ゾッとしながら扉へ向かおうとすると、足に思ったより力が入らずつんのめってしまった。
それと同時に扉が開き、立派な服を着たシリウスが入ってきて、私がしゃがみこんでいるのを見つけると駆け寄ってきた。
「アリア!大丈夫ですか・・・?」
「大丈夫・・・何か足に力が入らなくて・・・」
そう言うとシリウスは私を抱きかかえてソファまで連れて行ってくれた。
私は抱きかかえる腕に覚えがあった。私はキッとシリウスを睨んだ。
「あなた、私をアルデバランへ連れてきたのね・・・何か薬を飲ませて私の意志を奪って・・・」
そういうとシリウスは眉根を寄せて、すまないと謝罪した。
「出来ればあなたの賛同を得た上で連れてきたかったが・・・だまし討ちのような真似をして申し訳なかった」
「本当に申し訳ないと思うなら私を日本に帰してよ!」
それはできない、そう言ってシリウスはメイドに運ばせた飲み物を私に渡してきた。私は受け取りながら、飲むのを躊躇していると、シリウスが苦笑して今度は何も入っていないから安心して飲んでくださいと言った。
「私は、何日くらい眠らされていたの?」
「3日ほど」
「3日も・・・!?会社はどうなっているの?私は探されているでしょう?」
「あなたはレグルスによって拉致されたが、警察によって救い出されたことになっています。ただ、心神耗弱のため面会謝絶、会社も辞めて誰にも会いたくないと言って遠くに引っ越したことになりました」
「な、なんですって・・・!なぜ警察がそんな嘘を・・・」
「我が国と日本は非常に友好的な関係を結んでいます。しかも燃油資源の利権を巡ってこちらが有利な立場にあります。いろいろな外交手段を用いてこの事件を収集させました」
「もみ消したって言うのよ、それ」
私は思わず吐き出すように叫んでいた。
「勝手に会社を辞めさせて、家も引き払ったですって・・・!?あなたは私の人権を何だと思っているの!」
激昂する私を、シリウスはじっと見据えてきた。その透き通った青い目で見られると、弱い。
何か私が悪いような気になってくる。
「あなたの了承を得ずに連れてきたこと、勝手なことをしたことは謝ります・・・本当に申し訳ない。あなたの身の安全を考えて、というのも口実だ。俺はあなたと会ってから、自分のことしか考えられなくなった・・・あなたを手にいれられるならなんでもする、俺はそういう男なんです」
シリウスがソファに座る私の前に立つと、身をかがめてきた。
体をすくませる私の横に逞しい腕を突いて、私の髪に手を回す。
「あなたを愛している・・・あなたが俺の全てだ」
苦しみを吐露するような告白に、唖然としているとキスをされていた。触れるだけのキスはすぐに離れて行き、シリウスが部屋を後にしようとする。
我に返った私は一つだけ、どうしても聞いておかなければいけないことがあるのを思い出した。
「まって、明良は、私の恋人は無事なの・・・?」
シリウスは振り返らずに硬質な声で応えた。
「無事ですよ。打撲の傷は負いましたが軽症です」
「良かった・・・」
「彼にも、星野アリアは別れを告げたということになりました。かなりごねたそうですが・・・彼女の心の傷を癒すためだと言うと納得したそうです」
なんてことを・・・!私が怒り出す前に、シリウスは部屋を出て行ってしまった。
「なんて人なの・・・!こんなの酷すぎるわ!」
メイドが気を使ってお茶のお代わりやらおやつやらを出してきてくれたが、何にも食べる気にならずひとりにして欲しいと言って追い出してしまった。
だだっ広い部屋で、知り合いが一人もいない土地にやってきて、自由に出歩くことも出来ない。
好きな人に会うことも出来ない。なんでこんな目にあうのだろう・・・。
一日中気分があがらずずっと部屋の隅で落ち込んでいるうちに眠ってしまった。
体を揺り動かされて、目を覚ました。部屋は薄暗く、間接照明のようなオレンジ色の光が暗闇をぼんやり照らしている。私を起こしたのはシリウスだった。
「何も食べてないと聞いたが・・・何かお腹に入れないと駄目ですよ」
「いらない・・・お腹すいてない・・・」
私はそういうと又眠ろうとしたが、シリウスが抱き上げてきた。
「眠るならベットを使ってください。ここで寝ると体を痛める」
眠さが勝っていた私はされるがままになっていた。ベットに横たえられ、ごそごそとシリウスがはいってくる気配にハッと目が覚めた。
「何してるんですか!?まさか・・・」
「何もしませんよ、ただここは俺のベットなので、自分のベットで寝るだけです」
「それなら、私は他のベットを使わせてください。見ず知らずの男と一緒のベットに寝るなんて言語道断です」
「いいえ、あなたのベットはここだけです」
有無を言わさずシリウスがベットに横たわった。そして起き上がろうとする私をその胸に引き寄せる。
「あなたの嫌がることはしたくない・・・でも抱きしめるだけ・・・こうやって抱きしめて眠ることを許して下さい」
そう言って切なそうにその青い瞳を揺らした。私はじっとその目を見つめて、ふっと溜息をついた。
「良いですよ、もう・・・。でももし変なことをしたら追い出しますからね。ここからも何が何でも出て行きます」
「分かりました」
そういうと、しばらく私の髪を撫でていたシリウスは、疲れていたのかすうっと眠りに落ちていった。その寝息を聞いていると、私も眠気が戻ってきてあっという間に眠ってしまった。