第二十話
蹲ったまま、じっと耐えていると、あっという間に夜がやってきて、肌寒くなった。
イザールが貸してくれた上着を抱き寄せながら、近くの木に体を預ける。虫の鳴き声もしない夜の闇が、ゾッとするほど怖かった。待っていれば車が通りがかるか、イザールが戻ってきてくれるか、シリウスが見つけてくれるはず・・・。それを願ってその場にじっと待つことにした。それでも時間が経つにつれ、いつの間にかうとうととしていると、近くでガサッという物音がした。ドキリとしながら周囲を伺うと、複数の獣の気配がする。
グルルという呻き声とガサガサという物音に、心臓の音が聞こえるほど緊張しながら、アリアは回りに落ちていた木の枝を手に取った。
腹痛に、構っていられない。どうにか、この場で身を守らなければ・・・。
ふと狼の遠吠えが響き、一斉に4-5匹の狼が襲ってきた。自分を取り囲んで、牙をむき出しにしている。恐ろしい、体が震えて、力が入らない・・・。それでも、それでも私はここで死ぬわけには行かない!
アリアは枝で間合いを取りながら、狼たちに気迫の篭った目を向け、近寄らせないように気を配った。枝に狼が噛み付いてくるのを必死にいなし、吠え立てられながら身構える。一匹が飛びかかろうとしたのを枝でなぎ払ったがその隙にもう一匹がアリアに駆け寄り足に噛み付いた。激痛が走り、悲鳴をあげながら倒れこむアリア。一斉に狼達がアリアに襲いかかってきて、もう駄目かと思った瞬間、銃声が鳴り響いた。
シリウスは焦っていた。レプスの情報によりレグルス構成員のいくつかの拠点を知ることが出来たおかげで、あっという間に拠点の制圧に成功した。にも拘らず、未だにアリアの行方が知れないのだ。
どうやらレグルス構成員によって連れ去られたらしい。すぐに国中に検問をめぐらせたが、上がってくる情報は芳しくない。シリウスは激しい口調で指示を飛ばしていると、検問で銃撃戦になっているという情報が上がった。どうやらレグルス構成員の残党らしい。現場に急行すると、既に現場は制圧され、多くの死傷者が出ていた。今回の首謀者であるレグルス構成員の男も、顔半分を吹き飛ばされて即死していた。
「シリウス様!こちらへ!」
呼ばれて駆け寄ると、銃撃で負傷したレグルスの男の一人が、アリアの居場所をうわ言のように叫んでいるとのことだった。
「おい、お前か、アリアはどこだ」
男は口から血を吐きながら叫んだ。
「早く、早く助けに行ってやってくれ!手遅れになってしまう!」
その男、イザールはアリアが山中に置き去りになったと告げた。
「なんだと・・・!」
もう一昼夜が過ぎてしまっている。シリウスは焦る気持ちを抑えながら男が言っていた地点に急行した。しかしすでにそこにアリアの姿は無く、激しく格闘したらしい人間と動物の足跡と共に、夥しい血がその場に流れていた。
「何が起こったんだ・・・!アリア・・・!」
シリウスは思わず叫びながら目の前が真っ暗になっていく感覚に襲われた。あの人を、失ってしまったのか・・・?やっと見つけられ、この手に抱きしめられたというのに、俺のせいで・・・。
「おい、シリウス、気をしっかり持て!まだ遺体が発見されたわけではないんだ!どこかで重症のまま隠れているかもしれない、一刻も早く見つけ出すぞ!」
軍服姿の旧友、ループスがシリウスの肩を強く掴んで揺さぶるように檄を飛ばした。
そうだ、まだ諦めない、まだ、諦められない・・・!
「ああ、そうだな・・・」
シリウスは拳を握り歯を噛んだ。アリアを見つける、そのことだけを考えるんだ。
「すまない、ループス」
らしくなく頭を下げたシリウスに困惑しながら、ループスはシリウスの背中を叩いた。
「大丈夫だ、あの伝説の女神様が簡単に死ぬわけ無いだろ」
そう言いながら目線を地面に散らばる鮮血に染まった落ち葉に移した。
「恐らくこれは、狼の血だ。毛があちこちに散らばっているし、狼の足跡と共に転々と血がみつかっている。薬きょうらしきものも見つかっている、どこかの猟師が助けに入ったはずだ」
山小屋を探せと鋭くループスが指示を飛ばした。
アリアはふっと意識を取り戻した。暖かいベットに寝転がり、常に付きまとっていた腹痛も和らいでいる。頭には冷たいタオルがかけられ、暖炉には良いにおいのスープがぐつぐつと煮えている。
「起きたかい?気分はどう?」
ベットサイドに男性が座っていた。30代くらいの男性で筋骨逞しく、ラフな格好をしていた。そうだ、あの時狼に襲われていたところを、猟銃と猟犬を従えたこの人に助けられたのだ。彼は猟銃で襲い掛かる狼を倒した後、猟犬をけしかけて追いやってしまったのだ。動けなくなった自分を抱えてこの山小屋へ連れて帰ってきてくれたのだろう。
「あの・・・ありがとうございます」
「あまり喋らなくて良いよ。酷い怪我と高熱だからね・・・今は痛み止めで和らげているけど、医者を呼んだからもうしばらく辛抱していて」
どうりで頭がガンガンと痛いはずだ。高熱で体を身じろぎさせるのも億劫だ。彼はポラリスだと名乗った。
「少し、スープを飲めるかな?そんなにやつれてしまって・・・ろくに食べていなかったんだろう」
可哀想にと言いながら、彼は暖かいスープを器によそって持ってきてくれた。動けないアリアを抱え起こしてくれ、クッションをしいて寄りかからせる。スープを口に流し込むと、じんわりと体が温まってくるように感じた。口に運ばれるままにスープを飲み込みながら、いつの間にかアリアはぽろぽろと涙を流していた。それに気づきながら、彼は無言でスープを飲ませてくれた。
お腹がいっぱいになったアリアは、気絶するように眠りについた。
高熱に再度魘されながら、アリアは夢を見ていた。それは、遠い遠い昔の夢だった。
アリアは綺麗な服を着て、立派な椅子に座っていた。外はとてもいい天気だが、すぐ側で兵士達の争う声や銃声が鳴り響いている。もうすぐこの城も攻め入られ、自分は死ぬだろう。それで良いとアリアは達観していた。
自分に執着する王によって、祖国を滅ぼされ属国にされ、親類縁者全て殺されて自分にはもう帰る場所はどこにもなくなってしまった。
死を選ぼうにも、王に祖国の民衆の命を人質にされ、命を絶つことも選べず王の妻に娶られるという屈辱を受けた。
愛してはいない、憎しみしか抱けない男の子を産み、どこに行くにも連れて行かれたから民衆には仲の良い夫婦に見られただろう。
祖国の民衆の待遇は自分次第だから、従うしかなかった。長い、屈辱の夜だった。
しかし、それもここまでだ。他国に侵略戦争へ向かった王の留守の間に攻め込まれ、時間稼ぎのために自分がこの城で耐えていれば、この国の民衆は他国の蛮行にさらされないだろう。
自分もやっと、解放される。城のあちこちで上がる戦いの音や、上がる火の手をどこか遠くの世界のこと
のように思えていた。
私の帰る場所はもうどこにもないのだ。
その時、ドアを開けて誰かが入ってきた。漸く自分の死ぬ瞬間が来たかと見やると、そこには見知った顔があった。
「リゲル・・・お前は城を発ったはず・・・」
「兵達は行かせましたが、俺は戻ってきてしまいました」
あちこちに傷を負ったその若い兵士は、血のついた剣を鞘におさめて駆け寄ってきた。
「あなたは死ぬおつもりなのでしょう、ならば、お供させてください」
そう言って跪く彼をレダは拒否した。
「駄目よ、この城はもう落ちる。あなたのような若く未来のある者は逃げなさい」
「嫌です。私の気持ちをご存知でしょう」
リゲルが自分をずっと慕ってくれていることは分かっていた。私の無茶な振る舞いに、いつも苦笑しながら振り回されていたのに、まっすぐな目を向けて側に寄り添ってくれていたリゲル。その瞳に恋情が宿っていることはすぐに気づいていた。
しかし、その気持ちには応えることは出来なかった。自分は望んでいなくても王妃であり、親子ほども年の離れた彼の未来を自分のせいで潰すことなど許されなかった。
「駄目よリゲル・・・あなたを逃がした私の気持ちも分かってちょうだい」
「嫌です。あなたの側が、私の死に場所でありたい。あなたがいない世界で、俺はもう生きられない」
私は思い出していた。夕日の落ちる草原で、馬に乗りながら駆けていた時、思わず彼に漏らした「自分に帰る場所は無い」という弱音。それを吐いた時に感じた、自分の本当の心の拠り所。
「あなたは、ずっと側にいてくれたわね」
涙を浮かべながらリゲルの肩に手を置いた。
「嬉しい時も、悲しい時も、寂しい時も、楽しいときも、辛い時も・・・ずっと側に居てくれた」
顔を上げたリゲルに、そっと口付けをした。驚くリゲルに微笑みかける。
「だから、死ぬときも一緒ね」
そう言った私を、リゲルは思わず抱きしめた。ふわりと甘い香りがして、心をギュッと締め付けた。怒号がすぐ側まで迫っている。すぐに敵がここまで攻め入ってこようとしていた。
「レダ様、あなたを愛しています。心から」
リゲルのその言葉に、私も涙を流していた。
「私は、もうすぐ死ぬわ。もし、生まれ変わっても私のことを愛してくれていたら、私のことを探して。私もきっと、生まれ変わってもあなたを愛すわ」
約束ね・・・と言って私はリゲルを抱きしめた。死の間際だというのに、この上ない幸福を感じながら、強く抱きしめていた。




