第十話
その日、ラナは頗る機嫌が良かった。
あの憎たらしい女を孤児院に追いやって、数ヶ月が経った。王宮であまり顔を見なくて良くなったし、パーティにもあまりあの女が顔を出さなくなった。
孤児院の暮らしはさぞかし悲惨だろう。何と言ったって孤児院の中でも劣悪な環境にある所に送ったのだ。今頃泣いて日本に帰りたいとでも喚いていることだろう。
高級車で孤児院の前に乗りつけると、お供のイザールにエスコートされて車を降りた。
ヒールを鳴らしながら孤児院の中に入っていく。相変わらず臭くて汚くて薄暗い、こんなとこには一秒だって居たくないものだが、仕方ない。
あの女の惨めな姿を拝むためなのだ。
上質なコートを翻して、イザールが開けた扉を入っていくと、子どもがひょこっと顔を出した。そのままトテトテとどこかに駆けて行った。みすぼらしい格好をしていて不潔そうだ。しばらくすると、先ほどの子どもを抱え上げて、何人かの子どもを従えたアリアが出てきた。
その風貌にラナはドキリとする。あの王宮で見た、美しいドレスを着て宝石に飾られてはいない。シャツにスラックスというラフな格好をして、髪を雑に後ろで縛り、あちこちが薄汚れている。なのに、輝くような笑顔だった。溌剌としていて、王宮にいたときより輝いているようだ。
「あら、あの時の、確か、ラナさんだっけ?フォルナクス家の」
「え、ええ。アリア様が孤児院に奉仕されているとお聞きして、僭越ながら見学に参りました」
「ようこそ。あの時はとてもいい提案をしてくれてありがとう。どうぞ、中へ入ってください」
招き入れられて、ラナは断りたくなった。汚らしい孤児院の中に入るだなんて、おぞましい。
しかし、アリアの後ろに控えている、ここの職員であろう男性が冷え冷えとした目で弾劾するように自分を見つめているのが、溜まらなくなり引きつった笑顔を作るとラナは中に入っていった。それを、溜息をつきながらイザールが従った。
「丁度今、休憩時間だったのよ。でもそろそろ昼食の準備をしないといけなくて、洗濯にも行かないといけないから忙しくなりそうなところだったの」
「そ、そうだったの。忙しいところにすいませんでした、私はもうお暇しますので」
「何言ってるんですか、態々来ていただいたのに、何もせずに帰るなんてもったいない!折角だからボランティアでどんなことをしているのか体験していきませんか?」
「ええ!?」
「丁度人手が欲しかったところなんです。子ども達と掃除と昼ごはんの準備をしていただけないでしょうか」
「え、わ、私が!?このフォルナクス家のラナに掃除をしろですって?」
引きつり笑顔が保てなくなってきたラナに、にっこりと微笑んでアリアが困った顔をした。
「私だけではどうも手に負えなくて、もしラナさんが手伝ってくれたらとっても助かるんです。ラナさんほどの慈悲深い人だったらきっと分かってくださいますよね?」
う、っとラナはたじろいだ。しかし、ボランティアなどしたことが無いのだ。大抵小銭を寄付して終われば寄り付きもしない。
「私はそういうことに慣れていませんので・・・」
「大丈夫ですよ、やればすぐに慣れますから。それに、もし手伝って下さったら・・・」
そう言ってアリアはラナの耳元に口を寄せた。
「シリウスにこのことをお伝えしますわ。フォルナクス家のラナ様は慈悲深く、私達が困っていたところに快く助けてくださったって・・・」
ラナはハッと顔を赤らめ、思案した。そしてアリアの目を見て、本当ですか・・・?と尋ねると、アリアは任せてください!と胸を叩いた。
「分かりました。私もお手伝いいたしますわ」
嘘だろ、と唖然としているリブラたち職員の側で、リンクスが笑いをかみ殺しているのを尻目に、アリアも小さくガッツポーズを取っていた。
コートを脱いで軽装になったラナを待っていたのは、子ども達の大騒ぎだった。彼らはテキパキとシーツを整えたり箒を使って掃除をしたり大忙しだ。
5歳くらいの子どもも皿洗いをしている。ラナは何をしたら良いものやらと立ち尽くしていると、「これ持って行って」と10歳くらいの子どもに渡された。それはシーツらしきものだったが何やら少し湿っている。
「あ、あのこれはどこに持って行けば・・・」
「洗濯係だよ。ちびがおねしょしちまったから、洗わないといけないだろ」
お、おねしょ・・・!ということはこれは尿がしみついたシーツと言うこと・・・!なんてこと・・・!
思わず取り落として逃げ出しそうになったラナだったが、シリウスに情報が伝わると思うと、グッと我慢をした。ギクシャクと体を動かして洗い場に持っていくと、サンキューと少年がそれを受け取って易々と洗っていく。この世で最大級の汚いものを触っていたと思っていた自分が、馬鹿みたいに思えるほどアッサリとした態度に呆然としていると、今度はゴミだしをしろと言われた。大所帯の中でゴミは山ほど出るらしく、汚いバケツがいくつも連なっていた。これを共同のゴミ捨て場に捨てに行かなければ行けない。
「ラナ様、私めがやります・・・」
イザールが申し出たが、ラナは涙目になりながらそれを断った。
「いいえ、これは試練なのです。私のシリウス様への愛を試されているのです。私がやらなければいけない、手出しは無用です!」
そういうと、酷いにおいのするバケツを両手に持って、鳥肌を立たせながらゴミ出しに出て行った。
「なあ、意外と頑張るな、あの女」
物陰で見ていたリブラがアリアにそう言うと、アリアもうんうんと頷いた。
「ま、どこまでやれるか見ものだけどな」
ゴミ捨てから帰ってくるだけでどっとうな垂れているラナに、まだまだゴミは沢山あるのにあの調子で大丈夫なのか?と不安になる。
「まあ、気をつけて見ててあげてよ。あまり辛くあたっちゃだめだからね?私は洗濯にいってくるから、よろしく」
そういうとアリアは子ども達を引き連れて洗濯に行ってしまった。
ラナは捨てても捨てても減らないゴミに辟易していた。高い服にゴミのシミがついてしまっている。
手もすっかり汚れてしまった。こんなに重たいものなんて持ったこと無い。
なんだか情けなくなってきてしまったその時、少年が走り寄ってきてゴミを片方持ってくれた。
「あんた、一人でやろうなんて無謀だな、馬鹿だよ」
「ば、馬鹿ですって・・・!?」
「そうそう、人を頼らないと。それにそんなしかめ面、似合わないぜ。ほら、笑顔笑顔」
そう言って少年、レプスがにいっと笑った。満面の笑みにつられて、ラナも思わず微笑んだ。
「そうそう、その調子。さっさと終わらせるぞ~」
そう言うと二人でゴミだしを始めた。あれやこれやと話しかけてくるレプスの話に相槌を打っていると、気づけばあんなに沢山あったゴミはもうほとんど片付いていた。
「お、やっと終わったな」
そう言ってレプスは手のひらを上げてラナに向けてきた。
「初めてなのによく頑張ったな、あんた」
ラナは嬉しそうに微笑んでその手のひらに自分の手のひらをぽんとぶつけた。
その後も目まぐるしく次々と仕事がやってきて、気づいたら昼食の時間になっていた。くたくたになりながら、テーブルに着くと、パンとスープだけの食事が運ばれてきた。
こんなに質素な食事なんて、信じられないと周りを見回すが、皆おいしそうに食べている。一口スープに口をつけると、薄味が口の中に広がった。美味しくない、普通だったらこんな料理美味しくないといってすぐに下げさせるのに、くたくたに働いた体にはじんわりとしみていった。美味しい。
子ども達があれやこれやと楽しげに話しあうのを、笑顔でアリアが受け答えしている。小さい子どもの食事を手伝ってあげながら、他の子どもの話し相手になってあげている。
それが極自然に行われていて、ラナは驚いた。彼女が期待していた惨めな姿など、どこにも見えそうに無かった。
昼食が終わるとまた大騒ぎで後片付けや皿洗いに追われた。
ラナが手伝おうとすると、「あなたは小さい子達のお昼寝に付き合ってあげて」と言われた。
大きな部屋にマットと毛布があり、小さい子達が寝転がってすやすや寝ていたり、まどろんでいる。
そこにぺたんと座って寝顔を見ていると、少し大きめの女の子がやってきた。
本を持っていて、読んで欲しいらしい。了承すると、女の子に本を読み聞かせてあげた。陽光が差し込んで、穏やかな部屋の中に、自分の声が響いている。ふと足元に重みを感じて見ると、女の子が自分の膝を枕にして眠っていた。あどけない顔で眠るその子どもに毛布をかけてあげながら、ラナは自分でも知らない間に微笑んでいた。
夕方になり、イザールにそろそろ帰らなければと促され、ラナが帰る事になった。アリアや他の子ども達が玄関まで見送りに来てくれて、先ほどの女の子がラナのスカートにひしっとしがみついた。
「こらこら、ラナさんが帰れないじゃない」
そういって職員の女性が女の子を引き離すのを、複雑な気持ちでラナは見ていた。そんなラナを見て、アリアはもしよければ、と告げた。
「もしよければ、また時間のある時でいいから、手伝いに来てくれないかな?もちろんシリウスにはちゃんと報告する」
そういうとラナは嬉しそうな戸惑いの表情を浮かべ、うんと頷いた。彼女の服はあっという間に汚れてしまって、体もくたくただった。なのに、なぜ自分は頷いてしまったのか、とラナは自分が不思議で仕方なかった。
なぜか分からない、だけど自分をあんなに必要としてくれることが嬉しかったのかもしれない。
数日後、またラナは孤児院を訪問した。アリアを含め職員達は暖かく歓迎してくれた。また嵐のように忙しい孤児院の生活に嫌気が差しそうになったが、転びそうになったラナを受け止めてくれ、「そんなヒールの靴を履いてくるからだ」とぶつくさ言いながら手当てをしてくれたリブラという青年がいたり、そのリブラが持ち出したアコースティックギターでみんなで色んな歌を歌って過ごしたり、嫌なことばかりではなかった。何だか、暖かい空間がそこには広がっていて、赤の他人の自分を家族のように迎え入れてくれるのだった。
ある日、子供向けの本を沢山持ってきてあげると、子ども達から非常に喜ばれた。前にアリアが子供向けの本が少ないことをぼやいていたから持ってきたのだが、本を買うなんて容易い行為が、こんなに喜ばれるなんて思っても見なかった。ラナが持って来たのは絵がついて子どもの興味を惹き易そうなアルデバラン語の漫画や絵本だった。すると子ども達はこぞって本を読み出し、夜遅くまで読んで夜更かしをしてしまう子が続出した。あまり遅くまで本を読まないことというルールを作らないといけないくらいだったが、それは嬉しい誤算でもあった。少しずつ、自然に子ども達の識字率は上がっていった。
「ラナ、あなたのおかげよ、本当に良いことをしたわ」
「私、本なんて周りにありふれていて、喜ばれることだと思っていなかったわ」
「そうね、私たちにとっての当たり前が、彼らにとっては生命線だったりする。本を読むことでプレオネの子ども達が少しでも地位を向上できると良いのだけど」
ラナは少し俯いた。アリアがどうしたの?と言うように首を傾げている。
「私、正直プレオネの人を見下していたわ。身分制度だって、世の中が上手く回るために無くてはならないと思っていたし、階級が下の人はそれ相応の生活を送るんだって思って疑わなかった・・・。でも彼らと私で、何が違うんだろう、私が彼らのように生まれてきた可能性だってあったわ・・・。最近よくそんな風に考えることがある。今まで、少しだって考えたこと無かったことなのに」
アリアは笑みを深めてラナの肩を抱いた。
「そうやって考えられるだけ、素晴らしいことよ。この現状を知っても、何も考えを変えられない人だっている。あなたは賢いし、優しい人だわ」
「そうかしら・・・私はあなたを陥れようとしたのよ?もう分かっているんでしょう?」
不安そうなラナにアリアは首を振った。
「あなたの提案は私には良いことだった。私にやりがいを与えてくれたの。あなたがどういうつもりで提案したかはどうでもいいし、今のあなたはとても良い人だもの。人は変わるのよ、環境や状況によって、いくらでも変わるわ」
「アリア・・・」
「私達、良い友達になれそうね」
そういうとアリアとラナは照れくさそうに笑った。




