第一話
その日、私「星野アリア』はうんざりしていた。
毎月初めに行われる会議が長引いていつまで立っても終わりそうになかったからだ。
所属している部署の売り上げが悪く、チームの主任が懸命にデータやスライドを使って弁明するも、会議の役員達は納得してくれない。
重箱の隅をつついたり揚げ足を取ったりで、まあ一言で言えば「攻撃」して腹の虫を収めたいのだろう。
実際ここ最近の不況のあおりを受けて、私達の部署で売り上げの良かったことなど年に数回ほどしかないし、それは他の部署だって同じようなものだった。
それでもなぜか売り上げが下がるごとに目標ばかり上がって行き、達成不可能な目標に苦心する日々だった。
売り上げの悪いことは分かりきっていたし、挽回しろと言われても、限りなく不可能に近いことは言ってる側でさえ分かりきったことだった。
それでもわかりましたとしか答えられない哀しい立場の主任は、チームで何度も話し合って作った挽回策を熱意を込めて説明していたが、取り合ってはもらえなかった。
こんなことはもうしょっちゅうで、言ってしまえば不様な様式美となりつつあった。
それでも当初は会議の度に何とかしようと鼓舞しあっていたものだが、こう何度も続くとチームの誰もがやる気を失いつつあった。
いや、仕事のやる気そのものを失っているわけではない。
この場で、何を言ってもムダなのだと諦めているのだ。
気の済むまで怒らせておいて、30分の予定の会議が2時間近く続き、疲れと共に解放される。
そんなことを繰り返しているから、主任の髪がどんどん薄くなって胃薬が手放せなくなるのも当たり前だ。私はまだチームの下っ端だから、矢面に立っている主任を見守りつつ、ウンザリした顔で擦り切れそうなボールペンをクルクル回しているしかなかった。
そうこうして私がウンザリした退屈の中にいる時、ふと頭の中に浮かんでくる人影があった。
不思議なことに、いつも唐突に浮かんでくるその人のイメージはどこか懐かしく、私をふと安堵させ不快な場から気持ちをトリップさせてくれる。
小さい頃から変わらず、私はなぜかこのイメージを持ち続けていた。
身の回りに心当たりのある人はおらず、誰なのかは分からないままなのだけれど、辛い時や寂しい時に、顔もはっきりしないその人のイメージが、ずっと一緒だった。
だから自分の頭の中にだけいるその存在を、いつしか愛しいと思うようになっていた。
自分でも馬鹿な話だと思うし、ちゃんと現実には彼氏がいるし、誰かに話したことも無い、頭の中だけの恋人。
その人のことを思うと、荒んだ心が和らぐような気がするのだ。
私は右腕につけた、大好きなブランドの時計をチラリと眺めた。
針は既にお昼をさしている。会議の終了予定時間はとっくに過ぎていた。
しかしまだまだ会議の終わる気配はない。またお昼抜きか・・・そう考えていた時、ふと鈍い音がして建物が大きく揺れた。
蛍光灯がゆらゆらと揺れ、天井から埃が舞い落ちてくる。さすがの上司連中も主任を叱責するのを止め、何事か?と顔を見合わせている。数名が何が起こったのかを確認するために会議室の外に出ていった。
開け放たれた会議室の向こうのデスクからも、騒然とした様子が伝わってくる。
「大丈夫か?アリア」
同じチームの同僚で、私より年上の明良が声を掛けてきた。
「大丈夫・・・何があったのかしら」
「地震・・・にしては何か変な音がしたからな。すぐに何があったか放送が入るはずだ。ここでじっとしていた方が」
明良の声を遮って、不快な音でアラームがなった。
それは避難訓練などで何度か聞いた音で、火事か・・・?と更に場が騒然とした。
アラームと共に、放送のマイクが入った気配がした。しかし、何やら揉めているようで、怒号のような声がマイクからもれ聞こえてくる。聞き取れる限り、それは日本語に混じった、外国の言葉のようだ。英語ではないから何を行っているのかは聞き取れない。その荒々しい声に続いて、恐ろしい破裂音のような音が連続して鳴り響いた。
「こ、この音って・・・もしかして銃声・・・?」
「まさか・・・」
何かただ事ではないことが起きている。女性たちは蹲って悲鳴をあげているし、男性たちもおろおろと何をしたら良いのか分からない状況だ。
マイクから、人のうめき声が聞こえてくる。その側で「ホシノアリア」と男が言った。
え?と私は雷にうたれたかのように硬直した。
「ホシノアリアはどこだ」
日本人ではない、アクセントのおかしな日本語で男が尋ねている。呻いていた警備員らしき男性が何かを言って、ガシャン!という音と共に悲鳴が上がった。
殴られたのだろう・・・私の手を誰かが握った。手の主は明良だった。私の手はいつの間にか震えが止まらなくなっていた。
男は呻いている男に何かを話しかけ、しばらくした後、男は「よ、4階だ・・・その社員は4階にいます・・・」と告げた。
その後、大勢の足音が部屋から出て行くように遠ざかって行き、マイクからはうめき声しかしなくなってしまった。
「嘘でしょ・・・どういうことなの」
思わずかすれた声で私はつぶやいた。いつの間にか、周りの目が私に集まっていた。何者かがこのビルに襲撃をかけ、私、星野アリアを探している・・・そして、その何者かは恐らく武器を持っている。
「私をどうするつもりなの・・・!」
「何か心当たりはあるのか?アリア」
「そんなの無いわよ!」
けして順風満帆の人生ではなかったが、誰かに襲われたり恨まれたりするようなことはしていない。私を襲う価値を、自分でさえ全く思い当たらないほどなのだ。
会議室の向こう、デスクのある方で悲鳴が上がった。それと共に、はっきりと銃声が聞こえて背筋が凍った。
誰もが頭を抱えて地面に伏せ、隠れられるところはないかと逃げ惑った。いつもは立派なスーツに脂の乗った腹を抱えて偉そうにしている上司達も、会議室のテーブルの下でがくがくと震えている。
「動くな!動けば殺す!」
あの、変なアクセントで、男が怒鳴り声をあげている。
「ホシノアリアはどこだ!」
私は、ビクリと肩を震わせた。明良が会議室のドアの近くまでそっと近寄り、外の様子を確かめている。
「あ、明良・・・!」
「武装している・・・日本人じゃない。あいつら一体何者なんだ・・・」
私も、震えながら明良の側へ近づいた。その時、、ガシャーン!という音がして、また悲鳴が上がった。恐る恐る外の様子を見ると、武装をして手に銃を持った男が6、7人おり、デスクの机を蹴飛ばしていた。
顔はターバンのような帽子と鼻まで巻かれた布で目だけしかわからないが、その目や髪の色、背格好から明らかに日本人ではなさそうだった。強いていうなれば・・・
「テロリスト・・・か?」
いつもはどこか飄々としている明良も声に焦りがにじみ出ている。
「ホシノアリアはどこにいる!隠すと一人ずつ殺してやるぞ!」
そう言って、武装した男の一人が天井に向かって発砲した。反射的な悲鳴が上がり、その側にいる逃げ遅れた女性社員は泣き出している。
「私を・・・探している・・・」
「駄目だアリア、隙を見て逃げよう」
「無理よ、出口は全て塞がれているわ」
「あいつらに捕まったらどんな目にあわされるか・・・」
「でも、私一人が狙いなんでしょう?」
誰かが、会議室に居ると教えてしまったらしい。武装した男達がこちらに歩いてくる。手には銃を構えていて、私は始めてみる銃が心底恐ろしかった。でも止めようとする明良を遮って立ち上がり、ドアの前で彼らを待ちうけた。パンプスの中で縮こまっている冷たい足がガクガクと震えている。男の一人が私に目を留め、「お前がホシノアリアか?」と尋ねるので、そうだと小さく答えた。
銃口がこちらに向いている。それだけで気が遠くなるほど恐ろしい。
日本語が出来るらしいその男は、後方に何か外国の言葉で声を掛けた。すると彼らのボスらしい男がやってきて、私の前に立ちふさがった。蛇ににらまれた蛙のような気持ちだ。足が凍り付いてピクリとも動かない。
「**********」
外国語で何かを呟くと、男が私の顔をじっと見た。彼は書類を持っていて、そこには私の顔写真が載っていた。本人か確かめているのだろう。
すぐに男はニヤッと笑うと私の頭に銃を突きつけた。血の気がサッと引いていく。
「**********」
「一緒について来い」
通訳の男がそう告げた。なぜ・・・?なぜついて行かないといけないの・・・?
しかしそれを口にしたらすぐにでも引き金を引かれそうで恐ろしくて何もいえない。
私はどこへ連れて行かれてしまうの・・・?
「やめろ、アリアに危害を加えるな!」
明良が私を引き寄せて自分の後ろに隠し、くってかかった。その場に緊張が走り、私は慌てて明良を止めようとしたが、明良は銃で思い切り殴られ会議室の机に突っ込んだ。躊躇のない暴力的な一打に、聞いたことのない痛々しい音が会議室に響いた。
「明良!」
駆け寄ると、明良が鼻血を出して呻いている。明良を介抱しようとする私の腕を男が恐ろしい力で引き上げた。
「は、離して・・・」
なんでこんなことになったのだろう。
今日は、いつもどおりの退屈な日だったはずだ。
この後はあの仕事とあの仕事を片付けて、昼ごはんを食べ損ねた分早めに会社を出て明良とレストランに行く予定で・・・。
こんな銃口を突きつけられながら連れて行かれるはずじゃなかった!
「離してよ・・・!」
腰を抱かれて無理やり連れて行かれそうになった、その時。
会議室の窓の外に数人の男が忽然と現われ、窓を派手に破って会議室の中に転がり込んできた。
恐慌状態に陥る会議室の人々。どうやら新たな侵入者も皆武装しており、屋上からワイヤーでおりてきたらしい。
そして、私を連れて行こうとした男達に容赦なく銃弾を浴びせていった。バタバタと倒れた男たちの体には、銃弾で空いた数えきれないほどの穴から血を噴出している。
私を捕まえていた男も慌てて銃を撃つために手を離し、私は悲鳴をあげながらその場に頭を抱えてひれ伏した。
あちこちで心臓が凍るような破裂音とガラスの割れる音、人の悲鳴や何かが崩れる音がする。
新たに入ってきた男達の武装は先ほどの男達とはどこか違っていた。
どことなく洗練されていて、先ほどの男達の持つものより最新鋭のようだ。
一人の男が素早く私に駆け寄ってきて震える肩を抱いた。
「大丈夫ですか・・・!?」
彼は目に黒いゴーグルをかけていて、一体誰なのか分からなかったけど、私を助けてくれようとしていることは伝わって、少しだけほっとした。
その人は手袋を外すと、いつの間にか私の頬に流れていた涙をそっと拭いた。壊れやすい物を扱うような繊細な手つきだった。
「あなたを助け出します。私に捕まって」
そういうと彼は私をひょいと抱き上げた。身長が高くがっしりした体格は、私を抱え上げることなど造作も無いようだ。
私はまだ怯えたままで、なすすべもなく落とされないように彼にしがみついた。
彼が胸元にある小さな黒いボタンに外国語で何かを告げた。それがマイクだと気づいた時、窓の外に爆音と共にヘリが現われた。
風圧で書類が飛ばされていく。彼は私を抱えたままヘリに走っていった。
まさか、と思った瞬間、私を抱えたまま割れた窓を飛び越えてヘリに飛び乗った。
悲鳴もあげられないまま、一瞬の浮遊感の後に彼が飛び乗るとすぐさまヘリは離脱していった。
他の人は置いていかれても大丈夫なのだろうか、と思いながら私は一連の出来事に頭がついていかず、呆然としていた。
早く打つ心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。
彼に抱きしめられたまま、頬を撫でて「大丈夫ですか?」と言われるまで自失していたようだ。
初めて乗るヘリが恐ろしいとか、私を抱えたまま4階からダイブしてヘリに乗り移るとか馬鹿じゃないの、とか、いろいろ思うところはあったのだけど、やっぱり一言も発せずにいた。
彼は私を抱きかかえたまま操縦士や周りのものに何か言っていたようだけど、外国語で何も分からなかった。
彼がゴーグルとマスクをぐいっと脱いだ。少し汗をかいた髪はモスブラウンで、褐色の肌に野性味のある端正な顔立ちをしていた。
特に青灰色の透き通るような瞳に、私は見覚えがあった。
髪型や服装が違うけれど、私はこの人にあったことがある。数年前に駅で道に迷った外国人を案内したことがあった。彼は英語を話せたから、英語で道を教えてあげると凄く感謝されてお茶までご馳走になった、あの人だ。
「あなた、あの時の!確か名前は、シリウス・・・」
その時はバックパッカーの学生だと思っていたが、その彼がなぜ流暢に銃を扱い人に指示を出しているのか・・・。彼は嬉しそうに顔を緩め、覚えていてくれてありがとうと言った。
やはりあの時の彼なのか・・・!
でもあの時は英語しか話せなかったはずなのに、今は日本語で会話している。なぜあの時の彼が今ここに・・・?そうこうしているうちにヘリがどこかに到着した。
私は聞きたいことがまだ沢山あったのだが彼が外国語で何か指示を出し始めたので口を挟めなくなってしまった。