05話 安らぎの篝火
「ううーん! うっまい!」
口いっぱいに食べ物を頬張り、焚き火に照らされながら満面の笑みを浮かべているのはヴィヴィだ。
パンを片手にむしゃりと齧り、木のボウルによそわれたスープを具と一緒に口に含む。幸せそうに蕩けた顔でもぐもぐと口を動かし、よく噛んで飲み込んでからまた笑顔。
木箱に腰掛けたその後ろ、腰から伸びた狼のしっぽは上機嫌に揺れ、パタパタと地面を撫でている。
イナはその隣、かつての王宮育ちが伺える上品な所作で食事を口に運んでいる。
スープは根菜と骨つきの鶏肉、それに長粒の穀物が煮込まれた具沢山のものだ。
色は白濁、とろみがわずかにあってコクが強い。きっと鳥骨から浸みた出汁の旨味なのだろう。まぶされた千切りのショウガは臭み消しか。
木皿に盛られたサラダを咀嚼する。菜っ葉を塩胡椒で和えただけの簡素なものだが、村を離れるからと前倒しで早摘みされた野菜の味は瑞々しい。
その横に置かれたハード系のパンを手に取り、添えられた濃紅のジャムを塗りつけて噛む。
「ん、美味しいな、このジャム」
「だよね! 美味しいよね!」
ヴィヴィが反応した。
同じ木箱を椅子代わりにして座っていたから元々距離は近かったのだが、さらに寄ってきたので肩と肩がぴったりと触れている。
奥手なイナは「うわ!」と漏らしかけた動揺をどうにか堪え、「うん、すごく美味しい」と声を返す。
「酸味が爽やかだ。甘過ぎなくて他の料理の邪魔をしないね。何のジャムなの?」
「コケモモだよ。イレネおばさんがジャム作りの名人でさ……あ、いたいた。おばさーん! イナくんがジャムおいしいって!」
ヴィヴィが声を張り上げて手を振ると、焚き火の向こうからゴブリンの老女が嬉しそうに手を振り返してきた。
イナは彼女へと会釈を向け、パンに塗られたジャムを見つめている。“モモ”とは言うが、まだ形を残している粒を見るにベリー系の果実らしい。
その美味しさにもう一度感心して「ふうん」と唸り、今度は大きめに口を開いてパンを齧った。
そんなイナを、ヴィヴィは横から楽しげに眺めている。
「へへ。美味しい?」
「……えっと、見られてると食べにくいかな、って。あ、美味しいよ」
「気にしない気にしない。たくさん食べてね」
納屋で会話をして以来、ヴィヴィは暇さえあればイナの側に付いてくる。
別に媚びている感じではなく、単に興味を持たれている様子。
はっきりとした目鼻立ち、スタイルの良い体、狼の耳と尻尾はチャームポイント。そんなヴィヴィをイナは可愛いと感じていて、もちろん悪い気はしない。
ただ、イナは同年代の少女と接することにまるで慣れていない。寄られるほど、じりじりと身を引いてしまう自分がいる。
「あたし、イナくんのこと気に入ったんだ」
「そ、そっか。嬉しいな」
と、そこを通りかかったレイモンがヴィヴィの皿に目を向けた。
老騎士はぐぐっと表情をしかめ、ヴィヴィへと低く叱責の声を飛ばす。
「ヴィヴィ! 野菜を残すなといつも言っているだろう!」
「げえっ、レイモン……いや、はは、これは後で食べるから。ね?」
「何が、ね? だ。スープも野菜ばかりを残しているではないか。お前はいつもいつも、肉は誰よりも素早く平らげる癖をして……」
「だってアタシ人狼! オオカミだし! 肉が好きなのは普通だよ!」
「ハーフだろうが。その耳と尾以外は人間と変わらん。つべこべ言わずに野菜を食べろ!」
ヴィヴィにとってのレイモンは戦い方、MDの乗り方の指導を受けている教官だ。
15歳と67歳、祖父と孫ほどの年齢差とあって、戦い方のみならず私生活の諸々にまで小言を言われる関係性。思いっきり顔をしかめつつ、野菜を口に運んでもさもさと咀嚼する。
そんなやりとりを横で眺めながら、イナは微笑を浮かべている。
なんだか何もかもが懐かしい。王都が滅ぶ前は、自分もこうやってレイモンから叱られたことがあったっけ、と。
(剣術の指導だと結構厳しかったからな、レイモン)
そんなことを考えながらスープを口に運び、噛んだところで舌にビリリと痺れを覚えて吐き出した。
「うべえっ!!」
「イナくん!?」
「イナ様!?」
目を白黒とさせているイナ、その口から出されたのは真っ赤な唐辛子だ。
臭み消しのために入っていた具の一つで、それを噛んでしまって辛さに困惑している。
「辛、うく……み、水を」
「おお、イナ様! 水! 誰か水を持ってきてくれ!」
「レイモンうるさい。はいイナくん、ミルクでもいい?」
差し出されたカップをグビグビと飲み干し、イナはようやく顔色を取り戻した。
「う……ありがとう、ヴィヴィ……」
「イナくんは辛いのダメなんだね~、よく具にして食べるぐらい辛味の少ない唐辛子なんだけど」
「うん……昔から辛いのは苦手で」
「ふふ、好き嫌いあるんだね。レイモンに叱られる仲間が増えたかな~」
自分への矛先が緩むことを期待してか、ヴィヴィはにこにこと笑っている。
と、そこへ駆け戻ってきたレイモンがイナへと恭しく水を差し出した。
「イナ様、お水をお持ちしました!」
「ああ、レイモンもありがとう」
「お労しやイナ様。イナ様の皿からは辛味を抜くよう、調理の者たちに言い伝えておきますので……」
「え、いや! そこまでしなくていいよ!」
「……なんかレイモンさ、イナくんにだけ甘くない? アタシにももっと優しく接しなよ!」
「喧い! 貴様は野菜をしっかり食べんか!」
イナに世話を焼き、ヴィヴィへとひとしきり説教を浴びせ、そうしてレイモンは一礼をして去っていった。
「こんなの草じゃん……」と呟き、悲壮感さえ浮かべながらスプーンの先で野菜をつつくヴィヴィ。よほど野菜が苦手らしい。
そのふてくされた様子が面白くて眺めていると、ふと、左の袖がくいくいと引かれているのに気が付いた。
目を向けると、そこには少年が立っている。たぶん5歳ぐらいか、イナよりかなり歳下の村の子供だ。
彼は、緊張した様子でイナへと問いかける。
「辛いの、食べれないの?」
「え、あ、うん。情けないけどね……」
そう答えて苦笑いを返すと、少年の緊張がわずかに解れたのがわかる。
「ぼくも辛いの食べれないんだ」
「そうなんだ。俺と同じだね」
今度ははっきりと笑って返事をしてみた。
すると少年の表情が緩み、他にも数人の子供たちがイナへと歩み寄ってきた。
「いくつなの?」
「好きな食べ物なに?」
「一緒に遊ぼうよ」
「イナくんって呼んでいい?」
「MDかっこよかった!」
「うわ、い、いきなりどうして……!?」
突然、堰を切ったように寄ってきた子供たち。
その様子に困惑するイナの肩を、ポンとヴィヴィが叩いた。
「みんなね、イナくんのことが気になってたんだよ。でもほら、怖かったみたいでさ」
「な、なるほど……」
イナは物腰も柔らかく穏やかな性格だ。一度きっかけができてしまえば子供たちも近寄りやすい。
人、オーク、エルフと種族はそれぞれ。しかし好奇心たっぷりなのは共通。
そんな子供たちにわらわらと取り囲まれながら、イナはわりと嬉しそうに笑顔を浮かべている。
その様子を「うんうん」と満足げに眺めながら、ヴィヴィはイナと自分の食器を重ねて片付ける。
いつも明るく朗らかなヴィヴィは、村の子供たちの人気者だ。
そんなヴィヴィがイナにくっついていれば、子供たちも警戒心を徐々に無くしてくれるはず。
怖がられてるイナが馴染めるように。そんな考えから、彼が戸惑うほどに距離感をぴったりと詰めていたのだ。
ヴィヴィは初めて一歩引いた位置で、口を横に広げて嬉しそうに笑う。
「イナくん、寂しそうだもん。みんなで賑やかにするのが一番だよね!」
そんな調子、子供たちの作る楽しげな輪から離れて100メートルほどの位置。
団欒の焚き火とはまた異なる、一帯を煌々と照らすための篝火がいくつも立てられている。
そこに並べられているのは先の山賊団から鹵獲した二機のMD。
村の数少ない技術者たちはドワーフの男をリーダーに、その二機の整備を急ピッチで進めている。
「イナが狩ったリーダーの機体があったろう、あれからパーツ剥いで使うぞ!」
「応!」
屈強な男たちが手際よく作業を進めていくそこへ、レイモンが様子を見に訪れていた。
「何か手伝えることはあるか。人手が必要ならどんなことでも……」
「いらねえよ! 老人は大人しく休んでやがれ! 腰でもやられて肝心の時にMDに乗れませんじゃ話にならねえ!」
「ふむ……」
餅は餅屋だ。
元騎士のレイモンはMDを動かすための知識はあるが、しかしその構造や整備といった部分については門外漢。
荒っぽいドワーフから飛ばされた言葉に抗弁はせず、大人しく座って作業を見守ることにする。
「その二機、性能はどうだ?」
「まあ、良くはねえな。どっちも量産型の粗雑な戦士機だ。アンタやヴィヴィの機体、それにイナの黒いのと比べちゃ見劣りするぜ」
「粗悪か。それでも害種に正面から立ち向かえるMDの価値は大きい、整備を頼むぞ」
「ああ、言われなくともな!」
そこで会話を打ち切り、レイモンは闇の中に照らされた身の丈4メートル長の機体を見上げている。
山賊たちからの襲撃、あれは予期していたものだった。
この山岳地帯を根城として旅人を襲う集団の話は幾度か耳にしたことがあり、その上でイナのMDを隠して道を進んでいた。
ならず者たちからの襲撃を誘い、MDを略取する、元々そんな目算だった。そして狙いは見事にハマったわけだ。
(ここまでの旅路は順調……順調すぎるほどだ。早朝に出立したとして、町に着くのは明日の夕刻。それまで、何も起こらなければ良いのだが)
案ずるレイモンから離れ、再びイナたち。
MDは子供達の憧れだ、イナは子供たちにせがまれ、騎士機を顕現させる。
「……現れろ」
「おおー」
ずるると、イナの足元の影からマントを羽織った漆黒の機体が這い上がる。
「すごいすごい」と歓声を上げる子供たちに混じり、ヴィヴィは狼耳をぴくぴくと揺らしながら興味たっぷりに感嘆を漏らした。
「ね、イナくん。これ装備は? 剣とマントと、左腕の砲の他にもあるの?」
「ええと……長剣、左腕の濃縮魔素砲、左腕は魔光シールドも展開できるよ。それと防壁になるマントと、右足にも刃が仕込まれてる」
「かなり近接戦寄りなんだね」
「うん。遠距離は魔術で補えるから」
「そっかそっか」
君主機の専用機構は“格納”だ。
組み込まれた魔術回路で亜空間を開き、そこに複数のMDを収納することができる。つまりは機動する前線基地。
しかし、害種に飲まれたことで機能はさらなる変化を遂げている。
イナが念じれば漆黒の湖が広がり、そこから呼び出されるのはかつて騎士団が乗っていた、今は無人のMDたち。
「動力は俺の魔力、なのかな? もしかしたら騎士たちの魂とか、執念とか、そういうのも絡んでるのかもしれない」
それか、怨念かな。
そう言ってイナが浮かべた浅い笑みには、害種と化した今の自分への自嘲が含まれているのだろう。
しかし傍らのヴィヴィはそんな話にも恐れることなく、「ふぅん、へえ~」と余計にイナのMDへの興味を深めている。
「あの、怖くはない?」
「ん? あたしオカルトとか好きだから!」
「そ、そっか」
その時━━悲鳴!!!
イナとヴィヴィは立ち上がり、声の方向へと鋭く目を向けた。
野営地の端に、山賊の残党が現れたのだ。
しかしそれはたった一人。見張りをしていたゴブリンが既に捕らえている。
脅威はその男ではなく……
「調子に乗りやがって……滅びを連れてきてやったぜ……! ざまあみろ!!」
遠方、稜線から黒が押し寄せてくる。
ちらほらと立つ木を飲み込みながら、斜面を滑り落ちてくるそれは大量の害種!
放逐された山賊は害種に襲われ、悪あがきとばかりに野営地へとそれを引き連れてきたのだ。
「ヴィヴィ、迎え撃とう!」
「わかった!」
子供たちを避難させ、二人はそれぞれのMDへと騎乗する!