03話 イナとヴィヴィ
害種の襲撃から一夜が明け、昼。村は未だざわめきに包まれている。
10人以上の犠牲が出た。一命を取り留めながらも体を食われ、不具となってしまった者もいる。
それでも長く悲しみに浸る間などなく、破られてしまった村の門戸を一刻も早く修繕するべく多くの村人たちが駆けずり回っているのだ。
そんな村の片隅、納屋の中。
「惚れられたかもしれない」
イナが一人で呟いている。
彼が指しているのは人狼の少女、ヴィヴィのこと。
惚れた、ではなく、惚れられた。昨夜の戦いで颯爽と助け出したヴィヴィが、自分のことを好きになったのではないかと案じているのだ。
まともな会話は戦いの前に少し交わしただけ。
ふわりと靡いた銀髪の毛先のハネと犬歯を覗かせて朗らかに笑う表情、そして「たすけて」と泣いていた声が印象に残っている。だから助けた。
そうして、イナは一人で勝手にヴィヴィを意識してしまっている。
複雑な事情を背負っている。元は高貴なる王子だった。
そんな要素を取り払ってみれば、今の彼はただの16歳。思春期の多感な少年で、少しばかり意識過剰なところがある。
“……”
「だってそうだろ、あの子のピンチに割り込んで助けたんだ。格好良く!」
“……”
「なんだ、笑うなよ」
会話をしている。だが、納屋の中にいるのは彼一人。情緒不安定なのだろうか?
納屋は二機のMDの格納庫で、イナはそこで藁に包まれ身を横たえている。
彼の居場所がまともな家でなく隙間風の吹き込む納屋なのは、昨夜晒してしまった素性のためだ。
害種に飲まれ、害種へと転生した王子。
欠損した部位に黒い液が膨れ上がり、腕を再生してしまった。そう、明らかに人ではない。
村を害種から救った恩人とは言え、そんなイナ少年を手放しに讃えるには時が悪すぎた。
昨晩の害種騒ぎから夜が明けてまだ半日。村の中は彼を危険と見る村人と、あくまで恩人だと主張する村人に分かれている。
「縛り首だとか、言われないと良いんだけど」
イナは首を竦め、呆けたような表情で天井を仰いだ。
疎まれることにはもう慣れている。
死から転じて害種となった彼は、異生物の住処と成り果てた王城を離れて各地を放浪してきた。
城を取り戻すための戦力が必要だ。
その協力者を募ろうと旅歩いた。害種に襲われた人々を助けたのは一度や二度ではない。
特殊な機体である君主と、人魔それぞれの英雄の力を宿した彼は、野良の害種程度は苦にしない。そうして救った人々はイナを罵倒し、恐怖し、離れていった。
彼が戦えば体から滲む黒を晒すことになる。
少年が害種だと知れば、人々の反応は想像に難くない。
彼の意識過剰は生まれつきのものではない。害種へと身をやつしてしまった今の彼は、人に忌まれ続けて心を擦り減らしている。誰でもいい、誰かそばにいてほしい。
人からの好意を過度に気にするのは、そんな経験からの傷跡のようなもの。
と、そこへ。
「や、元気?」
「うわっ」
納屋の入り口に、銀髪と犬耳が揺れている。ヴィヴィがひょっこりと顔を出し、手を振ってきているのだ。
ノックもなしに扉が開かれたので驚いてしまい、イナは小さく声を上げた。
いやそれより、たった今まで都合のいいことを考えていた相手の登場だ。
しかし、イナは惚れられたかもと調子の良い独り言を口にしていたのが嘘のように、俯き加減に声を返す。
「あ……うん、調子はいいよ」
前向きに顔を下げたせいで、夜色の前髪が目に被っている。
そうしているとまるで内気な少女にも見える容姿のイナ。人から疎まれる経験はすっかり人付き合いを臆病にさせてしまっている。
だがそんなことはお構いなしに、ヴィヴィは下から顔を覗き込んできた。
「イナ。イナ・フロタユスくん……か。ふーん」
「ええっと、近くないかな」
お互いの鼻先が触れそうな距離だ。ヴィヴィはパーソナルスペースが狭いタイプなのかもしれない。
イナはすっかり気圧されてしまい、ついつい三歩後ずさる。
安心できる距離をどうにか確保し、上へと目を逸らしたまま左右に視線を泳がせている。照れ屋なのだ。
そんなイナの様子をどう感じたのかはわからないが、ヴィヴィは一度にこりと笑ってから表情を硬くする。
「村の大人たちは話し合ってるよ。君をどうするかって」
まあ、それはそうだろう。イナは頷く。
「その、もし処刑とかになりそうなら迷惑をかけないうちに逃げるんだけど」
「うーん、ならないと思うよ。みんな君が村を守ってくれたことはわかってるから。でも感情が整理できなくて、それで言い争ってるんだ」
感情が整理できなくて、という言葉には情感がこもっていた。
その整理できていない人の中には、きっと彼女自身も含まれているのだろう。
(両親と、お姉さんが害種に食われたんだっけ……)
イナは沈痛に目を伏せている。「惚れられたかも」なんて調子の良い言葉は自分への景気付け。
実際は、ヴィヴィは自分のことを一番怖がっていてもおかしくない立ち場の少女だ。
数秒の沈黙が場を包む。それを払うように、ヴィヴィが問う。
「害種、なんだよね?」
「……そうだよ。怖いかな」
「害種はとっても怖いよ。みんなみんな、あの黒いのに食べられちゃったから」
「……」
何も言えない。家族を、身近な人々を食い荒らされたのはイナも同じだが、彼は既に害種だ。同じ境遇とはとても言えない。
黙り込んだイナへ、ヴィヴィが言葉を継ぐ。
「でも君は、なんていうか……普通に見える。ついでに言えばアタシ世間知らずだからさ、王子様ってのもよくわかんないや」
そしてずいっと、イナが離した距離を詰めてくる。一、二歩。
「大事なこと聞くけど、普通の害種とは違うんだよね」
「違う。誓って違うよ」
「触れたとしても、食べられちゃったりはしないんだよね?」
「絶対にしない。人間と……変わらないんだ」
最後の一言を、イナは願うように呟いた。
もう一歩、二歩。同じだけの距離を下がったイナは、ついに後ろの藁束につまずいてしまう。
「わっ」と声を上げ、どさりと尻餅を着いた瞬間。前から、柔らかな温かさがイナを包み込んだ。
ヴィヴィに、抱き着かれている。
「ちょっ、待! ひえ、俺は、その……!?」
「……ありがと……本当にありがとう……」
ヴィヴィは震えている。
銀髪の毛先が鼻をくすぐっているのも、かなり豊かな胸が押し付けられている質感も、そんな全部が気にならないほどにヴィヴィは子供のように震えている。
イナは照れることなく、自然と人狼の少女の肩を抱き返していた。
「ぐすっ、うく……怖かった……怖かったよ……っぐ、死んじゃうかと思ったぁ……!」
「……良かった。助けられて」
イナの手が触れてもヴィヴィが食われることはなかった。
そのことに余計に安堵したのか、少女は大口を開けてわんわんと泣き始める。
ぼろぼろと溢れる大粒の涙、たぶん鼻水も、もしかするとよだれまでがイナの肩に染み込んで熱く濡らしていく。
けれど嫌悪感など欠片もない。いつ以来だろうか、久々に肌で触れた人の温かさが嬉しくて、イナも感極まって大声で泣き始めてしまった。
ぐす、ひっく、ずずと涙声が重なり合う。イナは16歳、ヴィヴィは15歳。二人共に、まだまだ子供でしかないのだ。
……五分もそうしていただろうか。ようやく二人は声を落ち着かせ、目を真っ赤に腫らして藁束に座り込んでいる。
なんとなしにぽつりと、イナは呟きを口にする。
「甘いリンゴと、濡れた犬の匂いだ」
他意はない。イナは緩んだ感情のままに、感じたことをそのまま口に出しただけだ。
しかし、ヴィヴィはそれを聞いた途端に大きく飛び上がった。人狼の身体能力は伊達ではない。納屋の入り口付近までの五メートルほどをひとっとびだ。
顔を真っ赤に赤らめて、狼の耳は垂れ、なんともいえない表情を浮かべている。
「く、臭かった?」
「え? いや、そういうわけじゃない! なんていうか、その、独特の……臭くはないよ! 全然!」
「……ううっ、言い訳するわけじゃないんだけどね! 昨日の夜から忙しくて、風呂に入ってなくって! しまったぁ……!」
尻尾もすっかり元気を無くし、へにゃりと地面へ落ちている。
わかりやすい。感情表現が豊かな子だなぁ、とイナは内心に思う。そして笑い声を上げ……ヴィヴィも眉を下げながら、今度は笑い声が重なった。
――と、そこへ。納屋の扉がノックされた。
引き戸を開き、礼儀正しく騎士礼をして入ってきたのはレイモン。かつて王立騎士団の古参として王家に仕えていた老騎士レイモンだ。
王子であったイナとももちろん顔見知り。それどころか、彼に剣術の指導をしていたこともある。厳しくも心優しい古強者。そんな印象の老人だと記憶している。
しかしイナは今、レイモンの登場に身を固くしている。
(昨夜、俺が害種だと告げた瞬間、レイモンは表情を強張らせていた……)
害種の波に飲まれたのは王城だけではない。その周囲に広がっていた巨大な城下町もまた漆黒に飲まれていて、レイモンの家族も城下に住んでいたと記憶している。
慮るに、彼の家族もきっとあの日、害種に。
(だとして、レイモンから見て、俺は元のままの王子と、イナと見てもらえるのか?)
それどころか、今ここで抜き打ちに斬りかかってきたとしてもおかしくはない。
そこで、レイモンが重々しく口を開いた。
「イナ・フロタユス。貴方に尋ねたい事が一つある」
「ああ、問うがいいレイモン卿。どんなことでも答えよう」
「貴方は……世界を奪還すると言った。それは我らが王城、国家を取り戻すという意志。そう捉えて構わないのだろうか」
イナは笑い、軽やかに、横へと首を振る。
「王城を? 小さいな、レイモン卿。俺は人魔に、生きとし生ける全ての者の手に、この世界の一切を取り戻すと言っているんだ」
「その意志には……ゴブリンやオーク、そして魔族。王国と対立していた者たちも含まれているのか?」
イナは腕を水平に薙ぐ。確固とした意志を漆黒の瞳に燃やし、高らかに宣言する。
「くどい! 全てだ。俺は害種の全てを討滅し、大陸の全てを元へと返す。緑溢れる森を、力強い大河を、希望の陽光を、全てを遍く生命の手に取り戻す。必ずだ!!」
「なれば!!」
レイモンは跪く。
そして彼の背後に、人、エルフ、ドワーフ、ホビット。ゴブリンにオーク、亜人と魔族。種を違える多くの村人たちが、レイモンの姿を真似てイナへと膝を折った。
驚きに目を開いたイナへ、レイモンは高らかに宣誓を告げる。
「我ら“村”の一同、イナ様の意志に魂を添わせると誓いましょう。この命が尽き果てようとも、共に世界の奪還を目指さんと!!」
「おおおおおっ!!!!!」
村人たちが鬨のように声を上げている。
レイモンは確かに家族を失った。確かに害種を憎悪している。
しかしその感情を上回るほどに、イナの駆る君主のMDに、そしてイナ自身の瞳が宿した黒い煌めきに大いなる希望を見たのだ。
そして情熱のままに、村人たちを説き伏せていた。村人たちに滅びへと抗う意志を燃え上がらせていた。
感慨に打ち震えながら、イナは押し殺した声で、しかし力強く声を上げる。
「共に取り戻そう。俺たちの世界を!!!」
今ここに、イナにとって初めての軍勢が旗を上げた。