02話 反攻の狼煙
遥か宙からの侵略者、害種はあらゆる生命を取り込み消化してしまう
五百年の間、いかなる外敵をも打ち払い続けてきた王立騎士団が一夜にして壊滅したという報せは未だ人々の胸に恐怖を刻みつけている。
剣士も魔術師も弓兵も、救国の英雄、“蒼華の勇者”シグルスが繰る聖氷までもがわずか半日で黒い波に飲み込まれてしまったのだ。
人も魔も、害種から見れば等しく生命。あらゆる種族が害種の脅威に晒された。
勇者シグルスと争い続けた“紅蓮の魔王”も害種に食われてしまったとは風の噂。セルトリアは、そんな星外生命体の脅威を前に滅亡の危機に晒されている。
だが、抗う手段はある!
「だああああッッッ!!!!」
雄叫びを上げるヴィヴィ。振るわれた重斧が害種の体表、フジツボめいて硬質化した体を叩き切った。
全長およそ4メートル、フレームと武装は玉鋼とミスリル銀の合金製。エルフとドワーフ、二種族の鍛冶と魔法技術の統合によって生み出された装甲機だ。
ただ、この大陸に元から存在していた物質だけでは生まれ得なかった。
天空からの災厄、世界へと害種を呼び込んだ忌まわしい隕石。その隕石を構成していた未知の物質を採取し、その異常なまでの魔素伝導率を動力部のパーツへと活用することで、長躯の金属塊を人の意のままに動かすだけの馬力が人魔へと与えられたのだ。
――MD。
触れれば溶かされてしまう害種に対抗するために各種族の技術者たちが出した答えは、大仰な外殻で戦士を覆ってしまうことだった。
甲冑めいた風貌、赤銀の大騎士が再び大斧を打ち付けた!!
「よっし、手応えアリ!」
人狼の血を引く少女、ヴィヴィは操縦席でウルルと唸りながら拳を握っている。
村にあるMDは彼女の乗っているこれともう一機だけ。その貴重な機体の乗り手にヴィヴィが選ばれているのは、彼女の卓越した身体能力が操縦手への高い適性を示したというごくシンプルな理由だ。
「アタシはやっぱ、弓とかより斧が得意だな」
MDの操作は理屈ではなく直感だ。座席の左右から迫り出した操縦桿で大まかなバランスを取り、何やら有機的な黒いケーブルを腕に貼り付ければ意思と機体がリンクする。
あとは何やらエルフお得意の魔晶技術で360°に投影された外の映像を視認しつつ、感覚を頼みに暴れるだけ!
害種の体から七本目の触手を叩き落とし、ヴィヴィは座席の横に積んだ籠から真っ赤に熟れたリンゴを掴んでワイルドに齧る。
「お腹空くんだよねえ、この子の操縦って。実際に全身で動いてるのと変わんない感じで……」
瞬間、左手が操縦桿から離れたことで機体バランスにわずかな揺らぎが生じる。
そこを敵は見逃さない。タコに人型の二本足が生えたような冒涜的な姿へと変じている害種は、鞭のようにしならせた腕をヴィヴィのMDへと巻きつける!
「っ、しまったぁ! う、動けない!」
「油断をするからだ」
疾風。いや、豪風がヴィヴィのMDの傍らを過ぎる。それは一本の矢。しかしあまりにも巨大な、さながら丸太を射ち出したかのような威力と衝撃!
ヴィヴィの機体に巻き付いた触手を器用に引き裂き、そのまま本体の腹の当たりへと杭めいて突き立った。
害種はゴポポと湿った声を漏らし、矢の衝撃に三、四歩と後退っている。
矢を放ったのはもう一機、レイモンと呼ばれる老騎士が駆るMDだ。
「助かったよレイモン!」
「リンゴを食っただろう。飯は盤石を確保した時だけ食えと何度言えばわかる」
白髪を短く刈り込んだ屈強な偉丈夫、顎には過去の戦で負った古傷の跡がある老人だ。
害種に滅ぼされた王立騎士団の数少ない生き残りで、村へと流れてきた彼がヴィヴィや他の村人たちへと戦闘技術を授けた。
要は教官のようなもの。叱られる気配を感じたヴィヴィは「やばっ」と小声で呟き、機体を前へと躍らせる。
「説教はあとあと! それより援護お願いっ、レイモン!」
「聞き分けのない小娘だ。――疾ッ!!」
MDには種類が存在する。
かつてこの大陸が希望と冒険に満ち溢れていた頃の名残だろうか、機体の分類は冒険者たちがギルドに登録する際の職業に準じている。
ヴィヴィの機体は前衛型『戦士』、レイモンの機体は後衛型『弓手』とそれぞれ呼ばれる物。
他にも剣士、騎士、魔術師に僧侶と様々な機体種が存在しているが、ともかく今ここにあるのは二機だけだ。
前衛と後衛が一機ずつある以上、必然役割は決まってくる。
レイモンが気合いと共に放った大矢がゴ、ド、と立て続けに二射。勢いに圧されてのけぞった害種は夜森に亜叫を響かせ――ヴィヴィの“戦士”が高々と跳ねている。
森の木々よりも高く、月影に被るほどに高く。そして翳した大斧は重力に従い、ギロチンめいて落下する!!
「これでっっ……終わりだっ!!!!」
轟断!!!
害種、黒塊が怪物の形を為したその姿が縦に割断されている。だけに留まらず! ヴィヴィは着地と同時に機体の脚部を軋らせ、バネのように跳ね上がっている。逆袈裟に斧のもう一斬を放ったのだ。
ギュ、ポポと。嫌悪感のある生声を漏らし、怪物はついに崩れ落ちた。黒い液状の体はその輪郭を保てなくなり、じわりと地に溶けていく。
ヴィヴィとレイモン、少女と老騎士の駆るMDは見事な連携を以て、見事に害種の一体を撃破してみせた。
そして……ヴィヴィは真っ青に血の気の失せた顔で、喉を震わせながら声を揺らす。
「そ、んな。そんなっ、ウソだよ!」
「……どうやら、我々の命運もここまでのようだな」
レイモンが静かに呟いた。二機のMDの後方、村人たちの中からは絶望的な悲鳴が湧き上がっている。
撃退した害種、姿を溶かしていくその黒影の向こうに十、二十。数えるには手足の指では足りない、おびただしい数の害種が黒く蠢いている。
害種は人の心を読む。人々の潜在意識に潜む恐怖の姿を象る。
キマイラを、フェンリルを、オルトロスを、村人たちが恐れる様々な怪物を黒液が模し、そして立ち上がった巨なる一体は漆黒の鎌首をもたげ、牙の隙間から炎のように黒霧を漏らす。
「ドラゴン……!!」
「退け! ヴィヴィ!」
絶望的な声を漏らしたヴィヴィへ、レイモンの警句は届かない。
黒の怪物たちは行軍を始める。恐怖に竦めば後退が遅れる。後退が遅れれば飲み込まれるまではわずか数秒。
村人たちの悲鳴が響く中、ヴィヴィのMDは害種が模す怪物たちに押し包まれた。
MDの装甲は堅固だが完全ではない。排熱の必要がある以上は隙間が存在し、そこから捕食の黒液がコックピットへと染み渡っていく。
「いや、嫌っ、いやだぁっ……! 死にたくない死にたくないっ、パパもママも、姉ちゃんも飲み込まれた、ドロドロに溶かされて、苦しそうに……!」
ヴィヴィの目の前で故郷は滅んだ。害種の波に飲み込まれた。
それを忘れるように気丈に振る舞っているが、周囲を取り囲まれた絶望的な状況についに恐怖の蓋が開いてしまう。
ぎゅっと自分の両肩を抱き、漏らす声は悲痛な願い。
「たすけて……!」
「ああ、助けるよ」
白刃が旋風を成した。
黒渦の中に飛び込んできたのは黒く燃える魔素に包まれた一機のMD。幅広の長剣を一閃、ヴィヴィを取り巻いた害種たちを薙ぎ払っている。
レイモンの『弓手』機ではない。あれは深緑のカモフラージュ塗装が施されている。
赤銀のMDを救い、両腕に抱きかかえるMD。ここにいるはずのない黒い機体へ、人狼の少女は震える声で尋ねかける。
「あなたは、誰?」
「こんなご時世だから、みんなで助け合わないとさ」
ヴィヴィはMDに乗る少し前、交わした会話を思い出す。
彼女が助けた行き倒れの少年、彼の名は確か。
「行き倒れの……イナ?」
「助けてもらったから。今度はこっちが助けようと思って」
黒の機体は月光を微かに照り返し、背にはマントを背負っている。
マントは一際深みのある漆黒だ。夜の帳そのものを纏った、そんなイメージ。
山鬼を模した害種が爪を突き出す。そこへイナのMDはマントを翳した。
ただ一枚の布のように見えるのだが、その一枚が恐るべき怪物の爪を遮っている。機体に損傷を受けることなく、衝撃の全てを殺している。
そして踏み込みを一歩、右腕の長剣が抉るように突き出され、トロルの上半身へとスクリューめいて螺旋を穿つ!
「すっご!?」
「後は任せて、下がっていて」
機体の視線でヴィヴィを後方へと促し、そして『弓手』機へと声を掛ける。
「レイモン、彼女の保護を」
まるで既知のように老騎士へと呼びかけるイナを不思議に思いながら、邪魔にならないようヴィヴィは後ろへ。
そこでレイモンが呻くように声を漏らした。
「イナ……ヴィヴィ、今、あの機体の主を、イナと?」
「へ? うん、そうらしいけど、あたしだって詳しいことは知んないよ。今朝行き倒れてたのを助けただけで」
「おお……おおっ……!」
MDの行動は乗り手の意に沿う。
レイモンがそうしたいと願うままに、深緑のMDは前屈みに膝を突く。そして黒いMDを拝むように両手を伸ばし、涙声を絞るように発する。
「イナ様……我らが王子……! よくぞご無事で……!」
「おっ、王子ぃ!?」
イナの機体、その職業はただ一機のみ存在する。
他よりも多大な出力と固有の魔術回路を付与されているため、動力部の素材である隕石を多く用いねばならなかった。
隕石は有限、結果としてワンオフ機として生まれたその機体種は『君主』。
そして付与された魔術回路が魔素を燃やし、王に連なる少年、イナは呼ぶ。
「集え、我が家臣たちよ」
機体から滲み出した影は後方に淀みを広げ、地面へと黒い湖のような空間を描き出す。
そこから這い上がるように……美しく統率された隊列を組み、現れたのは『君主』機と同じく漆黒に彩られた百機のMD。
ヴィヴィは息を飲み、状況を理解していない村人たちは混乱に絶句し、その中で唯一レイモンだけが理解している。
その百機はそれぞれが剣を、弓を、槍を持ち、役割が確と分けられている。そのバランスは、そしてそれぞれの機体にわずかに見える構えの特徴は、害種に滅ぼされたはずの“王立騎士団”の騎士たちと同一!
「我に続け。害種を討滅する!!!」
並み居る害種たち、そこへ漆黒の騎士団が襲いかかる。
それぞれが漆のような艶を宿していて、ぶつかりあえば端からは敵も味方もわからない漆黒が大渦を形成する。
しかし混迷の中にも騎士たちのMDは見事な統率を保っていて、弓手機が矢を放ち、魔術師機は炎を成し、槍騎士たちが優位な距離を保ったままに害種の前陣を突き崩していく。
その先を駆けるのはイナのMDだ。マントを翻し、脚部から魔素を吐き出して猛烈な推進力を得ている。
垂らした長剣で地を削りながら害種の波を切り抜け、そして最も巨大な敵影、身の丈は10メートルにも及ぼうかというそれへ自ら挑みかかる。
「ドラゴンもどきか」
黒竜が大口を開き、黒霧をブレスめいて吐き出した。機体へとマントを巻き付けて防ぎ、その渦中を果敢に突破して懐へ。
右手に握られているのは幅広のブロードソード、厚みも盤石、刃渡りは2メートルと半には満たない長尺だ。
左の腰部に魔素のブーストを吹かし、機体を鋭く転じさせる勢いで剣を振り抜く。ギギャリと火花を散らし、しかし刃はドラゴンもどきの鱗に弾かれた。
「硬いな」
オオオオオ!!! と黒竜は吠え、屈強な尾を『君主』機の横ざまへと叩きつけようと振るった。
が、イナが手を掲げたのに応じて数機のMDが脇に滑り込む。
大盾を手にした重装の騎士機がそれを防ぎ止め、瞬間、イナは両手持ちに切り替えた長剣を持ち上げる。
剣先は地盤を削り、逆風の軌道で擦り上げる一撃がドラゴンの尾を切り飛ばした!!
「凄烈な!!」
後方で見守るレイモンが驚きに叫んでいる。
王子イナは確かに武才を秘めた少年だった。だが今の剣撃は齢十五、実戦経験に乏しい少年の太刀筋ではない。
「イナ! 危ない! そいつブレスを吐こうとしてる!!」
ヴィヴィの叫びに応じ、イナは左手に青の輝きを宿す。
それは圧縮、掌握された魔素の光。イナのMDは魔術を成そうとしている。詠唱!
「“堕鬼、瓦落、聖賛の重唱。四十六、御白満ち足りて架と杭を成せ”」
そして左手を天に掲げ、宣言を。
『氷星剣』
指揮者の如く下ろされた左手に従い、神聖に煌めく氷の大剣が天から降った。
重く鋭く、魔力に尖りを増した巨刃がドラゴンの顎を縦に貫き留めた。
レイモンは再び驚いている。今の魔術は救国の英雄、“蒼華の勇者”シグルスが得手としていた蒼氷の大魔術!
(何故、それを王子が?)
イナの力はそれに留まらない。
次いで右、手にした剣に赤が宿る。
刀身に炎が揺らぎ、その熱光がリーチを伸ばし、剣は紅蓮の槍へと姿を変えている。
「“灼火よ、赫赫たる煌炎よ。魔王レオノーラの名において爆拡の裁可を与えん”」
王国と、そして勇者と争い続けた紅蓮の魔王。その名をイナが呟けば、右手の炎は灼熱の塊へ。それを投じる!
『焔鎗』
――爆ぜた。
紅炎の切っ先が竜の鼻先へと触れた刹那、超熱が渦を巻き空間を歪める。
威力は極大、害種が姿を変えたドラゴンもどきは絶叫を上げて天へと大口を開けている。
そこへ、イナは跳んだ。
「鱗が硬いなら、内を貫くまで」
ルォオオオオオオ!!!! 咆哮を上げた黒竜は顎を開けたままに、黒い流体をイナのMDへと伸ばした。
舌? 牙? いや違う、害種という存在の殺意を煮詰めて突き出された漆黒の体だ。忘れてはならない、敵はあくまでドラゴンそのものではなくドラゴンもどき。
その本質は不定形、正体不明の侵略種!
「イナ!!」
ヴィヴィが悲鳴を上げている。イナのMD、君主機の脇腹をドラゴンもどきの黒が抉っている!!
その軌道はコックピットへと当たっていて、だとすれば中にいるイナは食われて……!
「いや、食われるのは……一度で十分だ!!!!」
断った。顎から入った刃は顎関節を裂き、さらに軌道を傾けて首から胴、胴から尾へ。
見事に捌かれた巨身は陸に打ち上げられた魚のように三度のたうち、そして長く、長く、断末魔を響かせて。ドラゴンもどきは水風船が弾けるように、飛沫を舞わせて飛散した。
ざあ、と黒い雨が降り注ぐ。
その液に捕食能力は既にない。何の変哲もない、ただ黒いだけの液体だ。
その漆黒を浴びながら、君主、イナ・フロタユスのMDは黒く蒸気を排出した。
そして胸部、鎧で言えばチェストプレートに当たる位置が上へと開き、操縦席の中に座した少年が姿を表した。
老騎士レイモンは絶句する。
確かに彼の知る王子の、イナ少年と違わぬ顔だ。
だが決定的に異なっている。
王子は麗しい金髪碧眼。しかし眼前に現れた少年は漆黒の髪、漆黒の瞳。
そして何よりの異様、彼の左腕へとヴィヴィは瞳を囚われている。
害種の最後の一撃に削られたのだろうか、左腕は肩口からごっそりと欠損していて、しかしそれを補うように。
「黒く、うねってる……?」
「害種なんだ。今の俺は」
騎士団と共に害種の波に飲まれた王子は、彼だけでも活かそうとする家臣たちに、そして害種に取り込まれながらも自我を失わずにいた勇者と魔王の依代となり、意思を持つ害種へと転生を果たしたのだ。
傷口から滴るのは血は赤ではなく黒。やがて蠢く触手は欠損部を埋め、左手を再生させた。
既に完全なる人外。
しかしイナは、黒血のイナは、滅びの運命への反逆を誓う。
「世界を奪還する」