01話 這い寄る影
人、エルフ、ドワーフ。
ゴブリンにオーク、ウェアウルフを始めとする亜人と魔族。
様々な種族が文化を築き、時に手を取り、時に相争いながら営みの明かりを灯す大陸、「セルトリア」
水に満ち、緑が生い茂る広大かつ肥沃な土地。
種が違えば思想がぶつかり戦争が起きる。しかし種族を越えて結ばれる友愛もある。
生命は興亡を繰り返し……そんな悲喜を経ながらも、全ては調和を保っていた。
一つの隕石が、その全てを覆すまでは。
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森林。夜陰に光源はなく、空は雲に覆われて視界は闇に包まれている。
森の雰囲気は異様だ。
明かりがないのはいいとして、虫のさざめき、鳥の羽ばたき、獣の遠吠え、そんな生命の気配全てが失せている。
……いや、息を殺した気配が一つだけ。
「やばいよやばいよ。絶対来てるよ、これ……」
樹上に一人、身を潜め、目を細めながら呟く少女がいる。
ぬめりとした風が吹き、彼女の頭に生えている耳をピクリと揺らす。すらりと通った鼻梁をひくつかせ、遠くから漂う異臭を嗅ぎ取っている。
袖なしの麻シャツに動きやすそうなハーフパンツ姿。上から闇に乗じるための濃紺のマントを羽織っている。
肩ほどまでの銀髪は毛先だけが跳ねていて、頭部の耳はふさふさとした犬のそれ。
彼女の名前はヴィヴィ。年齢は10代半ばの人狼の少女だ。
ただし彼女は人と人狼のハーフ。人狼自体がそもそも人と狼とのハーフのようなものなのだから、彼女の狼要素はクォーター程度と言ったところ。
耳以外のオオカミらしさは腰から生えた尻尾と、人域を越えた嗅覚、そして夜目が利くことか。
彼女は警戒している。グルルと微かに喉を鳴らしながら、狩猟弓を手にして矢を番える。
風がもう一度そよぎ、湿気ったようなカビ臭い空気が鼻先を撫で……ヴィヴィは跳んだ!!!
「マジでっっ! 来たああああ!」
ムーンサルトの要領で宙を舞ったヴィヴィ、その足がつい今まで置かれていた枝へと黒い波が襲いかかる。
ドロリと粘性の“それ”がスライムのような流体の動きで枝や木の幹を撫でると、密に茂っていた木の葉は枯れて散る。樹木は生命力を瞬時に失い、朽ち枯れた老樹へと姿を変える。瞬時に!!
「生命を食べてる……!」
背後の黒い流体はうぞりと身を持ち上げ、その一部が形を変えて競り上がる。触手、五指の生えた手のような触手がヴィヴィを追って樹上を滑る。
ヴィヴィはトン、タンと樹上を跳ね渡り、身軽に姿勢を整えながら太く強度のある枝に足場を整える。
人狼の血が流れているだけあって、力も動きの鋭さも並の人間より上だ。キリリと引き絞った楡の弓から矢を続けざまに二本射る。
放たれた矢は触腕へと突き立てられる。が、黒い液体は鏃から尾羽までを飲み込んでそれまで。黒い塊にダメージが入った様子は皆無で、そのまま津波のように森の生命を吸い上げながら怒涛と迫る。
表情険しくそれを見つめながら、人狼の少女は憎々しげに声を上げる。
「やっぱこいつ、“害種”だっ!」
“害種”。
ほんの二年前、大陸セルトリアへと降った巨大な隕石。そのクレーターから滲むように現れた生物の仮称だ。
いや、生物なのかもわからない。その液状の体が通り抜ければ人も魔も、全ての生命が食い尽くされる。思考があるかは定かでなく、ただ貪欲に喰らい続ける侵略者。
白紙へ垂らされた墨のように、害種は猛烈な勢いで大陸へと滲みを広げていく。
そうして二年が過ぎた今、既に大陸から国家の枠組みは失われた。種族同士の諍いさえも。
人もエルフもゴブリンも亜人も、大陸に息づいていたあらゆる生命は害種の脅威に怯えながら、迫る脅威に抵抗を続けているのがセルトリア大陸の現状なのだ。
「く、くそうっ!! 追ってくるなってえええ!!」
ふさふさと毛並みの良い尻尾を揺らしながら、弓を背負って樹上から滑り降りる。「ぐぅる!」と獣じみて一声を漏らし、身を沈めての猛ダッシュ。
夜目が利く。嗅覚も鋭い。人よりも優れた五感全てをフルに発揮し、脚の筋肉を軋ませながら砲弾のように森を走り抜ける!
枝や草葉が白い太ももへと傷を付ける。しかし構わずに駆ける。
ヴィヴィに与えられた役目は斥候だ。その五感を活かし、様子のおかしい森へと様子を見に来ていた。
そして実際に害種を見つけた今、彼女の次の役目は一刻も早く生還すること。
「早くっ、早く村のみんなに知らせなくちゃ!!」
そうして数分走り続けただろうか、彼女の目へと明かりが見えてくる。村だ。
丸太を打ち立て、外敵の襲来に備えた囲いに包まれた集落が森の中に現れた。
煌々とかがり火の焚かれた物見台で、弓を構えた番兵たちが駆けてくる少女を視認する。
「ヴィヴィだ! ヴィヴィが戻ってきたぞ!」
「オイ、大丈夫か!?」
最初にヴィヴィへと声を掛けた男の耳は尖り、美しい金髪を背で纏めている。エルフだ。
次に声を上げた男は一回り小柄。肌は青黒く、乱杭歯が剥き出しになっている。人の美観で照らせば醜いと言える容姿だろう。彼はゴブリンだ。
エルフとゴブリン、本来であれば決して良好な仲とは言えない両種族が肩を並べて弓を片手に番兵をしている。
害種の侵攻に故郷を滅ぼされた。そんな放浪者たちが種族の垣根を越えて手を取り合うこの集落は、便宜的に“村”とだけ呼ばれている。
ヴィヴィもまたそんな村に拾われた一員。番兵の二人へと大声を張り上げる!
「害種!! 来てるっっ!!」
「ッッ……! 警鐘ーっ!!」
「門を開けろ! ヴィヴィを入れるぞ!」
厳重に閉じられた門の一部に隙間が開かれ、ヴィヴィは脇目も振らずそこへ飛び込んだ。
「ふぐうっ!!?」
勢い余って厩のバケツへと顔をぶつけたが、鼻先が赤らんでいるのにも構わず顔を上げて叫ぶ!
「すぐ来る!! みんなっ、戦いの準備をして!!」
体格に優れたオークが大剣を担ぎ、エルフの老婆は大魔術を放つべく長尺の詠唱を諳んじ始める。
もちろん村には人間もいる。剣、槍、斧、自衛のために備えてある武具をそれぞれ手に手に、村唯一の侵入経路である正面の門、その前に築いた即席のバリケードの前に陣形を組み上げた。
「ヴィヴィ、お前は“アレ”取ってこい!!」
最前線で構えているオークが地を揺らすような大声を上げた。
彼は村で一、二を争う強者。緑の肌に牙を覗かせた恐ろしげなナリだが、普段は大工として村の各所を修繕して回る面倒見の良い男。そして一人娘を育てる子煩悩な父親だ。
人狼の少女は彼の指示に「わかった!」と声を返し、村の奥へと向けて走っていく。
かつては争っていた人も魔も、共通の敵を前にして一緒に暮らしてみれば存外わかりあえるものだ。不安げに振るえているゴブリンの少年の頭をぽんと叩き、エルフの幼女へと笑みを見せて勇気付ける。
ヴィヴィはこの村が大好きだ。逃れてきた仮住まいの地だが、決して失いたくない場所だと思っている。
ふと、彼女の目は一人の少年を見留める。
夜空のような黒髪、その瞳も漆黒。歳はおそらくヴィヴィと同じ程度。背は170に満たず、涼やかな目元は見るものにどこか中性的な印象を与える。
ふんわりとしたショートの髪型と合わせて、ボーイッシュな少女と言われれば納得してしまうような風貌だ。
歳について“おそらく”、と推測なのは、村の外で行き倒れていた彼を保護したのが今朝のことだから。それからこんこんと眠り続けていたが、この害種騒ぎの喧騒でやっと目を覚ましたらしい。
その少年がどうにも気になって、ヴィヴィは駆け足の歩調を少しばかり緩めて彼へと声を掛ける。
「えーっと、元気?」
「ああ、それなりに。君たちが助けてくれたのか?」
「そうそう、感謝してよね?」
「……本当に、ありがとう。俺は……こんな場所で果てるわけにはいかなかったんだ」
「おおっと」
深く頭を下げられて、ヴィヴィは少しばかり面食らう。
なんというべきか、妙に気品のある物腰の少年だ。ついついこちらも居住まいを正し、人狼らしく少し長めの犬歯をちらりと覗かせつつ朗らかに笑ってみせた。
「どういたしまして。こんなご時世だもん、みんなで助け合わなくっちゃね! アタシ、ヴィヴィ。あなたは?」
「イナ。イナ・フロタユス」
「ふーん、あんまり聞いたことない名前。って! 急いでるんだった! また後で話聞かせて!」
「何かあったのか?」
「害種が来てんの!!!」
害種と聞いた瞬間、少年が目を見開いたような気がした。しかし気には止めず、ヴィヴィは彼から離れて再び走る。
そうしてたどり着いた背の高い納屋。その中から、「遅いぞ! ヴィヴィ!」と野太い声が響いてくる。
「ごめんレイモン!」
そう声を返しながら、彼女は納屋の中へと駆け込んだ。
……村の入り口、物見台のかがり火が鈍風に燻る。瞬間、見張りの二人が同時に大声を上げる。
「入ってくるぞ!!!」
彼らの報告は意味を成さなかった。
メシャリと嫌な音を立て、正面のゲートが黒い波に破られたのだ。言われずとも侵入は明らか!
一気呵成と流れ込む重たい黒液、その流れはバリケードで一度スピードを留めるが、その怒涛の様に村人たちは絶句している。
飛沫が馬の背へと跳ね掛かり、その部位の肉が喰らい溶かされる。馬の一頭が苦痛に嘶きを上げる。まさに死の具現化とでも呼ぶべき黒の塊……!
「うろたえるんじゃあない!!」
高らかに声を上げたのはエルフの老魔術師。村の知恵者として頼られる老婆は、手元の杖先へと留めていた膨大な魔素を一斉に解き放つ。
杖から猛る爆炎、その勢いは火竜のブレス!
害種へと着火した魔術は、まるでナフサにパーム油を混ぜ込んだかのような粘り気のある炎へと姿を変えている。
その火勢に怯んだのだろうか、害種はわずかに動きを留めた。それを見逃さず、指揮役のオークが大声で指示を放つ!
「今だ!! 一斉に攻撃を仕掛けろ!!」
「おおおおおっ!!!」
村人たちはそれぞれの武器で一斉に挑みかかる。刃をぶつけ、矢を突き立て、絶え間なく攻撃を仕掛けていく。
勇敢な人々だ。飛沫を浴びれば無事では済まない。しかし恐れず、種族を越えて手を取り合い、息を合わせての波状攻撃。
思想も種族も関係ない。この村こそが彼らにとっては最後の安息の地。失えばもう二度と手に入らない。守るのだ、全ての力を合わせて!
だが、そんな尊い意思も何もかも、害種は全てをゼロへと帰してしまう。
巨大な黒スライム、そんな形状から徐々に起き上がり、多数の触手を全身に生やした悪魔……そんな形態へと姿を変えている。
目の前の生物たちを模したかのように二足で立ち、両手らしい部位を突き出している。だがその両手には大量の触手がびっしりと蠢いていて、グロテスクな様にエルフが悲鳴と共に矢を放つ。
が、刺さらない。矢が当たった場所がまるでフジツボめいた硬質に覆われて遮断。剣も斧も、全ての衝撃に反応して表層が硬質化する。
人々へと生理的嫌悪感を催させ……触手が躍る。
「ウッ、グ、あああああああ!!!!!!」
絶叫は指揮役のオークのもの。
最前線で村人たちを鼓舞しつつ大剣を振るっていた彼の腕が、害種の体であり捕食器でもある触手へと取り込まれている。
今し方まで勇ましく剣を掲げていた腕は、害種の中で既に骨へと姿を変えてしまった。
同様に、複数の触手が村人たちの体を飲み込んでいる。
生きながらにして体を喰らい溶かされれる感覚に、人々は苦悶の絶叫を上げずにはいられない。そしてその絶叫は周りの戦意をも削いでいく。
村人の誰もが信頼を寄せていたオークの前腕が、二の腕が、ついに肩まで。恐るべき速度で捕食されていく姿に、誰ともなく声が漏れる。
「俺たちじゃ、勝てない……」
「諦めちゃ駄目っ!!!!」
重刃が振り落とされた。
それは斧。しかし人が振るうそれとは明らかに異なる、刃渡りが2メートルほどもある大斧だ。
それを握っているのは鋼鉄の、いや違う。ある特殊な鉱石をベースに作り上げられた、全長4メートルほどの装甲機。
その姿はフルフェイスの兜までを被ったフルプレートメイルの騎士にも見える。
斧刃はギロチンめいて叩き落され、さらに暴風を起こしながら翻り、腕を飲まれたオークら、まだ手当て次第では命を取り留めそうな数人を害種から解き放った。
大気から取り込んだ魔素を内部機構で圧縮して燃料に変え、腕部の無骨なシャフトからはガシュウ! と排熱の蒸気が漏れる。
MD。
遥か天空からの侵略者に抗うための、人と魔に残された最後の寄る辺。
胸部装甲の内側に座したヴィヴィは一撃の手応えに犬歯をグッと剥き、怒りの視線で巨大な害種へと立ち向かう。
「この村だけは……私たちの大事な場所は、潰させないッッ!!!」