第23話 先輩と、キス
「……そうね、疲れてる、かも」
南潟先輩の声は小さく、いつものハキハキとした声では、もはやなかった。
「私は、みんなで楽しくバスケをやっていたいだけだったのよ……!」
それは、口から漏れてしまった苦悩。
この人は、ただ、楽しくバスケがしたかっただけなのだ。
「あたしが入部したとき、新入部員の半分は真面目な子じゃなかったの。筋トレもランニングも、先生や先輩が見てないとサボる子が多かった。でも、みんなバスケは好きみたいで。練習をせずに上手くなりたいって子ばかりだったのよ。そんなの、不可能なのに……」
確かにそうだろう。
上手くなるには、地味でつまらない体力作りは欠かせないだろうし、その上でシュート練習や試合形式の練習があるんだろうし。
「だから、あたしはみんなを説得したの。最初は反発する子もいたけど、根気強く説得を続けたら、みんな納得してくれて。これでみんなで強くなって行けるって、それだけだったのよ……」
南潟先輩は、ただ楽しくみんなで強くなっていきたかった。
チーム競技だから、一人で強くなっても意味がない。
だから、みんなを説得しただけだった。
「そうしたらみんなに頼られ、先生にも認められた。そういうことですね?」
「うん……頼られたら頑張るし、期待に応えようって思うし、断ったりなんて出来なかった、みんなの期待を裏切ることになるから……」
南潟先輩は、元来から優しくて面倒見がいい女の子なんだろう。
だけど、本当は人の上に立つような人じゃなかった。
誰も動かなかったので、自分の理想のためにやむにやまれず人を動かしたら、次はそれを期待されるようになってしまったのだ。
「みんなを動かすっていうのは大変で、本当ならしたくない。言い方ひとつで嫌われるかもしれないし、それにいつも気を使いながら、神経をすり減らして人を動かすのは、好きじゃない」
本来リーダに立つ人間というのは、全体のために個をある程度気にしつつ、それ以上は目を瞑って全体を優先させなければならない。
だからある程度の鈍感さというのも必要なものだ。
だけど、南潟先輩は、誰よりも気が付き、誰よりも人の心が理解出来るにもかかわらずリーダをさせられている。
何か一つを動かすだけで、誰かを説得しなければならず、神経をかなりすり減らしているんだろう。
ただ、純粋にバスケットを楽しみたいだけなのに。
本当は、人形を抱きしめて、人形のように抱きしめられたい、甘えん坊なのに。
「先輩、俺とバスケして楽しかったですか?」
「え? うん、そうね。もう少しうまくなってくれれば、もっと楽しくなると思うけど」
どうして? と言いたげに首を傾げる。
「じゃ、俺も練習します。だから、また俺と遊びましょう」
「え?」
「俺と遊んでいる分には、何の気兼ねもいらないんでしょ? だったら、俺と遊んでストレスを解消すればいい」
さっき、俺と遊んでいる時、楽しそうだった南潟先輩。
あの笑顔は本物だろう。
「先輩はバスケ部に必要で、みんなも期待してる人です。ですから、そこから逃げることは出来ません。でも、先輩一人が神経をすり減らしていけばいつか先輩が壊れてしまう」
既に作ってしまった立ち位置から逃れることは出来ない。
絶対に出来ないわけじゃないけど、南潟先輩には出来ないだろう。
だったら俺が出来ることは、その南潟先輩を支えることだ。
「俺に気なんて使わなくてもいい。好きな時に呼び出せばいい、イライラしてるなら俺に怒鳴ってもいい。先輩は俺を使ってどんなストレスでも解消すればいい」
「で、でも、そんなことしたら……」
戸惑う、南潟先輩。
「大丈夫ですよ」
だから俺は笑って答える。
「俺は絶対、先輩を嫌いになりませんから」
「…………!」
驚いたように、俺を見つめる南潟先輩。
これが引くタイミングか。
俺が百の失敗から、学んだこと。
ぐいぐい攻めて、相手の気が変わったと思った瞬間に引くこと。
それ以上攻めるよりも、引いて落ち着いて考えさせた方がうまく行くのだ。
考えさせずに速攻で行った方がいい、と思われがちだが、心があやふやなままだと、結局冷静になったとき思い直してしまう。
ただ、少しでも考える時間があると、「これは自分の考えだ」という確信から、あまり疑わなくなる。
「じゃ、そろそろ出ましょうか」
「……え?」
「約束通り、俺が奢りますよ」
俺はそう笑いかけて席を立つ。
南潟先輩は立ち上がった後、数秒ほど呆然としていたが、慌てて俺についてきた。
「じゃ、駅まで送ります」
俺はレジを済ますと、鴨野町に住んでる南潟先輩を送るため、駅へと歩く。
「………」
南潟先輩は終始無言だった。
「先輩」
駅へと向かう道。
途中の公園を突っ切っている時、俺は先輩を振り返った。
「な、なに……?」
いきなり話しかけられて、戸惑う南潟先輩。
「この道を、後まっすぐ行けば、もう駅ですけど」
「そ、そうね?」
「デートの最後に、告白をしてもいいですか?」
一度引いて、相手が拍子抜けになっているタイミングで、更に攻める。
そして、そのタイミングで、狙う。
「え!? ええっ!? な、なっ……!」
「大丈夫ですよ」
俺は慌てる先輩を落ち着かせるように、穏やかな声で言う。
「先輩は、何もしなくてもいい。ただ、嫌なら拒否してください」
「え……?」
俺は、徐々に顔を近づけながら、南潟先輩に選択権を委ねる。
近づいてくる顔に、これから何をするか分かったのだろう、先輩は慌てて俺を押し返そうとして、それを止めて、を繰り返す。
息が触れ合う程の距離からの南潟先輩。
だけど、最後までちゃんとした抵抗はなく。
俺は、南潟先輩と、キスをした。
「………………」
長いキスは、十秒ほどだったと思う。
離した後、南潟先輩を見ると、その目は潤んでいた。
南潟先輩は俺を見つめたまま、しばらく何も言わない。
色々な感情が交錯して混乱しているんだろう。
だから俺は、笑って言った。
「ありがとう、先輩。いや、夏奈さん」




