1-5 白水病
教会って雰囲気に圧倒されますよね。
つくしは手の中の硬貨をじゃらりと鳴らした。
銀貨が6枚に銅貨が6枚。
日本円になおすと6600円が手元にあった。
「こんなものか」
それはネズミ討伐の報奨金であった。
あれだけの被害を出していて案外多いが、もしかしたら冒険者組合が責任を負っていくらか立て替えてくれたのかもしれない。
つくしは今回の惨状を知ってひきつった笑顔を浮かべていたそばかすの受付嬢に心のなかで感謝しておいた。
(さて、どうするかなぁ。当面の資金はてにいれたようなもんだし)
つくしはポケットに入れた手の中で銀貨6枚を片手に握ると、もう片方の手に同じ金額分の銀貨を出した。
再現によるコピーだ。
立派な硬貨偽造である。
これを使えばいくらでもお金は手にはいるが、完璧に同じ形状のものが幾つもあって不自然だし、その出所を問われたら詰む。
少し形を変えればあるいはばれないかもしれないが、罪悪感で押し潰されてしまうだろう。
つくしはただ楽しくいきたいだけなのだ。
だから定期的に何かお金になる依頼をしようとは考えていた。
「よぉ! お前、見かけによらず凄い奴なんだな!」
「あだっ、ちょ、背中叩くのやめてもらえません?」
後ろから突然、バンバンと背中を叩いてくるラルドにつくしはしかめっ面をする。
ちなみにラルドはつくしが退治したネズミの報酬に加え、新人監督の別報酬が出るのでつくしよりも幾分か多い金額をもらっていた。
「お前のお陰で上手い酒にありつけそうだわ。どうだ? 一杯やっていかねぇか?」
「ご遠慮します。と言うかもう酒臭いじゃないですか」
既にラルドからはアルコールの臭いが漂っており、何杯かひっかけているのが分かる。
つくしはしかめっ面でラルドを押し退けた。
「つれねぇな!」
「追加報酬に感謝するなら僕の旅路を邪魔しないで下さい」
「ちっ、分かったよ。またたかりに来るからな!」
「堂々とたかるとか言わないでくれます!?」
遠慮もせずにたかり宣言をするラルドを引き剥がし、つくしは冒険者組合を出た。
(変なやつに目をつけられちゃったなぁ)
つくしは夜の帳が降りようとしている街の中でため息をついた。
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「ふぃ~……」
ちゃんと屋根のある場所で決して柔らかいとは言えないが、ベッドの白いシーツの上で寝られる喜びをつくしは噛み締めていた。
場所は冒険者がよく使うという名前もろくに確認していない木造2階建ての安宿。
組合の方で良いところはないか聞いたら紹介してもらえた場所だ。
「やっと……寝られる」
徹夜明けの痺れたような疲れを感じる身体をうつ伏せに投げ出して大の字になる。
「そう言えばしおりさんもずっと起きっぱなしだけれど睡眠は要らないので?」
つくしは異世界転移による精神的な疲れと徹夜とネズミ退治の身体的な疲れで夕方にも関わらず、今にも目蓋と目蓋がくっつきそうだった。
夕飯を食べる気にも水浴びをする気にもならない。
しおりは全く疲れていない様子で、メッセンジャーバッグに背中を預けてゲームをしながら答えた。
「私はスキルなのですから睡眠をとる必要はないのです。ゲームの続きをするのです」
「そうか……僕はもう限界だ……おやすみ」
「ちゃんとベッドの上で寝てくださいね。マスターの健康は私の健康なのです」
「うぃ~」
しおりに言われてのそりとベッドに上がると、服がめくれて腕にあるかさぶたになったネズミの噛み後の一つの周辺が僅かに白くなっているのが目に入った。
(あれ? なんかついてる?)
軽く擦ってみるが、全くとれない。
(まぁ、いいかぁ)
そんなものより今は寝ることが何より重要だったつくしはそれを思考の外に追いやると、直ぐに目を閉じた。
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「良い朝だ」
つくしは知らない天井を見て開口一番、ぐっすりと寝られたことに感謝した。
胸のむかむかがとれて気分が晴れ晴れしている。
天井と壁があることがここまで素晴らしいとは今まで当たり前すぎて思いもしなかった。
夜中に放浪していたときとは安心感が段違いだ。
「しおりーおはようー」
「おはようございます。マスター」
朝の挨拶をしても相変わらずしおりはシェルターの中にこもってゲームをしていて顔も出さない。
ひきこもり化がどんどん進んでいるのは気のせいではないだろう。
「ん?」
なんか痒いなと思い腕を掻くと、そこは昨夜気になった白くなっているネズミの噛み傷だった。
「痒いな」
ぼりぼりと掻くと、白い表皮が剥がれて下の真皮が出てきた。
空気に触れた真皮が乾燥してヒリヒリと痛む。
「んんっ? なんか病気かな」
「あ」
「ん?」
ヒリヒリしつつも痒いので軽く掻いているとしおりが声をあげた。
「マスター、今気づいたのですけど、マスター病気になっているのです」
「やっぱりか」
「ほら、ここなのです」
そう言ってしおりは自分の巣から出ると、その体とは不釣り合いに大きな収集者の本体である重厚な装丁の本をどこからともなく出して開いて見せた。
「えーと、細菌性皮膚炎?」
自身のステータスの欄を見てみると状態という欄が追加され、病名はただ細菌性皮膚炎とだけ書いてある。
「しおりはなんの病気かわかる?」
「マスターの記憶のなかには存在しない病気なのです」
「そっか……」
どうやら忘れているわけでもないらしい。
本当に知らない病気となると、嫌な予感が脳裏を掠めた。
つくしはポケットから手持ちの銀貨を取りだし、さらに複製すると、ある決意をする。
「医者にかかろう」
「良い考えなのです」
珍しく神妙な顔でつくしとしおりは頷きあった。
知識は共有しているので、二人とも、もしかしたら異世界の病気かもしれないという考えに至ったのは当然の帰結であった。
抗体を獲得しておらず、症状もわからない。
そんな怖いもの、早く治すに越したことはない。
この魔法ありきの世界で医学があるのか、どれくらい発展しているかはわからないが、つくしたちは宿を出て病院を探してみることにした。
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「これ、病院も兼ねてるのか。普通に教会かと思った」
看板には確かに『イスズ教会 イスズ治療院』と二つ書いてあった。
しばらく街を歩き回り、人に聞いてやっと見つけた病院は初日に散策していたときにもその前を通った中世ヨーロッパの教会を深くイメージさせる荘厳な建物だ。
その建物に祈りを捧げに来たのか、診察に来たのかは分からないがちらほらと人が入って行く様子を見てつくしもそれにならい、恐る恐る近づいた。
「……ごめんくださーい」
思わず小声になりながら華美な装飾の施された木の扉をくぐると、そこにはまるで絵にかいたような世界が広がっていた。
奥行きのある長い聖堂にはずらっと長椅子が並べられ、柱には一つおきにキャンドルホルダーがつけられている。
そして最奥には白い女神像が鎮座しており、その女神像を高い位置にあるステンドグラスからの柔らかな自然光が神々しく際立てている。
多くの人がその前で静かに祈りを捧げる光景に、神性さを感じないものはいないだろう。
「どのようなご用件でしょうか?」
圧倒されて立ち止まっていると受け付け役なのか、優しい笑顔を浮かべた黒い修道着姿の女性が扉のすぐ横の椅子に座って待っており、話しかけてきた。
その声に意識を戻したつくしは慌てて答える。
「あ、ええと、診察希望なんですけど、診ていただけるんですよね?」
「はい。それでしたら先生が他の方を診察中ですので、こちらの番号札を持ってお待ちください」
「あ、はい」
内部の荘厳な内装とその内装に非常にマッチするシスターの登場で場の雰囲気に圧倒されて緊張気味だったつくしは、普通の病院のような対応に肩透かしをくらいながら数字の書かれた木の札を受け取った。
「マスター、ゲームでこんなの見ました。凄いのですよ」
「ね。初めて本物の教会って言うのを見たよ」
静かな聖堂の中、小声で話すつくしとしおりは女神像の前で祈りを捧げる信者たちの邪魔をしないよう足音をたてないようにゆっくり歩いて見て回る。
「おや、お祈りかい?」
「あ、いえ、すいません。診察に」
何故か杖だけ木製の女神像を見上げていると、いかにも信心深そうな優しい笑顔を浮かべた一人の老人に声をかけられた。
教会に来ているのに信心の一つもないのでとっさに謝ると、彼は笑って別に謝るようなことではないさと言った。
「怪我は……しているようには見えないから、病気かい?」
「ええ、ここが痒くて」
つくしはそう言って袖をまくり、患部を見せた。
心なしか10センチメートルほどだった患部が数センチメートルほど広がっている気がする。
「これは……」
彼は難しい顔をしてじっと傷跡を見ていたが「素人目で判断するべきではないか」と呟くと少し暗い顔で微笑み、つくしにたいして祈った。
「イスズ様のご加護があらんことを」
「……? どうも?」
なぜ祈られたのか分からないいままつくしは彼と何気ない世間話を少しして別れた。
「何だったんだろう……?」
朝の祈りが終わったから仕事に戻ると去って行ったその背中を見送りながら首をかしげた。
分かったことはこの女神像がイスズと言う女神でイスズ教で間違いないだろうと言うことくらいだ。
「番号札7番でお待ちのかた、どうぞ」
「あ、はい」
その後すぐ、静かな聖堂に響いた凛とした声に、つくしは番号札を確認しながら小走りで受け付けへと向かった。
―――――――――――――――――――――――
受け付けのシスターとは別の若いシスターに案内されて向かったのは聖堂の中にある小部屋だった。
薬品臭の立ち込める廊下でシスターが小部屋のドアを叩く。
「先生、次のかたを連れて来ました」
「どうぞ、お座りください」
つくしが促されるがままに部屋に入るとそこには初老の男性が机の前の椅子に腰かけて待っていた。
軽く礼を言いながら手で指し示された彼の正面に位置する椅子に腰かける。
「それで何処が悪いので?」
「ここなんですが」
「これは……」
袖を巻くって患部を見せると、先程会ったイスズ教徒の男性と同じような反応をして眉値を寄せながらじっと観察してくる。
そして10秒ほどした後に顔をあげた。
「最近、ネズミに噛まれたことありませんか?」
「確かに、あります」
この間の暴食ネズミ討伐の時にさんざん噛まれた時のことだろう。
噛み後周辺に患部があるのでその予想はしていた。
でも他の傷跡にはかさぶたができているだけだったので空気か土からの感染症かと思っていた。
「あの、たぶんそのときに病気でも移されたんですよね?」
ネズミは疾病に関しては必ず上がるといっても良いくらい代表的だ。
だからなにか移されたかと思った時、ネズミが疾病の代表となるに至った、パンデミックを起こしたとある病気が頭をかすめる。
しかし、まさかと頭を振って否定した。
それは名前を知っているし、そもそも症状が違う。
「移されたようですね。それもとびっきり最悪なものを」
「病名と治療法は……」
「治療法は、薬がないので疾病箇所を削り、再生し治す高度な治癒魔法位しかありません……それでも再発した事例もあるのでなんとも……」
「そんな……」
しばらくこの痒いのと付き合わないといけないのかとつくしが思っていると、医師は真剣な顔で「そして」と続けた。
「病名は白水病。放って置けば全身の皮が白く変色して、爛れるように剥け、そこから水分が抜けて行き、あと数ヶ月で死に至ります」
と。
ネタバレ、死にません。