昼間の花火
昼間の花火
太陽に勝てとばかりに青空に打ち上げる。
どうして夜を待たないとばかり、友人、知人たちは訝しい視線を向けてくる。
老人は友人たちにわざわざ説明しにかかる。
ひとりひとりにその手を握らんばかりの懸命さで、一句、一句、区切って、強調すべきところは強調して、真剣な顔で語り掛ける。
「孫は夜の花火を怖がるんだ。花火大会の夜は、わざわざ親戚の家に預けなければひきつけを起こす」
老人自身、孫がふつうの花火を恐れる理由を詳しくは知らないらしい。
ただ、そのことについて疑問に思っている、そのことに一生懸命であることは、説明を聴く人に伝わってくる。
孫は祖父の疑念など意に介さず、昼間の花火に喝采を送っている。
花火師としては、本当の花火に目を丸くしてほしいのだ。
一年で唯一、彼が本当の自分を孫たちに見せられる機会だから。
老人は、ふと思いついた発想が根拠のないことに笑った。
孫が知るはずがない、この土地の過去。
それは夜だった。
花火師になったのは、しかし、慰霊のためではない。
花火が届く、あの距離まで弾を運ぶ高射砲があったら、あれほど大事な人たちを無意味に死なせなかったはずだ。
それはかたちを変えた慰霊だろうよと、戦後まもなく、誰かが呟いた。
花火師はそれを否定できなかった。
だが花火ごときが太陽に勝つなど夢のまた夢、妄想と呼ぶのもばかばかしい。
孫の顔が、例年よりも引き締まってみえた。それどころか、頬が年齢らしからず張ってみえる。
孫の目には太陽に花火が打ち勝ったように見えるのか?
夏の太陽は厳しさをさらに強めている。
それが花火のせいだとでも思っているのか?
いまから思えば、幼いころにあまりにも花火に近づけすぎた。
そのときのことがトラウマになったのか?
それにしては・・・強烈な日光のせいでこけすぎた頬は、だれかに似すぎていた。
急に孫が生きている人間に思えなくなって、やおら近づいた。
驚く孫の顔はあきらかに生きている人間のそれだった、当たり前のことだった。
しかし戦後まもなく、姿を現した友人はそうではなかった。
すでに太陽に焼かれたはずだった。
身も心も・・・。
だから・・・・。