自殺してあの世行き?いいえ、異世界転生ですッ‼︎
こんにちは、梨です。
この度アイリス恋愛F大賞に応募させていただきましたが、なかなかの自信作となっています。
ぜひ最後まで読んでみて下さいね。
「ーーー♩」
海から流れてくる風に煽られる茶色い髪や白いワンピースを抑えながら、メロディを口ずさむ。
「ただ 生きているだけなのか。自分の思うことに全て反する世界の中で」
今、私は孤独。ここなら誰にも咎められることなく……。
「他人に認められたいと 他人に必要とされたいと そう願うのは我儘なのか」
歌うことを禁じられた。ドウシテ?ワタシは…ナニカ、アナタタチにキガイをクワエマシタカ?
「ーーー♩」
長く伸ばす音で、この歌は終わりを迎える。
私は一週間前まで、この世界に感動を与える歌姫だった。でも…今は、何千、何万といた熱狂的なファンは消えた。誰も聴いてくれない歌を歌う私の前には、ただ、怒りと失望の入り混じった目つきが何千、何万と落ちているだけだった。
私は歌によって生きていた。世界の誰もが私の歌を応援してくれるから、私は生きていられたのだ。
なのに…私は誰からも見放された。私の歌声は聴き苦しいと、歌うことも禁じられて。
ドウシテ?
それだけが、私の頭の中で渦を巻く感情だった。絶望にまみれ、悲嘆に堕ち、怒りに流された。後から考えれば、あれほど醜い人間は前代未聞だったと思う。
私は…死のうと目論んだ。
自分の生きている理由を奪われ、存在するもの全てを敵にまわした。これからどうやって生きていこう…?
どう考えても、生きることは精神的に無理だった。
耐えられない…地上に溢れる暖かい光。空に優しく吹く風。これらを目にすることに。
私が立っている浜辺からでも聞こえてくる、遠い遠い声や、子供の足音を耳に入れることに。
浜辺から少し歩くと、小高い崖がある。小さい頃、友達と一緒に遊んだ場所。その友達も、今はもういない。懐かしい思い出の場所に佇んで足元を見下ろすと、黒くとげとげしい岩が見えた。そうだ、あれにぶつからないように、スリルを味わいながらダイビングするのが好きだった…
「ーーー♩」
悲鳴とも歌ともつかない声を上げ、私は岩めがけて飛び降りた。最後に見たのは、目の前に迫る黒くとげとげしい岩…
「…っ?」
白いベッドの上で、サフランは目を覚ました。意味がわからない。
「確か…私は人生に絶望して…飛び降り…て………え⁉︎」
死んだはずなのに。でも、今サフランは、息をしていた。体温があるのを実感していた。身体中に血が巡るのに気づいていた。意味のわからない顔で、サフランは天井を見上げた。天井も壁も真っ白。一つだけ、出入り口用なのか、カシの木で出来たドアが構えられていた。今サフランが寝かされているベッドは、そのドアの反対側の壁に設置されている。その時、そばで声がした。
「おや、お目覚めになりましたか?」
思わず上半身を起こすと、そこには片眼鏡と緑色のフロックコートに身を包んだ男性がいた。黒と茶の入り混じった色の髪に、見つめれば見つめるほど深く濃い、蒼色の眼。現代にはありえない姿だ。少しかっこいいな、と思いながら、サフランは聞いた。
「あなたは…?」
男性はそれに答えず勝手に話し始めた。
「あなたさまは自殺に失敗したのです」
まさか。でも今、自分の体には生きている証拠がある。それはさきほど確かめられたばかりだ。
「でも…」
男性はそれを制した。
「あなたさまは死にましたよ。確かに。しかし、稀にいるのです。自殺に失敗し、『完全に』死ぬことが出来なかった者が… この世界は、あなたさまの住んでいる…いえ、住んでいた世界とは切り離された場所です。サフランさまのような者を一時的に保護し、自身に向けられる自己嫌悪を取り除いて、再び元の世界に返す。この世界の住人は、そういった仕事をしているのです」
サフランはそれを聞いて俯いた。
「私は…私の世界の誰からも必要とされていないの。あの場所には、二度と戻りたくないわ」
こんな後ろ向きな言葉を聞いても、男性はめげなかった。
「あなたさまを必要としている誰かが、ここにいます」
「…?」
「これから、サフランさまが僕の主人です」
これが、これから物語ることになる、サフランの異世界生活の始まりだ。言葉で言い表すのであれば、『幸福』だった。そばに仕える男性こと、ユーラはなんでも命令を聞いてくれるし、生活の合間に歌の練習をしていても何も誰にも咎められない。それどころか、アンコールを貰ったり、絶賛されたりすることが殆どだった。大きな広い屋敷を貰い、優秀な召使いが何百人と雇われ、サフランはたちまち良家のお嬢様状態となった。また、中世ヨーロッパ風のこの世界は、機械やら何やら味気ない物が溢れる元の世界から来たサフランにとって、新鮮な気持ちになれる場所だった。そしてそれに伴い、ユーラの淑女指導が始まり…
数週間たったある日、サフランは新しくこの世界に来た者として、とある人物と対面した。ユーラの話では、、サフランがこの世界に来たと聞いてとても驚いているらしい。彼の屋敷は、サフランの屋敷から馬車で数十分のところにある。彼はこの世界では知らない者はいないと言っても過言ではないほど顔が広いと言う。
何しろ、彼がこの世界を作った張本人なのだから。
植え込みが隅から隅まできっちりと整えてある庭園を馬車が通り抜けると、その風に煽られて花の香りが馬車内に漂った。
「薔薇の花ですね」
サフランの隣に座って揺られていたユーラは植え込みを指差して教えてくれた。なるほど、確かに、青々と茂る葉の中には、赤や桃色の鮮やかな点が見え隠れしている。
「まあ、綺麗ね。ユーラ。うちの屋敷にも、薔薇の花が欲しいのだけれど…」
「かしこまりました。ここでの用件が済み次第、早急に準備させます」
満足そうにため息をついたサフランは、しかしこのままでいいのかしら、と考え込んだ。なんでも言うことを聞いてくれる使用人。無理な命令や我儘は言わなかったが、贅沢な暮らしに溺れていきそうだった。だが、あの酷い世界には、もう帰りたくない。少なくとも、何故、急に自分が嫌われるようになったかを理解するまでは…
難しい顔をして黙っている主人を見かねて、ユーラは優しく言った。
「お嬢様。もうすぐレーグル卿がお迎えに参りますよ」
レーグル卿とは、今日会う予定だったこの世界の創造者だ。ちなみに現在、サフランの頼みで、ユーラはサフランのことを「お嬢様」と呼んでいる。
馬車の揺れが収まり、これを引いていた白馬が馬舎に繋がれると、ユーラがサフランの手を取って馬車から下りるのを手伝った。彼の手は、少しだけ暖かかった。
「おお、ようこそ、サフラン嬢」
その時、レーグル卿が大きな館の大きな扉から登場した。
「…!」
サフランは、彼の姿を見て唖然としてしまった。何しろ、顔はぶくぶくでたるんでいて、深海魚のあんこうみたい。顔の丸さや太さに比例して、体もまん丸。声はガラガラで、いつか図鑑で知った、熱帯雨林の蛇を彷彿とさせた。しかし、そん酷人を前にしても、ユーラから教わったことは実行しなければならない。ありったけの優雅さと美麗さをかき集め、ドレスをつまんでお辞儀する。
「ご機嫌麗しゅうございます、レーグル卿。お会い出来て光栄ですわ」
(全く光栄じゃないわよ!)
「この世界で、私の顔を知らない者はいないですからな。サフラン嬢にも、以後お見知りおきを、と思いましたもので」
(その顔の酷さで有名なんじゃないの⁉︎)
「ええ、私の方も、お会い出来る日を心待ちにしておりましたわ」
(待ってたといえば待ってたけど、その時間を損したわ!)
確かに、サフランはレーグル卿に会うのを少しだけ楽しみにしていた。この世界の創造者とは、どんなに偉大な方だろうかと。しかし、その期待は裏切られた。
(まあ。私はきっと、この屋敷で過ごす時間を無駄にして、死ぬときに後悔するんだわ)
顔で性格を判断してしまうのが、サフランの悪い癖だ。ユーラに関しては、顔も性格も最高だったが。そばに控えているユーラをちらちら見ながら、サフランはこのあんこう卿の言葉を待つしかなかった。
「さて、ここで立ち話するのもあれですから、そろそろ屋敷の応接間にお通ししましょうか」
レーグル卿は、大きくゴツゴツした手で、密かに苦々しい表情を浮かべるサフランの華奢な手をすくい取った。
「サフラン様、こちらにどうぞ」
背の高いメイドが、サフランとユーラを屋敷の一角に通した。応接間だ。壁には色々な絵画が飾られていたが、その趣味の悪いこと悪いこと。どんな画家が描けばこうなるのかしら、と不思議に思うものばかりだ。レーグル卿がまだ入ってきておらずユーラと二人きりなのをいいことに、サフランは口を尖らせて言った。
「こんな絵画、誰が選ぶのかしら」
ユーラはいとも冷静に答える。
「お嬢様がお嫌いとお思いになっても、他の方はお好きとお言いになるかもしれないではないでしょうか?自分を基準にして考えてはならないことも存在致します」
サフランは不満気に黙り込んだ。冷静過ぎる従者も困るわね。
(でも…嫌いじゃないわ、ユーラのそういうところ)
「…お嬢様?どうかされましたか?馬車に乗っているときから、少し顔色が悪いですよ」
「え、ええ?そうかしら?私は何もないわよ?」
「そうでございますか」
(私、そんなに調子悪そうに見えるかしら?気持ちはちょっと沈んでるけど、体の方はなんともないのに…)
そのまま二人が何も言えずに黙って待っていると、部屋のドアが勢いよく開いた。嫌な予感がして首をそちらに回すと、案の定あんこう卿が胸を張って立っていた。後ろにはさきほどのメイドが、三人分の紅茶を持って控えている。そのお盆からは、薔薇の香りがした。
「お待たせいたしました、サフラン嬢。さてさて、ゆっくりとお話ししようではありませんか」
そう言いながら革張りのソファにどかっと座り込むレーグル卿は、紅茶がテーブルに置かれた瞬間、砂糖をどっさり入れ、音を立てて飲み始めた。なんて礼儀知らず!彼は、カップが空になってからやっと話し始めた。
「ふむ。先ずは、私のことを少し紹介しなければなりませんな」
サフランは、別に紹介されたかないわと思いながらも、おとなしく座っているしかなかった。
「えー… 私の名前は、カイル・レーグル。そして、この世界の創造者。ちなみに、この世界の名は、『ルヴィア界』と呼ぶのですよ。ルヴィア界の言葉で、『望まれたもの』を意味致します。まあ、この言語は一部の神官しか使っておらんので、耳にすることは少ないと思いますが。あー… 話すことがあまりないですな、私のことに関しては。それにしても、異世界転生とは珍しいことをなされましたね」
サフランは、
(あら。そんなに自殺に失敗する人は少ないのかしら?)
と思いながらも、ユーラがそっと目配せをしたので、自己紹介を始めた。
「私の名は、サフラン・ローズマリーです。元の世界では、歌を歌って、世界を回る仕事をしていましたわ」
歌、という言葉を聞くと、レーグル卿は急に身を乗り出した。
「ほう、歌でございますか… 実は私、美しい歌声というものが好きでしてね。しかし、世界中から歌姫を集めてきても、なかなか性に合う声を見つけることが出来なかったのです。どうですか、ここで歌ってみてはもらえないでしょうか?」
レーグル卿の頼みに、サフランは息を飲んだ。今着ているすみれ色のドレスはお腹を締め付けていて、とてもじゃないが、綺麗な声を出せるとは思えない。なにより、今まで世界中の歌声を聴いてきたレーグル卿を、サフランの声で満足させられるわけがない。
しかし、サフランはなんとなく歌いたかった。今、この場所で。レーグル卿ではない、何かの為に。
(やるだけやってみよう。歌えなかったら歌えなかったで、しょうがないわ)
彼女は無意識のうちに立ち上がり、歌いやすい呼吸に切り替えていた。歌う曲は、自殺する直前に歌っていたあの歌だ。サフランはゆっくりと口を開き、あの時のようにメロディを口ずさんだ。
「ーーー♩」
「ただ 生きているだけなのか。自分の思うことに全て反する世界の中で」
「他人に認められたいと 他人に必要とされたいと そう願うのは我儘なのか」
ここまで歌った時、サフランはハッとした。
(声が…出る?いつもと同じくらいに…いえ、いつも以上に!)
「ーーー♩」
終わりの音を伸ばすと、熱狂的な拍手が鳴り響いた。レーグル卿とユーラが興奮した顔で手を叩いている。レーグル卿は、感嘆の溜息をついた。
「おお、素晴らしい。エクセレント!私、感動いたしましたぞ!…そうだ。サフラン嬢、この屋敷の専属の歌姫になりませんかな?」
歌の余韻に浸っていたサフランは、彼の一言で我に返った。あまりにも急な提案で、思考回路が上手く作動しない。
(この屋敷の専属の歌姫になるなんて…世界中に嫌われた私なんかが?)
少しだけ焦ってユーラを見ると、なんと彼は冷や汗を浮かべながら硬直していた。
「…ユーラ?」
サフランがおそるおそる呼びかけると、ユーラは一瞬ビクッとして慌てたように口を開いた。
「ま、誠に勝手ながら、レーグル卿。今日はおいとまさせて下さい…」
ゆっくり話すことも出来ず、そのまま逃げるように屋敷を出たサフランたちは、馬車に飛び乗ると急いで御者を出発させた。サフランは、なぜユーラがそんなに取り乱しているのかわからず、気まずい面持ちで彼の顔色を伺うしかなかった。屋敷に向かう石畳の上を走っていると、急にユーラが問いかけてきた。
「お嬢様…お嬢様は、ご結婚なさりたいですか?」
「は?」
先ほどのレーグル卿の提案に次いで急なユーラの言葉に、思わずサフランは無愛想な声で聞き返した。ユーラが繰り返す。
「お嬢様は、ご結婚なさりたいですか?」
「な…何を言っているの?私、好きな人がいるわけじゃな…」
なぜか、そこから先は言えなかった。黙ってそっぽを向いてしまった主人に、ユーラが言った。
「ルヴィア界では、身分の高い方の屋敷に何かしらの形で専属となる場合、それは……」
ユーラはしばらく息を詰まらせたあと、ゆっくりと言った。
「そこの主人との結婚を意味します」
「私は…あの人と結婚するの?」
屋敷に帰ってきたあと、サフランとユーラは慌てて相談を始めていた。
「お嬢様が、専属の歌姫になることを了承すれば、の話ですが」
ユーラや他の召使いによると、結婚したあとはこのようになるらしい。
・娶られた女性は、男性方の屋敷に住む。
・女性方の屋敷にいた召使いは一旦解雇され、他の屋敷に雇われる。
これを聞いたサフランは、憤慨して言った。
「嫌よ。あんな屋敷に住むなんて!それに、私のお気に入りの召使いたちはどうなるの⁉︎ユーラ。今すぐ断ってきなさい!」
だが、命令されてもユーラは動かなかった。こんなことはほとんど前代未聞だ。
「何をしているの、ユー…」
「了承なさって下さい‼︎」
サフランが言い終わる前に、ユーラが一括した。驚いてたじたじとなるサフランを見て、ユーラはうっすらと目に涙を浮かべた。
「ユーラ。泣かないで…どうして泣くの?」
その言葉の甲斐も無く、この忠実な従者は涙をこぼし始めた。サフランがルヴィア界に来てから…いや、もしかしたら生まれて初めて、人前で見せた涙かもしれない。
「お嬢様。貴女はきっと、僕のそばよりも、レーグル卿のそばにいた方がお幸せです。こんな、こんな召使いのそばにいるよりも… レーグル卿のことは、苦手かもしれません。あの屋敷に住みたくないかもしれません。趣味の悪い絵画や、礼儀知らずの主人を一日中見ていることもお辛いでしょう。ですが、あの方は、本当は心優しい人物です。顔を基準に考えてはなりません。お嬢様。あの方とどうかご結婚下さい」
サフランは納得がいかずに言い返した。
「あんな人より、あなたの方が随分と立派よ?どうしてそんなに謙遜したがるの?」
ユーラはうつむき、低い声で言った。
「では…前のお嬢様の世界の人々全員が、どうしてお嬢様をお嫌いになったのかをお教えします。僕が、仮面を被っているだけとわかりますから。
…あれは、僕の所為です」
開いた口が塞がらないサフランを差し置いて、ユーラは話し始めた。
…僕は、お嬢様がルヴィア界に来る前、色々な世界の人々を水晶玉で眺めるのが好きでした。お嬢様はまだお会いになっていませんが、この世界にはある魔術師がいるのです。僕はその魔術師の水晶玉を使っていました。魔術師など信じられないかと思いますが、お嬢様が異世界転生されたのです。別段不思議ではないでしょう。そしてある日、一つの世界を見ていると、そこにはお嬢様がおられました。楽しそうに大勢の前で歌を歌っているのを僕はしばらくじっと見ていましたが、そのうち規定の時間が来てお嬢様を見ることは出来なくなりました。しかし、なぜか僕はずっとお嬢様のことが気にかかっていました。そしてある日、それとなくお嬢様をこちらの世界に呼び寄せることは出来ないかと聞いてみたのです。魔術師は頷きましたが、三つの条件を提示しました。
・その女性を今いる世界から引き離して、こちらに連れてくること
・その女性の召使いになること
・その女性を必ず幸せにすること
僕には、それを満たせる自信がありました。一つ目の条件以外は、です。どうやってお嬢様をあの世界から引き離そうか。しかし、これは条件でなくても必ず実行しなければならないことです。僕が考えていると、魔術師は提案をしてくれました。お嬢様がお亡くなりになったときに、その魂を捕まえてこちらに持ってくる。魂に次いで体も後で運び、ルヴィア界に転生させる。僕はこれを実行することにしました。そして…僕は、お嬢様に早死…つまり、自殺して貰えるように、魔術師の能力を借りて世界中の人とお嬢様を引き離したのです。お嬢様が転生したばかりのとき、自殺しようとした者を保護する場所だと言いましたが、それは全て…お嬢様が帰らないようにする為、僕が作った嘘だったのです。あれから僕は、嘘がばれないように、嘘に嘘を重ねてきました……申し訳ありません。
サフランは、ユーラの語った壮大な物語を理解するのに、数十秒かかった。そして、やっと口を開いた。
「私は…騙されていたの?」
ユーラは深く頭を垂れて跪いた。
「はい」
これだけしか言わないユーラを見て、サフランは冷たく言った。
「私…レーグル卿には一度しか会っていないけれど…」
ユーラは黙っている。
「嘘つきなあなたの住むこの屋敷に住んでいるくらいなら、私は……………」
「レーグル卿に、私が結婚を了承したと伝えてきなさい」
そして、結婚式当日。
「ねえ、ペチコートが短いのだけれど」
サフランが呼んでから飛んでくるのは普通のメイドだ。あの日以来、サフランとユーラの仲に亀裂が入ったことを噂しない者は屋敷中一人もいなかったが、誰もそのことを主人やユーラに聞こうとはしなかった。
ペチコートを直し終わった花嫁姿のサフランは、時間が来るまで歌の練習をしようと思った。
「ーーー♩」
最初の音を伸ばすと、何かもやもやした感情がサフランを襲った。不思議と力が抜け、歌を続ける気を無くしたとき、ドアがノックされた。
「お嬢様」
飽きるほど聞いたあの声。優しく包み込むような。
「ユーラ。入りなさい」
躊躇いながら入室したユーラに、サフランは容赦なく凍てついた視線を向けた。
「お嬢様…ご結婚なされる前に、言いたいことがあります」
「どうぞ」
サフランは興味なさげに言ったが、内心では耳を傾けていた。ユーラははっきりと言った。
「お嬢様がご結婚なされたら、僕にはもう会えないでしょう。お嬢様はそれを望んでいるかもしれませんが、僕自身は違います。でも、ありがとうございました。僕に楽しい時を過ごさせてくださって… 本当に感謝しています」
「…それだけ?」
サフランはもやもやした気分のまま尋ねた。ついでに、出ていくならちゃんとドア閉めていってよね、と言おうとしたが、それはユーラの次の言葉にかき消された。
「……僕は、お嬢様のことを愛しています。主従の関係を超えることになっても、お嬢様を一人の女性として見ていますから」
突然の告白に息を飲んだサフランを置いて、ユーラはさっそうと出ていった。
そして…式は始まった。
目の前にまっすぐ進む、紅い絨毯。自分たちを祝福する人々。そして、隣に立っているあんこう卿。式は完璧に執り行われているはずなのに、サフランはどうにもすっきりしなかった。数え切れないほどの人の中にユーラを見つけると、彼女はそっと顔を背けた。
「では、これより新郎新婦の結婚の儀式を執り行います」
祭壇にサフランとレーグル卿が歩み寄ると、司祭が厳かに告げた。この儀式の順序は、
一,新郎新婦が誓いの言葉を読む
二,新郎方の屋敷に伝わる宝物に祈りを捧げる
三,結婚指輪をはめる
となる。
まずは、誓いの言葉だ。サフランとレーグル卿は、司祭が持っていた皮表紙の本を手に取り、読み始めた。その時、再びユーラの顔がサフランの目に入った。今度は目を背けることが出来ず、ただただサフランはユーラを見つめていた。自分が何を言っているのかわからない。無意識のうちに、サフランはユーラとの思い出を頭に浮かべていた。
レーグル卿の屋敷に着いたときの、馬車から降ろしてくれたユーラの手の暖かさを。
「誓いの言葉、終了です。次は、宝物への祈りです」
レーグル卿に頼まれて歌ったとき、どうしてあんなに声が出たかも分かった。…ああ、そういうことだったのね。
「宝物への祈り、終了です。次はいよいよ、結婚指輪での誓い立てです」
私は……………
「やめてっ‼︎」
思わず口を突いて出た言葉がこれだった。我にかえると、目の前には驚きの表情を浮かべたレーグル卿とルヴィア界の人々、そして引き戻した自分の手があった。
しばらくの沈黙のあと、サフランは言った。
「レーグル卿。結婚を取り消して下さい」
「私は…嘘をついたユーラのことを愛しています」
さて、この物語はどうでしたか?
どうにももやもやした結末となってしまいましたが、この後サフランはどうなったのでしょうか。それは、読者様の想像力にお任せします。




