きのこ
申の刻(16時頃)の阿東藩新町通り、通称『食い物通り』は人通りも少なく、ちょっと寂しい時間帯だ。
しかしながら、『前田美海店』では料理長のナツと、その手伝いをするユキ、ハルの双子が、既に夜の料理の準備を始めていた。
と、店の入り口付近から、お経が聞こえてきた。
「托鉢だ……ユキ……」
とナツが声をかけると、ユキは慣れているのか、
「はーい」
と、一文銭を何枚か握りしめて元気よく出て行ったのだが……。
ドサリ、という大きな音が聞こえたかと思うと、ユキが泣きそうな顔で帰ってきて、
「お坊さん、倒れちゃった!」
と叫んだものだから……ちょっとしたパニックになってしまった。
若干の医術の心得のある『前田妙薬店』の凜さんを呼んできて、診てもらおうとしたのだが、その僧侶は半分体を起こして、
「だ、大丈夫です……ただ、ちょっと空腹で目が回っただけです……」
と言ってきたので……とりあえず米だけの握り飯を渡したところ、彼は喉に詰まらせるのではないかと心配するぐらいの勢いでそれを食べ、その結果、すぐに立ち上がれるようになった。
しかしまだフラフラとしていたので、店でさらに何か食べさせてあげることにした。
このお坊さん、数え年で十八ということで、俺や優と同じだ。
阿東藩で一番大きなお寺『薬太寺』の僧侶で、名前は『永承』というらしい。
話を聞いてみると、お坊さんに憧れて出家し、半年になるのだが、食事の制限が厳しく、けっこう苦しんでいるということだった。
特にこの托鉢の修行では、喜捨と呼ばれるお布施で食べていく掟だという。
それがうまく集まっていないのかと思たのだが……そうではなかった。
「いや、この辺りのお方は信心深くて、喜捨して頂くことも多いです。それで何か食べさせて頂くだけの銭はあるのですが……しかしこの辺りのお店では、拙僧の食べられるものが少なくて……」
宗派にもよるけど、基本的にお坊さんは肉や魚を食べることができない。
永承さん、背は俺と同じぐらいでこの時代としては高い方だが、ひょろっとしている。あんまりいいものは食べていなさそうだ。
この『食い物通り』で何か食べようとしたが、蕎麦なら大丈夫かと思いきや、つゆがカツオブシから出汁をとっているからダメだという。
『前田屋』の鰻丼は論外。
天ぷらも、野菜の天ぷらなら大丈夫そうに思えるが、魚介類と同じ油で揚げているからダメらしい。
『前田美海店』では握り飯も売っているという話を聞いてここに来たのだが、いつも通りお経を唱えたところで力尽きたようだ。
そんなの、食ってから唱えればいいのに……いや、銭を使うのならお経もいらないはずだ。
なんかそういう決まりでもあるのだろうか……。
ともかく、握り飯一つだけじゃあ足りないだろう、ということで、何か精の付くものをご馳走することにした。
といっても、肉や魚は御法度。
魚料理が専門の『前田美海店』にとってはちょっと厳しい難題だが……ナツはこういう困難、喜んで取り組むタイプだ。
ちなみにナツは、下級武士の娘で気が強い方だ。
顔の作りはかなり美形なのだが、その立ち姿は可愛いというより凛々しい、という表現が似合う。
歳は俺の一つ下。
妹であるユキ、ハルの双子も合わせて、全員俺の『嫁』ということになっている。
女子なので刀は持てないが、その代わりに包丁の技術を磨き、今ではこの『前田美海店』の料理長だ。
そんな彼女、まずは昆布を取り出して、鍋の湯に入れて出汁を取り始めた。
どうやら、鍋物を考えているらしい。
魚は使えないから、具材は白菜、豆腐、大根を使っての水炊きだ。
しかしこれだけだと、ちょっと味付けも淡泊になり、歯ごたえがなさそうだと悩んでいる。
料理に取り組む真剣な表情のナツは、俺も見とれてしまうぐらいに輝いて見える。
と、不意に彼女が俺の方をみたので、ちょっとドキッとして立ち上がった。
「タクヤ殿……頼みがあるんだが……」
彼女が要求してきたのは、現代からある『食材』を仕入れて来ることだった。
――半刻ほどで、お坊さん専用の精進鍋が完成した。
その蓋を開けたところで、永承さんは驚きの声を上げた。
「これはっ……こんなにたくさん、きのこが入っているなんてっ!」
俺とナツは顔を見合わせて笑った。
「……それも、椎茸がこんなに……あと、これはまさか、舞茸……」
永承さんの驚愕の表情は、なかなか解かれない。
それもそのはず……この時代においては、椎茸も舞茸も、現代の松茸以上の価値があるのだ。
まあ、厳密に言うと現代に置いて人工栽培されたものなので、天然物とは微妙に違いがあるのだが……。
「こんな貴重な食材、本当に頂いていいのでしょうか?」
「ええ、もちろん。喜捨、つまりお布施ですから」
この場合、お坊様にお布施をすることにより自分達も救われる、という信仰によるもので……つまりは、お賽銭なんかと同じで、自分達に御利益があるような考えなのだ。
白菜などの野菜と一緒に、たっぷり出汁の出た椎茸や舞茸をお皿に取る。
そこにはあらかじめ、橙と醤油で味付けした、現代風に言うならポン酢を用意している。
俺達も一緒に試食したのだが……昆布のダシと椎茸から出たダシがマッチし、それが橙の酸味、醤油の塩気と渾然一体となり、複雑で繊細、かつうまみのある絶品の味となっていた。
まだ若いお坊さん、そのおいしさに目を見張り、白米と一緒にむさぼるように食べていた。
それを見て、俺もナツも、お坊さんでも食べられる新しい名物メニューができた、と確信した。
……しばらくして、たらふく鍋料理を食べて満腹になった永承さん、我々にお礼を言って帰ろうとしたのだが……どうしても、今回のきのこ、どうやってこれほど準備できたのか疑問に思ったらしく、尋ねてきた。
俺がこれらが栽培されたものであると告げると、またまた仰天していた。
椎茸も舞茸も、まだこの時代は完全な栽培技術は確立されていなかったのだ。
そこで彼に、渡したいものがあるから、明日もまた来るように話した。
翌日、約束通りやってきた永承さんに、俺は菌種を植え込んだ状態の椎茸のホダ木を2本、プレゼントした。
ちゃんと世話をしてやれば繰り返し椎茸が生えてくるこのホダ木、彼が持ち帰った『薬太寺』で驚きを持って迎え入れられた。
最高級の精進料理の材料であり、干して保存食としても使える椎茸。
結果として薬太寺から100本近いホダ木の注文があり、俺としても利益が出た。
こうしてこの薬太寺、椎茸栽培の一大総本山となるとともに、『前田美海店』としても新しい名物料理を手にすることができて、本当に御利益があったと、前田屋号店のみんなで大喜びする結果となったのだった。