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哺乳瓶と粉ミルク

 ある日の午後、赤子を背負った二十代半ばの女性が、深刻そうな顔をして『前田妙薬店』を訪れた。

 対応したのは、店長の凜だった。


「あの……こちらが仙人様のお薬を売られているというお店でしょうか?」

 自分より若そうな娘が出て来たことに、その女性は戸惑っているようだった。


「いえ、そのような大層な薬を置いているわけではありませんが……ちょっと他では売っていないような物も販売していますよ」

 と、凜はいつも通りにこやかに返事をした。


「そ、そうなのですか! それでは、教えていただきたいのですが……乳の出が良くなるお薬はありますでしょうか?」


「乳の出……ですか……あいにく、そういうお薬は扱っておりません……」


「……そうですか……」


 藁をもすがる思いでこの店を探し当てたのであろうその母親は、がっかりを通り越して、悲壮な表情を浮かべていた。


「せっかくご来店頂いたのですから、よろしければ事情をお話していただけませんか?」


 女性のあまりの落ち込み具合に、このまま帰ってもらうのはあまりに気の毒だ、と凜は思ったのだ。


 そして母親は、自らが今置かれている境遇を話し始めた。


 今背負っている子が生まれてかなりの日数が過ぎているが、未だに母乳が出ないのだという。

 しばらくは、たまたま近所に同じように子供が生まれた家があり、そこの嫁に母乳を分けてもらっていたらしい。


 ところが、その女性の子供が母乳をよく飲むようになり、

「自分の子供に母乳を与えるだけで精一杯」

 と断られてしまったのだという。


 赤ん坊は見るからにやせ細っている。


「あの……乳の出が良くなる薬はありませんが、乳の替わりになるいい物がありますよ」


 凜はそう言うと、奥の棚から手桶よりやや小さな、金属製の缶を持ち出してきた。

 ちょうどその時、若い男女二人が入店してきた。


「いらっしゃい……あら、優、ちょうど良かった、ちょっと手伝って。拓也さん、これが役に立つときが来ましたよ」

 凜は笑顔で抱えたその缶を二人に見せた。


 缶に描かれた絵柄と、不安そうな表情で赤ん坊を抱きかかえる女性を見て、二人はすぐにどういう状況なのかを悟ったようだった。


 凜がもう一つ、変わった道具を取り出した。

 透き通った竹筒のような瓶の先に、先が細く、女性の乳首のような形の物が付いている。


 この店では、お湯を常に用意している。薬を煎じたり、溶かしたりすることに使用するためだ。

 優は説明文を読みながら、お湯の温度を測って、容器の半分ほどまで入れ、そこに白い粉末をさじで入れた。


 瓶をゆっくり回して粉末を溶かし、その後、水を加えて適温にし、さらに回す。

 出来上がった白い液体を、優は手首に一滴垂らし、温度を確認し、さらに水につけて冷ます。


 それを数回行ったところで、姉である凜に手渡した。

 彼女も温度を確認し、姉妹は笑顔でうなずいた。


「……この粉は、特別な方法で乳を乾かして作ったものです。お湯に溶かすことで元の乳にもどります。この瓶も工夫されていて、この部分が赤子が飲みやすいように出来ているんですよ」


 凜はそう説明しながら、新しいさじに数滴、白い液体を垂らして母親に手渡した。


「どうぞ、試しに飲んでみてください」

 彼女は、半信半疑でさじを口に入れた。


「……お乳だ!」

 目を丸くして驚きを口にする母親。

 それを聞いて、にっこりと微笑む凜。


「さあ、赤ちゃんがお腹を空かせているんでしょう? 飲ませてあげてください」


 母親は優のその言葉にうなずくと、乳の入った不思議な容器――哺乳瓶を赤子の口元に持っていった。


「……おいしそうに飲んでる……」

 勢いよく哺乳瓶にむしゃぶりつく我が子を見て、母親は涙声になっていた。


 しばらくの後、全部飲んで満足し、眠りについた赤ん坊を奥の部屋の布団に寝かせた。


 凜は、白い粉末――粉ミルクと哺乳瓶、その使い方を記した紙を母親に渡し、

「これで大きくなるまで育てても構いませんが、お乳が出るようになったなら、やっぱりそちらの方がいいですから、それまでの替わりにしてくださいね」

 と笑顔で話した。


「はい、ありがとうございます……でも、私あまりお金を持っていなくて……おいくらなんでしょうか」

 こんな仙界の道具、きっと高価に違いないと、彼女は考えていたようだ。


「えっと……こちらの『ほにゅうびん』が五十文、この『こなみるく』が一缶、八十文です。もし今お金がなければ、また後日でも構いませんよ」


 相変わらず笑顔で話しかける凜。

 母親は、想像よりずっと安い価格に最初きょとんとしていたが、やがて涙を溢れさせ、ありがとうございます、と何度も何度もお辞儀をした。


 結局彼女は哺乳瓶と粉ミルク二缶を購入。

 荷物が多くなったので、

「隣村まで運びます」

 と拓也が申し出たのだが、これ以上良くしてもらったらバチが当たる、との彼女の申し出で、ただ見送るだけにした。


 帰り際も何度もお辞儀をしながら、母親は帰路についたのだった。


「……俺達の時代でも、母乳の出が悪くて悩む女性はいるけど、この時代じゃ子供の生死を分けるほど深刻な問題なんだなあ……」

 と、拓也は感慨深げに語った。


「そうですね……でも良かった、あのお母さん、幸せそうでした……」

 優も目を潤ませていた。


「ええ……私、今日本当に……この店を任せてもらっていて良かったと、心から思いました」

 凜の表情は、達成感で満ちていた。


「優、私達も頑張らないといけないわね……子供が出来たら、あのお母さんみたいに、一生懸命子育てに取り組まないと。お乳も、できたら自分達のものをあげたいし……その前に、子作りを頑張らないといけませんけど。ね、拓也さん」


 と、凜はイタズラっぽい笑顔で彼を見つめた。


「あ、ああ……そうだな……」


 凜の言葉に、拓也と優は、わずかに赤面したのだった。


本編である「身売りっ娘 俺がまとめて面倒見ますっ!」に『優』のイメージイラストが付きましたので、是非見てみてください(^^)。

(目次ページの一番先頭になります)

http://ncode.syosetu.com/n1825bx/1/


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