オルゴール
その日、『前田妙薬店』を一人の若者が訪れた。
ひどく疲れ、そして焦ってもいる様子だった。
彼は、対応した店主の凜に一言、こう尋ねた。
「このお店で、蓋を開けると勝手に曲を奏でる化粧箱、売っていませんでしょうか」
その突拍子もない質問に、凜は、
「あの……今そういう物は置いていないのですが、商品を仕入れている問屋に問い合わせてみることはできますよ。そこはいろいろと珍しい商品を扱っていますので、ひょっとしたら入手出来るかもしれませんが……一体どういう理由でそんな物が欲しいのでしょうか?」
と尋ねた。
竹吉と名乗るその男は、意外なその理由を語り出した。
彼は、この阿東藩で寒天問屋を営む『井村屋』の長男だった。
その取引先である老舗の和菓子店『山陽堂』では、次女の『伽耶』を嫁に出すという話が持ち上がっているという。
彼女は数え年で十八歳。竹吉と同い年で、かつ、幼馴染みでもあるらしい。
見た目も非常に可愛らしく、気心も知れたその娘に、彼はずっと前から思いを寄せていたのだという。ただ、その事を打ち明ける機会はなかった。
今回、彼女を嫁にしたいと申し出た者が、自分も含めて三人もいるという。
水菓子(果物)問屋の長男と、豆問屋の長男だ。
三人とも山陽堂にとって大事な取引先であり、家柄も大して差はない。
また、今回の話に関わる全員が顔見知りだった。
彼女自身、自分を嫁にしたいという者が三人も現れたことに当惑していたが、どうにかして誰か一人を選ばないといけない。
そこで、伽耶は奇妙な提案をした。
ある珍しい三品を指定するので、それを持参した者に嫁ぎたい、というのだ。
その品物とは、
『暗闇で虹色に光を放つ、透き通った陶器の大皿』
『真っ白な素材で出来た、鋼にも劣らぬ切れ味を持つ包丁』
『蓋を開けると曲を奏でる化粧箱』
なのだという。
誰も用意できなかったときは、今回の嫁入りの話は延期となる。
くじ引きで割り当て、彼は化粧箱担当となった。
阿東藩の中で仕入れること、という条件だったために、方々の店を回っているのだが、そのような珍品、どこにも置いていないという話だった。
そして期限は、あと二日しかなかった。
「まるで『竹取物語』のような話ですね』と、凜は笑った。
彼も、
「その通りです……他の二人もまだ用意出来ていないみたいで……」
と苦笑した。
凜は、その娘の事をどう思っているのか、竹吉に聞いてみた。
彼は、実はずっと前から伽耶に惚れていたという。
しかし、幼馴染みということもあり、あまりに身近にいた存在だったため、なかなか思いを告げることができなかった。
今回、この嫁入りの話があり、他の人に取られるのではないかと思って、今必死に探し回っているという。
「もし彼女を嫁にすることが出来たら、彼女を大切にしてあげますか」
という凜の質問に対しても、
「もちろん、一生をかけて伽耶を幸せにしてみせる」
と断言した。
「分かりました……では、また明日の夕刻にこの店に来てもらえますか? 商品を仕入れることが出来ていたら、お渡しします」
と、彼女は笑顔で返した。
竹吉は「お願いします」と頭を下げて、帰って行った。
凜は、店の奥に入っていき……そこで待機していた一人の娘に、
「これで三人とも来ましたね……どう思いましたか?」
と尋ねた。
彼女は涙を浮かべており、
「私、決めました……竹吉が、あんなに私の事、思っていてくれたなんて……」
と声を詰まらせた。
「そうね……他の二人は『お店の繁栄のため』みたいな感じだったから……」
「はい……やっぱり、お蜜さんに相談して正解でした。最初は突拍子もない話だと思いましたが……」
「うふふっ、私、こういうお話、大好きなの……じゃあ、竹吉さんにだけ商品を渡すのでいいわね?」
「はい……よろしくお願いします。そして……本当にありがとうございました!」
彼女は深々と凜にお辞儀をした。
二日後、山陽堂に三人の若者が勢揃いした。
その中で、指定の商品を用意出来たのは竹吉だけだった。
山陽堂の主人と妻、娘の伽耶、そして他の婿候補達の前で、竹吉は化粧箱を置き、その蓋を開けた。
途端に響き渡る、美しい音色。
音量はそれほどではないが、音階を持った節を、きちんと奏でている。
竹吉を覗く一同は、全員驚きの声を上げた。
「これは見事だ……一体どういうカラクリになっているんだ……」
主人は目を見開いてそうつぶやく。
「本当に不思議……それにこの綺麗な音色、節……心が洗われるよう……」
伽耶の母親は、うっとりと聞き入っていた。
「……伽耶、竹吉は指定通り、見事に『曲を奏でる化粧箱』を用意してきたぞ。これはもう、約束を守らなければならないな」
主人は満足げに娘に語りかける。
「はい……私で良ければ、竹吉の……竹吉さんの嫁になります……」
伽耶は涙を流して、そう宣言した。
そして幼馴染みの二人は目を合わせて、笑顔で頷き合ったのだった。




