魔法瓶
その日、権兵衛と団吉の二人は、朝から猟に出かけていた。
三十歳を過ぎ、腕の良い熟練の鉄砲打ちとして知られるようになった彼等、しかしこの日はやや不猟で、キジ一羽、タヌキ一匹しか狩ることができていなかった。
しかも午後になって、春先だというのに急な天候の変化により吹雪に近い状態で、こうなると猟どころではない。
山の天気は変わりやすい。ベテランの彼等でも、読みが外れることはあったのだ。
視界が悪い中、彼等は命からがら、避難用の小さな山小屋へと辿り着くことができた。
未熟な若い猟師ならば、命を落としていたかもしれない状況だった。
二人は、無事山小屋に着いたことに安堵し、いやあ、参った参ったと軽口を叩く。
本当は必死だったのだが、お互いに「まあ大したことはない」と見せかけるためのポーズだった。
山小屋にはかまどがあり、薪も用意されている。
火種は、「胴火」と言う金属製の小道具の中に火縄の形で保存しているので、すぐに着火することができる。
吹雪の中ではあったが、『前田妙薬店』で購入した『かいろ』を身につけ、それで手を温めていたため、かじかむようなことはなかった。
慣れた手つきで火をおこし、まずは小さな小枝、やがて薪にも燃え移っていったのを確認して、二人はほっと一息ついた。
とはいえ、山小屋の中は風雪を凌げるだけで、まだ室温は低い。
それに、吹雪の中を歩いてきたせいで、身体の芯から冷えてしまっている。
「……湯が沸いたらタヌキ汁でも作って暖まるんだがなあ……」
団吉がぼそっと呟く。
この時代、この地方でいうタヌキは、実はアナグマのことだ。
現代で言うタヌキは獣臭いので、特別な調理をしないととても食べられた物ではない。
その点、アナグマはとても美味い。この日は、そのアナグマを狩れていたのだ。
しかしそれも、湯が沸いた後に煮る必要があり、食べられるようになるまでは震えながら寒さをこらえるしかない。
『かいろ』を持っていたのと、火に当たることが出来るのは救いだが、できることなら身体の内側から暖まりたかった。
「団吉、良い物があるぞっ!」
と、権兵衛が薄笑いを浮かべる。
団吉は、その変な笑いを見て、ああ、また妙な思いつきをしたに違いない、と顔をしかめた。
権兵衛は、奇妙な思いつきや行動をすることが多い。
ごくたまに、それがすばらしい発想であることもあったが、たいていは下らない、役に立たない思いつきだった。
頭が良いのか、愚かなのか……権兵衛は良くも悪くも、常識にとらわれないところがあったのだ。
そんな彼から言わせたら、団吉は頭が固すぎるらしいのだが……。
あまり期待しすぎず、しかし、この状況に於いてはほんのわずかでも本当に良い物であることを祈りつつ、権兵衛の機嫌が悪くならないように、期待を込めた表情を作って
「ほう、一体何だ?」
と聞いてみた。
「へへっ、こんな事もあろうかと、熱燗を用意してきたんだ」
そんな彼の言葉を聞いて、淡い期待は失望へと変わる。
猟に出たのは早朝で、今は昼を過ぎている。
しかも吹雪にまで遭ったのに、朝熱燗であった酒が、今まで熱い訳がない。
そんな事も分からぬほど、権兵衛は愚かだったのか……。
団吉はため息をつき、
「あのなあ……」
と切り出そうとしたが、
「おっと、そんな顔しなさんな。言いたいことはわかるけど、本当なんだな、これが」
と言って、彼は背負っていた袋から、なにやら変わった細長い茶筒のようなものと、おちょこを二つ取り出した。
「まあ、一杯やろうや」
彼はそういうと、その筒の蓋を開け、中身をおちょこに注いだ。
途端に沸き上がる湯気と、豊潤な香り。
「……なっ……湯気が出てる!?」
団吉は驚きの声を上げた。
それを見て、権兵衛はにやっと笑った。
「なっ、すげえだろう? さっ、まあまあ飲んでみろ」
勧められるまま、団吉は半信半疑でおちょこから立ちこめる香りを確かめ、とたんに逃れがたい誘惑に駆られ、そして欲望のままくいっとそれを飲み干す。
人肌よりずっと温かいそれは、五臓六腑に染み渡り、身体がかっと熱くなるのを感じた。
「……かぁー、こりゃうめえっ! 本物の熱燗じゃねえかっ!」
「だろう? 俺も飲むぞっ!」
そして権兵衛も一気に飲み干し、団吉同様に「かぁー」と声を出した。
「けど、こりゃおめえ、どうなってるんだ? あんだけ雪の中歩いてきたっていうのに、こんだけ暖けえなんて」
「ああ、実は、『かいろ』買うときに、『前田妙薬店』で勧められたんだ。一日ぐらいなら飲み物をずっと冷めずに入れとける便利な入れ物があるってな。『まほうびん』っつうらしいんだけどな」
「……なるほど、あの仙人の店で買ったのか。それなら、分からんこともないな。で、それ、いくらしたんだ?」
「一朱だ。ちょっと高いかなと思ったんだが……」
「いや、酒をこんだけ暖かいまま入れとけるんだ、そりゃあずっと安い、いい買い物だ。っていうか、俺も買うぞっ!」
ちなみに、この時代の一朱は二百五十文に相当する。
かけそば一杯が十六文の時代なので、ただの水筒だと高いが、丸一日冷めないこの不思議なカラクリなら、彼等からすれば安く思える物だった。
「それと、こいつも買っておいた。アテになるかと思ってな」
権兵衛は、さらに袋から紙に包まれた何かを取り出す。
スルメだった。
「……こりゃあいい、権兵衛、見直したぜっ!」
「へへっ、こいつは貸しだからな」
気がつくと、かまどの火は大分勢いが増してきており、小屋全体も暖かくなりつつある。
こうして、命からがら辿り着いたはずの二人だったが、それが一転、ささやかながら酒宴を楽しみ始めたのだった。
※基本的に魔法瓶にお酒を入れるのはNGですので、マネしないようご注意ください(^^;。




