石鹸
『前田妙薬店』では、商品は基本的に店売りしかしておらず、配達サービスは行っていない。
しかし、例外的に売り込みに行った結果、大当たりした商品がある。
それが『石鹸』だった。
これは最初、店頭で販売していたのだが、一般家庭では風呂が付いているところがまれであるため、それほど売れなかったのだ。
そこで『前田妙薬店』店主の妹である優が、この町の湯屋に売り込みをかけた。
当初、サンプルとして十個を渡し、お客さんに使ってもらったところ、まずその香りの良さが評判となり、そして使用した後のさっぱり、しっとり感もうけて、たちまち話題となったのだ。
最初のサンプルは共用で使って貰っていたのだが、それが無くなって番台で販売したところ、一個十文という安さもあって、飛ぶように売れたという。
ただ、それを持ち帰るのは面倒なので、個人用の桶を借りる『留桶』、つまり桶のキープをしている人に限り個人用石鹸も一緒に保管出来るようにしたところ、留桶の利用者が急増したらしい。
また、石鹸で体を洗うために現代から持ち込んだ、ナイロン繊維のボディタオルも
「泡立ちが抜群で、適度に刺激のある肌触りもよくて綺麗に洗える」
と、こちらも大うけだった。
その結果、この町の湯屋は、『常に薔薇の香りが立ちこめる』と評判になり、わざわざ他の藩からこの湯屋に入りに来る者も現れ、一種の観光名所となったのだった。
もちろん、遠方からの客に対して石鹸を売ることも忘れなかった。
そしてそれがまた口コミで伝わり、評判になり……古くて冴えない湯屋が、物珍しい石鹸一つで毎日満員御礼となる盛況ぶりに変貌。
客足が遠のいていた時期に引退も考えていたという高齢の主は、嬉しい悲鳴を上げることとなっていた。
その日も、優は石鹸二百個を納品に訪れていた。
卸値は、一個八文。
店主は一個十文で客に売っているので、あまり利益は無いのだが、石鹸効果で湯屋に来る客が激増しているので全く気にしていなかった。
「やあ、お優ちゃん、今日も持ってきてくれたんだね、ありがとう。……ところで、お優ちゃんは最近、湯屋に入りに来てくれないなあ」
「あ、はい、私達の住む場所には、内湯がありますので……」
「ああ、そうか、そうだったなあ。なにせ旦那が本物の仙人様だからなあ……阿東藩一のべっぴんさんだから、あんたが入ってくれれば、それだけで評判になるんだがなあ」
おじいさんの、冗談とも、本気ともつかないつぶやきに、優は苦笑してごまかした。
彼女は、何度かこの湯屋を利用したことがあったし、東海道を旅したときにもご当地の湯屋や温泉に入った。
この時代の湯屋は基本的に混浴なので、若く美しい彼女は、必然的に男性客の視線を集めることになった。
一度、姉にどうして男の人は、女の子の裸を見たがるのか聞いてみたことがあったが、
「蛾が明かりに集まるのといっしょで、そういう生き物なのよ」
と言われ、妙に納得したことを覚えている。
恋人である拓也も男の子だから、一緒に風呂に入ったときは、ちょっと遠慮がちに裸を見てくることがある。
恋人だから平気だ、と思うようにしているが、好きな人にだからこそ、じっと見られると恥ずかしい、という感情もあった。
また、湯屋の場合、別の女性が入って来たことも当然あった。
彼がその方向を見ると、仕方ないと思う反面、やはり少しだけ妬いてしまった。
そんな彼女に気づき、
「ごめん……」
と謝って視線を逸らす彼に、また嬉しさを感じたこともあった。
そんな彼だが、石鹸はただ利益を追求するためだけに販売を始めたのではない。
体を清潔に保つことは、病気の流行を防ぐ事につながるのだという。
石鹸で綺麗に体を洗うことは、さっぱりと気持ち良くなるだけではなく、知らず知らずのうちに健康に貢献していることになるとのことだった。
時空の仙人である彼は、この時代の人々の幸せを、常に意識している。
そんな彼の妻の一人であることに、優は誇りを持っていた。
(……今日のお嫁さんは、私……)
彼には、優と姉の凜を含め、計五人の嫁がいて、くじ引きとローテーションによりその日一晩、一緒に居られる女の子を決めている。
この日は、優の番だった。
『前田邸』の内湯にも、二人っきりで入る事になる。
彼も、この石鹸の香りが好きだと言う。
その大きな背中を、たっぷりと泡立てた『ぼでぃたおる』で洗ってあげよう。
そして風呂から出たら、お互いに体に付いた石鹸の香りを楽しみながら、二人で同じ床に入って――。
鼓動が高鳴り、顔が赤くなるのを感じながら、優は幸せな微笑みを浮かべたのだった。
ここで登場する石鹸は、植物原料100%使用の環境とお肌に優しいエコ石鹸となります(^^)。




