2話
放課後、といっても今日は始業式とテストのみで、名誉ある帰宅部に所属している竜喜は午前中で学校を解放された。
本来ならこれから家に直行なのだが、朝、琉美が職員室に来るように言ってたのを思い出して渋々足を動かす。
竜喜にとって職員室はあまりいい場所ではない。なぜならここで説教を受けた記憶しかないのだから。しかし、今回は全く呼ばれた心当たりがない。課題のことかとも思ったがその考えは打ち消す。なにせ課題を提出する前に呼ばれているわけだ。となると残りは遅刻の件しかないが……。
職員室の前に来るとノックをしてすぐに入った。
「し、失礼します」
微かに緊張を隠しきれず、強ばった様子で言うと、恐悚しながら奥へと入っていく。
「来たか竜喜。お前を呼んだのはな……」
いきなり本題に入り、何を言われるのかと竜喜は息を呑む。
「お前には、なんでもおたすけ部に入ってもらう」
「…………は?」
今日もまた説教かと覚悟してい竜喜は、予想の遥か斜めを行く琉美の発言についていけずぽかんとした。
「まぁこれを見てくれば分かる」
そう渡された紙の内容は、
「部活動設立申請書……? 部活動名、なんでもおたすけ部。顧問、皆川琉美。部長、日下部竜喜。……なんすかこれ?」
「部活の設立申請書だ」
「いやいや、それは見れば分かりますって。俺はこんなもの許諾してないんですけど?」
「あ、お前に拒否権ないからよろしく。もう申請通ってるからこれ」
淡々と衝撃的な展開を繰り広げてくる琉美に対して、怒りと同時に呆れを感じた。
「……は? なに勝手なことしちゃってくれてるんすか!? しかもこんなネーミングセンスのない、訳のわからない部活なんて俺は絶対嫌ですよ!」
「そうか、この名前が嫌なのか……なんでも人助け部」
「それ変わってないですよね!? ってかそういう問題じゃないんですけど!」
「じゃあ、フリーダムおたすけ部」
「まさかのスルー!? ……わざわざ英語ににする意味ある!?」
「なんでもアユーダ部」
「えっと、何語?」
「スペイン語だ。そんなことも知らないのか?」
「知らないよ!」
次から次へと出てくるネーミングセンスのない名前にツッコミ疲れた竜喜はもう諦め、ため息をつく。その現況である教師はその自覚がどうやらないらしい。
「なんでもかおたすけのどっちかは絶対固定なんすね……。じゃあもうなんでもおたすけ部でいいですはい」
もう言い返すのは諦めてやけになる。
「あー、あと部室はもう用意してあるから。それで今日から活動開始な」
「活動って何をすれば? 大体予想はつきますけど」
「何もしない」
「…………へ?」
竜喜は本日何度目かの間抜けた声を漏らした。そんな生徒を目の前にして琉美は平然と続ける。
「だから、基本何もしない」
「なんで部活作ったんすか!」
「それは……あれだ。部活の顧問って評価が上がったり……」
「あんた最低だな!」
脳内妄想を繰り広げてニヤつく教師を見て顔を引き攣らせる。琉美のこういった性格は今に始まったことではない。
だがここまでくると憤りを通り越して呆れ果ててしまう。
「もう俺帰っていいですか?」
「まてまて」
止まることを知らない過度の浮かれように我慢できなくなった竜喜が身を翻して出ていこうとしたとき、琉美が恐るべきスピードで左腕を掴まれ、いつの間にか真面目な顔つきに戻って生徒を引き止めた。
「活動内容はないがもし助けを求められたら対処頼むなー」
「どんだけ無責任なんすか!」
「私は他にすることあるし」
口を尖らせて都合のいい時だけ教師の立場利用するこの悪党に義務という言葉はないのだろうか。
「そんなわけだから毎日必ず五時までは部室にいること。話はそれだけだ」
「わかりました。じゃあ失礼します」
面倒くさそうに適当に言って今度こそ踵を返した。
そして扉まで来たとき、
「あ、そうだ。真帆も部活に入れておいたからよろしくなー」
という陽気な声がした。聞きたいことはあったが、もうそんな気力は残っていない。
「はぁ、疲れた。最悪だ」
職員室を出た竜喜は小さく愚痴をこぼした。
竜喜はそのまま琉美に言われた場所に来た。
場所は三階の空き教室。去年まではここでも授業が行われていたが、今年からは使われなくなり、物置と化していた。それが今は片付き、使用されていた頃のように、いやそれ以上にきれいになっている。
「皆川先生も以外としっかりしてるんだ」
隅から隅を見てもきれいなままの教室を見て感嘆する。
机や椅子はまだ物置時代の配置のままで教室の後ろに詰めて積み上げられている。黒板はむらなく拭かれ、その下には埃どころかチョークの粉一つ落ちていない。
ここに五時までいるように言われたが、今日は午後からフリータイムだった竜喜は困惑する。
時間がなくなることに対してではなく、その逆だ。
こうも整理整頓された教室ではすることがなく、どう時間の過ごせばいいか思いつかない。家なら自由なのだが、学校ではさすがに勝手が違う。
とりあえず竜喜は教室の窓を開けて籠った空気を換気しはじめた。すると、グラウンドを一望できる窓を通して外からは運動部が練習を始める声が三階の教室まで聞こえてくる。
その様子を横目で見てなごみながら竜喜は全開した窓の桟にもたれかかる。
外から吹き付ける風が心地良い。まだ風が吹けば若干寒さも感じるがそれは苦にならない。
穏やかな春の暖かさに身を委ねて両の目を閉じたちょうどその時、一瞬だが、強い風が吹き込んだ。
すると、教室の反対側にあるドアの向こうで、風に巻き上げられた紙が落ちてきた音がした。
「……? なんだろ?」
気になった竜喜は一度廊下に出て確認をする。そこでまたしても彼は吐息することになる。
『☆なんでもおたすけ部部室☆』
竜喜が広い上げたものは派手にピンク色のマジックで紙いっぱいに書かれ、おまけに黄色の星で装飾してある、簡素な表札だった。それを作成した人物はすぐに見て判断できた。
これもすべて、あの担任の仕業だ。
「ほんとにあの人はしっかりしてるよ」
苦笑混じりに彼は独りごちた。
もし本当に竜喜が拒否していたらどうしていたのだろうか。何だかんだ言って教師らしいところもある。
ふっ、と今度は自然に顔が綻び、手作り感満載の表札を元あった場所に貼り直す。
「そう言えばあの子も部に入れておいたってことは、今日来るのかな?」
あの子、つまり真帆もどういう経緯かは分からないが、部活に入れておいたという琉美の言葉を不意に思い出す。
今日から部活開始ならば真帆もこの空き教室、もとい部室に来るだろう。
「机を出しておくか」
そのさすがに床に座るのはまずいと思った竜喜は、いくつか机と椅子を出そうとした。
――のだが、再び吹き荒れた突風が竜喜のブレザーをなびかせ、不幸にもそれがまとめて置かれている机に引っかかった。
「うわぁっ!」
当然、歩いていた竜喜は後ろからブレーキがかかり、派手にこけた。それを追うように積み上げられている机や椅子が崩れ落ち、校舎内に轟音が響く。竜喜がその下敷きにならなかったのは不幸中の幸いだ。
「最悪だ……」
竜喜は立て続けに何かしらが起こる自分の不幸さを呪いながらため息混じりに呟いた。
そんな時目の前に一つの人影が現れた。
「大丈夫ですか?」