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1話

1

 四月七日月曜日。この日から高校生活最後の一年間が始まる。

 そんな希望と寂しさを感じながら、黒髪に茶色の目が穏やかそうな印象をもたらす童顔の少年、日下部竜喜(くさかべたつき)は家を出た。

 紺色の生地に水色のラインが入った、少しほつれかけのブレザーに黒のズボンを身に纏って学校への道を歩く。元から細身である竜喜は黒いブレザーの影響でさらに細く見えてしまう。

 春の暖かい日差しが街を照りつけ、時折吹く穏やかな風が心地よい。辺りからは小鳥のさえずりが聞こえ、道沿いの木々にはきれいなピンクに染まった桜が咲き乱れる。

 そんな光景を背にして竜喜は鼻歌を歌い出した。

「あっ……」

 だがその瞬間、彼は重要なことを忘れていたのを思い出す。

「今日課題テストじゃん! 課題やってねえ!」

 住宅街の朝の時間に大声で叫んで走り出した。幸い付近に人はいなかったから良かったものの、もし誰かいれば蔑むような視線が痛かっただろう。

 竜喜の通う学校、奏ヶ丘(かなでがおか)学園、通称奏学(ソーガク)では不幸なことに毎年春休みに課題が出され、始業式の日にテストがある。二年間をソーガクで過ごしてきた竜喜だったが、今年は高校生活残り少ない休みを満喫するために遊びすぎて完璧に課題の存在を失念していた。

 どれだけ勉強しても学力が伴わない竜喜にとって、正直テストの結果はもう見えているのでどうでものたが。

「絶対殺される……」

 このまま行けばホームルームの時間にちょうどぐらいに着いてしまう。そのため課題は白紙で提出。これはソーガクでは死を意味する。

 分かりやすく言えば、呼び出し。職員室もしくは生徒指導室へと呼び出し、連行されてみっちりと怒られる。

 一度その経験がある竜喜は何としても早く学校へ行きたかったのだが……。

 道の角から、いきなり視界の真ん中に少女が現れた。

 まずい、と思った刹那に瞳孔が少し開かれたが、運動オンチである竜喜には、避けることも止まることもできない。

「危なーーーーい!」

 衝撃に備え、目を瞑った次の瞬間、

「キャッ!」

 可愛らしい小さな悲鳴を耳にして、竜喜はその少女と盛大にぶつかってその勢いのまま地面へと降下した。

 腰をさすりながら起き上がると竜喜がぶつかった相手は彼と同い年ぐらいの少女だった。

「ごめん、大丈夫?」

 どう考えても竜喜の方に非があり、さすがに罪悪感を覚えた彼は謝って手を差し出す。

 それを少女は素直に受け取り、なんともない、といった表情で立ち上がった。

「はい。ありかとうございます。私の方こそ申し訳ありません。あなたの方はお怪我ありませんか?」

 謙虚に答え、少女は竜喜の方をまっすぐ見つめて訊き返す。

 こうしてまじまじと見るととてもきれいな少女だ。端整な顔立ちに艶のある長い銀髪。凛と見据える碧い双眸。身長は竜喜よりも低いが、それを感じさせないほどに白く細い四肢が強く存在感を放ち、今にも折れてしまいそうなスラリとした体のラインがスタイルの良さを強調している。

 初めて見る神秘的な光景に竜喜は少しの間見惚れてしまった。まだ手には彼女の細く柔らかい手の温もりが残っている。

「あの、本当に大丈夫ですか?」

 声に気付いたとき、すぐ前に心配そうな顔があって我に帰った。

「え、あ、うん、大丈夫! 俺は大丈夫! ごめん、俺急ぐから!」

 顔が赤くなっていくのを自覚して気まずくなり、風のごとくその場から走り去った。

 背後に不思議そうに小さく首をひねる少女の視線を感じながら。

 少女の姿が目視できなくなると、彼の頭の中は課題のことに切り替わっていた。

 今のイベントで時間を少し使ってしまい、そんな危機的状況の中で竜喜は呟く。

「最悪だ……」


 校内に鳴り響くホームルーム開始のチャイムが鳴り終わる直前に竜喜は教室のドアを開けた。

「はぁ、はぁ、危ねぇ……」

 息を切らして教室のドアに手をつき肩を大きく上下させる竜喜は、背中を這うようなこの上なく嫌な予感に顔を上げる。

 教室に駆け込んだ竜喜を大歓迎してくれたのは、明らかに邪悪なオーラを周囲に出しながら、腕を組んで仁王立ちする担任女教師、皆川琉美(みながわるみ)だ。この担任教師は竜喜の母の友人であるために、幼い頃から面識がある竜喜は琉美のことあまり年上として意識していない。

 そして、昔からそうであったように怒ると怖いと学校中で知られ、誰も怒らせないようにしているのだ。

 しかし、現在その先生様は紺色の長い髪を逆立て、目を吊り上げて鬼の形相で竜喜を見下ろしている。いや、鬼そのものだ。

「新学年早々遅刻してくるやつがあるか?」

 目を吊り上げたまま邪悪な笑みを浮かべるその姿はもはやこの世に降り立った死神だ。

「あのー、皆川先生? 俺、セーフ、ですよね?」

「ほう? 自分はチャイムが鳴り終わる寸前に入ってきたから遅刻にはならないと、そう言い張るのか?」

 笑みを絶やすことはないが、皆川先生の声のトーンは低い。

「だがな、今のチャイムはホームルームか・い・し! の合図なんだが、お前は二年間もこの学校に通っていたのにそんなことも忘れたのか?」

「あ、で、ちょっ、でも、こ、これにはですね、とても深い深ーい理由が……」

「竜喜、覚悟はできてるな?」

「ひゃい!」

 皆川先生の威圧感に竜喜は完全服従を余儀なくされ、弁明するのを止めて裏返った声で返事する。

 それを聞いて満足そうな笑みに変えた死神はゆっくりと近づいてきた。

「うぎゃああぁぁぁぁぁぁ!」

 快音が教室中に響き渡った。


「それじゃあホールルームを始める。が、その前に転入生を紹介する」

 窓際の一番後ろに座る竜喜は耳を疑った。琉美からくらった脳天割りのせいで幻聴を聞いているのかもしれない。

 それにしては周りが騒がしい。どうやら聞き間違えなどではないようだ。

「じゃあ入って来い」

 静かに扉が開く。そこから出現した人物は見たことがあった。

 端整な顔立ちに艶のある長い銀髪。白く美しい四肢を持ちスラリと細身の美がつくほどの容姿を少女。

「あっ、君は!」

 思わず立ち上がった竜喜に反応した美少女が教卓にたどり着くと目を合わした。すると、一瞬で竜喜を理解したらしく、顔に納得の微笑を見せた。

「あら、あなたは先程の」

「なんだお前ら? 知り合いだったのか? とても竜喜にはもったいない相手なのに」

「いいでしょ別に! 来るときにちょっと会っただけだよ!」

「ふーん」

 蔑むように横目で睨みつける琉美が、なぜか自分の生徒を憎悪ような、教師としてあるまじき感情が混ざっていたように思えた。だがこの場では渋々引き下がる。

「まあそのことはいい。それよりも自己紹介してくれ」

「はい」

 素直に返事すると銀髪の転入生は黒板に名前を書く。そして透き通った碧眼でクラスを見据えた。

南崎真帆(みなみざきまほ)です。よろしくお願いいたします」

 声自体は大きくなかったが、透明感こあるきれいな声は自然と耳に残った。

 そんな美少女の登場にクラスから大歓声が湧き上がる。

「南崎、真帆……。それがあの子の名前……」

 竜喜は初めて聞く少女の名前を反芻した。クラスは盛り上がりを見せ、彼女の存在によって雰囲気が変容していく。

「それじゃあ真帆の席は……」

 教室の空席を探して動く琉美の視線は竜喜の横の空席で止まり、その後、なぜか竜喜と視線が合った。

「チッ」

「今舌打ちしたな!? 教師のくせに生徒に向かって舌打ちしたな!?」

「真帆、気をつけろ。あいつはあんなことやこんなこと」

「まてまてまて! あんた何吹き込んでんすか! って君も本気で怯えないで!? 嘘に決まってるから!」

 こんな美少女に出会って早々、琉美がデマを流し、竜喜はため息をつきたくなった。

 今日のこのだけでどうしてこうも不幸なことが起こるのだろうか。家を出てすぐに真帆とぶつかり、学校には遅刻して琉美から脳天割りを頂くし、おまけに、真帆にはいきなり悪印象が植え付けられたかもしれない。極めつけには、

「じゃあとりあえず真帆は席についてくれ。あ、後、竜喜は放課後職員室なー」

 と、呼び出しを受けるのだった。

 こうして竜喜の高校生活最後の一年は、先が思いやられる形で幕を切った。


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