9話
「うわぁ人多いなぁ」
無事イルカショーの会場にたどり着いた竜喜は、会場に集まった人の数に感嘆した。
会場はイルカショー専用のもので、小さなスタジアムのように客席があり、その中央にイルカの泳ぐプールと指示を出すステージがある。
イルカショーまで数分と迫り、いっぱいまで埋まった客席からはざわめきが止まらない。
「舞たちはどこに……あ、いたわ」
周囲を見ながら会場に入ると、客席の最前列に陣取る舞と真帆の姿を見つけ二人は合流する。
「遅いよはるっちたっつー。もうすぐで席を取られるとこだったよー」
「ごめんごめん。それにしてもよくこんないい席が空いてたな」
「あたしにかかればこれぐらい朝飯前!」
自慢げに胸を張る舞に感心しながら確保してもらった席に座る。
会場は一瞬のうちに満員となり、自分たちが今最前列にいることが幸運極まりない。
そんな彼らの前でショーの準備が着々と進められている。
「もうすぐね」
「ああ、まさかイルカショーをしてるなんて思わなかったからな」
今は十一時前ぐらいだ。イルカショーは一日に何度か行われるはずなのでこの時間なら今日一度目か二度目だろう。
修学旅行のこの限られた時間で、そのタイミングに出会したのはラッキーだ。
「みなさまお待たせしました! ただいまよりイルカショーを開演します!」
アナウンスが入り、トレーナーが入場する。そのトレーナーは観客に一礼して早速ショーを開始する。
「始まったな」
「うん」
竜喜に舞が相槌を打つ。彼女も、陽奈も真帆も、舞い始めたイルカに早くも釘付けだ。
トレーナーが腕を上げると三匹のイルカが、水中では窺えない巨躯を持ち上げて大きく跳ね上がる。
そして着水と同時に大きな水しぶきが上がり、歓声や拍手が会場を染める。
「すごい……」
水しぶきが霧となり、一層輝きを増す光景に舞は歎美の声を漏らす。
珍しく彼女が呆気にとられるほどイルカたちは華麗に舞い続ける。
そして、一度場に静寂が訪れた。かと思うと、トレーナーが大きく腕を振り上げた途端に、水中に身を潜ませていたイルカの一匹が大きくハイジャンプ。
見事、空中約七、八メートルに吊るされたボールをタッチしてみせた。
「今ジャンプしたイルカはオスのエクラくんです。エクラくんは三頭の中で一番大きな体の持ち主です。そして、」
トレーナーは両の手を水面に向けて出し、左右別々の方向に振る。それを水中にいた残り二頭のイルカが顔を出し、手の方向に立ち泳ぎを披露した。
「今向かって右に立ち泳ぎをしたのがメスで小柄ののルスちゃん、左がカロスちゃんです。お送りします。どうぞお付き合いください」
沸き上がる歓声の中トレーナーと一緒にイルカも礼をして演技の続きに入る。
「かわいいーーー! 見た見た? イルカがお辞儀したよ! すーーっっっっっごくかわいい!」
「見たわよ。そんなにはしゃがなくても」
指をさしながら話しかける興奮状態の舞に、対照的な陽奈が冷静に対応。
舞だけでなく、会場全体が次に期待を寄せるなか、トレーナーがプールに飛び込んだ。
沈んでいくトレーナーを一番の巨躯のエクラが背面でキャッチ。
ゆっくりと浮上する二人(一人と一頭)はそのまま船のようにプールを一周する。
その様子を観客に見せた後、再びトレーナーが着水した。そして、
「次はどうなるんでしょう」
エクラも再度潜水したのを見て真帆が息を潜める。
一瞬場に静寂が訪れる。
そしてその静寂を破る豪快な水音が会場に響く。
水中から飛び上がる三頭のイルカ。その中央を飛ぶエクラに頭に潜っていたトレーナーが立っていた。
「すごい、すごい! イルカさんが人を乗せて飛んでる」
「あんなこともできるのね……」
「イルカって素晴らしいです」
会場を取り巻く演技に四人も開いた口が塞がらない。
竜喜も含めて水族館が初めての四人にとって当然イルカショーも初めて。普段生で見ることができず、かわいい生き物という印象を持つ彼らには、目の前で行われているのは未知の光景だ。
しかし、不意に真帆が小首を傾げた。それに気づいた竜喜が声をかける。
「真帆どうしたんだ?」
「いえ、どうすればこのようなことができるのでしょうか。イルカというものは普段海で泳いでいるのですよね?」
「それはね、イルカを訓練してるからよ」
口を挟んだのは陽奈だ。
「訓練? どのようにですか?」
「さ、さすがに、そこまでは私も……」
想定外の切り返しに陽奈は渋面する。
真帆の表情にはひねくれのない純粋な疑問が浮かんでいた。だからこそ対応に苦しむ時がある。しかし、それはそれで彼女らしい。そうも思えるようになりつつある。
「それでは、次はみなさんの中から一人、イルカに指示を出してもらいたいと思います」
僅かに目を離した隙にプールサイドに上がっていたトレーナーが声を飛ばす。すると、会場全体から我先にと手が挙がり始める。
会場を見回したトレーナーはこちらを指さし、
「じゃあそこの綺麗な髪のかわいいお姉さん」
誰のことか分からず、トレーナーの指を追って横を見ると、そこにははにかみながら控え目に手を挙げる真帆がいた。
「ちょ!?」
「真帆!?」
「さすがまほたん♪」
意外な事態に驚きを隠せない陽奈と竜喜に対し、舞は楽しんでいるとしか思えない軽い口ぶりだ。
当の本人はというと、頬をほんのりと紅く染めもじもじしている。
「かわいいなんてそのようなこと……」
「そっちか!」
「こちらに来てください」
ちょうどトレーナーからお呼びがかかったのだが、なかなか真帆が動かない。
「頑張れまほたん」
「行ってらっしゃい」
「思いっきり楽しんでこいよ」
「――はい。みなさんありがとうございます!」
ようやく踏ん切りのついた真帆が重い腰を上げる。会場内の全観客から注目されて彼女はすぐ目の前にいるトレーナーの元へと移動した。
「真帆、柔らかくなってきたな」
真帆を見送った後、彼女が何かレクチャーを受ける様子を見て竜喜が呟く。
「そうね、最近までこんなことはしないタイプだったのに」
「いい傾向、いい傾向」
陽奈と舞も同意する。
転入してきてまだ二週間だが、それでも転入してきたばかりと比べれば色んな表情が現れるようになった。
舞の言う通り、これがいい傾向だということに疑う余地などない。まだ躊躇するようなことはあるが、それは慣れに伴って減っていくだろう。
転入してきて右も左も分からない彼女に、信頼できる存在を作ろうという竜喜の当初の目論見は成功した。だが今は、いつもこのメンバーで行動することが習慣づくところまで壁は取り除かれた。
「それではみなさんお待たせしました!」