魔人(中)
箱庭の街は大きな街とは、とてもではないが言えない。
一日丸々使えば各地区にあるクエスト斡旋所を散歩がてら巡ることが出来るし、縦横に入り乱れた区画ですらも一週間も生活すれば主要な道路の配置、何処がどの辺に通じているかを知ることは難しくない。
そんな街でも中央区に関してはどの大都市であっても敵わない。
遠目に見れば巨大な塔、絵画に見るバベルの塔を髣髴とさせる程に摩天楼が密集し、そのビルの中には繁華街や様々な商店、居住区も存在していた。
かつては、の話だが……。
ゲームの設定上、ここは住人達に見放された土地と言われている。
その原因は街を囲む森。
森の浸食によって巨大な都市は滅亡し、現在の区画が最後の砦となっている。
事実、拠点の街周辺はそうでもないが、樹海を奥に進むにつれ、具体的には一キロ程奥に進んだあたりから、樹冠が三百メートルを平気で越す地域が広がり始める。
かつての住人達は既に逃げ出し、他国で安穏とした生活を送り、現在この土地に残るのは元々の領主とその係累、臣下、そして街のインフラを支えてきた模造人間のみ。
そういう設定なのだ。
領主とその周辺のNPCは未だ存在を確認されていないが、実は図書館に行けば写真付きの名鑑で顔と名前を確認できるのだが、まだこの時点で気が付いたプレイヤーは居ない。
因みに模造人間はプレイヤー達によって管理者と呼ばれているのがそれだ。
故にプレイヤー以外の人物は見当たらない。
プレイヤー達に課せられた使命はそんな緑に呪われた土地の復興であり、現在、斡旋所で受けられるクエストは街の治安や復興に関わるものがほとんどを占めている。
例えば、周辺地区へ現れた魔獣の討伐、浸食地区(つまりは樹海)での資源回収等。
彼らは雇われ人、クエストを受けて評価を上げ、ランクを上げる。
くどいようだが、そういう設定なのだ。
現在の箱庭の施設の殆どが、斡旋所周辺の商業施設や、中央区にある施設周辺を除いて、廃墟と化している。
残念なことに中央区のビル群の中はもぬけの殻で人の姿どころか、嘗ての生活の痕跡すらも目にすることは難しい。
廃墟マニアにはたまらない情景が占めると考える者もいるだろうが、その賛否はかなりの割合で別れるだろう。
なぜなら、前述の通り生活の痕跡が殆ど見られない上に、どのような建材を利用しているのか朽ちてもいない、殆どの場合、当時をしのばせるアイテムが存在しないのだ。
悪童共の落書きも、打ち捨てられた生活雑貨もない。
そんな寂しい空間。
太陽が天頂に到達し、鋭い陽光がアスファルトに似た舗装路を焼け焦がそうとしている中、周辺区のあちこちに黒煙が立ち上り、黒の中に赤、火の粉が舞う。
街中には轟音が至る所で鳴り響く。
現在街は森に棲むと言われている魔物どもに犯されかけていた。
銃声は散発的に聞こえるものの耳を塞ぐほどではない。
プレイヤー達はそれがほぼ意味を成さないと知っていたから銃を手にするものは珍しい。
代わりに彼らの手に握られていたのは様々な武具。
槍、剣、大振りのナイフ、中にはハンマーやメイスもある。
そられに共通するのは刃が備わっていない事だろう。
刃のあるべき場所は淡く輝き微細な振動を纏っている。
戦場と化した街中には怒号と悲鳴が入り混じり、時々、人外の雄叫びも聞こえてくる。
現在の箱庭の街はイベントの真っ最中だった。
『魔獣の侵攻を食い止めよ。増えすぎた魔獣の軍勢が住処と食料を求めて街に侵攻しているという情報が入った。探索者(プレイヤーのゲーム内の呼び名)諸君は持てる限りの武装を用意し彼らを殲滅し街を救え』
こんなメールがプレイヤー達の元に届いたのはイベントの二週間前だった。
リアル換算では二日に足らないくらいか。
その文面には続けて『このイベントは強制参加とさせていただきます。この戦闘はゲーム内時間において一週間を期限として行われます。この間、クエスト斡旋所はプレイヤーの拠点として設定変更され、通常クエストは受注できません』と書かれ、その下にイベントの開催時間が現実時間とゲーム内時間両方で記載され、さらに特設ページへのリンクが張られていた。
特設ページにはイベント報酬についての詳細と終了後に運営から近日行われるアップデートの発表がある旨が記されていた。
アップデートに関しての内容はその時にならなければ分からないようだったが、誰もが期待感を抱いていたのは掲示板を覗いてみればわかっただろう。
「そっち一体回り込んだぞ、対処してくれ」
怒声とも思える激しい声を上げるのは大柄な青年で、その手にはグレネードランチャーが握られている。
火器が余り人気がないと書いたが魔物の牽制、足止めに限っては爆発物は有効だった。
弾は潤沢にあるようで先ほどから狙いもソコソコに引き金を引いてはリロードを繰り返している。
「了解だ」
剣士の一人が念動駆動を駆使した動きで走り、ビル壁を足場に大きく跳躍すると後背に回り込もうと路地から姿を現した巨大な、人の身の丈ほどの体高を持つ蜘蛛(といってもその手足は人のそれだが)を大上段から、跳躍の勢いを伴って振り下ろし、両断する。
「おーけー、そのままそっち張っててくれ二体ほど同じルートで来る。ショ―ちゃんサポートに回ってくれ」
グレネードの男は声を張り上げる。
が、その指示に剣士が反応する前に二人の間にあるビルのショーウインドウの割れる音が聞こえ、舞い散るガラス片と共に飛び出してきた化け物によって今しがた指示を受けた青年が薙ぎ払われ、背中の方に、くの時に折れ曲がりビルの壁面に叩き付けられた。
グレネードの男は建物の中まで探知することが出来なかったのだ。
突然現れたその化け物はグレネードの男に直ぐに目を付ける。
その化け物は先ほど剣士に叩ききられた蜘蛛と同じく手足は人のそれだった。
但し、それらよりも二回りも大きく、体のパーツは全て人のもの。
形状は蜘蛛のそれだが、眼、鼻、口、指先に至るまでがそうで、蜘蛛を思い起こさせるのは八つの四肢と頭部の形状、奇形の様に飛び出た人の胸部を連想させる腹の部分のみ。
そいつは生臭い息を吐きだすと、指示を出していたグレネード使いの男へと疾駆する。
男は突然の出来事に思考を停止させてしまっており、その身を強張らせた。
蜘蛛はその巨腕で男を掴みあげると、歪なまでに大きく開かれた口で男の頭を咀嚼した。
そこからそのパーティーは総崩れだった。
背後を取られたことにも気が付かないメンバーは、音もなく近づかれ、手当たり次第に薙ぎ払われ、時には咀嚼され、確実に息の根を止められていった。
街中の至る所で恐怖に駆られた悲鳴が湧き上がる。
ヒノエ達の拠点としていた西区でも同様に戦線があちこちで崩壊し、撤退を余儀なくされていた。
「鬼畜仕様だ。こりゃ殺しに掛かってるな」
誰がとは言わない。
イスカは血交じりの唾を吐き捨てながら肩越しに背後を確認しながら走っていた。
「この殺意の高さは流石に引くよな」
キングタイガー三世は言う。
二人は少し前に斡旋所の陥落のアナウンスを受け中央区に向けて撤退戦に移っていた。
路地向こうを見れば他のプレイヤー達が集団で同様に撤退戦を行っているのを見る事が出来るだろう。
「とはいえ、だ。他の連中不甲斐なさすぎるぜ」
「言うなよ、俺達はヒノエのお蔭でこうしてペアでやれてるんだ」
キングタイガー三世は呼吸を整えきれずに途切れ途切れに声を上げる。
先日、地下で妙なイベントがあってすぐの事、ヒノエはキングタイガー三世とイスカ、それに彼の友人のアトリの三人を呼びだした。
要件は念動と感応系技能を高レベルな状態で同時に扱う事と、それに伴って発現する『予知』と呼ばれる技能についてだった。
それは、彼らがなぜ地下での不意のイベントによって全滅しかけたのに生き残れたのか、という事に対しての答えだった。
ヒノエは念動によって高められた身体能力と感応による観察、そして研ぎ澄まされた二つの能力によって現れる第三の技能系統『予知』によって件の強敵を斃した。
『予知』とは未来予測の類でもなければ、それを知ることによって未来を確定させると言う因果に干渉する類の能力ではない。
つまるところ高度な観察による無意識の予測のことだ。
これら技術を誰から教えられたのかヒノエは三人に教えなかったがそれに関してはそれぞれ察しが付いていた。
あの時一緒に地下へと潜った赤ゴスを着た銀髪の少女がそうなのだろう。
以降、少女の姿を見かける事は無く、彼女がどれくらいの技量を隠していたかは推し量ることもできない。
ただ、少なくともヒノエの態度や口端に登る言葉から、現在の自分達でも足元にも及ばないのだろう、という事を想像するのは難くなかった。
「で、アイツは何やってんだろーな」
並走するイスカはポーチの中に手を突っ込むと手投げ弾を二つ取り出しピンを抜くと背後から距離を詰めてきた蜘蛛の化け物の進行ルートの予測先に投げつける。
「今日は両親と外食って言ってたからなぁ……。そろそろログインすると思うんだけど。アトリもまだかよ」
キングタイガー三世は端末で二人のログイン状況を確認すると悪態を吐いた。
アトリは(ゲーム内時間での)初日のみ参加していたのだが、用事があると抜けて今まで何の音沙汰もない。
「ホントは二人でデートしてんじゃないのか」
「それは無い。アトリはお前の同類だぞ」
暗にリアルでは男だとキングタイガー三世は告げる。
「冗談だって。にしてもこの苦労を二人に分らせてやりたいぜ。っくそ!」
イスカは怒声交じりにポーチに残っていた手投げ弾すべてを背後に投げ飛ばす。
既にイベントが始まってゲーム内では四日が経過していた。
プレイヤーの四割が脱落し、掲示板では特設エリアで現在の戦闘を観戦しているプレイヤーの実況が流れているし、防衛拠点の斡旋所も東区を残しすべてが陥落している。
その東区も掲示板の情報が正しいなら既に風前の灯で既に多くのパーティーが中央区に向かって撤退を始めている。
その判断を下したプレイヤーは陣取り形式のゲームに親しんでいる者達なのかもしれないし、FPSのようなゲームを以前はやっていたのかもしれない。
「あ、東区落ちたっぽい」
イスカが言う。
追撃も収まった現在、移動中に掲示板で現状を確認していたのだ。
「今まで良くもったな」
キングタイガー三世が感心の声を上げると同時、運営からのメッセージが届く。
『東区の防衛拠点が陥落しました。該当地域で戦闘中のプレイヤーは中央区に撤退してください。繰り返します――』
何度も同じアナウンスが繰り返される。
本格的にイベントクエスト失敗か、とキングタイガー三世は肩を落としつつ路地裏から大通りに飛び出す。
外辺区と比べて明らかに異質な、異様な高さを誇るビルによって日差しが大きく遮られているが、不思議と暗くは感じない。
場所は既に中央区。
大通りに飛び出すと、そこには指示された拠点に向かい走るプレイヤー達が何組も視界に入った。
中には念動駆動を駆使して摩天楼の壁を足場に高速で飛び交う姿も目に入る。
「おーおー、死にぞこないがこんなにか」
イスカは嬉しそうに笑みを浮かべる。
「死にぞこないは無いだろ。もっと他に言いようがないのか」
反論をした時だった、二人の端末にメールが届く。
「集合場所の変更だってよ。中央管理局本局前じゃなくて地下駐車場だと」
端末に落としていた視線を引き上げイスカはキングタイガー三世を見る。
「同じ内容だったよ。アナウンスで流さないところを見ると何かあるのか?」
首をかしげた。
二人が管理局の裏手にある地下駐車場入り口にたどり着いたときだった。
モーニングを着た銀髪の男が柱の影から姿を現す。
「イスカ様とキンタ様ですね」
男は言う。
キングタイガー三世は正しい名前を、と訂正させるため口を開くが、その前にイスカが「そうだ」と素早くこたえる。
「お待ちしておりました。ご案内いたします」
男は恭しく頭を下げると先導して歩き始める。
「イベント?」
「だろうな」
しかし、その発生を満たす条件が分からない。
二人は互いに顔を見合わせた。
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両親との食事を終え、帰宅したヒノエは寝支度を整えてからログインした。
以前ログアウトしたのは斡旋所近くの簡易宿泊施設だった。
簡易宿泊施設はプレイヤーを安全にログアウトさせるための施設で期間を設定して借りることでその空間内においてアイテムを保管しておくための機能も利用できるようになっていた。
安っぽい白の壁紙にビジネスホテルによくある面白味もないベッドが一つ置かれているだけで他にはアイテム保管用のクローゼットがあるのみ。
そんな場所だったが、ヒノエがログインし、目の前に広がった光景は広々としたホール。
床には柔らかい感触が靴底を通しても伝わってくる程の豪奢な模様の描かれたカーペットと、平屋が丸々収まりそうな程の高さのある天井、そこから吊るされたシャンデリアだった。
壁材は大理石、良く研磨され光沢を放っている。
ホールの中には幾つものソファとテーブルがセットになって並んでいて幾人かのプレイヤーの姿を見ることが出来た。
「ヒノエ様ですね」
不意に背後から声がかかる。
「そうです」
動揺を押し隠しつつ振りかえって返事をする。
そこには彼よりも少しばかり背の低い銀髪の濃紺のブレザーを着た女性の姿があった。
「こちらにどうぞ、お連れ様がお待ちです」
言うと踵を返して歩き始める。
ヒノエは何が起こっているのか理解が追いついていなかったが、疑っても仕方ないと女性の後ろをついて歩く。
ただ、この女性、以前知り合った人物に似た独特の気配を持ち、そして歩く姿から特別な訓練を受けた人間のような隙のなさが伺えた。
あくまでも勘だったが、彼が常に展開している念動、感応複合系のレーダーがそれをより強調していた。
少し歩いた先、柱の傍に並べられたソファに見知った顔が寛いでいるのが分った。
「アトリさん」
ヒノエは手を小さく上げる。
アトリはヒノエの姿を観とめると驚いた顔をした。
「それでは私はこれで」
女性は一礼するとその場から足早に遠ざかっていく。
「ひのっち、昨日ぶり」
笑顔を浮かべるのはアトリだ。
「こんばんわ。で……ここは何なんです?」
ヒノエは向かいに腰を下ろす。
「管理局の最上階ラウンジだって。さっきのお姉ちゃんが言ってた」
アトリは向かいに座るヒノエを見つつも視界の端ではロビー内を写している。
「西区でログアウトしたと思ったんだけどな」
ヒノエは眉根を寄せる。
「それは私も同じなんだよね。何だかイベントのせいみたいなんだけど、別に私らだけじゃないんだよね」
顎をしゃくって後ろを見るように促す。
そこには同じ斡旋所を利用していたのを見たことがある他のプレイヤー幾人かの姿を確認する事が出来た。
誰もかれも、突然姿を現したと思ったら先ほどの女性にどこかの席に案内されている。
その場の多くが一人らしく、所在なさげに端末をいじるか、自身の得物の点検をしている。
「強制リタイアとかですかね」
肩を落とす。
「それは無いかな、リタイアしたプレイヤーはみんな特別エリアに移されてるはず。そこでイベントの観戦してるってさ。ここにはモニタなんてないでしょ」
アトリは肩を竦め、「それに」と視線を巡らせる。
「あっちの扉から直接入ってくるプレイヤーもいるし」
その先には高さ三メートルはありそうな大きな観音開きの扉が見え、今も丁度見知らぬプレイヤーが案内されて姿を現した所だった。
彼はあちこちに傷を負っており、案内役と思われる人物から簡易治療具を受け取ると近くのソファに腰を落として手当し始める。
「参加中のプレイヤー?」
「みたい」
アトリは座ったまま背伸びして扉の方を見つめている。
少しして扉から姿を現したのは二人組、良く見知った人物だった。
「おーい」
アトリは立ち上がり笑みを浮かべ手を振る。
大きな声に視線を集めるが、気にした様子はない。
二人組、イスカとキングタイガー三世はアトリの姿を目にすると手を上げて応えた。
「お前ら、こんな所で何してんだよ」
イサカは近くに来るなりそう言った。
「ログインしたらここだったんだよ」
アトリは席を勧めながら自分の状況を簡潔に伝える。
「僕も同じ、だから状況が今一つわかってないんだ」
「一応、イベントが失敗エンドになりそうなのは掲示板で確認してるけど」
ヒノエの言葉にアトリが続く。
「そうか、戦況なんかはチェックしてるのか」
キングタイガー三世はヒノエの隣に腰をおろし、イスカは自然とアトリの隣へと座る。
「現在敗走中で、プレイヤーの四割がすでに戦闘不能。敵が多すぎるみたいね」
答えたアトリは少し大きめの端末を取り出し指先でスクロールさせている。
キングタイガー三世は頷くと大きく息を吐いた。
「そうなんだよ、数が多すぎて直ぐ乱戦になる。大抵は乱戦からパーティーが機能しなくなってそこから崩れるのがパターンみたいだ。そういうの慣れてなかったり経験したことのないプレイヤーにはキツイだろうし」
現在主流となっているパーティーの立ち回りは感応系技能に秀でたサーチャーと呼ばれるプレイヤーが周囲を警戒しつつ単体の敵を念動系能力をメインに扱う数人が狩る方法で、乱戦を引き起こすような状況は下手なプレイヤーが居るために起こる、避けるべき状況だと考えられている。
このような考えに至るのは安全に効率よく狩をしたいという当然の帰結だろうし、これまでの、既存のゲームの進め方を参考にある程度の攻略体勢を作ったと思えば無理もない。
当然、予知技能が知られるようになればそれも変わるだろうし、この後に控えているアップデートがあるのでどの程度まで効率化されていくのか分からない。
それでもレベル制でも厳密なスキル制でもないこのゲームにおいてはそこまで重要なことではないのではないかとヒノエは考えていた。
特に予知技能を知ってからはそうで、パーティーを組む場合は自ら好んで、乱戦とまではいかないが、複数体を相手にするような戦い方をする様になっていた。
だから共に行動する事の多いキングタイガー三世とイスカが生き残れたのは必然といえる。
暫く、四人はクエスト中出現する敵についての外見的特徴、立ち回りや有効な攻撃、弱点部位等の情報交換をして時間を潰していたが、やがて新しく見つけたゲーム内の景観スポットや隠れた場所にある飲食店などの雑談に移って行った。
雑談を始めてから一時間程経った頃だろうか、ホール内に集められたプレイヤーは二百人近くになっていたが、会話をしているのはそのうちでの数組程度、一人でいるプレイヤーの方が多い。
『長らくお待たせしました。中央にゲートが発生しますのでそちらから移動してください』
アナウンスは女性の声で事務的だったが管理者たちとは違い、感情がある、と感じさせる程度には抑揚があった。
放送が終わるとロビー中央には淡く輝く光の円が浮かび上がる。
大勢のプレイヤー達は待ってましたとばかりに立ち上がると、その円に触れ、光の粒となって姿を消した。
「ようやくか、何があるんだろうな」
イスカは嬉しそうな笑みを浮かべ弾けるように立ち上がる。
「どうせ碌でもない展開だろ」
キングタイガー三世は立ち上がるとロビー中央に出来た光の円に向かって歩き始めた。
二人が円の中に足を踏み入れると他のプレイヤー達同様に光の粒となって姿を消した。
「みんな勇気あるなぁ。あんなの使うの初めてだってのに」
アトリは苦笑交じりにゆっくりとした足取りでゲートへと向かう。
その言葉通り、このゲームには今まで転移ゲートのような便利な機能は存在していなかった。
移動は常に徒歩、もしくは無人稼働しているモノレールを利用する事が多い。
「アトリは偶に躊躇するよね」
ヒノエは隣を同じペースで歩く。
「そんなんじゃないよ」
アトリは拗ねたような口調で言うと目の前の円形の光に触れ、ヒノエもそれに続いた。
1
ヒノエ達四人が合流したころ、管理局本局前の広場では特設ステージが設けられ、前半戦のイベント結果についての発表と後半戦についての発表が行われていた。
巨大なステージ脇には腰より少し高い台が置かれ、その前には銀髪の、軍服を着た女性が立ってプレイヤー達に労いの言葉と前半戦におけるポイント獲得者の上位ランキングを発表していた。
ポイントは事前登録されていた最大八人一組のチームの総合点によってカウントされる。
順位は300位から名簿がモニタに表示されスクロールしていく。
三百位から二百位辺りまでは最大人数のチーム。
三百位以上はイベントポイントの平均値から見てもかなり優秀な成績だ。
が、その順位をしてもある順位からは獲得ポイントが大きく隔たっていた。
その殆どがソロ、もしくはペアのチーム。
それに気が付いたプレイヤーの多くから戸惑いの声が湧き上がり、それが次第に伝染し会場を埋め尽くす。
『上位百五十名のプレイヤー、そして無作為に選ばれた五十名のプレイヤーのみなさんはこの後、イベントの後半では遊撃を担当してもらいます。あ、ちなみに今は別の場所で待機してもらってます』
司会の女性は場のざわめきが収まるのを待つ。
そんな女性司会者は内心では、さっさと黙れこの豚共、とか考えていたが、それを顔に出すような人物ではなかった。
暫く、五分程もかかったろうか、ようやく会場が落ち着きを見せる。
『それでは、後半戦についての説明をさせてもらいます――』
『お待たせしました。それでは今回選抜された遊撃部隊の皆さんです』
管理局本局前、巨大なステージの脇にライトアップされた壇上の前で銀髪の軍服を連想させる制服を着た女性がインカムを通して声を響かせる。
その姿はステージ脇に設置された大型モニターを通して映し出されていて、離れた位置にいる他のプレイヤーにも見えるようにと一定間隔でモニタを設置した浮動装置が高度を保って管理局前通りに漂っている。
画面が切り替わり、映し出されたステージ上は暗かったが決して何も見えないわけではない、ステージ上には誰も居ない事はそれらを見上げるようにして視線を送っている大勢のプレイヤー達には分かっていた。
ステージ上、小さな光の粒が何もない空間から浮かび上がる。
それは次第に数を増やしていき、光の洪水となりあふれ出す。
プレイヤー達は、羨望、嫉妬、無関心、それぞれの感情を乗せて檀上を見上げる。
光は形を作りだし、次第に人の姿を取り始める。
壇上に現れた人物は一人や二人ではきかない。
次第に数を増やすそれは数えていれば一八九人と分っただろうが、この群衆の群れの中でそれを行った者は居ただろうか。
感動からか、純粋な驚きからか、会場は大きくどよめいた。
ヒノエはその時何が起こっているのか理解できていなかった。
ゲートを潜った先が他の、大勢の他プレイヤーの見守るステージ上であることを誰が想像しただろうか。
恐らくはこの場にいる全員の誰一人として予想できた者は居ないだろう。
「みなさん、落ち着いてください」
いつの間に紛れ込んだのか、ホールでプレイヤー達を案内していた女男が居てステージ上に並ぶように誘導している。
不満顔のプレイヤーが何人もいたが、それに倣うほかなかった。
『みなさん、準備はよろしいでしょうか。イベント第二部を開催します』
インカムを付けた女性は鼓舞するような不思議な声でそう宣言した。
静まりかえっていた会場はその言葉によって熱気に包まれあちこちから歓声が上がる。
『今回の報酬は歩合制です。前半戦で脱落した方々も頑張って下さいね』
飛び切りの笑顔で言うと、それに反応した歓声があちこちから上がってくる。
『それでは防衛隊のみなさん、出陣です』
巨大な砲の音と共にプレイヤー達は走り始めた。
その光景を眺めつつ、司会の女性が安堵の表情を浮かべたのをヒノエは横目に見た。
「皆さんは少し待っていて下さい」
プレイヤーの中に混じっていた明らかに運営側の銀髪の男女は押しとどめるように片足を浮かせたプレイヤー達の前に立つ。
「今から説明させていただきます」
インカムを付けていた司会の女性が数枚のプリントを手に小走りにやってくる。
その走り方があまりにも必死だったためか、幾人かが噴き出してその場の空気は少し和らいだ。
「話を聞くのは良いが、その分ポイントレースから出遅れるだろ」
人垣の中から誰かが声を上げる。
その声は少し早口で語気が強めだったが、不の感情は含まれず、むしろ笑いを堪えているような響きを持っている。
「安心してください。遊撃部隊に選抜されたプレイヤーのみなさんは既に他の方々とは別のイベントに参加していると考えて下さい」
朗らかな笑みを浮かべながら(も緊張からか声は上ずっていた)女性は言う。
「それでは概要から説明をはじめよう」
モーニングを着た男性職員は落ち着いた口調で切り出した。
彼らの説明するところによると、遊撃隊と名付けられたヒノエ含む百九十人は防衛隊が敵を中央区の瀬戸際で防いでいる間、押し寄せる魔物の群れの中に入り込んで魔物側の司令塔となる大型個体を斃す事だった。
それらの用をなすために必要な技量を持ったプレイヤーが彼らなのだ。
そして何よりも重要なのは、遊撃部隊に配属されたプレイヤーの競争相手は同じ舞台に立った者達だ。
「先輩、防衛部隊が交戦開始しました」
司会をしていた女性がモーニングを着た男に注げる。
「こちらも丁度説明を終えた所だ。それでは皆、頑張ってくれ」
その言葉に従ったわけではないが、遊撃部隊という一時的な、名称と役割を与えられたプレイヤー達は戦闘への期待感と高揚勘に身を浸しつつ闇の広がり始めた街へと疾駆した。
そんな彼らの姿を管理局本局の中層あたりにあるラウンジエリアから見下ろす人物たちの影があった。
三十名ほどか。
「ひどいものだ」
その中の一人が呟く。
「期待していたわけではないでしょう」
近くの人物がそれに反応して口を開く。
「全くという訳ではないぞ」
「またまたご冗談を」
別の若い男が笑い交じりに言う。
「冗談は嫌いだ。それにしても……この調子だと第二案を使う方向で決定だな」
「余りお勧めできませんけれど、私が蒔いた種も思ったほど広まらなかったみたいですし……納得するしかないのでしょうね」
ため息交じりの少女の声。
「さて、な」
短く答え「ところで」と続ける。
「なんです」
「お前たち早めに用意しておけ。どうせこの調子じゃ防衛線なんぞ直ぐに決壊する」
「はぁ」
若い男は不満そうに生返事をする。
「プログラム弄って難易度を下げると爺様が怒るからな。お前があの説教癖をどうにかできるならここから眺めていても良いぞ」
「分りましたよ、ほら皆も行った」
若い男は渋々、といった様子でその場の多くを引きつれてラウンジを後にした。
「さて、と私はこれから皆のスケジュール調整に入りますので」
と最後に残った一人。
男が無言で頷くのを見てからその場を辞した。
「これは駄目かもわからんな。皆には精々目立ってもらうとしよう」
男の顔には意地の悪い笑みが浮かんでいた。
2
樹海に沈みゆく太陽がかろうじてビル間に日差しの名残を残す頃、その間を幾つもの影が飛び交う。
どれもが中央区と他の区画の間に張られた防衛線のその先を目指していた。
彼らの足元では剣戟の音と激しい爆発音が響く。
「放っておいていいのかなぁ」
アトリは路上に展開された防衛部隊の陣を見下ろす。
今も足元では激しい爆発音が響き渡っている。
蜘蛛は地を這い、決して一定の高さ以上には登って来ない。
「そういう役割ですし」
ヒノエは釈然としないまでも与えられた役割を元に自分の取るべき行動を頭の中でシミュレートする。
俯瞰する風景、普段なら味わうことのできない視点で眺めつつ、足元で繰り広げられる戦闘に意識を向ける。
明らかにプレイヤー側の分が悪い。
用意された敵の能力とプレイヤーの技能がかみ合っていないのだ。
予知技能を得たプレイヤーであれば時間はかかるだろうがそれほど手古摺ることは無いだろうが、見た所彼らはそれぞれの、念動なら念動、感応なら感応に特化しているらしい。
故にか乱戦になると途端に動きが悪くなる。
視界に移り込んだパーティーが一つ数に押されて敗走し始めた。
こんな蹂躙されるような戦闘でよく心が折れないものだ、ヒノエは顔をしかめる。
こんなの、さっさと終わらせよう。
留め金から刀を外すと、オーラを流し込み淡い輝きが刀身を覆う。
「先に行かせてもらいます」
振り返らずに言うと、切先を足先の方に向けたまま頭から敵陣中央に向かって加速する。
狙いは一際体格の良い、群れの中央に居る個体。
距離数メートルに差しかかり体勢を変え大上段に振りかぶり必殺の一撃を蜘蛛に似た化け物に振り下ろす。
瞬間、脇から別の個体が飛び出す。
ヒノエは切先を加速させ、飛び出してきた別の子蜘蛛もろとも切り捨てる。
が、二つに割れた胴体の向こうに見えたのは距離を取った大型個体の冷徹な目。
小さく息を吐くと全身に纏った念動を瞬間的に増幅させ、周囲の子蜘蛛を警戒しつつ間合いを取る。
「話通りあれが指揮個体か」
誰にともなく呟き、刀を閃かせる。
間髪おかずに飛びかかってきた子蜘蛛が四肢を切飛ばされ地面を転がる。
子蜘蛛と言っても体高は人間の大人ほどもあり、まともに見ては気分が悪くなる代物だ。
イベント初日で何度も目にしたはずだが、慣れないらしく、ヒノエの眼には嫌悪の色が濃い。
手足が人のそれである異形の蜘蛛は写真や画面を通した映像であればここまでの嫌悪感は無いのだろうが、実際に動いているものを目の当たりにすると脳の奥で拒否するような歪な感覚に思考の一部を奪われる。
「さっさと倒そうよ」
いつの間にか現れたアトリが隣に立ち小烏太刀型の装具を構える。
刀身からは刃に変換しきれない程の余剰オーラが溢れて輝きの周りに別の揺らぎを作り出している。
「ですね」
念動駆動を最大出力で全身に纏わせると一瞬にして加速、トップスピードへと到達する。
加速されたのは肉体だけではない。
その意識も徐々にだが、駆動状態に合わせて加速されていく。
薄い光を纏う刀身が何度も輝き、大蜘蛛に向かう進路上に切断された子蜘蛛の躯が地面にシミを付けていく。
全方位から間断なく飛びかかる影も二人にとっては枝を打ち払うようなもの。
大蜘蛛を間合いに捉えた時には既に視界を塞がれる程に子蜘蛛が肉の壁となっていた。
「後は任せた」
アトリが更に体を加速すると同時に、その体に纏っていたオーラが爆発的に密度を増す。
瞬間、剣が、それを振るう腕が霞む。
縦横無尽に放たれた刃の嵐は子蜘蛛を無残にも切り裂いていく。
それに合わせてヒノエは跳ぶ。
斬撃の終わる瞬間、逃げる隙も与えず大蜘蛛を捉える。
が、大蜘蛛はそれを見越していたのだろう、ヒノエが跳んだ瞬間に前腕を大きく薙ぐ。
すべてをなぎ倒す一撃。
ヒノエは自然体に構えた刀でただその腕を薙いだだけ。
振り抜かれた勢いと相まって節くれだった関節より手前から切飛ばされたそれは、緩やかに回転しつつ近くの瓦礫へとぶつかり、何かが拉げる音を残す。
「まずは一匹」
硬い声音と同時、大きく振りかぶった一撃は大蜘蛛を真二つに断ち割る。
ヒノエは大きく息を吐きだすと残った子蜘蛛の掃討に移ろうと刀を握りなおすが、視界に映ったのは頭を失い逃げ出す子蜘蛛の姿だ。
「指揮個体を撃つってのはそういう意味か」
これなら勝の目も出てくるだろう。
「次、行こうか」
二人は再びビルの外壁を登り次の獲物を探すために跳んだ。
「へぇ、防衛にまわされた連中とはやはり違うな」
黒煙巻き上がる中、建物の影に身を潜めていた男が呟く。
彼の正面には淡く輝くA4サイズのモニタが宙に浮かんでおり、先ほどからそれに表示されるデータを目で追っている。
かっちりとした紺の軍服を身に纏い、詰襟には階級章のようなものが付けられている。
『あの二人、フィオリエさんがサンプルに使ったプレイヤーですね。あと二人いたと思いましたが……』
どこからか男に返す声が聞こえる。
どうやら近くに潜んでいるらしい。
「同じようにペアで動いてる。さっきからかなりのペースで指揮個体を狩ってるペアがそいつ等だろ。失速しなけりゃ上位に食い込めるんじゃないのか」
『ああ、確認しました。動きは少々雑ですけど映えますね』
楽しげな声。
「見学に行きたいところだが、あっちのエリアには上長が居るからな」
男は苦虫をかみつぶしたような顔を浮かべると懐から煙草を取り出す。
『行ってきてもいいですよ。少しの間なら僕一人でも十分カバーできます。恐らく、彼らが手古摺る様になるのは指揮個体が半数を下回ってからでしょうし、時間的な余裕ならいくらでもあります』
「お前、わざとだろ。そんなことしたら上長の小言を聞かなきゃいけなくなる」
肩を落としつつ煙草に火をつけた。
『慰めてあげますよ』
「よせよ、気持ち悪い。さ、次のポイントに行くぞ」
男は建物の影から姿を現すと馴れた動きでビルの壁を登り始めた。
軽やかな足取り、吹き降ろす風に雑に撫でつけられた銀髪が激しく揺れるが、彼の動きに影響はない。
「で、どうします? 二時方向、指揮個体三と交戦を開始したソロプレイヤー。それと先ほどのペアが十時方向にて大型指揮群と交戦開始」
男がビルの屋上にたどり着くと、似たような軍服を身に纏い肩口まで伸びた髪をなびかせた少年が複数のモニターを眺めながら告げた。
大型指揮群とは指揮個体が十以上からなる群れの事だ。
「フューリー、どっちが面白そうだ?」
少年、フューリーは少しの間モニターを眺めてから、うち一つを指さす。
「どっちも基礎能力は及第点だけど、こっちかな」
二人組の姿の映し出されたモニタ男の方に投げてよこす。
「ああ、さっきの……つーか、良くヤツらを見つけ出せたな。中央区から相当距離あるぞ」
「ヒノエ君の索敵能力が凄いんですよ」
モニターに映る黒髪黒目、黒服の青年を指さしながらフューリーは言う。
「なんだ、あのババアが何かしたのか?」
「違いますよ。あ……」
「どうした」
「いえ、三個体に突っ込んだ彼なんですけど……」
フューリーは笑いをかみ殺している。
「何だ?」
「ロストしちゃいました」
「早いな」
「防衛組が残して行った不発弾で足を取られたみたいですね。可哀想に」
すぐにその部分の映像を取り出してモニタに表示する。
長剣を片手に雑魚を散らしつつ指揮個体を一体屠った所だ。
立ち回り自体は悪くはない、が、体勢を整え直すために足を付いた瓦礫の隙間に鈍く輝く円筒形の金属塊が埋もれている。
瓦礫の上から芯管を刺激してしまったのか激しい爆発と共に瓦礫のつぶてと共に男は投げ出され地面に膝をつく。
見れば膝から下がなくなっているのが分るだろう。
子蜘蛛はそんな事を気にすることもない、群がり、男を覆っていく。
男は長剣を振り回し子蜘蛛を散らすが、足の使えない状態では子蜘蛛の死体が次第に男の動きを制限していき、数十秒後には大型個体によって体を貫かれ絶命した。
「運がねぇなぁ。ご愁傷様」
「という訳で、どちらにしろ行き先は決まりましたね。行きましょうジェスティスさん」
ジェスティスと呼ばれた男は「そうだな」応えるとモニタに表示されたマップを元に二人組の戦っているエリアを目指した。
刀を振るうたびに、足元には体液をまき散らす不快な肉の塊が積み重なっていく。
念動駆動により、常人を遥かに超えた身体能力と、感応知覚により、はるかに研ぎ澄まされた五感と新たに得た第六感が作用し絶え間なく襲い来る魔獣を両断する。
刀を振るう二人は無言。
軽口を叩く余裕がないことは表情を見ていればわかる。
終わりの見えない殺戮は、無心となった心と、体が機械的に反応することで成り立っていた。
既に、肉を経つ不快感も、空想の産物とはいえ生き物、それに酷似資するように造られたデータを相手にしていると言う嫌悪感もなく、ひたすら、ただひたすらに刀を閃かせる。
「凄まじいものだな」
ジェスティスは無表情のまま呟く。
「彼らの実力では蹴散らすまでには至りませんから、ああなるのが当たり前なんです」
開きっぱなしのモニターであれこれと確認しつつフューリーは言う。
彼らには一撃で状況を打破できるような手はなく、手にした得物では順当に敵を屠る以外の選択肢はない。
これは現時点で他のプレイヤーも同様に課せられた枷だ。
「どうする? 今彼らの前に出て行けば強烈な印象を与えられると思うが?」
ジェスティスは悪戯っぽく笑う。
フューリーは少し考えてから小さく頷く。
「待ってください、会場のメインモニタにこちらの映像をリンクさせます。リタイアした防衛組もかなりの数が観戦に切り替えてますし……観客もばっちりです。彼らがピンチになったら出て下さい。恐らく十五分前後で機会は訪れますので」
「十五分って、えらく具体的だねぇ」
「もうじき、さっきの撃ち漏らしの二体の率いる群れが彼らの背後から合流しますから」
平坦な口調だ。
フューリーはモニタに表示される幾つもの流れる文章を目で追い続けながら言う。
「うん、例の二体は、こちらの群れの指揮下に収まりましたね。移動ルートが最適化されて交戦までの時間が短縮されました。行動は五分程短縮されますね」
「そ、そうか。連中も災難だな。というか大丈夫なのか?」
「ええ、問題なく、予定通り合流しますよ」
「そうじゃない。二人は耐えられるのかと聞いてるんだ」
「そこは、ジェスさんの頑張り次第ですよ。そろそろ二人も新手の接近に気が付く頃です」
言葉通り、眼下の二人は互いに背中を預けるようにと戦い方を変えている。
二人は時々アイコンタクトをしながら位置をかえ体力の温存に務めているらしい。
「ちゃんと考えてるみたいじゃないか」
ジェスティスの口元に笑みが浮かぶ。
「そろそろ準備しといてください。敵の増援が来ます」
フューリーはモニターから目を外し、眼下の二人の居る通りに繋がる別の通りへと顔を向ける。
焦げ臭さと生臭い空気の入り混じった不快な風が下から湧き上がってくる。
「わかってるよ」
ジェスティスは答えながらモニターを操作する。
操作が終わると、ジェスティスの背中辺りから半透明の甲冑に覆われた巨腕が現れる。
その手には身の丈の倍以上ある肉厚の巨剣が握られている。
巨剣の表面は茜色の光が幾何学模様を描き輝いている。
「随分派手ですね」
フューリーは感心した様子で男の姿を眺めている。
「第二案用の装備サンプルだそうだ」
ジェスティスが肩をまわしつつ手の握りを確かめてみると、それに合わせてその腕が連動して動く。
「へぇ、僕のとは随分と違ってますね」
「くじ引きらしいからな、みんな違うんだと」
「げ、いい加減だなぁ」
「今更だろ。ちょっとマニュアルに眼を通すからヤバそうになったら教えてくれよ」
ジェスティスはモニタを操作し取扱いマニュアルを呼び出す。
「もう、早くして下さいよ」
フューリーはわざと大きくため息をつくと眼下の戦場を見下ろした。
早く終わらせようという焦り、そして、初戦の手応えからのはずみの行動だったが、子蜘蛛の数、そしてそれを指揮する群れのボスの知略の凄まじさにヒノエとアトリは後悔をする暇も与えられず飲み込まれようとしていた。
かろうじて生死の境目において紙一重で生を踏んでいるにしか過ぎない。
その実感が彼ら二人の精神を気づかない部分からむしばんでいた。
ほんの一週間前までは怖いほど整然とした街並みがあり、森に探索に向かうプレイヤーや街路の清掃をする使い魔を見かけられたが、今は崩れたビルの外壁が道にはみ出し瓦礫に埋もれている。
指揮個体であってもビルを破壊する程の力や知恵を持つ個体は見られないことから撤退戦をしていた頃に、どこかのプレイヤーが足止めに爆破して回ったのだろうと想像がつく。
プレイヤーの中には『ボンバーマン』と揶揄される爆発物をやたらに好む連中が居る。
過剰なまでの爆薬を用いて魔獣を爆殺することにロマンを見出すイカれた連中だ。
ヒノエは無残なまでに破壊された区画を視界の端に捉えつつも感傷に浸ることは許されなかった。
眼前には子蜘蛛の群れが波の様に押し寄せる。
気を抜けばどのような死が待っているのか。
死への恐怖を振り払いつつ刀で死を積み重ねていく様はある種の狂気を想起させる。
そんな彼の目元が細められ一瞬あたりに視線を巡らせる。
「アトリ、新手が」
素早く、しかしはっきりと声を大にして。
「わかった」
アトリは声の主を見ようともせずに子蜘蛛を次々と屠りつつ答える。
アトリは短く息を吐き、心を鎮める。
そんな少しの行動に、思いの外自分が冷静な部分を保っている事を確認して、より戦いに没頭していく自身の手綱を握りなおす。
「ここも駄目みたい、移動しよう」
アトリは剣戟の隙をぬって足元の死体を蹴り飛ばす。
既に足元は蜘蛛の死体から溢れる白濁した体液と甲殻片で埋め尽くされている。
「わかってる。先導する」
ヒノエが素早くあたりを探り動く。
この判断、パーティーで遊んでいた頃の移動しながら戦う、という経験が活かされていた。
できるだけ敵の手薄な場所を探し、足場を確保しつつ十分な戦闘距離、空間、視界の確保ができる場所を更に絞り込む。
それを激しい戦闘をこなしつつ行う。
壁が使えれば、ヒノエは悪態を吐きそうになるのを堪える。
足場が次第に使えなくなるのなら、念動を駆使し、壁に立って戦えばと序盤に試したのだが、それを見計らっていたのか、後衛に控えた中型の蜘蛛が粘性の糸を飛ばしてくる。
その為、大きく間合いを取ろうとしても跳躍できず、ずるずると消耗戦に引き込まれてしまっている。
数が減る気配もない。
それどころか、増援すら近づいているのを感じ取ってしまっている。
何とか、増援が合流する前にこちらの体勢を整えたい。
「イスカ達は」
アトリが背中越しに尋ねる。
「向かってくれてるけど、別の群れに捕まったって」
驚くほど冷静な口調。
「そっか、ここをなんとかすればポイントレースは頭一つ抜け出せるんじゃないかな」
アトリの声からは出来るだけ不安を呼び起こさないようにする気配りがあった。
ヒノエは薄く笑みを浮かべ頷く。
アトリからは見えないだろうが、息遣いから分ったらしい、小さく笑う声がヒノエには聞こえた。
瞬間、建物の暗がりから一際巨大な腕。
思考の寸断。
視界は目まぐるしく回転し地面の硬さが背を打つ。
殺到する子蜘蛛。
ヒノエは短く息を吐きだし、素早く立ち上がると状況を確認しつつ必死に剣を握る腕を、足を動かす。
少し離れた場所には巨腕に捕まれたアトリの姿。
跳ね上がる心臓を押さえつつ、手にした刀を念動の力を込め投射する。
音速を超えたそれは、アトリを掴む手を根元から切飛ばした。
そして相棒を自由にする代わりにその身を、文字通り半ばから砕いた。
アトリは緩まった束縛から脱すると体勢を整えつつ着地し、周囲を薙ぐように刀を振るう。
足元には追いついてきた子蜘蛛の躯。
伏兵。
暗がりから湧き出す様に子蜘蛛が這い出す。
「さっきまでは居なかったはず」
思わず口走っていて気が付く、こちらに近づいていた増援、あれが気配を消して回り込んだのか、と。
「気を付けて――」
アトリの声にヒノエは我にかえる。
アトリは足元に転がる刀を視界に捉える。
刀は半ばよりへし折れていたが、今は何もないよりましだ、アトリはそう判断し、ヒノへの方に蹴り飛ばした。
ヒノエはそれを念動を使い引き寄せると再び敵を切る。
が、折れた刀は想像以上に扱いにくい上に、切れ味もほとんどなくなっている。
くそ、悪態を吐く。
予備の武器はない。
迷っている暇はない。
瓦礫の影からは、新手の指揮個体が二つ、従えるようにして足元には地面を覆う子蜘蛛。
「―――っとに容赦ないな」
ヒノエは全ての膂力を込め、念動を駆使し、再び刀を投擲。
一撃はほんの瞬きの間に指揮個体へと到達する。
だが、それも飛び上がった子蜘蛛が盾となる。
刀に込められた運動エネルギーと念動エネルギーをまともに受けたそれは弾け、肉片をまき散らした。
ヒノエは小さく息を吐くと腰を落とし半身に構える。
徒手による攻撃。
突き出される拳は念動駆動により破壊の力を増し、子蜘蛛を打ち据える。
万一の事を考えて無手格闘系の護符を装備しているとはいえ、いかんせん刀程の習熟がないために効果的な一撃となるものは少ない。
お互い再び陣形を組もうとしているが、上手くいっていない。
焦りは次第に心の中に巣食い直ぐに膨れ上がる。
まず、動きが荒くなる。
念動駆動は自らの身体との連携を失い、効果的な攻撃が行えず子蜘蛛を散らせど、息の根を止めるには至らない。
眼前に出来つつあるのは肉の壁。
ヒノエは、アトリは歯噛みする。
数に押され、次第に動きを封殺され、自分達の敗北を意識し始める。
念動を纏った徒手による打撃。
子蜘蛛を打つも余程丈夫なのか、体のつくりが単純故に打撃に強いのか、理由は分からないが、それらは弾き飛ばされても宙で体勢を整え跳びかかってくる。
死への恐怖感、と表すればいいのか、焦りがそれに変わる。
まるで灯りのスイッチを切る様に暗転するように、腹の底の熱さが冷たさに変わる。
拳打を放つ気合の声が、ただの叫びに変わる。
「ヒノエ」
焦燥交じりの擦れ声がその名を呼ぶ。
恐怖に飲まれかけていたヒノエの耳に、不思議と良く通り、普段以上にその存在を確かなものにさせる何かがその声にはあった。
戦いの最中にも関わらず、子蜘蛛の応酬を巧みに身を躱しやり過ごしつつアトリはヒノエを見た。
その瞳、更にその奥、心の底を覗き込むような透き通った瞳で。
感応系の能力には、伝心技能が存在する。
簡単に説明すると、特定の感情を対象となる人物に伝えたり、更に複雑化すればテレパシーの様に具体的なメッセージを送ることが出来るようになる小技のようなものだ。
まぁ、プレイヤーの多くにはそういう技術は地味なので余り知られていない。
中には気当て、殺気をぶつける、のように実戦で使う者もいるが少数。
アトリもそういった、気当てを良くやって敵を引き付けたり、怯ませたりといった使い方をする。
人に使ったのは初めてだったけど何とか気が付いてくれた、アトリは肉壁の隙間から見えたヒノエの瞳を見てそう確信した。
伝心に乗せて伝えたのは安心感、冷静さを取り戻せるように、心を清めるイメージ。
ヒノエは淀んだ空気の中に凛とした鈴の音を聞いた思いだった。
焦燥、恐怖は過ぎ去り、自身の視界が晴れ渡る。
平静を取り戻した後は、念動駆動も、拳に乗せるエネルギーも見違えるほどに力を取り戻していた。
それだけではなく、拳に乗せるエネルギーを瞬間的に高めることにより、一撃、とまではいかないが確実に子蜘蛛共を屠っていく。
「おいおいおい、どうすんだこれ。持ち直しそうだぞ」
ビル群の頂から見下ろす男、ジェスティスは困ったように、しかし笑みを浮かべて言う。
つい数秒前は敵の波に押しつぶされそうだったのに、だ。
完全に飛び出すタイミングを失ってしまった。
「まぁ、こういうこともありますよ」
フューリーはのんびりとした口調、周囲に展開したモニターでこの場で行われている戦闘の、数値化された情報を眺めている。
「どうやら、土壇場で集錬法を見つけたみたいですね」
集錬法、装具を用いずに無手、あるいはオーラに適正の無い武器を手に戦う念動を使った戦闘術の一種。
念動を高密度に纏め上げ、打突、斬撃に合わせて収束させ打ち出す。
射程は短いが、その収束された念動の破壊エネルギーは大口径のスラッグ弾を上回る。
データを見るに恐らく今まで無意識に、先程の投擲のような方法で、使っていたのだろうとフューリーは推測する。
「案外倒し切っちまうかもな」
ジェスティスは少し残念そうに言う。
「あ、その点は問題ないですよ。彼、すでに全力以上で戦ってますから電池切れ目前です」
画面の隅、恐らくはヒノエのステータスを表すであろう数字を指さす。
数字、彼の肉体が生み出すオーラと体力を示す、は警告を示す色で赤く点滅していた。