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プラスA  作者: むしきんぐ
箱庭ーpsycraft
2/10

魔人(上)

 『箱庭』と呼ばれるゲームがサービスを始めてから三日ほど経っていた。

 その間に多くのプレイヤーを驚愕、もしくは戸惑わせたことが幾つかあった。


 一つはこの世界にNPCが殆ど存在しない事。 


 斡旋所や各種施設を管理する者達。

 そのいでたちが奇妙この上なく、プレイヤーの多くは中々親近感を覚えられずにいた。

 ただ一つの例外なく、目元を覆う仮面を付けており、コミュニケーションは取れるものの無感情で機械的な印象を与える存在。

 プレイヤー達は皮肉を込めて『管理者』と呼ぶ。

 そして彼らに使役される『使い魔』もNPCと言えばそうだろう。

 外見はフードつきの上着を着た半透明の子供のような存在で、会話はできないがこちらの要望に応える程度の知能を持っている。

 『使い魔』とは『管理者』に使役される存在で、それを見たプレイヤー達が名づけた俗称であり、公式にはその存在の名称は公表されていない。

 プレイヤー達の不満は、これらのNPC以外に世界観を構成するNPCが存在しない事。


 

 一つはゲームなのに痛みが存在する事。


 どのような技術を使っているのか、大凡見当がついている。

 最初にゲームを始めるための準備として、プレイヤーは体内にナノマシンを入れている。

 口から体内に取り入れるタイプの物で、注射などは必要としない。

 説明書によると、VR没入現象による身体機能の低下を防ぐための予防措置を含む、と書かれてある。

 ナノマシンを投与することにより、意識が肉体を離れた際、つまり、VR世界で活動する最中に肉体の生理現象をある程度制御する事で長時間のプレイを可能にしている。

 そのナノマシンが疑似的に外部から刺激を受けた時と同じ現象を脳に認識させ、痛覚含む五感をVR空間内で再現している、つまりはそういう事だ。

 痛覚を別の感覚におきかえる事が出来るアイテムがゲーム内で販売されているが、運営側からすると痛みがあることを前提としてゲームのバランス調整を行っていることが不満の原因となっている。


 最後に、現実に近すぎる事。


 仮想現実世界はプレイヤー達以外の人間が存在しない点、隔絶された世界、という点を除いて現実とほぼ変わらない。

 重力に支配され、距離と時間によって制限されるこの世界が気に入らない者は多い。

 

 だが、何故か彼らはログインすることを止めない。

 





 1


 西区にあるビジネス街。

 シンプルな外観のビルが立ち並び、所々に商店舗も散見される。

 殆ど住人が存在しないにも関わらず、その景観が保たれているのは『使い魔』達が与えられた命令によって維持管理しているからに他ならない。

 今も箒を手に街路樹から舞い落ちた葉を掃き集めていた。

 そんな彼らの傍を数人のプレイヤー達が雑談をしながら通り過ぎる。

 現実世界でどこかの街にでも行けば目にするような格好をしていたが、一方で背や腰には思い思いの武具が携えられてるのが異様に思われる。

 法律で刀剣の所持が禁止されている日本に住み暮していれば、特別な、イベント等の時以外は滅多に見る事のない光景だ。

 だが、ここはゲームの世界。

 現実での非日常がここでは日常になる。 

 そんなプレイヤー達の中に学ランに身を包み、黒髪黒目、平均的な日本人の特徴を持つ爽やかな印象を周囲に与える青年がいた。

 彼の名前はヒノエ。

 腰には一振り、刀が差してある。

 彼は斡旋所で偶々知り合ったプレイヤーとパーティーを組み討伐クエストを終わらせてきた帰り道だった。


「今日は楽が出来たよ」


 背にウォーハンマーを担いだ小柄な女性が満足そうに笑みを浮かべている。

 金髪ツインテール、くりくりと良く動く目、ヒノエの知る人物ほどではないが、やはり美少女だった。


「みなさん、立ち回りの相性が良かったみたいですね。どうです、もう一つクエストに行きませんか?」


 ソフトスーツに身を包んだ精悍な顔つきをした青年が提案する。

 彼も顔立ちは良く、スポーツをやっていそうな印象がある。

 パーティー内の誰もがそんな感じで整った顔立ちをしているのだ。

 ヒノエも人の事は言えないのだが、こういうのを目にすると、何だか落ち着かない気持ちにさせられる。


「いいですね、こんなに相性がいいパーティー何時組めるか分からないですし」


 メンバーが口ぐちに賛成を唱えたので、話題は既に次に受けるクエストをどうするかに移っていた。

 

「すみません、僕は約束があるので……」

 

 ヒノエはそんな彼らに対して申し訳ないと思いつつ切り出した。


「そうだった、ヒノエさんは最初に言ってたもんね」


 ウォーハンマーを担いだ少女が残念そうに言う。


「はい。また機会があればお願いします」


 ヒノエは彼女らと連絡先を交換すると、中央区に続く通りで別れ、去っていく彼らの後姿を眺めていた。



 ゲームのサービスが始まってから三日。

 どのような技術が使われているのか、このゲーム内ではすでに倍以上、三週間近くが経過していた。

 現実世界と同じように体を動かし、操作する、最初は刀の持ち方も知らなかったヒノエだが、こんな短期間で戦士として動けるようになったのは『護符』と呼ばれる装備アイテムの存在のおかげだった。

 『護符』は装備できる数に限りがあるが、その護符に対応した技能、知識を即席で得ることができる夢のような装備アイテムだった。

 そのおかげでヒノエは既に剣士としては一流の技術を身に着けており、後は『念動』や『感応』の応用技術をその立ち回りに上手く組み込んでいくだけ。

 これはヒノエが特別という訳でもなく、他のプレイヤー達も同じだった。

 問題はその技術を十分に使いこなすための経験と研究が必要なのだが、それに気が付いているプレイヤーは少ない。

 その点で言えばヒノエは少数の方に含まれるだろう。

 先ほど一緒にクエストを受けたプレイヤー達もその少数で、だからこそ討伐クエストを楽にこなせていたのだ。

 

「なかなか可愛い娘の多いパーティーだな」


 背後から聞きなれた低音質の声が響く。

 振り向けば、銀髪に褐色の肌をした青年と人形のような印象を受ける黒髪の少女が立っていた。

 銀髪の青年はキングタイガー三世、彼を知る人からはキンタと呼ばれている。

 黒髪の少女はイスカ、自由に姿を決められる箱庭世界の中にあっても飛び抜けて美しく蠱惑的だ。

 この後、落ち合う約束をしていた人物がこの二人。


「私の方が可愛いけどな」

 

 イスカは自慢げに笑みを浮かべるが、キングタイガー三世は苦笑するだけだった。

 先日とは服が違っていて、羽織袴にブーツ、日傘をさした格好で、昔の女学生のようななりだった。

 

「待ち合わせにはまだ時間がありますけど、どうしたんですか?」


 予定だと二人に会うのは中央区の管理局本局前の喫茶店だったはず。


「なに、コイツが図書館に行きたいって言うから早めに出たんだ。お前こそまだ時間があるだろうに」

  

 キングタイガー三世は隣に立つイスカの頭に手を置く。

 イスカは嫌そうにその手を払いのけ、それを見たヒノエは吹き出しそうになるのを堪えている。

 

「実は、装具開発用の素材が揃ったので先に造ってしまおうと思っていたんです」


 装具とはゲーム独特の武器の総称で、簡単に説明すると『オーラ』を使用することを前提に造られた専用装備のことだ。  

 

「おお、ついにか。何時までも造らないから、そういう縛りでもしてるのかと思ってたよ」


「僕はそんな縛りが出来る程の腕前は持っていないですよ」


 プレイヤーの中には修行と称して専用武器を開発しなかったり、武器を使わず素手だけで化け物を屠ってしまう強者もいるのだと聞くが、自分には到底そのようなまねはできないと判っているのだ。


「冗談だよ、また後でな」


 ヒノエは二人と別れると『特殊武器開発局』へと足早に向かった。



 『開発局』と省略して呼ばれるそこは、中央区の南側の商業施設の近くに位置し、常に武器の開発や研究をするプレイヤーが詰めかけている。

 装具は基本的に各プレイヤーが自分達で制作することを推奨しており、『開発局』では必要な機材の貸し出しの他、素材アイテム、加工品等の保管、加工手順や基本構造等をレクチャーしてくれる専用の『管理者』も存在する。

 そこまでやっても、実際に自分の手で装具を製作するプレイヤーは半分にも満たない。

 ヒノエはこれまでに何度か訪れて装具を構成する部品の加工を行っていたのだが、見かける顔ぶれは大凡決まっていた。

 武器づくりを趣味にしている者、仲間から乞われて製作を行っている者、それを生業にこの世界を立ち回ろうと研鑽する者、それぞれの理由を持ってこの場所に来ている。

 ヒノエの様に自分の手で……、と言うのは早くも少数派になっていた。

 ヒノエは局内にある預かりカウンターでこれまでに加工しておいた部品を取り出す。

 こういうところはゲームらしく、端末でアイテムを指定すると、待たずに机の上にそのアイテムが現れる仕組みになっていた。

 

「おいすー。ヒノっちー」


 受け取ったアイテムの確認をしていると、気の抜けたようなのんびりした声が聞こえ、横合いから二十歳くらいの女性がヒノエの顔を覗き込んできた。

 非常に豊満なバストとくびれた腰、下手なグラビアアイドルよりもずっと可憐で美しい女性だった。

 見てくれは非常に美しいのだが、それはゲーム内の話であって現実では30代半ばの男性との事で、非常に残念な人物でもあった。

 何故自分が知りあう人物はこんな人ばかりなのか、サービス二日目の中頃非常に悩んでいたが、今は割り切って、これも一応は女性だ、と考えるようにしている。

 疑心暗鬼に陥って本来が女性のプレイヤーに当たってしまったときに非礼を働いてしまうのも嫌だと考えた末の結論だった。

 ともかくとして彼女もまた、ヒノエと同じく自身の扱う得物を人に頼らず作る事を目標に掲げており、『開発局』での装具製作の良い相談相手となってくれていた。


「こんにちは、相変わらず元気そうですね」


「そりゃヒノっちに久々に会えたんだからテンションあがっちゃうよ」


 にっと唇が美しい弧を描く。

(この人は何時もこんな調子だな、おかげで構えずに話が出来るが……)

 せめて中身相応の振る舞いをして欲しいと思う事がたまにある、ヒノエとしては悩ましい所だ。


「久々も何も昨日会ったじゃないですか」


 昨日とはゲーム内時間・・・・・・・・での昨日の事だ。

 現実世界に置き換えれば三時間と少しだ。


「むー、相変わらずの真面目君だなぁ」


 腕組みしながら詰まらなそうにヒノエをじっと見つめる。

 

「別に真面目じゃないですよ。それより、僕は今日で装具が完成しますけど、アトリさんの方はどうなんです?」


「私? 実は完成してるんだ。でも、ヒノっちに会いたくてさー」


「何だか、アトリさんに言われると素直に喜べないですね……」


「むぅ、これが差別と言うヤツなのかねぇ」


 残念そうに言う。

 

「で、本当はどうしたんですか?」


「だからーヒノっちに会いに来たんだよ。完成品見せようと思ってさ」

 

 アトリは肩にかけていた長手のケースを降ろし、中身を取り出す。

 小烏太刀と呼ばれる、刀身の半ばから切先までが両刃の構造。

 それを模した武器だという事が分った。

 だが、これは普通の刀と違い鞘は無い。

 なぜなら装具には構造上刃が存在しないから必要ないのだ。


「変わった刀ですね」


「まぁね、刀使う人多いからちょっと凝ってみたのさ」


 アトリは刀を持つとオーラを流し始める。

 刀は微細な振動を放ち、本来刃のあるべき部分が仄かに輝いて見える。

 装具とは、『念動』や『感応』能力に変換しきれない余分な、垂れ流されるオーラを使い作動させる武器であり、装具の機構によって変換されたオーラが刃として機能する構造になっている。

 込めるオーラによって強度や切れ味が大幅に変化するのも装具の特徴だった。

 装具は機能としては似たり寄ったりだが、形状を自由に決められるのでプレイヤーは思い思いの得物を作り出す。 

 この箱庭は日本人ばかりなのでどうしても刀タイプの装具を求める人が多い。


「なるほど」


 切先から刀身の半ばまでが両刃の構造は見る人の興味をそそるだろう。

 ヒノエは、急に自分の造ろうとしていた装具があまりにありきたりの物に思えてきたが、既に準備は整えられていて今更変えるわけにもいかなかった。

 これまで使っていた刀も、制作する装具に合わせて重さや反り、などこれから組み上げる装具に合わせて調整していたのだから。

 アトリは出力していたオーラを収めると、先程のカバンの中に刀を仕舞い肩に担ぐ。


「じゃ、行こうか」


 どうやら、ヒノエが装具を組み上げるのを手伝ってくれるらしい。


「先に言っておきますけど、あんまり期待しないで下さい」


 ヒノエは加工部品を貸出トレーに入れると抱えて歩き出した。

 トレーの中には刀の刀身部分と思われる金属板や柄、鍔等が入っていたが、用途不明の部品も幾つか見つけることが出来る。

 刀身より若干短い黒色の金属の棒で、刀身部分のパーツと同じくらいの隙間がつくられている、や小指ほどの大きさの楕円形の宝石のような石がそれだ。


 受付で事前に工作室の使用許可手続きを済ませると、工作室にむかい開いている作業机を探した。

 室内には数名のプレイヤーが機材を使って装具の製作を行っている。

 作業机は半分近くが空いている状態だ。


「また人が減ったみたいですね」


「みんな自分の使う装具は完成させちゃったんでそ。私らが遅い方なんだし」


 アトリは苦笑気味に漏らす。

 判ってはいたことだが、実際に目にすると妙に物悲しく思えてきてしまうのだ。


 二人は中ほどにある机に荷物を置き、機材を棚から取り出し始める。

 小型の万力に似た道具に刷毛に受け皿。

 

「ここまで完成してたのに、まだ組んでなかったんだ」


 アトリはトレーの中の部品を眺めつつ呟いた。


「接着用の溶剤を後回しにしてたんで手が付けられなかったんですよ」


 ヒノエは腰のカバンからビンの容器を二つ取り出し、ラベルをアトリに見せる。

 

「ああーそれねー、何気にメインコアに次いで金使うからなー」


「お蔭で素材が揃ったのがさっきです」


 ヒノエは二つの瓶を取り出すと、受け皿に取だし混ぜ合わせる。

 それから刀身部分と楕円の宝石を取り出す。

 宝石はメインコアと呼ばれる、装具に装具としての機能を与える装置の中心、といったものでこれの造りが甘いと出力が不安定になったり、まともに刃の形成されない残念な装具が出来上がってしまう。

 このメインコアは3つ試作したうちの一つで一番出来が良い。

 なかごの中ほど開けられた穴、宝石メインコアが収まる大きさ、に刷毛を使い溶液を穴の内側へと塗りつけると宝石をはめ込む。

 それから、刃の生成される部分を避けて持ち、オーラを流す。

 オーラは宝石部分に吸い込まれるようにしながら、徐々に刀身部分にも広がっていく。

 この時に、溶剤がオーラと反応し部品と部品を接着するのだ。

 固定されたのを確認すると今度は峰の部分と刀身の三分の二の広い範囲にかけて溶剤を塗る。

 それから黒い厚みのある部品の隙間に差し込んでいく。

 刀身全体を覆う事で強度を出す為のパーツで、モンスターからの攻撃を刀身で受けなければならないときの本体の耐久度に影響する。

 部品同士の間に隙間が出来ないように万力で締め付けつつ、今度もオーラを流す。

 

「いやー手馴れてるねぇ」


 アトリは机に頬を付けながら作業を眺めている。


「そんなわけないでしょう。これが初めてなんですから」


 そんな印象を与えてしまったのはこれまで散々他のプレイヤーが作業している姿を眺めていたからだろう。

 ヒノエは鍔と柄をはめ込むと目釘を打ち込んだ。


「あれ、そこは接着しないんだ」


「ええ、鍔のデザインが決まらなくて。一回決めちゃうと別の溶剤も用意しなくちゃいけませんし」


 これ一つ作るのにも馬鹿にならない金額が掛かっているのだ、今は経費削減しなくては、と言うのが理由に含まれていた。

 まぁ、このゲーム、装具製作以外にお金をかける部分と言うのがいまいち見当たらないのでもう一振り作っても良いのだが、今はそんな気が起こらない。


「それじゃ、試し切りに行こうよ」


 アトリは待ちかねたとばかりに立ち上がる。

 中々に物騒な発言だが、試し切りは必要なことだ。

 ちゃんと各種機能が作動するかを調べておかないとクエストの最中に困ったことになってしまう。

 とはいえ、今からだと待ち合わせの時間にかなり中途半端になってしまう。


「すみません、実は……」


 ヒノエは切り出すのだった。





 2


 中央区の各種施設が密集する『管理局本局前通り』には斡旋所の支部のある他地区よりもプレイヤーが多く集まり、街らしい人通りを見ることが出来る数少ない場所だった。

 そんな一角に『大図書館』と呼ばれる施設がある。

 図書館には、古今東西の言語で書かれた本が収められていて、クエストに飽きてきたらそこで本を読んで時間を潰すこともできるようにくつろげるスペースも設けられている。

 キングタイガー三世とイスカは図書館の奥の方、人の余りいない場所にいた。


「イスカが勉強熱心だとは知らなかったよ」


 キングタイガー三世は書棚に収められた本の壁を見上げながら呟いた。


「皮肉か?秀才様」


 イスカは手にした本を数ページぱらぱらと捲ると直ぐに書棚に戻す。

 どうやら思った本とは違ったらしい。


「秀才、か。俺は必要だから勉強したに過ぎないんだ。お前もそうだったろ」


 入った学部は違えど、お互い一年程前は大学受験で幾つも問題集を解いていたものだ。


「ふん、お前が医者になったら精々たからせてもらうさ」


 言うと別の本を抜き出して目次を熱心に見ている。

 イスカの持つ本のタイトルは見た事のない文字で書かれていてキングタイガー三世には読むことが出来なかった。

 むしろそこに書かれた文字を読めるか読めないか以前に、見たことがない、という事実が不思議だった。


「お前は読めるのか?」


「ああ」


 短く答えると、顔をしかめて本を閉じそのまま棚に戻してしまう。

 またも狙いとは違った本だったようだ。


「これって、何処の言語だ?」


 聞きつつも大凡の見当はついていた。


「ここの言語。古代語ってカテゴリみたいだ」


 つまりゲームオリジナルということだろう。


「古代語? 太古の言葉とかそういうアレか。と言うか何でお前読めるんだ」


「護符の効果に決まってるだろ。まさか一発でアタリを引くとは思わなかったけどな」


 ニヤリと笑う。

 どうやらこの言語に対応した護符に当たるまで試し続けるつもりだったらしい。


「それで、何が分るんだ?」


 イスカは少し考えてから、


「別に。読める本が増えるくらいじゃね? この本なんてリザードマンのメイドが雇主と不倫するエロ小説だったし、こっちのはメスのスライムと生活する青年の恋愛小説だし……」


「は?そういう本探してたのか?」


 コイツの妙な性癖を満たす為に時間を割かれていたとするならこれは許しがたい状況とも言える。


「違う、そこの上、危険とか注意とかそういう意味の看板が出てたんだよ。大抵重要な情報ってそういうキーワードで保護されてたりするだろ。特にゲームでは」

 

 イスカは書架と書架の間に天井から吊り下げられた看板を指さす。

 どうやら未成年者に対する警告を見間違えてしまったらしい。

 装備したての知識系統の護符には良くあるミスで、例えるなら漢字、読みや大雑把な意味は理解できるが、細かな意味や状況による使い分けが直ぐには理解できないような感覚に近いだろう。

 対応した知識や技術を使い込んでいけばそのようなミスはなくなるのだが、イスカがこの護符を手に入れてからまだ間もなかった。


「へぇ、それで本当は何を探してたんだ?」

 

 と口には出すが、その眼は笑っている。


「まだ信じてねーのか。……まぁいいや、前に掲示板で」


 図書館の奥には『念動』や『感応』に関する応用技術が記された指南書が存在する、という書き込みを見たことがあったのだ。

 そして図書館の奥の方にある書架は全て『古代語』の護符が無ければ読むことが出来ない。


「言ってくれれば俺も護符用意したのに」


「だって、思いついたの今朝だし、今からだと護符取るためのクエスト行く時間もないだろ」


「まぁ、な」


 と答えつつも、 


(それなら、俺が居ても意味ないんじゃないのか)


 と思うキングタイガー三世だった。


 それから二人は迷路のような書架の間を歩き回り、ようやく目的の本がありそうな棚を探し当てた頃には約束の時間の少し前になっていた。


「どうする?」


「どうするも、取り敢えず一番高そうな本借りて行こうぜ」


 イスカは棚の上の方にある分厚い本に手を伸ばすが、高さが足りない。

 暫く努力してみたが無理なようだ。


「よし、出番だキンタ」


「そこに梯子があるだろ」


「馬鹿、何のためにお前を連れてきたと思ってんだ」


 言うが早い、背を押して狙いの本の真下に誘導する。

 キングタイガー三世はため息を漏らすと手を伸ばして本を手に取る。


(見ただけで届かないのは分り切っていただろうに)


 彼の身長でも爪先立ちして漸く手がかかるような高さだったのだ。


「中身は帰ってから確認してくれ。はやく行かないとヒノエが待ちくたびれるぞ」


 本をイスカに手渡す。


「そうだな、ログアウト前に読むとするよ」


 イスカは新しいおもちゃを手に入れた子供の様に目を輝かせて両手に抱えた本を見ている。


「ダメですよ」


 突然、書棚の裏から響いた。

 鈴の音のような声、実際の年齢は分からないが、子供のような声だった。

 思わぬところから注意を受けて二人が固まっているとゆったりとした動作で真紅のゴスロリ服を着た少女が姿を現した。

 銀髪に紅眼、透き通るような白い肌。

 イスカと同じくらいの外見年齢、体格や身長も殆ど変らない。

 

「何だよ、ちゃんと借りるんだからいいだろ」


「……無理ですよ? ここの書架は貸出禁止ですもの」


 言うと棚の横っ面の張り紙を指さす。

 張り紙は古代語で、貸し出し禁止、と書かれていた。

 

「うっさいなぁ、あっちで読むだけだ。ほら行くぞ」


 イスカはキングタイガー三世の背中を押すと足早に歩き始めた。

 ゴスロリ服の少女はそんな二人の背中をただ眺めているだけだった。


 張り紙を見落としていたのは痛かったが、何のことは無い、黙って持ち出してしまえば良い。

 それに読み終われば気付かれないように返してしまえば誰にも分からない。

 幸いにして、この図書館のゲートにはセンサーが取り付けられてはいないのだ。


(ご自由にお持ちください、と言っているようなものだ)


 イスカは口の端を釣り上げて笑いを堪えていた。

 そんな彼女の後ろをキングタイガー三世は苦笑しつながらついて行く。

 そもそも仮想現実世界においてそのようなセンサーがなくとも本というデータの追跡など簡単にできてしまうのだが、現実世界と差異の無いからこそ、イスカはそのことを失念していた。



 慎重に受付に立つ『管理者』や他のプレイヤーの視線を避けつつ図書館の外に出ると、急ぎ足で近くの路地に入る。


「今度あらためて来ればいいだけ、なんだがな」


 止めなかった自分も悪いのだが、と自分の判断にも呆れつつキングタイガー三世は一緒になって戦利品を眺めている。


「いいんだよ。ちゃんと返すんだから」


 イスカは背徳感と昂揚感に胸を躍らせつつ、本を鞄にしまう。

 妙な癖にならなければ良いが、とキングタイガー三世は友の顔を見た。


「良くありませんよ。ルールは守っていただかないと」


 路地の出口をふさぐように、赤ゴスロリの少女が立っていた。

 いつの間に現れたのか二人は気配を感じる事すらできなかった。


「アンタもしつこいなぁ、後で返すって」


 イスカは顰め面で少女を睨み付ける。


「後で、と言うのは信用できない言葉の筆頭ですね。私が返しておきますので、お渡しなさい」


 やんわりとした、だが、有無の言わせぬ口調で真っ直ぐにイスカを見据える。 

 

「そんな事いって、お前が読みたいだけじゃないのか」


「私には必要ありません。むしろ……」とイスカとキングタイガ―三世を交互に見て「あなたには必要かも知れませんね」


 意味ありげに微笑む。


「何だそりゃ、とにかく今は急ぎなの。お前に構ってる暇なんてないから」


 口早に言うと少女の肩を押しのけて無理やり通り抜けた。

 意外にも少女はすんなりとイスカを通し、後に続くキングタイガー三世も行かせたのだ。

 奇妙なことこの上ない違和感を覚えつつイスカはヒノエとの待ち合わせ場所にしていた喫茶店へと急ぐのだった。





 3

  

 中央区、『管理局本局前通り』、本局向かいのビルの一階にはレトロな雰囲気の喫茶店があった。

 穴場なのか利用客は少なく、いつ来てもゆったりと腰を落ち着けることが出来る場所で、ヒノエ達はよくここを待ち合わせ場所に使っていた。

 コーヒー、紅茶、軽食、どれを取っても絶品揃いで、ヒノエはここに寄るのがいつもの楽しみだった。

 そんな楽しみな場所だったのだが、今は憂い顔でコーヒーカップをスプーンでかき混ぜている。


「気にしなくてもいいじゃん。何とかなるって」


 向かいに座ったアトリは楽しげにピザを頬張っている。

 一緒に行けるように交渉してみるからさ、と無理やり待ち合わせ場所まで付いてきたのだ。

 ヒノエの憂いはそれだけが原因ではなかった。

 30分ほど前、早めにキングタイガー三世に確認のメールを送っていたのだか、その返事も未だに来ない。


(気を悪くさせてしまったのかもしれない)


 根が真面目なヒノエはそのことでも悩んでいたのだ。


 どれ程真面目なのかと言うと、最初二人と組み始めた頃、イスカとキングタイガー三世が恋人同士なのだろうと勘違いして、二人の邪魔をするのも悪いのではと気おくれしていた程だ。

 それを聞いたイスカは烈火の如く怒り、その時初めて彼女がリアルでは男性であることを知った。

 それでも何時も一緒に行動しているのだから勘違いしても仕方ない、と本人は思っているのだが。

 偶にだが、イスカが一人で野良パーティーに参加しているのを見かけるようになったのはその頃を境にしてからだろうか。

 なんだか、悪いことをしてしまった、気になってしまうのだ。

 それにしても、とヒノエは店内に設えてある古時計を見上げる。


「遅いですね」


 普段ならもうとっくに着いていて、クエスト前に軽く食事をしているはずだった。

 何かあったのでは、と心配になり始めた頃、戸口のドアチャイムが乾いた音を立てる。

 足音の主は三人。

 一人は機嫌が悪いらしく、足音も荒々しい。

 何事か、とヒノエはそれとなく目を向けると、見知った二人とその後ろには見知らぬ少女が居た。

 何があったのかイスカは不機嫌オーラを振りまいている。


「ギリギリに来るなんて珍しいですね。それで、えっと……キンタさんの妹さんですか?」


 髪の色だけ見ればそうなのだが、誰も本気でそう思ってはいない。

 イスカの不機嫌でギスギスしかけている空気が少しでも和らげば、と言うのが狙いの冗談なのだが。

 

「初めまして、妹のフィオリエと申します」


 少女はスカートの端をつまんで丁寧にお辞儀をする。

 今まで気が付いていなかったのか、二人は驚き振り返った。


「あ、そうなんですか。ヒノエと言います宜しく」


 ヒノエはつられて頭を下げる。

 まさか本当に妹だったとは、ヒノエは急に恥ずかしくなってしまう。


「んなわけねーだろ、勝手についてきたんだよ。くそ、しつけぇ野郎だ」


 舌打ち交じりにイスカはフィオリエと名乗った少女を睨み付けた。

 

「あらあら、冗談のつもりですのよ。それに野郎と言うのは女性に対して使う言葉ではありませんよ」


 少女はくすくすと笑う。

 図書館からここまで大して距離は離れていないのだが、その道中、一切の存在を感じさせずついてきた事に二人は内心驚いていたが、彼らの頭の中はそれどころではない。

 イスカは怒りに顔を真っ赤にさせて手を握りしめているし、キングタイガー三世はイスカが想像以上に頭に血を上らせている事に困惑していた。


「どうしたんですか?」


 ヒノエは張りつめた空気に耐えかねて、キングタイガー三世に小声で尋ねる。


「ちょっと、あってな。それでそっちは」


 ヒノエの向かいに座った女性を見る。 


「えと、アトリさんです。メールで送っておいたんですが」


「ああ、確認してる。どうもあの中から外にメールを送信できないらしくてな。直接会って言おうと思ってたんだ。初めましてキングタイガー三世と言います」


 アトリに向かって会釈する。

 

「こちらこそ、宜しくね。というかそっちはいいのかな」


 先程から睨みあっている、というかイスカが一方的に睨み付けているだけでフィオリエは涼しい顔をしている、二人を指さす。

 こうなったらイスカを説得して、フィオリエと名乗った少女に御帰りいただくのが良いだろう、キングタイガー三世は腹を括った。

 

「おい、イスカ、いい加減に本を渡してやれよ」


「嫌だね、つーかコイツは何の権限があってそこまでするんだ?」


 最早意固地になっているらしく、イスカが首を縦に振る気配はない。


「権限ならありますのよ」


 少女は肩にかけたポーチの中から端末を取り出すとクエストの確認画面を呼び出した。

 そこには、無断持ち出しを行ったプレイヤーの取り締まりを依頼する内容が記されてあった。


「えっと……取り締まりですか」


 横合いから覗き込んだヒノエが呟いた。


「ええ、最近はゲームだから、とか後で返せば大丈夫だろう、といった考えの人が多くて困っていますの」


「はぁ、つまりコイツみたいな奴ね」 


 だからしつこかったのか、とキングタイガー三世は肩を落とす。

  

「そこでこのクエストという訳ですの」


 これには流石のイスカも肝を冷やしたらしい、助けを求めるようにキングタイガー三世に視線を送る。


「自業自得だな」


 肩を竦めている。


「あら、キンタさんも共犯で罰則がありますの。キンタさんの場合は彼女を見逃したと言う事で36時間分の奉仕活動を行ってもらうそうです」


 キンタと呼ばれた事よりも、自分が共犯と言う事の衝撃が大きかったのだろう、大きく口を開けたままフィオリエを見ている。

 イスカはキングタイガー三世の罰則を聞いて自分の罰も大したことがない、と思ったのだろう胸をなでおろしていた。


「んで、私の罰則って?」


「あなたの場合は、再三の忠告を無視していますから……そうですねぇ、図書館の利用を無期限停止と罰則金100万クレジット、といった所でしょうか」


「はぁ!? おかしいだろ、だってコイツは奉仕活動だぞ」


「何度も注意して差し上げましたのに、無視なさったのはどなたでしたか」


 有無を言わせぬ口調でフィオリエはイスカに詰め寄る。


「それは……」


 本格的にマズイと思い始めたのか、イスカの視点はあちこち彷徨っている。

 辺りの空気が重くなり、無言の時間が生まれる。

 少し間を開けて、フィオリエは神妙な口調で切り出した。


「実は、ですね、罰則を避ける方法もあるにはあります」


「本当か? どうするんだ」


 フィオリエは、会心の笑みを浮かべそうになり思いとどまると咳払い一つする。

 横から見ていたヒノエはそのことに気が付いたが、何が目的なのだろう、ただ気になって黙っている。


「このクエスト、自己申告制なのです。持ち出された本を回収したら受付に渡すのですけれど、その際に私が持ち出される前に回収したのを返し忘れていました、と言って返してしまえばそれで丸く収まるのです。とすれば、私の言いたいことがお分かりになりますよね?」


「つまり、言う事を聞けってことか」


 嫌な予感がしたのかイスカは頬を引きつらせる。

 

「そう邪見にしないで下さい。無理な注文はしませんから」


 


 フィオリエの注文というか命令と言うのはつまるところ、クエストに連れて行くこと、だった。

 件のクエストのせいで図書館に拘束される時間が長く、ストレスが溜まって仕方なかったらしい。

 

「案外良い奴だな」


 イスカは能天気に笑っているが、事の詳細を聞く限りでは最初からこうする予定だったのではないか、ヒノエは疑問に思う。 

 それに、フィオリエ自身から発するオーラに違和感を覚えていた。

 どのような、とは具体的には言えなかったが、普段他のプレイヤーから受ける感覚とは根本的な部分で異なっている気がしてならない。

 根拠のない勘だった。

 ヒノエは平静を装いつつ最後尾についてフィオリエの背中を、些細な行動をも見逃すまいと目を見張るのだった。


 





 地下ダンジョンへの入り口は街のあちらこちらにある。

 街に張り巡らされている下水道、ビルの地下、地下鉄、工場設備、探せばきりがない。

 その中で最も利用されているのが『本局』の地下駐車場にあるものだろう。

 特別な条件を付されない限りはクエストで地下ダンジョンに潜る際、最も手近なルートとなる。

 特に、今回ヒノエ達が受けた「最奥部の調査」クエストの場合だと、工程を最短時間で行えるため利用するプレイヤーの数は多い。

 地下駐車場に降りると、何組ものパーティーが入り口あたりで打ち合わせをしている姿を見る事が出来た。


「俺達も行こう」


 先頭を歩くキングタイガー三世はそのまま地下に続く階段を一歩づつ降りはじめた。

 そのすぐ後ろをイスカがアトリと世間話をしながら続く。

 

「さ、行きましょう」


 ヒノエは隣を歩く少女、フィオリエに促すのだった。

 

 階段を下ってすぐ、誰かが倒し損ねたと思われる『レイス』と呼ばれる化け物が黒い塊に取り付いて蠢いているのが見える。

 先を歩いていた三人は柱の角に身を潜めてそれを見ていた。

 どうやら『レイス』の下にあるのは運悪く殺されてしまったプレイヤーのなれの果て。


「面倒だな、自分の腕を過信しすぎた奴が居たらしい」


 躯の傍には、装具ではない普通の剣が転がっている。

 地下に巣食う『レイス』はダンジョンにおいて特段珍しい魔物でもない。

 半物質半エネルギーという変わった肉体構成をしていて、装具以外の武器が効きづらいという特性を持っているが、地下ダンジョンの魔物は全て同様だ。

 中には高密度の念動を纏わせた拳で殴り倒す猛者もいるが、そのようなプレイヤーは例外中の例外で、装具を未だ手にしていない場合、パーティー内で特殊な役割を果たせないプレイヤーは足を踏み入れないのが暗黙のルールとなっていた。

 キングタイガー三世とイスカはヒノエにチラと視線を向ける。


「あれだけ、ですよ。向こうにも幾つかプレイヤーの死体がありますね」


 ヒノエのパーティー内での役割は『感応』能力の応用で周囲を警戒する事だった。

 今では半径50メートル以内の地形、生物等を全て把握することができる。


「後から来る連中の為にも後始末しておくか」


 二人は柱の影から姿を現すと、手にした刀型装具にオーラを込める。

 レイスは、すぐに二人の波動に気が付くが、殆ど抵抗する間もなく襤褸切れの様に地面に転がった。

 この魔物の恐ろしい所は単体では大して強くないが、戦闘を長引かせると周囲の同族が集まって来て数を際限なく増やすところ、そして体の一部、主に腕の部分を変化させ武器を生み出すという点だ。

 

「どうせならコイツで試し切りすればよかった」


 思い出したようにアトリが声を上げるがもう遅い。


「どうせ直ぐにまた出ますよ」


 ヒノエは苦笑して言った。


 言ったのだが、それから暫くダンジョン内を地下へ地下へと進んでいるのだが、魔物に出会う気配はまるでなかった。


「私は楽が出来て良いから気にしないけど」


 とイスカ。


「本当に何も出ないねー」


 アトリも半ばだらけきった表情であちこち視線を巡らせている。


「そんなに探しても人っ子一人、僕のセンサーには引っかかっていませんから」


「本当? 実は戦うのが嫌だから何もない方に誘導してるんじゃないの?」


 アトリは言うが、真実なのだ。


「むしろ今まで他の連中に出会わなかった方が不思議だがな」


 先を行くキングタイガー三世は苦笑を浮かべている。

 妙なこともあるものだ、ヒノエも今日ほど人の気配を感じない日は無かった。 

 そんなヒノエの張った網に感触がある。


「みなさん、お待ちかね。来ましたよ。前方30メートル程、包囲するように『レイス』が向ってきてます。正面の個体のみ物質化、他4体はまだ壁の中を潜行してます」


 そう、レイスの厄介な点は、半物質半エネルギーで構成されると言ったが、物質を常に取り込んでいるわけではなくプレイヤーを襲う際にのみ周囲の物質を取り込む、取り込んでいない間は壁の中などを自由に移動し、予想もしない場所から奇襲をかけてくるのだ。

 その為、ヒノエのような索敵能力を成長させているプレイヤーは非情に重宝される。


「了解。イスカ正面は任せた。フィオリエはヒノエのカバーに。俺とアトリは敵が頭を出したら片っ端からやっつける」


 キングタイガー三世は手早く指示を出す。

 

「右2、左1。後方に回り込んでいるのが居ますね」


 意識を集中させながらヒノエは状況を伝える。

 正面ではすでにイスカが刀を振り回している。


「と、増援、数15。全方位から迫ってます」


 新たな敵が編みに引っかかる。


「15か、多いな。イスカ、戻れ。乱戦は避けたい」


 近場の十字路に移動しながらキングタイガー三世はイスカを呼び戻す。

 十字路で互いに背を預けるかしないうちに第二陣が姿を現す。

 

「詰まってたクソが飛び出さんばかりの勢いだな」


 イスカは一刀の元迫る『レイス』を切飛ばしていく。

 その一撃は凄まじく、数で勝る魔物に対して不利を感じさせない。


「まだ来ますよ。接近数20」

 

 半分も片づけていないのに、次から次へと数を増していく。

 余りの数の多さにヒノエは敵の動きを追うだけで精一杯で、せっかく作った装具を振るう隙もない。

 むしろ先ほどからフィオリエによって助けられてばかりだ。

 フィオリエの手にするのは扇型の装具で、大した力も込めていないように見えるのだが、『レイス』の攻撃を弾き、打ち据えている。

 ヒノエの感覚には、彼女の身体を駆け巡る『念動』のエネルギーがこの中の誰よりも練磨されているように感じられていた。

 そんな動きに気を取られたせいか、自身を狙う『レイス』の発見が遅れてしまう。

 天井から姿を現したそれは右腕を剣の形に変化させ死角から襲いかかる。


「よそ見している場合ではないでしょう」


 フィオリエは素早くヒノエの後ろに回り込むと扇の骨でレイスを地面に叩き落とした。

 今のは死んでいたかもしれない、そう思うとヒノエの心臓は跳ね上がる。


「ありがとう」


 深呼吸すると気を静め、敵の接近を監視するように努めた。

 そうして新たに接近する『レイス』の群れを見つけるのだった。



 『レイス』の群れの猛攻は凄まじく、何度も波の様に現れヒノエ達を疲弊させていった。

 ようやく片が付くころには、戦闘開始から一時間以上が経過していた。

 通路の足元にはレイスの物質部分を構成していた塵が大量に埋め尽くしていて、その凄まじさを物語っている。

 通路の壁に背を預けたヒノエは同じく、へばっているキングタイガー三世とイスカを見た。

 二人とも汗だくでうなだれている。

 そんな傍ら、アトリとフィオリエは何やら立ち話をしている。


(あの二人は元気ですね)


 しかし、とヒノエはあることに気が付く。

 アトリは薄らと汗を浮かばせ、息が少し荒いのに対してフィオリエは疲れた様子もない。

 もしかすると彼女は、所謂高レベルプレイヤーなのではないだろうか。

 ステータスが数字で表示されない世界ではあるが、実はオープンベータとかそういう頃から遊んでいるのかもしれない。


「大丈夫ですか?」


 考え事に気を取られていたせいか、ヒノエは反応が遅れてしまう。

 顔を上げればフィオリエ本人がそこに居た。

 驚いたものの、慌てるような事は何もないと思い直す。


「ええ、先程はありがとうございました」


 何とか動揺を隠すために笑みを浮かべた。


「いえ、私は役割を果たしただけですのよ」


 お気になさらないで、とフィオリエは言う。

 

「そんな、お蔭で集中して周囲の警戒ができたんです」


「正面切ってそう言われると、少しこそばゆいですわね」


 フィオリエははにかんだような微笑みを浮かべる。

 思わぬ反応にヒノエはフィオリエに見入ってしまう。

 こうしてみればただの美しい少女なのだ。

 しばし沈黙が流れ、


「そうそう、少しアドバイスをしようと思っていましたの」


 思い出したようにフィオリエは言う。


「アドバイス、ですか」


 ええ、とフィオリエは頷いて、


「あなたの感応の技は素晴らしいと思いますけれど、ちょっと頑張りすぎです」


「どういう意味ですか」


「アナタが周囲を警戒するとき、全体を集中して見ようとし過ぎて消耗が激しくなってますの。先ほどもあと五分も長引けばもう持たなかった、そうでしょう」


 ヒノエはただ頷く。


「そこで、『感応』を使う際、ぼんやりすることをお勧めします。ぼんやり、と言ってもただぼんやりしてもらっては困りますけれど、リラックスして何となく、感じ取る。それだけで随分楽になりますのよ」


 フィオリエの説明はなるほど、と思わされるものだったが、


「それって、最初のチュートリアルで言われた事のまんまですよね」


「ええ、その通りです。ですけれど、アナタ、考えて下さいませ。習いたての子供がやるのと、その技術にたどり着いた者がやるのとでは意味合いが大きく異なりますでしょう」


 ヒノエは少女の言わんとすることを何となく理解した。


「それで、必要な時、必要な場所に意識を向けさえすれば良いんですね」


「その通り、呑み込みが早くて助かりますわ。その感覚を四六時中、ゲームにログインしている間中常に維持して見なさい。そうすればそのうち何もしなくてもその感覚を維持できるようになりますのよ」


 ヒノエは早速言われた通りに感覚を広げる。


「こんなもんですか」


「ええ、十分ですわ」


 満足げに言うとさっと立ち上がり、へたり込むイスカの方へ行ってしまう。


(一体何者なんだろうか……)


 ヒノエはますます分からなくなってしまうのだった。


 暫くの休憩の後、一行は移動を再開した。

 最奥部は、激しい戦闘のあった場所から大して離れていない場所にあった。

 半球状のドームで、五階建てのビルくらいの高さがある。

 その半分を鋼鉄の壁がその先を塞いでいるのだが、その先はいずれアップデートで解放される、と言うことらしい。

 クエストは、ここにいるボスを倒し、その肉体を構成していた塵を回収することで完了条件を満たすのだが……、果たしてボスと思われる存在は影も形も無かった。


「おかしいなぁ、前に来たときはボスっぽいのが仁王立ちでそこに居たんだけど」


 アトリは地面を見ながらうろうろと歩き回る。

 天井に備え付けられた光源がドーム内を照らしている。

 ドームの中には隠れられそうな場所は何もないし、戦闘が行われた形跡も見当たらなかった。


「妙な感じだな。ヒノエ、何か引っかからないのか?」


 キングタイガー三世は難しい顔をして振り返る。


「別にないですね。そもそも、魔物自体の反応があれからなかったですし」


 気持ちが悪い、とヒノエは感じていた。

 魔物どころか自分達以外の存在を感知できない。

 

「そうか、反応があったらすぐに教えてくれ」


 キングタイガー三世はアトリとイスカと一緒にドーム内をあちこち調べ始めた。

  

「フィオリエさんも探したら……」


 話しかけたものの、フィオリエの表情に只ならない物を感じて言葉を途切れさせる。

 ヒノエの視線に気が付いたのか、まるで先ほどの表情が嘘だったかのように笑を浮かべる。


「すみません、ぼーっとしてしまいましたわ」


 あれを呆けていたとは言えないだろう。


「フィオリエさんは、この箱庭のオープンベータからプレイしているのですか?」


 同じことを言うのも馬鹿らしい、とヒノエは少し気になっていたことを聞いてみることにした。


「オープンベータ、ですか。そうですねそのような時期から関わっていますわね。どうしてですか?」


「いえ、先程のアドバイスといい、アナタの念動の技術といい、妙にこなれていると言うか簡単にこなしてしまっているので気になりました」


「ふふ、そんなに大したものではありませんのよ。この地下ダンジョンがさらに解放されれば、貴方たちも嫌でもこのくらい使えるようになりますから」


 どういう事ですか、と言いさして、妙な気配が地下から湧き上がってくるのを感じる。


「キンタさん、下から何か来ます」


 ヒノエは声を上げる。


「オーケイ、二人とも聞いた通りだ。死なない程度に頑張ろう」


 腰の物を引き抜いて構える。 

 他の二人も同様だ。


「あなたも抜いた方が良いのではなくて?」


 フィオリエはヒノエの腰の物を見やる。

 ヒノエはその忠告を素直に受け入れると刀を手にした。


 地下からの気配は、圧倒的な殺気を纏って地面から膨れ上がってきた。

 コンクリートのような地面はまるで水面の様に揺れ、高さ3メートル程まで盛り上がると玉虫色に光を反射し始め、人の形を取り始める。

 イスカは魔物が完全な形を取る前に、先手必勝とばかりに飛び出した。

 鈍く輝く刀身を閃かせ、巨大な人型の胸を袈裟懸けに切り下ろした。

 レイス相手であれば、それで倒せたかもしれない。

 だが、その人型は傷を受けても消え去る気配はなく、傷もあっという間に消え去ってしまう。


「ボス扱いだけあって随分とタフだなぁ、おい」


 イスカは悔しがろうともせずに言う。

 

「そろそろ離れろ」


 キングタイガー三世が声を上げたと同時、玉虫色の表面が弾け、その破片が凄まじい勢いで飛び散った。

 いくつもの悲鳴が上がる。

 ヒノエは離れていたから良かったものの、見れば三人が血だるまになって地面に転がっている。

 そして中央には物々しい髑髏をあしらった鎧を着た二本角の巨人の姿があった。

 突然の出来事にヒノエは頭の中が真っ白になった。

 先ほどまで軽口を叩いていたイスカも地面にころがり弱々しく手を動かしている。

 本人たちは何が起こったのかまるで理解できていないだろう。

 ヒノエの身体の奥で何かがざわめき熱い塊が声となって拭き上げそうになる、瞬間。

 フィオリエの怒声がホールに木霊した。

 何と口にしたのか、人の名前らしかったが、理解できないままヒノエは彼女を見た。

 

「どうせ聞いているのでしょう、あなたの考えは分りました。こちらも全力でお相手いたします」


 フィオリエの顔には怒りによって深い皺が刻まれていた。

 ヒノエは初めて、目の前の少女の身に纏われたオーラが、明らかに自分達の物とは異質なのだと、その雰囲気と共に理解した。

 それほど彼女は怒り、自分を隠す事を忘れていたのだ。


「フィオリエ、さん?」


 ヒノエの言葉に反応したわけではないのだが、フィオリエはヒノエを見据え、


「私が足止めしておきますわ。その間に皆を離れた場所に」


 返事を聞かぬまま歩き始める。

 ヒノエの眼にはただ歩いていただけに見えたのだが、気が付けば巨人の目の前に少女は立っている。

 巨人は握り拳を振り上げ、力任せに少女を叩き潰さんとそれを振り下ろす。

 だが、何がどうなったのか、フィオリエの扇が拳を打ち払ったかと思うと、巨人はその巨躯を宙に浮かせ地面に叩き付けられていた。

 呆気にとられていたヒノエだが、走ると三人の元に向かう。

 最初に最も傷の酷いイスカを壁際に寝かせると応急処置用のスプレーを全身に吹きかける。

 せっかくの服もボロボロで肌は痛々しいほど切り裂かれていた。

 ヒノエは血まみれになりながらも、アトリ、キングタイガー三世を運ぶ。

 後は、フィオリエに任せる事になるのだろう、と視線を少女と巨人に向ける。

 だが、目の前の少女は巨人を子供をあやす様にいなし続けるだけ。

 そして、ヒノエに向かって、こっちに来い、とばかりに手招きする。

 ヒノエは何の冗談だろうか、とも思ったが、先程のフィオリエの剣幕を思い出すととても逆らえる気にはならなかった。

 嫌な予感を覚えつつもフィオリエの後ろまで行く。


「遅いですわよ」


 落ち着き払った声でフィオリエは注意をする。

 どうやったのか、巨人は腕の関節を極められ地面に膝をついている。


「あの、どうしたんですか。さっきは……」


「そのことなのですが、冷静になってみると流石に私が倒してしまうと問題になりますので、アナタに戦って貰おうかと思いましたの」


「え、でも、えっと僕がですか」


「大丈夫、きちんとアドバイスいたしますわ。さ、始めますわよ」


 フィオリエは巨人の腕を離す。

 巨人は咆哮を上げ素早く立ち上がると力任せに拳を振るう。

 が、そこには既に二人の姿はない。

 ヒノエは襟首を掴まれたままいつの間にか間合いの外に立っていた。


「まずは普段通り独りで戦う時の事を思い出して動いてごらんなさい」


 フィオリエはヒノエの背中を押して前に立たせる。

 巨人はいつの間にか巨大な鎌を手に一足飛びに間合いを消し飛ばした。

 横なぎの暴風は喰らえばひとたまりもないだろう。

 ヒノエは踏込のタイミングを見計らって後ろへと飛び退る。

 が、遅い、胸の皮一枚切り裂かれ血がにじみ出る。

 苦手とはいえ『駆動』を使い素早さはかなり上がっているはずなのに、冷やりとした感覚が背筋を撫でる。

 じわじわと胸の傷口が主張し始めている。

 『感応』で敵の動きを察知しようにも落ち着いた環境の無い今、出来るはずもない。


「少し前にしたアドバイス、もうお忘れですか、気が乱れてますわよ」


 ヒノエは素早くオーラを展開する。

 そこに新たな一撃が袈裟懸けに振り下ろされる。

 だが今度は、


(わかる)


 一瞬だけだが、相手の動きの兆しのようなものが感じ取れていた。

 それはあの巨人が体を動かす際のオーラの爆発、それをする前のオーラの高まり。

 タイミングさえ判ってしまえば、相手がいくら早く動けようとも攻撃に当たることは無い。

 だが、これには予想以上に集中力が必要だった。

 

「それではダメですわ、感じ取ることはできて当たり前、それが出来なければ次のアドバイスはありませんわよ」


(難しい注文を付ける人だ)


 ヒノエは思ったが、確かに、それが出来なければ反撃に移ることもできない。

 とにかく、できるだけ意識しないように、全身をリラックスさせるイメージを思い浮かべる。

 深呼吸をしながら、紙一重で巨人の斬撃を躱していく。

 細い綱渡りをしている気分にさせられていたが、次第に、それも気にならなくなってくる。


「そろそろ、良いですわね。その状態のまま常に『駆動』を最大に全身を動かしなさい」


 駆動は念動を全身に這わせるように使う第二の筋肉と鎧のような役割を果たす。

 ヒノエにとってはどちらかと言うと苦手な部類に入る能力だ。

 先程から使ってはいるが、回避する際の加速要素としてしか使っていない。

 が、泣き言を言っても始まらないだろうとヒノエは覚悟を決める。

 全身を念動波が走り抜け、少しづつ体が軽くなっていくような錯覚を覚える。

 その間も容赦のない斬撃は嵐の様に吹き荒れヒノエの体力を奪っていく。

 言われた通り、自身の持てる最大の出力で念動駆動を駆使して動く。

 時折、感応の知覚範囲が霧散しそうになるのを何とかこらえる。

 しかしそんなものが何時までも持つわけがない、瞬間的にかろうじて成功したものの直ぐに出力が下がってしまう。

 全身が無理やりあちこちに引っ張られて制動が効きづらい。


「上出来ね。そこから半分くらいの出力で動いてみなさい」


 言われるままに出力を落とす。

 不思議なことに、今まで以上に全身が軽く感じられた。

 感応の範囲を維持するのも同様に楽だ。


「あら、本当に上手くいくなんて」


 聞き捨てならない言葉が聞こえたが、ヒノエは敢えて無視して目の前の敵の斬撃を避ける。

 先程よりも、余裕を持って敵の動きを見切れるようになっている。

 ヒノエは初めて、


(かみ合っている)


 ように感じた。

 そして、これなら、と手にした刀にオーラを流し込む。

 刀身は淡い輝きを放ち心地よい振動を手に伝える。

 眼前の巨人は大きく大上段に構えその鎌を振り下ろす。

 何故か、今のヒノエにはその軌道がはっきりとわかった。

 初めてこの世界に立ち、死にかけた時の事を思い出す。

 確かあの時もこんな感じだったのではないだろうか。

 ヒノエは半身で刃の軌道から逃れると深く巨人の間合いの中に潜りこみ、一閃。

 巨人の肩から先を切飛ばす。

 そのまま後ろに回り込むが、巨人の身体が小刻みに振動する。

 瞬間、ヒノエは大きく間合いを開ける。

 背は大きく開かれ小さなレンズのようなものが幾つも現れ、光を放つ。 

 ふ、と小さく息を吐き、自然と体が動くままに、破壊の嵐の隙間を縫う。

 半ば無意識のまま、荒れ狂う光の中、歩を進め、大上段からその刃を振り下ろした。

 

 気が付けば、足元には塵が一面に広がり、その真ん中に立ち尽くしている。

 ヒノエは自分自身でも何が起こったのか理解が追いつかなかった。

 意識して覚えているのは巨人の腕を切り飛ばした所。

 そこへささやかな、小さな拍手が耳朶を打った。


「あの、僕がやったんですよね」


 まるで夢の中にいるような気がしてならない。


「そうですわ。お見事でした」


 フィオリエは我が子の成功を目にした母親のように微笑んだ。

 




 フィオリエは三人が目を覚ます前、ヒノエに自分の事は黙っているようにと釘をさし、


「ヒノエさん、最後にあなたが至った状態、それこそが基本なのです。それをお忘れにならないで下さいね」


 それだけ告げるとどこかへ姿を消してしまった。

 

 

 

   

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