第7話 世間は意外と狭いものです
「まぁ……なんだ。不肖の弟子、ってやつだな」
「不肖はどっちよ。神殿追い出されたくせに」
まだほんのりと温かいおかゆをもそもそといただきながら目の前の会話を聞いていました。
今この部屋にいるのは私、元神官様、メサイアさん、レグ……ザートさんの四人です。
カインさんは私のおかゆがまだ半分以上残っているとわかると、また来るとだけ告げて部屋を出ていきました。どうやら器を下げるのが目的だったみたいです。いや、いくらなんでも早く来すぎじゃないですか?
何かのついでに来たんでしょうけど、そんな短時間でおかゆを平らげる病人がいたらもう病人じゃないと思います。
私の思考はさておき、目の前では師弟の会話が繰り広げられていました。
「でもまぁ、元気そうね。そのままくたばるわけないって知ってたけど」
言葉は素直ではありませんでしたが、その横顔は少しだけ嬉しそうに見えました。
話によると、メサイアさんは元神官様がまだ神官として働いている頃にとったお弟子さんなのだそうです。
元神官様が神殿を追われたことは知っていましたが、まさかお弟子さんまでいるなんて。何だか本格的な感じがします。
でも二人とも……なんて言うんでしょうか、神官らしくない、です。いえ、今はもう神官ではないからそう感じるのかもしれませんが。……なんとなく納得しかねます。
「時間があるのなら顔を貸せ。女房が会いたがってたぞ」
「うわあ、女房とか言ってるし!しょーがない、新婚……でもないか、お宅訪問させてもら……」
と、メサイアさんがこちらを振り向きました。もしかして、私のことを気にしてくれているんでしょうか?私なら大丈夫だと言おうとしましたが、私より先に隣に立っていたレグ…………勇者さんが、声を出しました。
「彼女のことなら心配いらない。俺がついてる」
「…………、え?」
勇者さんの名前を考えていたら反応が遅れました。え、今なんて言いました?
「そう?じゃあ悪いけど少し行ってくるわ」
「ああ、少しと言わずゆっくりしてくるといい。今日も連絡はこないだろうしな」
「うーん……それもそう、ね。それじゃ何かあったらすぐ呼んで」
「ああ」
私を放置して会話がさくさく進んでいきます。ええ、見事な放置ですね。
諦めて状況を見守っていたら元神官様と目が合いました。かと言って何か言ってくるでもなくただこちらを見ているだけです。何でしょうか、気持ち悪いです。
「じゃあな、リィム。後でまた様子を見に来てやる」
「あたしも戻ってくるけど、安静にしてなさいよー?」
そうして二人は去っていきました。また来るとしか言いませんでしたが、元神官様は何か言いたげな様子でした。しかしながら私は視線で人の心が読めるわけではないので意味はわかりません。
機会があれば後で聞いてみましょうか。
それよりも、今は。
「…………」
「…………」
この状況を、一体どうしたらいいのでしょうか。
「……………、ん」
手持無沙汰でおかゆをもう一口、口に運んでみるとそれが最後の一口だったことに気付きました。すいませんカインさん、本当に少しだけ遅く来ていただければ無駄足を踏ませずに済んだんですが。
しっかり咀嚼して嚥下して。これで完全にやることがなくなってしまったんですが、さてどうしましょう。
部屋は相変わらずの沈黙で満ちていて気まずいことこの上ないです。
自分ではもういつも通りの体調だと思うのですが、安静にするよう言われた手前、動いて後で怒られるのも嫌ですし……。
寝ると言って部屋から出てもらう、とか?
……駄目です、さっきまで寝ていたせいで眠気がわずかにもありません、今のまま部屋に引きこもってもやることがなさすぎます。
となると……そう、読書とか?
お、これなら時間がつぶせるし、沈黙が続いてもむしろ本に集中できて良さそうです。我ながらいい考えだと思います。
あとは……。
「あの……勇者さん」
「……ん、あ、ああ。どうした?」
「暇なので、本を取りに行こうかと思うんですけど……」
「それなら俺が行こう。安静にしていないと」
そう来ましたか。いえね、申し出は有り難いんですけど…。
「読む本もこれといって決めてませんし……書斎の場所はともかく、本がどこにあるのかわからないと思いますよ?」
「……そんなに本があるのか?」
ええ、あるんですよ。逆に言えば書斎以外に本は置いてないんですけどね……。
私を安静にさせようとする勇者さんをなんとか説得してやって来たのは、この家で一番の広さを誇る地下の書斎。もう書斎というより本屋さんです。
「これは……!すごいな……!」
書斎を見た勇者さんは素直に驚いていました。今回は本の多さに、ですよね?
振り返って確認しても私の視線に気付かずにきょろきょろと周囲を見渡している勇者さんの反応を見る限り間違っていないように思います。発刊日だって見ていないですし。
「いったい、何冊くらいあるんだ…?」
「さあ……?私も数えたことがありませんけど、100や200じゃないことだけは確かです」
入り口を取り囲むように口を開いた空間は、本の収納を第一とした設計です。
部屋の両脇から伸びる階段を降りた先に入り口からは死角となっていた場所があり、そこに机と椅子があります。両親が使っていたであろうそれらがあることで、この空間はかろうじて書斎の体裁を保っています。
「本を選んできますから、ここで少し待っていてください」
「いや……良ければ俺にも何か読ませてもらえないか?」
「え……は、はい。構いませんけど…」
私が許可を出すと、勇者さんはすぐさま近くの棚を物色し始めました。本、好きなんでしょうか?
魔法書ばかりなのでそう面白いものがあるとは思えませんけど……。
ともあれ、まずは自分用の本を探すことにします。
「リィム、ちょっといいか?」
「……………え?はい、どうかしました?」
本に集中しすぎていたようで勇者さんの呼びかけに気付くのに時間がかかりました。
いえね、私はもう本を選び終えているんですよ。なのに勇者さんがまだみたいなので椅子に腰かけて先に読書を開始していたわけです。
しおりを挟む時にページ数を見たら既に100を越えていました。結構時間経ってますね……。
「上のほうにどうしても気になる本があるんだが、あの辺りはどうやって取るんだ?何か台とか無いのか?」
「あの……まだ読む気ですか?」
机の上に目をやると、私が準備した本が3冊、勇者さんが準備した本が4冊あります。私より読む気なんですか。それなのにさらにだなんて……。
私の驚きに満ちた問いかけに、勇者さんは苦笑で応えました。
「多いと思ってこれでも1冊は戻したんだ。それで、何か無いか?無いならジャンプして」
「脚立があります取りに行きましょう」
この人なら本当にやりかねません。なにせ勇者ですし。
慌てて入り口から一番遠い本棚の奥にかろうじて確保された収納スペースにある脚立の場所まで案内することにしました。
「これなんですけど…重たいですよ?」
この脚立、重たいので私は普段使いません。相変わらず力も体力もないもので……。
それに、脚立の上ってぐらぐらして怖くないですか?大丈夫だと思っても怖いものは怖いです。
そんな理由から、実は上のほうの本は全部読んでいるわけじゃなかったりします。数もありますしね…。
なんてことを考えているうちに、勇者さんが軽々と脚立を持ち上げる姿が視界に入りました。
「ん?特に重くもないが……いや、女性には厳しいのか?」
「……」
たぶん違います。
ちょっと落ち込みました。
「それで、どの本が気になってるんですか?」
「ああ、確か……この辺りの……、あれだ」
脚立を軽々と持ち上げたまま、勇者さんは棚を再び見上げます。しかも片手ですよ、片手。
私なら引きずってようやく、というくらいなんですけど…。
脚立を上る足取りもよどみなく……あれ、むしろ私がおかしいんですか。何だか私の中の常識が崩れそうです……。
「よし、これで……ん?」
勇者さんが本を取り出すと、何かがパサッと音を立てながら落ちてきました。何でしょう?音からして紙の類だとは思うんですけど……。
「これは……」
まだ脚立の上にいる勇者さんと一緒に「それ」を見てみると、本の一部のようでした。
最後の数ページが取れて落ちてきてしまったようです。理解した勇者さんが慌てています。
「す、すまない!乱暴に扱ったつもりはないんだが……」
「あー、いえ。古い本ですから、元々取れてたんだと思いますよ」
気にしないでください、とは言ったものの、勇者さんは困った顔をしています。
古い本ばかりですからそういうこともあると思うんですけどね。さて、どう説明したものでしょうか……。
と、まずは落ちた部分を拾っておきましょう。
「?」
拾い上げると、発刊日が書かれた部分が目につきました。相変わらず300年ほど前のものです。
けれど問題はそこではなく、ページの右端の下のほうに違和感を覚えました。汚れ?
……いえ、何か書いてあるようです。ええと……なんて書いて……。
『リム、ごめん』
「………!」
瞬間。
私を支配したのは、困惑の感情でした。
7/11 内容を一部加筆・修正。
どう考えてもカインがいつの間にか空気になっていた件。