第21話 陽は昇り、夢から醒める
この方法を思いついた私は自分で自分を褒めていいと思います。
いえね、トマスさんにおおよその位置を聞く以前に、地面がぬかるんでいますし、馬車の車輪の跡をたどれば楽に帰れるなーと思ってはいたんです。しかしそれでも方向音痴の人は変な道へと進む可能性があります。こっちのほうが早そう、とか言って……ね。
だから私は彼に「選択させない」ことを選びました。
そう、つまりは――馬車を使おうかと。
馬車は商人さんたちのものだろうって? いや私も後で気付いたんですけど、商人さん置いてっちゃったんで……馬車はともかく、馬を放っておくわけにもいかなかったですし。とまあ、いろいろ言い訳をして乗りました。楽です。
あ、馬の怪我の治療については、勇者さんに馬車の状態を見てくれるよう頼んだ隙に行いました。勇者さんは馬の怪我のことを覚えてないのか知らないのか何も聞いてこなかったので問題なしです。聞かれても知らぬ存ぜぬで通しますけど。
大丈夫ですって勇者さん。道もわかります、手綱も私が持ちますから。おとなしくしててください。本気で。
「……良かった。思ったより元気そうで」
そう言われてはたと気付きました。あれ、もしかして本気で心配されていたんですかね。そもそもここまで追いかけてきてくれたわけですよね……って、おや? そこまで考えてもうひとつ気付いたことが。私たちは馬車でここまで来ましたけど、勇者さんたちが一連の騒動を察してからここに来るまでの時間、かなり早くないですか?
馬に乗ってきたようには見えなかったですし……。
「俺は自分に強化魔法をかけ続けて来たが……トマスは自力で走ってきた」
「え、ちょっと後半意味わからないです」
馬と同じくらいの速さで走れるってことですか? 魔法も抜きに?
考えると頭痛くなってきそうだったので止めました。わあ、空が白んで綺麗ですね。
って、空明るいですね。減り始めた雲の隙間から太陽が顔を出そうとしています。
「もう朝ですね。早く帰りたいです」
いろいろあってもうくたくたです。泥のように眠りたい、という言葉は今が使い時でしょう。雨に濡れたのでお風呂にもつかりたいですが、まずは何よりゆっくりしたいです。
しばらくそうして朝の空気の中でひたすらに進んでいました。
ガラゴロと鳴る車輪の音、地面から伝わる振動、頬を撫でる風。そして、誰かのいる気配。
何だかとても懐かしい気持ちになって、それを理解した瞬間、思わず笑みがこぼれていました。
本当に懐かしい。かつて、私が旅をしていた頃のよう。
けれどもう――存在しない場所。
それは仕方のないこと。
弱い私が取りこぼしてしまったもので、過ぎ去った遠い過去の出来事。
そんな考えが勇者さんに伝わるはずもないのに――その言葉が耳に届いた時、私は驚いてしまいました。
「――もし。俺たちと旅に出てほしいと言ったら、リィムはどうする?」
「え……?」
咄嗟に振り返ろうとしたものの、手綱を握っている状況だと思い出して慌てて前に向き直りました。さすがにわき見運転は危ないです。
勇者さんが移動する気配がして、それが左後ろに落ち着きました。後ろなので、表情を見ることができません。
「今回俺たちが村を訪れたのは、リィム、君を旅に誘うためなんだ」
「私、を……?」
「俺たちの中で攻撃魔法を使える奴がいないことは知っているだろうか」
それは、知っています。治癒術師であるメサイアは回復や付与魔法を。勇者さんは自分のみを対象とした強化魔法を使えるものの、それ以外の魔法は使えないのだとか。
そもそも最初に私の村を訪れた時なんて、魔法使いの人を王都に送り返す……じゃなくて送り届けるために戻ってきたついでに村に来た、とかいう話でしたし。
「以前この村を訪れた後、もう一人だけ魔法を使える者を連れて行ったんだ。だがそれも駄目で……代わりにと言っていいのかわからないが、トマスが加わってくれた。そうやってこれまでは何とかやってこれた。だが、もうかなり厳しい状況だ」
かつての旅を思い出します。剣が通らない、魔法には極端に弱いといった手合いがいたことを思い出します。きっと、そういう魔物のことを言っているのでしょう。確かにその状況で魔法を使える人間がいなければとても苦戦すると思います。
さらに、今と昔で違うことがあります。
この300年で廃れたという魔法文化。
人々の間では忘れ去られたとしても、それが魔物側にも通用するかと言えば、そんなことはないですよね。
昔も魔物との戦いは大変でした。けれどそんな状態であるなら、今はさらに危険なのでしょう。
そんな不利な状態で戦ってきた彼らが――私の力を必要としている?
わずかに呼吸が乱れてしまい、左手だけ手綱から離し、胸を押さえました。馬車の振動だけでなく、私の手が震えていることがわかりました。
私は、何故――怖いと思っているのでしょう。
彼らに必要とされることが、とても怖い。
その理由が同時にいくつも浮かんできて、そして霧散しました。
「カインはずっと、決めるのはリィムだ、お前がとやかく言うことじゃない、って言っていた。けど、それでも……俺は君を巻き込むのが嫌だった」
勇者さんの表情が見えないのでどんな気持ちでそう告げたのかは読み取れません。けれど逆にこちらの顔も見えないから良かったと思います。
今、顔を見られてしまったら――きっと泣いてしまうだろうから。
「でも俺、変なんだ。巻き込みたくない、危ない思いをさせたくないって思っているのに。リィムに傍にいてほしいとも思っているんだ」
それはとても矛盾しているようで、でもどこかで納得する自分がいました。
そんな言葉をどこかで耳にしたことがあったような気がしたんです。
「俺がリィムに来てほしいと思うのは、魔法が使えるからって理由だけじゃないんだ。俺をひとりの人間と接してくれた君が、傍にいてくれたらと……そう考えてしまった」
この人は、いえ、勇者と呼ばれる人々はきっと、特別扱いされることに慣れている一方で疲れてしまっているんだと思います。
そりゃあ普通の人にしてみれば、自分たちを救ってくれる人なんですから期待しますし、特別扱いもします。
でもどんなに特別な人でも、人には違いありません。傷つきもすれば疲れもします。
少し前に勇者さんと会話したことを思い出します。そしてその会話の時に私が思い返していた、さらなる過去の記憶――彼とは違う、もうひとりの勇者のことも。
かつて、私が旅について行くと告げた時。彼は困惑した表情を浮かべた後、仕方ないと言いたげな表情を浮かべました。
けれどその裏にはほんのわずかな安堵が見えたような気がするんです。そうでなければ、私は途中で同行を諦めていたはずですから。
その重荷を一緒に背負えるなんてうぬぼれはしないけど。
倒れそうなその時、そっと手を握ってあげたかった。
けれど結局のところ、最期に手を握ってくれたのは彼のほうで――
「……リィム?」
名前を呼ばれて、はっとしました。黙り込んだ私を不思議に思った……いえ、心配した声色でした、すぐに何でもないことを伝えましたが、あまり信じてもらえていないような気がします。
「すまない、急……すぎたよな。大変な目に遭ったばかりだっていうのに、俺は……」
「いえ、勇者さんも大変な旅をしているんですから、当然かと」
自分たちの命だけじゃない、世界を救うための旅。
それが大変なものであることは、私も理解しています。
かつての旅の中でも、危うい場面がありました。それは魔物の強さであったり、自然の驚異であったり、勇者に期待する人の願いであったり、あるいは――敵意、悪意の類だったり。
いろんなものがのしかかってくるのが勇者の旅です。私はそういったものがあるのだと一部分とはいえ知っています。それを私が背負えるわけではないことも。
でも。それでも私は。かつての私は。ついて行こうって、思ったんですよね……。
じゃあ――今の私は?
会話が終わり、沈黙が続く中でひたすら考え続けてみましたが、答えは出ませんでした。
どれほどの時間が経ったでしょう。白んでいた不確かな空気が霧散し、まだ雨の気配が地面に漂うものの、気付けば前方に何かが見えてきました。
「あ……」
私の村、でした。
知っている場所、それも生まれ育った場所が見えたことで、少しばかり安堵してしまいました。
ただその感情は次の瞬間には霧散します。
村の様子がおかしい、と気付いたからです。
再び五ヶ月ぶりでした。
そしてこんな更新頻度なのに時折ポイント評価をいただくことがあり、恐縮しながらもやる気につながっています。ありがとうございます。
次回はもう少し早いと思います。