第19話 ところでこちらの問題から対応します
しばらく商人さんを見つめたまま立っていると、ぱしゃぱしゃという音が聞こえました。そういえばいつの間にか雨が止んでいますね。今の音は水たまりの上を歩く音でしょうか。
「リィム」
名前を呼ぶ声とともに、腕をひかれました。突然のことだったので全く構えておらず、ものすごい勢いで強制的に移動させられました。なんなんですか、危ないじゃないですか。
何事かと思ってそちらを見ると、勇者さんでした。
「もういいだろう。充分だ」
「え、いやでも……」
改めて商人さんとゼロさんを見てみると、ふたりとも即座にどうこうするような気配ではありませんでした。
商人さんは未だ目を伏せたままですし、ゼロさんは黙ってこちらを見ているだけです。
うーん、少しは私の言葉も届いた、のでしょうか……?
命を軽んじる発言についカッとなって一気にあれこれ言いましたけど、良かったのか悪かったのか……。
商人さんが今何を考えているかわからないので、まだこの場を離れたくないのが本音なのです。
ふと、服の袖を引かれる気配がしました。先ほどのあの子です。そういえばこの子、状況もわからずここにいるんでしたね…。
難しい話はわからなくても「殺した」だとか「償う」だなんて穏やかじゃない単語が飛び交っていれば不穏な気配は察せたと思います。
「解決したとは言わないけど、ともかくこの子は巻き込まれたということだよね?」
これまで黙って成り行きを見守ってくれていたトマスさんが声をかけてきました。
あれ、そういえば勇者御一行勢ぞろいなのかと思いましたが、メサイアさんとカインさんは現れませんでしたね。彼女たちはあとから来るのでしょうか?
まあまずは質問に答えていきましょうか。
「えっと、その子は縛られた状態で馬車にいたんです。馬車の中をのぞいたところで私も見つかってしまいまして……」
改めて言葉にしてみるとなかなか間抜けですね、私……。でも足音もなしで近付かれたらどうしようもないですよね。
「――人身売買、ってことかな? さっきの話とはまた別の問題になってくるね」
トマスさんの目がすっと細められました。表情は変わらないはずなのに、何だかとても怖いです…。
「で、でもあのおじさん、わるい人じゃないんだよ! ご飯もこっそりくれたし、たたかれそうになったときにやめさせてくれたもん!」
この子……ああもう、いい加減名前が知りたいですね。少年が、慌てた様子で商人さんたちを庇いました。きっと私と同じでトマスさんに恐怖を感じて、彼らに害を与えるかもしれないと不安に思ったのでしょう。
「どこに連れていかれるかとか、不安、だったけど! おじさんはいっつもごめんね、あと少しだけ待ってねって言ってた。だから怖かったけどがんばれたんだ」
私には、実際のところはわかりません。見てもいないですし、それこそひいき目で見てしまうので彼らは根が善人であると信じたくなってしまいます。
ただ、子どもというのは思った以上に大人の行動をよく見ています。言葉の意味をすべて理解できなくとも、行動にはその人の人となりが現れるものですから、そこから多くの情報を読み取っているのでしょう。
「……わかったよ。君の言うことを信じる。それに、立証もできないだろうからね…」
最後のほうは小さなつぶやきで、誰かに告げたというよりは思わず漏れ出た本音のように感じました。
こういった胸が苦しくなるような事件は、表沙汰にならないどころか、調べても途中で糸がプツンと切れたように情報が得られなくなると以前聞いたことがあります。そういったことは今も変わらないのでしょうね。
きっとそのせいでこの一連の騒動を明らかにすることができないだろうとトマスさんは考えているのでしょう。正直なところ、私もそう思います。
「それよりまず、この子を家に帰してあげたいんですが…」
自分より先に私の身を案じてくれるような優しい子です。彼のご家族もきっと彼の身を案じていることでしょう。
って、そういえばこの子の家はどこなんでしょうね? 聞いてみましょう。
「ぼくの家? えっとね、王都の北?らしいよ。ぼく、東の街にいるおじさんに会った帰りだったんだ。王都を通って家に帰ろうとしたら、その近くで魔物におそわれてる馬車を見たんだ」
その馬車というのが商人さんたちだったのでしょう。彼は危険を承知で馬車に加勢したそうです。途中馬車に引き上げられ、何とか逃げ延びたところで安心して眠ってしまい――気付けば縛られていたそうです。
むむ、危険を冒してまで助けてくれた相手になんてことするんでしょうか。
ん? それ以前にですけど……この子、結構な距離をひとりで移動してません? 馬車のこと云々がなかったにしても危険だと思います。
そういった点が気にはなりますが、これ以上話を長引かせるわけにはいかないですよね。今は黙っておきます。
ともかく、王都の北、ですか。現在地はよくわかってないですけど、まあそれくらいの距離なら私でもどうにか行けそうですね。
「じゃあ私が――」
「俺が送るよ。リィムは早く村に帰ったほうがいい」
え、何でトマスさんが? と思ったのですが、理由を聞いて納得しました。
「村では今、君がいないと騒ぎになっている。少しでも早くみんなを安心させてあげてほしい」
そうでした。小さな村ですから、村人全員知り合いです。いないとなればあちこち探しますし、それでも見つからなかったのなら何があったのかと騒ぎになっていることでしょう。
でもこれ、説明したらしたで元神官様に怒られそうな気がします。何でひとりで馬車なんか覗いたんだー、って。うーん、考えたら少しだけ憂鬱になってきました…。
「そういうわけだから、こっちは俺に任せてレグザートと一緒に帰ってくれるかい?」
「え、私ひとりで帰れますよ。勇者さんもそちらで大丈夫です」
「魔物も出るし、それに……ひとりじゃ、危ないから」
トマスさんは最後の言葉を、ちらり、と勇者さんに視線をやってから言いました。え、これ、言葉をそのまま受け取ったら「魔物が出て私が危ない」って感じですけど、なんというか含みがあるような……。
勇者さんが少年と話しているわずかな間、トマスさんが声には出さず口の動きだけで何か言っています。
ほう、こう……あ、わかりました。これ「方向音痴」って言ってます。
つまりさっきの含みの部分、「私が危ない」じゃなくて「方向音痴がいるとこっちが危ない」って意味ですか。
「そういうわけだから、頼むよ」
「……ハイ」
苦笑しながら頼まれたのでどうやら満点の解答のようです。絞り出した変な声しか出ませんでした。
あれですかね。
勇者って、必ず方向音痴じゃないといけないんですかね。