第16話 心を映す空の色
私には勇者さんの言葉の意味が理解できませんでした。
人殺し?
誰が?
――ゼロさんたちが?
言葉がぐるぐると回り続ける中、別の声が私の思考を呼び戻しました。
「おねーさん!」
声がしたほうを振り返ると、先ほど走り去ったはずのあの子が走ってやってくるのが見えました。そのすぐ後ろにはトマスさんの姿も。
トマスさんがいるということは勇者御一行勢ぞろいなんでしょうか?
そもそもどうして彼らがここにいるんでしょう。
もしかして、私を助けに……?
そう思ったものの、私の疑問は別の感情によって上書きされ形になることはありませんでした。
「おそいから心配したんだよ。だいじょうぶ?」
そう言って服の裾を掴みながら心配そうに見上げられました。か、かわいい。
弟がいたらこんな感じなのでしょうか。そう思うと同時に、前世の仲間であるニルスの姿が脳裏によぎりました。
年齢が近いせいか、何かとあの子と姿が重なって見えます。
「…おねーさん?」
「えっ?あ、はい!大丈夫ですよ!少しぼんやりしてしまっただけです」
私の言葉を信じてくれていないのか、疑わしげな眼差しを送られてしまいました。頭をなでて誤魔化しておくことにします。
「それで、今はどういう状況なのかな?」
「あ…えっと…」
私はトマスさんの言葉に答えることができず、勇者さんに視線を送りました。
来たばかりのトマスさんが疑問に思うのは当然だと思いますが、私だって意識が飛んでいたのでさっぱり状況がわかっていないんです。
どうやら何かを知っているらしい勇者さんに説明してもらおうと思ったのですが、答えは予想外の方向から飛んできました。
「私たちが同行していた彼ら。彼らを私がこの手で……殺めました」
そう口に出したのは、帽子を被ったあの商人さん。
誰が話しているのかを理解することはできたのに、その言葉の意味は私の中に入ってきませんでした。
滴る雨が私の肩を叩き、はっとしました。
けれど私たちは、誰もがその場を動けずにいました。
「――村の近くと、ここへ来る道中で死んでいた彼らも……あなたがたが?」
「私たち、と言うと正確ではありませんな。私が――殺したのです」
「え……ど、どう、いう……?」
声が震えて、うまくしゃべることができませんでした。
死んでいた、と聞こえました。
けれどただ聞こえただけで、意味が、わかりません。
私のほうを振り返ったトマスさんは、悲痛な表情を浮かべていました。
「リィムが連れ去られた後、馬車があった付近で彼らの仲間が……殺されていたんだ。馬車を追って俺たちが進んできた道中でも、同じように……」
信じ、られませんでした。
でも商人さんは嘘を言っている様子はなくて……そして私は、気付いてしまいました。
5人いた商人さんたち。亡くなった2人。
今私の目の前にいるのは帽子を被った商人さんとゼロさんの……2人。
さっきまで確かにいたはずなのに、姿が見えなくなった商人さん、は、
「そして……3人目の、彼も」
「ええ。今しがた……この崖から落としました。妻と同じく、傷を負わせ、生きたまま苦しんで落ちていくように……」
ひやり――と。身体が冷たくなりました。
降り注ぐ雨のせいでしょうか。それとも商人さんの瞳が恐ろしかったからでしょうか。
きっとどちらも違う。
人が死んだと聞いて、私は――恐れている。
記憶が、苦しみが、よみがえる。
苦しい。苦しい。死ぬのはとてもつらい。
痛くて苦しくて、さみしい。
――心臓がうるさい。押さえつけるようにして服を掴んだけれど、まるで言うことを聞かない。
その時。不意に冷たさが和らぎました。
見ると、心配そうな顔をした勇者さんが私の両肩を支えてくれていました。
その瞳が「大丈夫か」と語りかけてくれているような気がして、応えようと思ったのですが、何と言えばいいのかもわかりませんでしたし、とっさに声も出なかったので頷くしかできませんでした。
けれど、人のぬくもりに安心したのか、少し落ち着くことができました。
あの冷たい夢の世界と違って、ここには温かさがあります。
あれは過ぎ去った過去の時間。それはもはや今とは別の世界と言い換えていいのかもしれません。
気持ちを完全に切り替えるのは難しいけれど、そうやって何度も自分に言い聞かせました。
その甲斐あってか、ようやく現状について考えられるようになってきました。
「あなたは…彼らの仲間だったんじゃないのか」
私の肩に手を置いたまま、勇者さんも商人さんに問いかけます。
商人さんは先ほどと同じように包み隠すことなく答えてくれました。
「仲間…などではありませんよ。私はもともと、彼らを殺すためだけに同行していたのですから」
「どうして、そんな……」
やっと絞り出して出てきた言葉が、途中で形を成さなくなりました。
商人さんの先ほどの言葉を思い出したからです。
私と同じように思い出したのでしょう、トマスさんが――やはり悲痛な表情を浮かべながら、商人さんに問いかけます。
その表情をどこかで見たことがあるような気がしましたが、思い出せないまま意識は商人さんへと向かいました。
「あなたは……妻と同じく崖から落とした、と言った。もしや、それは…」
「――ええ。妻を殺したのは、彼らなのです」
商人さんはぽつりと言いました。
――これは復讐なのです。
――何もかもを失った私の、最期の望み。
彼の視線の先にあるのは曇天。
その暗い空から舞い落ちるのは雨粒。
私には空を仰ぎ見る商人さんが泣いているように見えました。
雨のせいでそう見えただけなのか……本当のところは、わかりませんでした。
5/5 前話(■)と順番を入れ替え。