★記憶のカケラ2 『夢見たセカイ』
「ん……」
目を開けると薄暗い天井が映った。霞みがかった思考の中、夢か現実か曖昧になる。
目にしたそれが馬車の幌なのだと覚めきらない意識の中でゆっくり認識すると、馬車の中だということを差し引いてもまだ薄暗い、明け方の時間帯なんじゃないかと考える。
「……」
って……あれ?私寝てた……?
横になったまま、傍らですやすやと寝息を立てる仲間たち二人を見た。
あ……そっか。年少組二人を寝かしつけてたんだっけ。どうもそのまま一緒に眠ってしまったみたいだ。
身体を起してみると、馬車の中には私たち三人しかいなかった。代わりに外から火の爆ぜる音がする。二人を起こさないように気を付けながら馬車から降りた。
「おや。リムも起きましたか」
柔和な笑顔で私を迎えてくれたのはヴァン。彼も年少組を挟んだ向こう側で寝ていたはずだけど、いつ抜け出したのかさっぱり気付かなかった。
「うん。みんな早いね」
「それだけ貴女が疲れていたということでしょう。もう一度眠ってはどうです?」
確かに、眠れるのならそれに越したことはないと思う。けど目が冴えてしまっている。もう眠れそうになかった。
「ううん。私も起きてる。それより」
それよりも気になっていることがあった。
ここにいるのはヴァンだけじゃない。ヴァンは年少組の片割れと一緒にいることが多いからかもしれないけど、この組み合わせは……いや、相手が誰だろうと彼が話していることそのものが珍しい気がする。
「ヴァンとドーンの組み合わせなんて珍しいよね?二人で何話してたの?」
彼の名前はドーン。仲間の中で一番の無口で、表情もめったに変わらない。
必要以上に話さない彼が話していると言う。気にならないわけがない。
笑顔のヴァンとは対称的に、ドーンは相変わらず無表情だ。その視線の大半も火と薪に向いている。
「たいした話はしていませんよ。ほとんど僕が一方的に語るのみでしたし」
「それが珍しいんだけどなぁ……」
一行の中でドーンと一番会話するのは私。話を振ると頷いてくれたり、短いけれど言葉を返してくれるのを私は知っているからだ。私たちの仲間に加入した経緯も経緯だし、そんな仕草もよく見ていないと気付けないから、知らなかったら話しかけるのが怖いかもしれない。
こうして話しかけているということは、ヴァンはドーンのそういったところに気付いてるってことなんだと思う。
「って、そういえば。他のみんなは?」
二人が話している物珍しさですぐには気付かなかったけど、他の仲間がいない。
きょろきょろと辺りを見渡してみても姿は見えなかった。
いないのは、勇者ことレグナムと、剣士の二人かな。
「レグナムがこの付近を見て回ってくると言い出しましてね……危険なので、二人には付き添ってもらいました」
「ああ……うん、賢明な判断だね……」
この場合の危険は、もちろん戦闘能力って意味じゃない。
はっきり言ってしまうと、レグナムは極度の方向音痴だったりする。それも本人には自覚がないから、なおのことたちが悪い。
あの究極の方向音痴を放置するのはかなり怖い。けど、二人もついていてくれるなら大丈夫、かな。……たぶん。
「ふあ、あ……。うー……」
「おや?ニルスまで起きてしまいましたか」
聞こえた声に振り返ると、眠たげな目をこすりながら馬車から年少組の片割れが降りてくるところだった。
狩人のニルス。
普段年少組と一まとめにしているけど、仲間の中で彼が一番若いことになる。
山奥で母親と二人暮らしをしていたせいで何を見ても物珍しいらしく、彼は行く先々で初めて見る何かに目を輝かせている。
その無邪気さに、私たちは少なからず救われていると思う。
けれどその一方で、弓の腕前は既にかなりのもの。戦闘でも彼の弓はあてにされている。
うーん、私も見習わなきゃなぁ……。
「んー……」
「どうかしましたか」
ニルスはヴァンの隣に腰を下ろすと、寝ぼけ眼でぼんやりとヴァンを見ている。そんな彼にヴァンは優しく声をかける。
普段ならそれだけで晴れるニルスの表情は曇っている。
「夢……見たんだ。ヴァンが……ううん、みんな、いなくなる夢。すごく寂しかった」
ニルスはまだ幼い。幼い故に純真そのもので、その言葉は深く心に響く。
お母さんを亡くしてそう経っていない、親しい人がいなくなることを恐れているのかもしれない。
「大丈夫ですよ。僕も、皆も……ニルスの傍にいますから」
ね?とヴァンは私のほうに視線を投げた。それを受けて私も頷いた。それでもニルスの表情は未だ晴れない。一体どんな夢を見たんだろう。
「うん……でもね、思ったんだ。この旅が終わったら、みんな、ばらばらになるでしょ?」
「それは……」
とっさに言葉が続かなかった。それは、事実だから。
旅というものは、目的を果たせば終わってしまう。誰にだって帰るべき場所があるから。
そして目の前の少年は――出迎える家族がいなくなった、あの家へと帰る。
帰るべき場所はあっても、出迎えて「おかえり」と言ってくれる人はもういない。
帰る家と村があり、そこで幼なじみと育ての親が待っていてくれている私は、贅沢すぎる気がした。
「ふむ。旅を終えた後、ですか。そういえば皆で話したことはありませんでしたね」
言葉に詰まってしまった私とは違い、ヴァンは普段の調子で頷いていた。話を振ったニルスでさえも不思議そうだった。
「僕はあの山へと帰るでしょう。リムは、住んでいた村へ帰るのですか?」
「え、あ、まぁ……」
「そうですか。ドーンはどうですか?どこか、帰る場所があるのですか?」
「…………さぁな」
ドーンについてはわからなかったけど、私やレグナムに関してはその通りだ。一緒に村に帰ると約束したし、帰りを待ってくれている人たちもいる。
ヴァンも同じく、元々住んでいた山に帰るつもりらしい。ということは……ああ、そういうこと。ヴァンの意図がわかって、少しだけほっとした。
「そしてニルス。君も、家に帰るのでしょう?僕が住む山のふもとにある、あの家に」
「あ……」
そう、ニルスの家は、ヴァンが住む山のふもとにある。頂上まで行くのは骨が折れるけど、ひ弱な私と違って山で育ったニルスにはそう難しいことじゃない。何より、友達が待っているわけだから、その道のりも辛くは感じないだろう。
「それぞれの場所に帰ると言っても、もう二度と会えないわけではありません。会いたくなったら会えばいい。生きてさえいれば、いつだって叶うことなのですから」
「う……うん!」
ヴァンの言葉でようやくニルスは笑顔になった。私もつられて笑顔になったし、一緒に安心してしまった。
そう、生きてさえいればまた会えるんだ。
旅の終わりを惜しむより、別れ別れになってもまた再会できることを嬉しく思おう。
「まだ出発までは時間があります。もう一度眠りなさい」
「うん。……ヴァンは?」
「ええ。僕ももう一休みしましょうかね」
ヴァンはもう一度こちらに視線を投げた。私は笑顔で頷く。
おぼつかない足取りのニルスとそれをしっかり支えるヴァンを見て、まるで本物の兄弟のようだと思った。
本当に仲がいい。片方が齢数百年の竜だとはとても信じられない。
「旅が終わったら、か……」
もうすぐ、王都に到着する。王都を旅立てばあとは魔王のいる西側の地だけ。そう考えると旅の終わりも近いのかもしれない。
もちろん魔王がいるだけあって一番危険で過酷なものになるのは間違いないと思う。それでも考えたくなった。
みんなが笑い合う、幸せな結末を。
「ねぇ。ドーンはどうするの?」
声をかけると、ドーンは視線だけをこちらに向けた。睨んでいるわけではなく、続きを促しているんだと解釈して話を続ける。
「故郷は?どこか、帰る場所はあるの?」
少しつっこんだ質問になるけど、聞こうと思った。生きていたら確かに会えるけど、いる場所がわからないんじゃ会いに行きようもない。
「…………知らない。物心ついた時には転々と、していた……」
「そ…っか……。じゃあ、どうするつもりなの?」
「さぁな……」
先ほどヴァンに答えたのと同じ言葉が返ってきた。ドーンは曖昧に誤魔化したわけじゃなく、本当にどうするか決めていなかったのだと知る。
彼ならどんな場所でもやっていけると思う。一所に留まらずに各地を転々としても大丈夫だろうし、ニルスのように野山で狩りをしても生きていける。それだけの能力がある。
彼がやっていけることに不安はない。あるとすれば、会いたい時に会えないことくらい。
だから私は、きっと余計であろう一言を言うんだ。
「それなら、さ。私たちの村に、来ない?」
「…………」
ドーンは答えない。答えられないと言ったほうが正しいのかもしれない。視線を私に向けたまま固まってしまった。
表情は相変わらずの無表情だったけど、反応が珍しかったからつい笑ってしまった。
私が笑ったことで自分の状況に気付いたんだろう、ドーンは視線を逸らしてしまう。からかわれたと思っているのかもしれない。そうじゃないことを伝えておかないと。
「笑ってごめん。でも、よければどうかな?住む場所も用意できるだろうし、仕事も、何とかなると思う。ドーンなら大体のことできそうだしね」
若い男性は貴重な労働力だ、それなら必要とされることはあっても蔑ろにされることはないはず。ただでさえ王都や他の街に人が流れていっている村なんだから人が移住してくるのは歓迎だろう。
「あー……その分、娯楽なんかは少ないけどね……」
「何故」
「ん?」
小さな声に反応した先にはドーンの視線があった。聞き間違いかと思うほど小さな声だった。けれど彼の瞳は確かに私を射抜き、それが間違いではなかったことを知る。
「何故……俺を誘う?その必要が、ある……のか?」
今度はきちんと、私にも聞こえる声で問いかけられた。
何故、か。言われて考えてみる。答えはひとつしか浮かばなかった。
「仲間だから。行くあてがないって言うのなら、誘ったって罰は当たらないかなって」
もしも、一緒に旅をした仲間が、大事な友人が、旅を終えてからも一緒にいてくれるのなら。
それはきっと嬉しいことだと、楽しいことだと、そう思う。
帰る場所があるのならそれもいいと思う。自分のために旅を続けるのだって悪くない。
だけど、仲間とともに過ごす……そんな道があったっていいと思ったから。
私はその選択肢を出すだけ。選ぶのは彼だ。
「……それは、お前の。望むこと……か?」
望みか、と尋ねられた。何だか聞かれてばかりだと思う。それだけ彼にとって大事な問題なんだろう。
「うん、そうだね。望んでるからこそ、こんな提案をするんだろうし」
「そう、か」
私の返事を聞いたドーンは珍しく――本当に珍しく、ほんのわずかだけれど、笑った。
「お前が……リムが、そう望むのなら。それもいいのかも、しれないな……」
「うん。旅が終わったら、答え、聞かせてね?」
この時の私は、旅が終わってからも仲間たちとの楽しい時間が続くと信じて疑わなかった。
けれど、私は気付かなかったんだ。
生きてさえいれば会える。そう、それは確かだろう。だからこそ正反対の言葉も成り立つ。
死んでしまえばもう会えない、ということ。
すぐ先に自分が果てる運命が待ち受けているなんて知る由もない私は。
そんな当たり前のことに、この時はまだ、気付けなかった。
だいぶ前に書き上がっていたはずなのに細かいところが気になる。未だに気になる。