第10話 目は口ほどに語る、という話です
新しい朝が来ました。窓から差し込む光も暖かく、今日もいい天気のようです。
……村の現状を思い出して朝一番のため息。いえ、私が深く考えなきゃいけない問題でもないんですけど、この村の人って楽観的な人が多くて……。
村の外から来た元神官様なんかは考え方が違うようで、こういった状況になると考えてくれるんですけど、元々の村の人は「なんとかなる」と考えていると言いますか……とにかく見ていて心配になるのでつい口を出したりあれこれ考えたりしてしまうんです。
前世いた村ではここまで気を揉んだことはないんですがね。地域的な差のようなもの、なのでしょうか?
答えなんてわからないまま、ひとまず任せられた役割を果たそうと思います。自分用の朝食を軽く済ませると、商人さんたちの分の食事を用意することにしました。
端的に言ってしまうと、私は商人さんたちのことが好きじゃないです。いえね、挨拶に来た商人さんのことは嫌いではないんですけど。残りの四人のうち三人の人がちょっと……という感じでして、ね。
現に先ほど食事を届けに行ったら、
「飯だあ?いらねえつっただろ」
とか言われました。
いえ聞いてませんけど。
「俺らじゃなくゼロに与えてこい。あ?使えねえ馬のほうにでもいんだろ。とっとと行け。ああ、馬の餌もすぐ用意しろよ。ケチらずに昨日より量多くしてこい。わかったな?」
私はあなたの召使いですか。違いますよ、ただの村人その1なんですからね?
言ったところで態度が改まるとは思えなかったので無言でその場を立ち去りました。
ちなみに昨日の夜も食事を届けに行ったんですけど似たようなものでした。家に帰ってから枕をパタパタしたりはしましたけど、特に怒ったりはしてないです、ええ。
元神官様いわく、「大事な荷を積んでいて過敏になっているらしい」とのことでしたけど、だからってあんな言い方じゃなくていいですよね。まったく。
とげとげしい感情を持て余したまま向かうのは、怪我をした馬を休ませている場所です。
元は余った木材を貯蔵しておく蔵なんですが、今の時期はまだそう多く貯蔵されてはいないので馬がいても余裕です。というか、これだけ余裕があるんですからもう一頭もここで休ませてあげればいいのに、とか密かに思っていたりします。
「おはようございます。お食事、持ってきましたよ」
蔵を覗き込んで声をかけると、中にいた人と目が合います。
先ほどと違って罵倒は飛んできませんが、他の返事も返ってはきません。ただ小さな頷きがあるだけです。
それでもささくれだった心には温かいものに感じられるから不思議です。あ、この人が残りの商人さんの中で「嫌いじゃない」と思ってる人です。基本的に無表情で無反応なので普通の状況だったらどうかわかりませんけど、罵倒が返ってこない時点ですごく有り難かったりします。
そんな彼の名前はゼロさん。数字の名前なんて珍しいですよね…って、私がそう思うだけで今の時代では一般的な名前かもしれないんですけど。
お盆に乗せていた食事を渡すと、もう一人分用意してあることに気付いたゼロさん。それを不思議そうに見つめていました。いえ、不思議そうっていうのは私の主観なので合っているかどうか不明なんですが。
「あ、これは元々馬車の方々に持って行ったんです。で、いらないって言われて」
私の説明を聞いたのか聞いていないのか、そのまま自分の分に視線を移し、ゼロさんは食べ始めました。その隣で私も食べ始めます。……ですよね、見られますよね。とても視線を感じます。
「余りましたし、私もまだ朝食べてないんです。食器の回収も楽ですから、ここで食べていきます」
本当は少しだけつまんできましたけど、足りなかったんです。乙女の秘密ということで。
興味を失ったのか、そもそもそんなものは最初からなかったのか。何事もなかったかのように再び食べ始めるゼロさん。私も黙々と食べながら同時に今後のことを考えます。
えーと、食べ終えたら食器を持って一度家に帰って片付けて、今度は馬の食事を用意して……ああ、またあの罵倒を受けなきゃいけないんですね……そろそろ心折れそうです。でも嫌なことは先延ばしにしたいので先にこちらの馬に食事を持ってこようかと思います。それでも嫌なことがなくなるわけじゃないんですけど。
そこまで考えて、自然とため息が出ました。やりたくない仕事ですけど、誰かがやらなきゃいけないんですよね。逃げられないこともわかっているだけに余計憂鬱です。
「…………」
「………?」
気付くと視線を感じました。視線の発生源は当然ゼロさん。目が合うと器を差し出してきました。あ、もう食べ終わったんですね。受け取った器と逆の手に握られた私の器にはまだ半分ほど残っています。
目的の器も受け取ったので帰ろうかとも思いましたが、食事の途中で帰るのも何なのでそのまま食べ続けることにしました。ゼロさんはしばらくこちらのほうを見ていたようですが、私が帰らないとわかるとそのまま馬のほうに向かい腰を下ろしました。まぁ私がいなくても同じだった気もしますが。
食べながらぼんやりとゼロさんと馬の様子を観察します。ええ、口は動いていても暇だったもので。
ゼロさんが横たわる馬の背を撫でると、馬は応えるように小さく声をあげます。決して嫌がってる風ではなく、嬉しそうに。
馬の声を聞いて、私は確信しました。昨日、射抜くような鋭い視線で私を見たのが彼であるということを。
他の商人さんたちは馬を撫でようともしませんし、特に私が苦手な三人については馬の近くを通る時にさりげに馬に避けられているのを見ましたから。彼らは気付いてもいないでしょうけど。
それにしても、ゼロさんは何故あの時あんなにも私を見つめてきたのでしょうか?気になるところではありますが、きっと答えなんて返ってこないでしょう。ゼロさんがしゃべっているところを今のところ一度も見ていませんし。仲間の商人さんならともかく、私とは話してくれそうもありません。
……あ、もしかして。私のことを知ってるんでしょうか?そう、たとえば、2年前に来た商人さんのように、ゼロさんも以前この村に来たことがあるとか……?
少なくとも私には思い当たる節はありません。この村に誰かが来ればそれだけで大事なので覚えているでしょうし……。
考えを巡らせているうちに食べ終わりました。ごちそうさまでした。
ああ、現実に戻らなくてはなりませんね……。本日二度目のため息。
最後にもう一度ゼロさんと馬を見ると、蔵の外から強い日差しが届き、馬の毛をきらきらと輝かせていました。構造上そう多くの光が入ってくるわけではありませんが、黒だと思っていた馬の毛が黒みがかった茶だと気付かせてくれるには充分な量でした。そしてそれがとてもきれいな毛並みで、思わず「触ってみたい」という思いを抱かせるのにも充分なものでした。
思いがけず溢れた欲求にうずうずしてしまい、気付けば私はゼロさんの近くまで歩いて行って声をかけていました。
「あの……私も撫でていいですか?」
「…………」
私が声をかけたのがそんなにも意外だったのか、ゼロさんは手を止めて私を見上げました。私はゼロさんの驚く顔を見たことに驚きましたけど。
「…………」
ややあって、視線を逸らしたゼロさんが頷くのを確認しました。良かった、無視されるかと思ってはらはらしてたんです。
持ち主さんの許可を得たところで、当人……いえ、当馬?にも声をかけます。
しゃがんで視線を合わせると、穏やかな目が近付いた私をじっと見つめてきました。
「触らせてもらってもいいですか?」
目が優しそうだと思い、自然と笑みがこぼれていました。
馬は穏やかな眼差しのまま先ほどゼロさんに撫でられた時と同じように小さく声をあげました。
いい、ということなんでしょうか?
ゆっくりと手を近付けていくと拒絶されなかったので、そのまま静かに首筋を撫でました。予想通り、いえ、予想以上にいい触り心地でした。手触りもそうですけど、動物と触れ合うのっていいですよね。この村には馬なんていませんから、動物に触れたのは随分久しぶりなんです。
「………、あ」
撫でていると、怪我をしている足が視界に入りました。包帯を巻かれていて傷は見えませんでしたが、それでも痛いには違いありません。
…私は癒す術を持っているのに、癒すことが許されない。それは何だか矛盾しているような気がしました。
私は治癒魔法が使えます、ただし下位の、それも我流に近いものですが。
けれど、時間さえあれば傷を癒すことだってできる能力です。いえ、傷を癒すまでいかなくても、痛みを和らげるところまでだってできます。
そのどちらも、元神官様のことを考えなければできること、なんですけどね。
「………」
ちらり、とゼロさんのほうを見ると、
「…………」
私なんていないかのように、馬の背を再び撫でていました。というかこの人、馬を撫でることしか仕事ないんでしょうか。馬についていてあげる人が必要なのはわかりますけど正直今の状況だと羨ましいことこの上ない……じゃなくて。
つまりは、私のほうを見ていないってことですよね?これはチャンス。
「ん…………」
馬を撫でるふりをしながら―実際に撫でているんですけど―治癒魔法の詠唱に入ります。
傷がいきなり完治しては不自然でしょうし、何より詠唱の言葉で気付かれる可能性があります。けど、この程度の魔法なら頭の中で詠唱を組み立てるだけでもすぐに済みます。
思い描いた治癒魔法の詠唱を、頭の中で素早く組み立てていきます。その作業はパズルのピースをはめる時に似ています。
頭の中のピースがはまり終えた瞬間、ぽん、と馬の首筋を撫でました。私の不完全な治癒魔法は直接触れないと効果がないんです。神官の方たちが使う治癒魔法だとそんなことはないんですけどね。我流なものでこれ以上どう変えたらいいのかわかりませんし。
さて、私の治癒魔法はどうだったのでしょうか。しゃべれない相手に尋ねることはできませんが、変化は起きました。
「わ、わ…」
馬が目を細めて頭をすりよせてきました。私が傷を和らげたのだとわかったのでしょうか?馬は賢い生き物だと聞きますし、それもあり得そうですね。
ただの自己満足ですが、それも承知の上です。人の勝手な都合で振り回してごめんなさい。
最後にもう一度だけ首筋を撫でて、私は勢いよく立ち上がりました。よし、今度こそお仕事、頑張らないと。
「さて。それじゃあ私、この子たちの食事の用意をしてきますね」
ゼロさんは俯いていてその表情は見えませんでした。さして返事をする内容でもなかったからですかね。気にせず食器を手に出入り口へと向かいます。
「――果実、」
「へ?」
なにか音が聞こえた、と思ったのが正直な感想でした。
それがゼロさんの声だと理解できたのは実際にゼロさんが口を動かすのを見た時でした。
「こいつは……果実を好む。わずかばかりでも……余剰が、あれば。与えてやって……くれ」
「え……は、はい…………」
しゃべらないと思っていた相手がしゃべり始めた衝撃……わかりますかね?失礼な例えですけど、馬が突然しゃべったと思ってもらえれば伝わるかと思います。
本当に失礼な例えしか浮かばなくてごめんなさい。けどそれくらい驚いたんです!
「えと、あの、はい!じゃあ私……行きますね!」
逃げるように蔵を後にしました。家へと戻る道すがら、別に私が慌てることもなかったんじゃないかと気付きましたが、完全に後の祭りですね。
ゼロさんが言っていた果実……果物を用意するのは少し時間がかかりそうだったので、先に馬車にいる馬の食事を用意して持っていくことにしました。本当は後回しにしたかったんですけどね……。
だけど、怪我した時くらい好きなもの食べたいですよね?人も馬も一緒だと思います。あ、具体的に何が好きか聞くのも有りですね。
まぁ……それもこれも、『ここ』が終わってから、なんですけどね……。
「あの…………馬の食事、です、けどー……」
「ちっ……、やっとかよ。貸せ」
睨まれながら用意したバケツをひったくられました。ついでに「とっとと失せろ」の言葉までもらいました。何か言い返したかったですが、私はそう器用ではないので開きかけた口をそのまま閉じることしかできませんでした。
それにしても……何なんでしょうね、本当に。
そこまでして守ろうとしている荷、というのは。
足を止め、思わず馬車を見上げました。
「…………?」
一瞬、馬車が揺れた――ように見えました。
馬車につながれた馬につられて動いた、のでしょうか…?それとも風で揺れて…?
いえ、今日の風はとても穏やかです。馬車を揺らすほどの風はないように感じますし、馬だったとしても、こんなにも力強く動かせるものなのでしょうか?だって、この馬車は、
「おい……失せろ、つったのが聞こえなかったか」
不機嫌そうな声で我に返りました。
そうでした、こんなところに突っ立っていたら攻撃の的ですよ。なんて馬鹿なんでしょう、私は。
「飯の用意も満足にできねぇ上に言葉も理解できねぇのかよ。あぁ?」
馬に食事を与えていた商人さんが、私のほうへ近付いてきます。
――この目は、こわい。
そう思うと足がすくみました。口が勝手に「ごめんなさい」と言いそうになります。けれどその言葉は寸でのところで飲み込まれました。
――私は悪くない。
そう、だから謝る言葉も存在、しないんです。
気付いたら私は商人さんを睨み返していました。……当然、怖くもなんともないものだったとは思いますけど。
「んだよ?その目は」
私の前に立った商人さんが私を見下ろしています。その視線も背の大きさも、怖いです。だけど私は悪いことなんてしていません。イライラしているのも立ち去ってほしいと思っているのも、商人さんの勝手です。
だから私は私で勝手にするんです。
「気に入らねえな……」
商人さんの右手がすっと上がるのが見えました。
――叩かれる。
それがわかって、目をつむって身を固くしました。
けれど予想した衝撃は来ず、代わりに感じたのは。
「なっ、なんだっ!?」
魔法を使った魔力の残滓と、商人さんとは別の人の気配。
「――彼女から、離れろ」
聞き覚えのある、声。
目を開くと、そこには――
「レ、グ…………勇者、さん……?」
商人さんの右手を掴み上げ、鋭い視線で睨みつけている勇者さんの姿がありました。
次話の更新は普段より遅めです。
3/25 一部数字を漢数字に変更。
年齢、年数などは数字、人数、頭数などは漢数字に。