第9話 平穏って意外なほど壊れやすいです
成人してから2年が経ちました。私ももう17歳です。
17歳と言うと前世で旅に出た時の年齢であることを頭の片隅に思い浮かべてしまいますが、勇者さんたちが再びこの村に来ることはないでしょう。
……あ、メサイアさんがいるなら元神官様に会いに来ますかね。でも、そう何度も来ることはできないですよね。皆さん旅で忙しいんですし。
「ふぅ……」
考え事をしながら動かしていた手を休めます。
この辺りは年中過ごしやすい気候です。とはいえ、身体を動かしていれば汗だって出ます。
今日やっていたお仕事は、お向かいさんの家の畑の手入れです。この村ではどの家にも畑があり、お向かいさんの家も小さいながら畑があります。
本来なら家々で行う作業なんですけど、何でもお向かいさんは昨日、お子さんをたかいたかいしようとした時に腰をやってしまったのだとか。そういえば昨日どこからか奇声が聞こえた気がしたんですが、気のせいじゃなかったんですね…。
林業によって生計が成り立つこの村では、大半の人が木に携わる仕事をしています。私はその大半の例から漏れ、村の人たちの手が足りないところを手伝うのが主なお仕事です。
いわゆる何でも屋さんみたいなものですね。そんなわけで今回はこちらにお邪魔していたわけです。
「さて…と」
空が茜色に染まっています。今日のお仕事も終わりですね。ついでに私の家の畑も手入れしておきたかったんですが、それもまた今度になりそうです。
今日は早いところお風呂に入って寝てしまいたいです。
「…………ん?」
ふと気になって、村の入り口のほうを見ました。私の家やお向かいさんの家は村の入り口から近い位置にあるんです。
そうして見つめた先に、夕陽を浴びながら歩く誰かの影が見えました。光の加減で顔まではわかりませんでしたが、村の誰かではないと思いました。その横に見覚えのない大きな影が見えたからです。
首をかしげて考えます。あれは何でしょうか。………馬?
私の疑問に応えるように、馬がいななく声が聞こえました。当たりのようです。ですが何故馬がいるのでしょう?
村に来るまでの道がないわけではありませんが、あくまで人が通るためのものですし、馬が通るには大変な山道だと思うんですが……。
私が考えていると、影の動きが止まりました。かと思うと、人影が向かってきます。どうやら馬を置いて人だけがこちらに来ているようです。
人影の輪郭から、それが恐らく男性で、帽子を被っているということだけがわかりました。
馬の声はそう大きくなかったはずですが、違和感に気付いたのでしょう。村の人たちの話す声が聞こえてきました。振り返ると少しずつ人が集まり始めているように見えました。
「どうもすみません。ちょっとよろしいですかな」
声をかけられて再び村の入り口のほうを向くと、歩いていた人影が私のすぐそばで足を止めていました。村の人は他にもいますが、一番手前にいた私に声をかけたようです。
「はい、何でしょう?」
「村長さんを呼んでいただけますかな。我々は隊商を組んで商いを行っているしがない商人なんですがね、魔物に襲われ命からがら逃げてきまして……できれば数日滞在させていただきたいんです」
「あ……えっと。村長、ですか」
言われてちょっと……いやすごく困りました。実はこの村、村長っていないんですよね。
これまで代表が必要な場面もありませんでしたし、祭りなども持ち回り制でやっているので、誰がやる、誰が偉い、みたいなものはないんです。
困る私をよそに、商人さんはにこりと笑いました。
「実は2年ほど前にもこちらで世話になったことがありまして。忘れておいでかもしれないが、2年前の商人が来た、と村長さんにお伝え願えますかな」
どうやら商人さんは私が警戒して取り次がないと思ったようです。そうじゃなくて、村長がいないんです……とは言えませんでした。
この口振りだと、商人さんは「村長さん」に会っているようですし、何より……この人、どこかで会ったことがあるような気がします。
どこかで、って、私が会ったとしたらこの村でしか有り得ないんですけどね。あれ?2年前って、そういえば……。
「おや?あなたは確か……」
「おお、これはこれは、村長さん。いやあお久しぶりです、覚えておいでですかな?」
後ろから誰かがやってきて、商人さんと話し始めました。振り返らなくてもわかります。元神官様です。
ついでと言ってはなんですが、思い出しました。この人、2年前の商人さんですね?
元神官様に向けて帽子を左手でつかみながら礼をしたので思い出しました。印象的な癖のある人ですよね。
元神官様も商人さんのことを覚えていたらしく、二人の会話は弾んでいます。どうやら後は元神官様、もとい、村長さんに任せておけば大丈夫でしょう。以前商人さんが来ていた時は帰る時に顔を合わせたくらいでどういう対処をしていたか私は知りませんしね。
勇者さんたちが来た時も元神官様の家に泊めていましたし、きっと今回もそうなることでしょう。村人その1の役割も終えましたし、私は家に――
その時、視線を感じて村の入り口のほうを見ました。
そこには商人さんが置いてきた馬が当然今もいるのですが、けれどそこから視線を感じました。
馬の横にはやはり人影。……って、あれ?商人さんはこちらにいるのに何故?
そこで別の考えに至りました。馬を置いてきたわけじゃなく、他の人に任せてきたんですね?そういえば隊商を組んでいる…とか言っていましたし、元々商人さんと影が重なっていたせいでもう一人いることに気付かなかったようです。
少しずつ状況を整理しながらぼんやりそちらを眺めていると、感じていた強い視線が止んで馬のほうを向いたのがわかりました。
その人の手が馬の背を優しく撫でているように見えました。
「…………???」
何だったん、でしょうか?
私の疑問に応えるのは馬が小さくいななく声だけでした。
結局のところ、商人さんは最初に挨拶に来た2年前の商人さんを含め、五人いました。馬がいたので予想はしていましたが、馬車で来たみたいです。
話によると馬車は村のすぐ外に停めてあり、馬車をひく馬のうち一頭は村の中に、もう一頭は馬車のそばにいるんだそうです。
村の中に一頭だけ連れてきたのは、その馬が足を怪我してしまったためだとか。二頭でようやくひける馬車なのだそうで怪我をしながらも何とかここまで馬車をひかせたそうですが、その代償として随分傷ついているようです…。
撫でられるその姿を見た限りではとても穏やかそうに見えましたが……。
本来ならこの村よりも王都に行くほうが道のり的に良かったようなのですが、魔物をまきながら進んだため距離的にも近く、また馬の足も既に限界だったのでそのままこの村にやって来たのだそうです。
この村のことを知っていたから良かったものの、もしそうでなければ今頃危なかったかもしれないですね。
それにしても商人さん、前も魔物に襲われて危険な目に遭っていたような気がします。何度も危険な目に遭うのは商人としてのさだめなんでしょうか、それとも商人さんが特別に運が悪いのでしょうか…。
それでも何とか逃げ延びられるということは、運がいいと言うべきなのかもしれませんね。……あれ、どこかで聞いたような台詞です。
さて、何故私がこんな情報を知っていてこんなことを考えているかと言いますと、今目の前にいる元神官様経由で全部聞いたからです。正確には聞かされた、なんですけど。
一方的な情報伝達を終えてもなお元神官様の話は続きます。
「…彼らの寝床についてだが、俺の家で預かる。とはいえ、馬車で一人か二人は馬の様子を見ながら休むそうだから三~四人だがな。お前には馬車側の彼らの食事と馬の食事の面倒を見てもらう」
情報伝達の次は指示を与えられました。ええ、呼び出しておいてこれですよ。
「手伝え」とかじゃなく、もう既に私が手伝う前提なんですね。気持ちを込めて元神官様を見つめました。もちろん「面倒なので断りたいです」という気持ちで。
「そう恨みがましい目で見るな、消去法だ。家に泊める分は俺たちで面倒見るんだ、少しは協力しろ」
言い方が柔らかくなったようでいて、そうでもないような。
ただ、話によると元神官様の奥さんやお隣のおばさんといった面々も手伝うようなので私もしぶしぶ了承しました。村全体での頼まれごとでもありますし、ね……。
「まあ、いいですけど……何日くらい滞在する予定なんですか?」
「馬次第、だな。しかし運ぶ荷があるとも言っていたからそう長くもないだろう」
馬二頭でひける馬車ですから、当然一頭が怪我をしている現状では再出発できませんね。あれ?だとしたらすぐに治療すればいいはずですよね?
「どうして治療しないんですか?治癒まほう……」
「しっ、それ以上言うな」
指を一本立てて「言うな」という動きをして見せ、さらには周囲をきょろきょろと窺う元神官様。さながら不審者です。
元神官様は名前の通り神官だった人ですから、当然治癒魔法が使えます。そして治癒魔法は人だけでなく馬にだって効果があります。
なのに何故魔法を使わないのか……馬の足さえ治れば商人さんたちは数日と言わず、明日にでも出発できそうなものですけど。
首をかしげる私に、元神官様は小さな声で言いました。
「これでも俺は追われている身だ。彼らのように広い人脈を持つ人間だと、どこに情報が伝わるかわからない」
「あー……なるほど。そういうことでしたか」
あまりにも普通に生活しているので普段は忘れがちですが、そういえば元神官様って神殿に追われている立場なんですよね。そんな立場で情報が漏洩して得することなんてひとつもありません。
「あ、じゃあ私が代わりに使いましょうか?下位で良ければ、一応使えますよ」
「……お前には相変わらず常識が通用しないんだな」
元神官様の目が細められます。どういう意味でしょう?考えてみて、答えが出ました。
そうでした。今の時代、普通に暮らす村人は魔法がほとんど使えないんでした。私が治癒魔法を使えるとしたら誰かに教わったということになり、結局は元神官様のような人間がいるのだと言っているようなものです…。
「しかし…治癒魔法関連の本なんて…そもそもそんな本が…?」
「何をぶつぶつ言ってるんですか。それじゃあ、馬が自然に回復するのを待つんですか?」
「む…」
私が声をかけると唸るような声が返ってきました。それだと商人さんたちが出発するのがいつになるかわかりませんしね。食料も無限にあるわけじゃありませんし、困っているんでしょう。
食料もそう豊富に蓄えているわけではありませんし、お金を払ってもらったとしても買った食料を村に運ぶだけで一苦労です。
「いっそ、王都に行って新しい馬を調達してくるほうが早いんじゃないですか?」
私たちより荷を届けられない商人さんたちのほうが困っているでしょうしね。そうしたほうがお互いのためだと思います。
「……そうだな、ひとまずは進言してみよう」
苦々しい表情を浮かべながらも元神官様は頷き、私は食事の準備のために帰宅しました。
後で聞いた話だと、商人さんたちもそういった手を考えてはいたようですが最終的にこの案は却下されたそうです。
理由は「今の荷を売り払わないと馬を買うだけの金がない」とのことでした。命からがら魔物から逃げてきたわけですし、確かに手持ちに余裕がないのはわかりますが……。
しかしそうなると……今私たちが用意している食事代も払えないんじゃないですかね?
魔物に襲われたのは可哀想ですけど、この村もそう余裕があるわけじゃありませんから、もしそうなったら困るんですが……。
誰が悪いわけではないんでしょうけど、問題が山積みですね。
ため息しか出ないまま、その日は終わりを迎えました。
今のところまだ平穏だなあと思いつつも現在のタイトル。
3/25 一部数字を漢数字に変更。
年齢、年数などは数字、人数、頭数などは漢数字に。