第1話 思い出してしまいました
木々に囲まれた緑豊かなとある村。
王都からそう距離があるわけでもなく、二日もあれば往復が可能な距離に位置するこの村は、木々に守られているが故に林業が発達し、同時に姿なき隣人を王都の人々から覆い隠していた。
村の存在を知っているのは数少ない取引相手くらいのものだ。
これまでも、そしてこれからも、村の存在を知る者はごくわずかだろう。
だがそれで構わない。村は一つの家族のようなもので、皆が支え合い、協力し合って生きてきたのだ。それ以上欲するものは何もない。
彼らは今日も木々の恩恵を受け、田畑を耕し、慎ましやかに過ごしていた。
しかし王都から取引を終えて帰ってきた男の様子がおかしい。興奮しているようだ。
「勇者が現れたそうだ!まだ10歳の少年らしいが、5年もすればかつての勇者に勝るとも劣らない力を秘めているとか……!」
集まってきた村人たちはしばし呆然としながらも、男の言葉を理解すると歓喜に沸いた。
勇者の誕生。それは人々の希望であり、悲願であった。
300年の昔、勇者は魔王を討ち倒した。
訪れた平穏。待ち焦がれた安寧。
誰もがこの平穏な世界が続くと信じて疑わなかった。
しかしそれがひと時の夢でしかないことを彼らは知る。
平和の幕引きは数十年前、新たなる魔王が誕生したことに端を発する。
人々は待った。願った。魔王を討ち滅ぼす、新たなる勇者の誕生を。
だが、何年待てども勇者は現れなかった。
それもそのはず。勇者を探し出す役目を持つ聖剣は、300年前、かつての時代から行方知れずとなっていたのだから。
今の彼らに勇者を探し出す術は残されていなかった。
業を煮やした当時の国王は強者を募り、金を、地位を、名誉を欲する彼らに告げた。
―魔王を討伐せよ。さすれば恩賞は望みのままに与えよう―
腕に覚えのある猛者が、さらなる地位を求める貴族が、国に忠誠を誓う騎士が、それぞれの想いを胸に魔王討伐へと臨んだ。
結果は――惨敗。
人間たちは貴重な戦力を自ら失ってしまった。
それでも戦況を盛り返そうと、今も各地で人と魔の戦いは続けられている。
いつまで続くかわからない戦いの中、今回の報はまさに希望だった。
そして小さなこの村も例外ではない。現れた希望に、村人たちの心は期待に満ち満ちていた。
5年後の成人が待ち遠しい――
そんな声も聞こえてくるほどだった。
皆が浮き足立つ状態だったのだから、誰のことも責められなかっただろう。
まだ幼い少女が、持っていた鍬を取り落とし、やっとのことで自宅のベッドへ文字通り倒れ込んだとしても、誰も気付かなくて当然だ。
「……やっと見えた希望、ですもんね。私なんかに構ってる場合じゃないですよ、ね……」
すねたようにつぶやく少女は、何とか身体を仰向けにすると、ふぅ、とひと息ついた。
「……ゆうしゃ」
確認するように、その言葉を反芻する。
勇者。その言葉を聞いた途端、彼女の頭は発熱を起こすほどいっぱいになってしまった。
少女は熱が上がっていくことを感じながら、おばさんは今日中に気付いてくれるだろうか、と他人事のように考えた。
混濁する意識の中、彼女は愚痴るようにつぶやきを漏らす。
「思い出してしまいました……」
歓喜に沸く村人たちの声を子守唄に、少女は静かに意識を手放した。
“勇者”
魔王を打ち倒す宿命を持つ者。
聖剣に選ばれた者が勇者となる。
かつての勇者が現れたのはおよそ300年前。
“聖剣”
魔を屠り、勇者を探し出す役目を持つ勇者専用装備。
対魔王用の切り札なので普段使いは厳禁。
300年前の勇者も使用していたとされるが、その所在は不明。