あの人の生きられなかったその先の世界
曽祖父は第二次世界大戦……当時出征前の曽祖父自身の残した言葉に従うなら、大東亜戦争で命を落とした。
戦後、我が家には曽祖父の率いていた小隊の部下が、見舞いに訪れて泣き崩れ、遺された曾祖母と長男であった祖父の前で、額を床に擦り付けて許しを乞うたという。
彼の語ったところによると、曽祖父は弾薬の輸送任務中、運んでいた弾薬に敵軍からの銃火が誘爆して、遺品も何も残さず「吹き飛んで」しまったのだという。折しも熱帯の衛生的とはいえない飲水で腹を下していたその部下の代わりに、弾薬の警備にあたっていた曽祖父の、それが最期だったという。あの時に死ぬべきは自分であったはずだと述べた部下は、戦後の混乱のなかで行方知れずとなった。元部下の住んでいたあばら家からは、ヒロポンの空き容器がいくつも出てきたという。
主人を亡くした曽祖母と、その子供たち、祖父と大叔父の世代は、早くから家の柱となるべく奔走せざるを得なくなった。祖父は尋常小学校から先の進学をすべてあきらめざるを得なかった。遺族年金は生活費に消え、戦後の農地改革で広かった畑はあちこち切り取られ、小作農を抱えていた暇庭家は頼るべき収入源をほとんど失った。
そこからギリギリの生活の中で祖父は粘りに粘った。政府の食糧増産計画の波を捉えてすんでのところで乗りこなし、インゲンにニンジン、長ネギ、サヤエンドウ……推奨される作物はすべて作った。バラバラに切り取られた暇庭家の畑をあちらこちらに飛び回りながら。曾祖母は小作料を失くしたことを事あるごとに嘆いたが、祖父はそうではなかった。というのも、祖父は地主が恨まれていることを肌で感じたと生前ただの1度きり、話してくれたことがある。小作料は自分が働いたお金ではないから、必ずそれで小作農の恨みを買っている。恨みのあるヒトは本音で話してくれなくなる。
だから恨みを買った人間は周りにどれだけ人が居ようと、孤独にならざるをえない……。基本的に明るく朗らかだった祖父に何があったのだろう。祖父は本当に、滅多なことでは自身の人生を語らない人だった。それはもしかしたら、自身の人生に他人の恨みがべっとりとついて回っていたことの証左なのかもしれない。
祖父は2010年、この世を去った。誕生日までは粘ってみるか。と、癌で死期を悟りながらも、ごくあっさりとそんな目標を言って笑ってみせた祖父は、誕生日まであと5日というところで力尽きた。
その先の、彼らが遺した世界を私は生きている。
もしも、人生をかけて戦った男たちの、その先が私だと言うのなら。
なんとまあ残念極まりない結果だろうか。進学と受験勉強でひっそりと心を病み、親との問題に疲れ果てて今仏頂面で生きている私を、曽祖父が、祖父が、見たら文句を言うのではなかろうかと気が気でない。一生懸命には生きているつもりだが、求められる自分の力に、手が届く日はいつまでもやって来ない。私の天命の日には、極楽地獄はどちらでもよいから、曽祖父と祖父にだけ会わないようにしてくれまいかと閻魔大王に頼んでみようかと思っている。
鬱の方に波が振れて文章が書けなくなったので、なるべく軽量なテーマを設定しようと思って書いたもの。無理して書かないほうがいいかなあ。話題がブレ続けてぼんやりしてしまう。




