表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯台の猫と、嘘をつく少女  作者: 倉木元貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/33

灯台の白猫 第9話

 灯台を離れたあとも、澪の胸は落ち着かなかった。


 白猫の輪郭が薄れていたこと。

 「それでもだ」と言った声の静けさ。


 それらが、何度も脳裏で反芻される。


 ――嘘は、守っていた。


 自分だけでなく、白猫も。


 その事実に気づいてしまった以上、澪の中で何かが変わり始めていた。


 翌朝、登校すると、遥斗が昇降口で立ち止まっているのが見えた。靴を履き替えながら、何かを考え込んでいるようだ。


「おはよう」


 澪が声をかけると、遥斗は顔を上げた。


「あ、おはよう」


 一瞬だけ、視線が揺れる。


「……澪さ」


 歩き出しながら、遥斗は言った。


「最近、灯台の近く、よく行く?」


 澪の心臓が、強く鳴った。


「……どうして?」


 問い返しながら、嘘を探す自分がいる。


「この前、夕方にさ」


 遥斗は、前を見たまま続ける。


「あの辺、通ったんだ」


「そしたら」


 少し言い淀む。


「誰かと話してる声が、聞こえた気がして」


 澪の喉が、ひくりと鳴る。


「でも、姿は見えなかった」


「風の音かなって思ったけど」


 遥斗は、ちらりと澪を見る。


「澪だった」


 断定ではない。


 けれど、確信に近い声音だった。


 ――近づいてきている。


 白猫の存在に。


「……一人だよ」


 澪は、そう言った。


 それは、事実でもあり、嘘でもあった。


「独り言」


 付け加える。


 遥斗は、少しだけ眉を寄せる。


「そう」


 それ以上、追及しなかった。


 昼休み、澪は屋上ではなく、校舎の影にある古い倉庫の裏へ向かった。誰も来ない場所。


「……出てきて」


 小さく呼ぶ。


 白猫は、しばらくしてから現れた。昨日よりも、さらに薄い。


「遥斗が、気づき始めてる」


 澪は、すぐに言った。


「声を、聞いたって」


 白猫は、目を伏せる。


「時間の問題だ」


「……どうすればいい?」


 澪の声は、必死だった。


「私が、嘘をつけば」


「あなたは、いなくならない?」


 白猫は、しばらく沈黙した。


 その間、風が校舎の壁を撫でる。


「嘘は、俺を繋ぎとめる」


 白猫は、ゆっくり言う。


「だが、それはお前を縛る」


 澪は、唇を噛む。


「それでも」


 声が震える。


「消えるの、嫌だ」


 白猫は、澪を見つめる。


 その瞳に、影が揺れた。


「守りたいと思ったか」


 澪は、頷く。


「……初めて」


 白猫は、小さく息を吐いた。


「なら、覚えておけ」


「それは、嘘とは違う」


 澪は、白猫を見る。


「選択だ」


 その言葉が、胸に落ちる。


 放課後、遥斗が澪を呼び止めた。


「澪」


 廊下の窓際。夕日が差し込む。


「灯台のこと」


 心臓が跳ねる。


「無理に聞くつもりはない」


 遥斗は、先に言った。


「でも、何か起きてるなら」


「一人で抱えなくていい」


 澪は、遥斗を見る。


 ――ここで、本当のことを言えば。


 白猫は、どうなる?


「……大丈夫」


 澪は、選んだ。


「ちょっと、考え事してるだけ」


 遥斗は、澪の顔を見つめる。


 その沈黙が、重い。


「分かった」


 やがて、そう言った。


「でも」


 澪に背を向ける前、付け加える。


「嘘だって分かったら」


「俺は、怒らない」


 澪の胸が、締めつけられる。


 ――見抜かれている。


 帰り道、澪は灯台へ急いだ。


 白猫は、いつもより低い位置に座っていた。


「……嘘、ついた」


 澪は、正直に言った。


「あなたを守るために」


 白猫は、澪を見上げる。


「その嘘は、重い」


「でも」


 澪は、言い切る。


「私は、選んだ」


 白猫は、しばらく澪を見つめていた。


 やがて、静かに言う。


「それでいい」


 夕暮れの灯台に、二つの影が重なる。


 だが、白猫の影は、もう完全な形を保っていなかった。


 澪は、その儚さから目を逸らさなかった。

 灯台の周囲に、夜の気配が滲み始めていた。


 空は群青に沈み、海は音だけを残して闇に溶けていく。澪は、白猫の隣に腰を下ろしていた。


 二人の影は、もはや同じ濃さではない。


 白猫の方が、明らかに薄い。


「……ここ、好きだったな」


 白猫が、ぽつりと言った。


 澪は、胸が詰まる。


「過去形にしないで」


 白猫は、わずかに口元を緩めた。


「俺はな」


 海の方を見て続ける。


「嘘が必要な場所に、現れる」


「選べないやつの前に」


 澪は、黙って聞く。


「お前は、もう違う」


 その言葉が、鋭く胸に刺さる。


「じゃあ」


 澪は、声を絞り出す。


「私は、どうすればいい?」


 白猫は、しばらく黙っていた。


 やがて、ゆっくり言う。


「嘘に頼らず、俺を守る方法を探せ」


 澪は、白猫を見る。


「そんなの……あるの?」


「ある」


 白猫は、短く答えた。


「だが、それは痛む」


 風が、灯台の階段を駆け上がる。


 白猫の輪郭が、風に削られるように揺らぐ。


「……消えるの?」


 澪は、ついに聞いた。


 白猫は、否定もしなかった。


「可能性はある」


 その答えが、胸を締めつける。


「俺は、役目でできている」


「役目が終われば、薄れる」


 澪は、俯く。


「私が、大人になっても?」


 白猫は、澪を見る。


「それは、まだ分からない」


 灯台の光が、遠くで一瞬だけ瞬いた。


 澪は、拳を握りしめる。


「私」


 深く息を吸う。


「嘘をやめる」


 白猫の目が、わずかに見開かれる。


「でも」


 澪は、続ける。


「全部話すわけじゃない」


 白猫は、黙っている。


「選ぶ」


 澪は、はっきり言う。


「誰に、どこまで話すか」


 白猫は、静かに頷いた。


「それが、答えの一つだ」


 澪は、胸の奥で何かが固まるのを感じた。


 ――嘘じゃない。


 ――隠すけど、偽らない。


 その境界。


 それが、自分の守り方。


 帰り道、澪はスマホを握りしめていた。


 遥斗の名前が、画面にある。


 指が、迷う。


 やがて、短いメッセージを打った。


『今度、灯台の話、少しだけする』


 送信。


 すぐに既読がつく。


『無理しなくていい』


 その返信に、澪は微笑んだ。


 灯台に戻ると、白猫は座っていた。


「話す、のか」


 澪は、頷く。


「全部じゃない」


「でも」


 白猫を見る。


「一人で抱えない」


 白猫は、ゆっくり目を閉じた。


「それでいい」


 灯台の影に、静けさが満ちる。


 白猫の姿は、さらに薄い。


 それでも、まだそこにいる。


 澪は、その存在を確かめるように、視線を離さなかった。

おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ