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灯台の猫と、嘘をつく少女  作者: 倉木元貴


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灯台の白猫 第8話

 放課後、空は低く垂れ込めていた。海から吹き上げる風が、町の細い道を冷たく撫でていく。


 澪は、灯台へ向かう坂道の途中で足を止めた。


 背後に、人の気配があった。


「……やっぱり、ここだと思った」


 振り返ると、遥斗が立っていた。


「どうして……」


 言いかけて、澪は言葉を飲み込む。


 ――嘘は、選ぶもの。


 白猫の言葉が、胸に響く。


「たまたま」


 澪は、そう答えた。


 それは、完全な嘘ではなかった。


「たまたま、この道を通った」


 半分の真実。


 遥斗は、澪の表情をじっと見る。


「ここ、海に近いよね」


「うん」


 澪は、歩き出す。


 遥斗も、何も言わずについてくる。


 灯台が見えてくると、遥斗は立ち止まった。


「……あれ」


 白く、古びた灯台。


 町の端に、忘れられたように立っている。


「澪、よくここに来る?」


 胸が、ぎゅっと締め付けられる。


 選ばなければならない。


「……たまに」


 それは、嘘だった。


 本当は、ほとんど毎日来ている。


 遥斗は、少しだけ眉を寄せる。


「そう」


 それ以上、踏み込まなかった。


 それが、かえって澪を追い詰める。


 灯台の下まで来ると、白猫はすでにいた。遥斗には見えない位置、影の中。


「……来たか」


 白猫の声は、澪にだけ届く。


「選んだな」


 澪は、唇を噛む。


 ――今のは、守るため?


 それとも、逃げるため?


「中、入っていい?」


 遥斗が、灯台の扉を見る。


 澪の心臓が、跳ねた。


「……だめ」


 即答だった。


 その声は、少し強すぎた。


 遥斗は、驚いたように澪を見る。


「ごめん」


 澪は、慌てて続ける。


「危ないし……」


 それは、理由としては正しかった。


 でも、真実じゃない。


 白猫が、低く息を吐く。


「重い嘘だ」


 澪の胸が、痛む。


 遥斗は、しばらく黙っていた。


「分かった」


 やがて、そう言う。


「無理に入らない」


 澪は、ほっと息をついた。


 同時に、自己嫌悪が押し寄せる。


「でも」


 遥斗は、灯台を見上げる。


「澪が、ここで何か大事なものを守ってるってことは、分かった」


 その言葉に、澪は何も返せなかった。


 帰り道、二人はほとんど話さなかった。


 別れ際、遥斗が言う。


「いつか」


「話したくなったら、教えて」


 それは、優しさだった。


 澪は、頷くことしかできなかった。


 遥斗が去ったあと、澪は灯台に残った。


「……ごめん」


 誰に向けた言葉か、自分でも分からない。


 白猫が、ゆっくり澪の前に現れる。


「今日は、逃げを選んだな」


 澪は、否定しなかった。


「……うん」


「でも」


 白猫は、続ける。


「お前は、それが逃げだと分かっている」


 その言葉に、澪は顔を上げる。


「それが、救いだ」


 灯台の影が、長く伸びる。


 白猫の輪郭が、ほんのわずかに薄くなっていた。


 澪は、その変化を見て、胸を締めつけられる。


 ――嘘は、守るためにも、傷つけるためにもなる。


 その境目に、自分は立っている。


 澪は、初めてそうはっきりと自覚した。


 夜、澪は布団の中で目を閉じていた。


 眠ろうとしても、灯台の白さと、遥斗の背中が交互に浮かんでくる。胸の奥に、昼間よりもはっきりした重さが残っていた。


 ――今日は、逃げた。


 その自覚が、じわじわと効いてくる。


 目を閉じると、白猫の声が、耳の奥に滲むように響いた。


「嘘は、便利だろう」


 澪は、答えない。


「選ばなくて済む」


「踏み込まなくて済む」


 白猫の声は、いつもより低かった。


「だがな」


 一拍置いて、続く。


「俺は、いつまでもそこにはいられない」


 澪は、はっと目を開けた。


 暗い天井が、ぼんやりと見える。


「……どういう意味?」


 声は、震えていた。


 白猫は、返事をしなかった。


 その沈黙が、何よりも答えだった。


 翌日、澪は授業をほとんど覚えていない。ノートは白紙に近く、ペンだけが無意味に動いていた。


 昼休み、屋上へ行こうとして、足が止まる。


 ――逃げる場所に、なってない?


 その考えに、自分で驚く。


 代わりに、澪は中庭へ向かった。昼の光の中で、数人の生徒が談笑している。


 真琴が、澪に気づいて手を振った。


「澪、一緒に食べよ」


 一瞬、断りかけて、澪は息を吸う。


「……うん」


 それは、嘘じゃなかった。


 ベンチに並んで座り、弁当を広げる。


「昨日の数学さ」


 真琴が、箸を動かしながら言う。


「結局、分かんなくてさ」


 澪の胸が、きゅっと鳴る。


「先生に聞いたら、全然違ってた」


 澪は、俯いた。


「……ごめん」


 その一言は、喉の奥から絞り出したものだった。


 真琴は、目を瞬かせる。


「え?」


「私、ちゃんと分かってなかった」


「教えたふり、した」


 一瞬の沈黙。


 澪の心臓が、早鐘を打つ。


 ――嫌われる。


 その予感が、頭をよぎる。


 けれど。


「なにそれ」


 真琴は、吹き出した。


「正直じゃん」


 澪は、顔を上げる。


「え……?」


「私もさ」


 真琴は、少し照れたように言う。


「分かんないって言えなくて、分かったふりすることあるよ」


 胸の奥が、じんわりと熱くなる。


「次は一緒に聞こ」


 真琴は、そう言って笑った。


 その笑顔を見て、澪は初めて気づく。


 ――嘘をつかなくても、壊れない関係がある。


 放課後、澪は灯台へ向かった。


 白猫は、いつもの場所にいなかった。


「……?」


 胸が、ざわつく。


「白猫?」


 呼んでも、返事はない。


 灯台の階段を上がり、周囲を見回す。


 海風だけが、強く吹き抜ける。


「……いない」


 その事実が、澪の胸を締めつける。


 しばらくして、ようやく白猫は現れた。灯台の影の端、輪郭が曖昧なまま。


「……遅い」


 澪は、ほっとして、同時に怒りを覚えた。


「どこ行ってたの」


「ここにいた」


 白猫の声は、遠かった。


「だが、近くはない」


 澪は、白猫を見る。


 その体は、昨日よりも薄い。


「……ねえ」


 澪は、恐る恐る言う。


「私が、嘘つかなくなったら」


「あなた、消えるの?」


 白猫は、すぐには答えなかった。


 やがて、静かに言う。


「それは、正しい問いだ」


 澪の胸が、強く締めつけられる。


「嘘に頼らず選んだな」


 白猫は続ける。


「今日の昼」


 澪は、息を呑む。


「その選択は、俺を遠ざける」


 澪は、白猫に一歩近づいた。


「……それでも?」


 白猫は、澪を見つめ返す。


「それでもだ」


 夕暮れの光が、白猫の影を削っていく。


 澪は、初めてはっきりと理解した。


 ――嘘は、守っていた。


 自分だけじゃなく、この存在も。


 だからこそ。


 嘘に頼らない選択は、前に進む一歩であると同時に、失う一歩でもある。


 その現実を、澪は胸に刻んだ。

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