表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯台の猫と、嘘をつく少女  作者: 倉木元貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/32

灯台の白猫 第5話

 その日から、澪は灯台へ向かう足取りが、少しだけ重くなった。


 行きたい。けれど、行くのが怖い。


 灯台は、澪にとって逃げ場所だった。白猫がいて、誰にも見られず、何も説明しなくていい場所。


 ――それが、壊れるかもしれない。


 その予感が、澪の胸を締めつける。


 放課後、澪は灯台の階段の前で立ち止まった。


「……いる?」


 小さく声をかける。


 少し間を置いて、白猫が姿を現した。


「ここは、お前が呼ばなくても在る」


 いつもの皮肉めいた口調。けれど、どこか硬い。


「……ねえ」


 澪は、階段に腰を下ろした。


「もし、誰かに見られたら……この場所、なくなるの?」


 白猫は、すぐには答えなかった。


 海の方を見ている。


「“場所”がなくなることはない」


 やがて、そう言った。


「だが、“居場所”は失われる」


 澪は、その違いが、痛いほど分かった。


「私の、居場所……」


「そうだ」


 白猫は、澪を見る。


「お前は、ここでしか自分を保てていない」


 その言葉に、胸がきゅっと縮む。


「……悪い?」


「悪くはない」


 白猫は、静かに言った。


「だが、危うい」


 澪は、思わず声を荒げた。


「じゃあ、どうすればいいの!」


 自分でも驚くほど、感情が露わになった。


「ここ以外に、私の居場所なんてない」


 白猫は、澪の声を遮らなかった。


 ただ、静かに聞いている。


「学校でも、家でも、私はちゃんと“澪”じゃない」


「ここだけが、本当の私なの」


 声が、震え始める。


「それを……誰かに壊されたくない」


 白猫は、ゆっくりと瞬きをした。


「壊すのは、他人ではない」


「……え?」


「お前自身だ」


 澪は、言葉を失う。


「守るために、嘘を重ねる」


「隠すために、閉じこもる」


「それは、居場所を狭める行為だ」


 澪は、首を振る。


「でも……知られたら、終わりだよ」


 白猫は、少しだけ声を落とした。


「終わりではない」


「変わるだけだ」


 その言い方が、澪を苛立たせた。


「変わるって、何?」


「私が、ここに来られなくなること?」


「白猫に、会えなくなること?」


 白猫は、澪を見据える。


「それを、恐れているのは確かだ」


 沈黙が、二人の間に落ちる。


 風が吹き、灯台の影が揺れた。


「……遥斗のこと、どう思ってるの」


 澪は、ぽつりと聞いた。


 白猫の耳が、わずかに動く。


「厄介だ」


「それだけ?」


「それ以上でも、それ以下でもない」


 白猫は、澪から視線を外す。


「だが……」


「だが?」


「お前が、外の世界と繋がる可能性でもある」


 澪は、思わず立ち上がった。


「そんなの、いらない!」


 声が、灯台に反響する。


「私は、ここだけでいい」


 白猫は、しばらく澪を見つめていた。


 やがて、静かに言う。


「それは、逃げだ」


 その一言が、胸を深く抉った。


「……分かってる」


 澪は、唇を噛みしめる。


「でも、今は……」


「今は?」


「失いたくない」


 白猫は、目を閉じた。


「失わないためには、選ばねばならない」


「何を?」


「嘘を、手放すか」


「居場所を、広げるか」


 澪は、答えられなかった。


 灯台の上で、二人の影が、少しずつ離れていく。


 その距離が、澪の心を、何よりも不安にさせた。


 翌日、澪は一日中、胸の奥に小さな石を抱えたような感覚で過ごしていた。


 授業の内容は、ほとんど頭に入らない。ノートの端に、意味のない線を引きながら、何度も灯台の影を思い浮かべてしまう。


 白猫の言葉。


『それは、逃げだ』


 分かっている。分かっているから、苦しい。


「澪」


 放課後、教室を出ようとしたところで、背後から声がした。


 振り返るまでもない。分かっていた。


 遥斗が、廊下の窓際に立っている。


「……なに?」


 澪は、できるだけ平静を装った。


「昨日のこと」


 遥斗は、視線を外さずに言う。


「考えた」


 胸が、どくりと鳴る。


「俺、あそこに“何か”があると思ってる」


 澪の指先が、冷たくなる。


「それが何かは、分からない」


「でも、澪が一人で抱えるには、重すぎるものだ」


 逃げたい。今すぐ、この場から。


「……勘違いだよ」


 澪は、用意していた嘘を口にした。


「私は、ただ一人になりたいだけ」


 遥斗は、少しだけ眉を寄せる。


「それなら、納得する」


「けど――」


 言葉を切り、澪に一歩近づく。


「今の澪は、一人でいるために、必死すぎる」


 その一言が、心の奥に刺さった。


「……放っておいて」


 声が、かすれる。


「お願いだから」


 遥斗は、しばらく澪を見つめていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「分かった」


 その返事に、澪は一瞬だけ安堵する。


「今日は、これ以上踏み込まない」


 けれど、次の言葉が続いた。


「でも、逃げ場を壊すつもりもない」


 遥斗は、静かに言う。


「澪が話したくなったら、ちゃんと聞く」


「灯台のことでも、嘘のことでも」


 それは、脅しではなかった。


 約束のような声音だった。


 遥斗は、それだけ言うと、廊下の向こうへ去っていった。


 澪は、その場に立ち尽くす。


 ――壊されなかった。


 それが、なぜか怖かった。


 放課後、澪は足が勝手に灯台へ向かっていた。


 階段を上がると、白猫は、いつもより高い位置に座っていた。


「……来たな」


「来ちゃった」


 澪は、正直に答えた。


 白猫は、澪の表情をじっと見る。


「選んだか」


「……ううん」


 澪は、首を振る。


「でもね」


 少し間を置いて、続ける。


「全部、嘘にするのは……やめようと思う」


 白猫の目が、わずかに細くなる。


「小さな選択だな」


「うん」


 澪は、足元の影を見る。


「でも、今日はこれで精一杯」


 白猫は、静かに灯台の縁から降り、澪の前に立った。


「それでいい」


 風が吹き、白猫の輪郭が、ほんの一瞬だけ揺らぐ。


 澪は、息を呑んだ。


「……消えないよね?」


 白猫は、答えない。


 ただ、澪の足元に影を落とす。


「お前が、自分を失わぬ限り」


 その声は、いつもより少し遠かった。


 夕暮れの灯台に、澪と白猫の影が重なる。


 けれど、その境目は、前よりも曖昧になっていた。


 ――居場所は、閉じるものではなく、揺れながら形を変えるものなのかもしれない。


 澪は、初めてそんなふうに思った。


 白猫は、何も言わず、海の方を見ていた。


 その背中が、少しだけ小さく見えたことに、澪は気づかないふりをした。

おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ