表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灯台の猫と、嘘をつく少女  作者: 倉木元貴


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/32

灯台の白猫 第4話

 翌朝、澪は教室に入った瞬間、わずかな違和感を覚えた。


 空気が、ほんの少しだけ変わっている。騒がしさの質が違うというか、視線の向きが、いつもと違う。


「……?」


 自分の席に向かう途中、何人かのクラスメイトと目が合った。すぐに逸らされるが、その速さが妙に揃っている。


「澪、おはよ」


 真奈が声をかけてくる。


「おはよう」


 返事をしながら、澪は小さく首を傾げた。


「なんかさ」


 真奈は机に頬杖をつき、声を潜める。


「今日、ちょっと雰囲気違くない?」


「……そう?」


 澪は即座に否定した。自分でも理由は分からないが、そう答えなければいけない気がした。


「うーん。気のせいかな」


 真奈はそれ以上追及しなかったが、澪の胸の奥には、違和感だけが残った。


 授業が始まると、教室の扉が開き、担任が一人の生徒を連れて入ってきた。


「みんな、静かに。今日からこのクラスに来ることになった生徒を紹介する」


 ざわめきが一段階大きくなる。


 澪は、黒板の前に立つその姿を、何気なく見た。


 背は平均より少し高く、黒髪は短く整えられている。都会的、という言葉がふと浮かんだ。制服の着こなしも、どこかこの町の生徒とは違う。


「遥斗です。よろしく」


 簡潔な挨拶。声は落ち着いていて、必要以上に愛想を振りまかない。


 その瞬間、澪は奇妙な感覚に襲われた。


 ――見られている。


 遥斗の視線が、教室を一巡し、澪のところで一瞬だけ止まった気がした。


 ほんの一瞬。けれど、確かに。


 胸の奥が、ひくりと跳ねる。


「席は……澪の後ろが空いてるな。そこに座れ」


 担任の声で、澪の肩がわずかに強張る。


 椅子が引かれる音が、すぐ後ろで響いた。


 授業が始まっても、澪は落ち着かなかった。背後に、人の気配を強く感じる。今まで、あまり意識したことのない距離感だった。


 黒板の文字を書き写しながら、澪は自分に言い聞かせる。


 ――気のせい。たまたま。


 けれど、休み時間になると、その感覚ははっきりした形を持った。


「ねえ」


 後ろから、声がした。


 振り返ると、遥斗が立っていた。


「……なに?」


 澪は、無意識に身構える。


「さっきから、よく海の方見てるなって」


 胸が、きゅっと縮む。


「……そう?」


「うん」


 遥斗は、責めるような口調ではなかった。ただ、事実を述べているだけの声。


「この町、初めてだからさ。みんなが何見てるのか、気になって」


「別に……」


 澪は言葉を濁した。


「何も見てないよ」


 それは、嘘だった。


 遥斗は、少しだけ首を傾げる。


「……そっか」


 それ以上、深くは踏み込んでこなかった。その態度に、澪は拍子抜けする。


 昼休み、澪は一人で校舎裏に出た。潮の匂いはしないが、風の向きで、遠くの海を感じる。


 ――気づかれている。


 何に、とは言えない。ただ、これまで自分だけのものだった世界に、他人の視線が差し込んできた感覚があった。


 放課後、澪は急ぐように灯台へ向かった。


 階段の脇に、白猫はいた。


「……今日、誰か来た」


 白猫は、澪を見るなり言う。


「学校に?」


「ああ」


 澪は、少し驚いた。


「分かるんだ」


「お前の影が、揺れた」


 白猫は、遠くを見るような目をしている。


「その男、厄介だ」


 胸が、どくりと鳴る。


「……どうして?」


「嘘に、違和感を覚える目をしている」


 澪は、思い当たる節がありすぎて、言葉を失った。


 遥斗の視線。問い方。踏み込みすぎない距離。


 ――見抜かれる。


 その予感が、澪を不安にさせた。


「……私は、ちゃんと隠せてるよね」


 白猫は、澪を見つめる。


「隠しているつもりでいるだけだ」


 その言葉が、胸に刺さる。


 灯台の影が、いつもより濃く、長く伸びていた。


 数日後、放課後の空は重たい雲に覆われていた。雨が降り出しそうな、湿った空気。澪は、いつもより少しだけ足早に灯台へ向かっていた。


 胸の奥が、落ち着かない。


 あの日から、遥斗の視線が気になるようになった。話しかけられることは少ない。それでも、教室の後ろから向けられる静かな観察の気配が、澪の神経を刺激する。


 ――見られている。


 それは、責められる視線ではない。ただ、澪の嘘を、澪自身よりも正確に捉えようとする目。


 灯台の階段に差しかかったとき、澪は足を止めた。


 誰かが、いる。


 風の音に混じって、微かな足音が聞こえた気がした。


「……?」


 振り返ると、道の向こうに人影がある。こちらを見ている。


 澪の心臓が、跳ねた。


「……まさか」


 人影は、こちらに近づいてくる。


 近づくにつれ、輪郭がはっきりする。制服姿。見覚えのある横顔。


「……遥斗?」


 名前を呼ぶと、相手は足を止めた。


「やっぱり、ここか」


 遥斗は、少しだけ困ったように笑った。


「偶然?」


 澪は、思わず問いかける。


「半分は」


 遥斗は正直に答えた。


「放課後、いつも海の方に行くから。気になってた」


 胸が、ぎゅっと縮む。


「……尾けてきたの?」


「そんなつもりじゃなかった」


 遥斗は、慌てて首を振る。


「ただ、話せる場所がここしかない気がして」


 澪は、言葉を失った。


 ここは、自分だけの場所だったはずだ。白猫と、自分だけの世界。

 「……帰って」


 思わず、きつい声が出る。


 遥斗は、少しだけ目を見開いた。


「悪かった」


 すぐに謝り、踵を返そうとする。その様子が、逆に澪の胸をざわつかせた。


 ――違う。


 怒りたいわけじゃない。ただ、怖かった。


「……待って」


 自分でも驚くほど、小さな声だった。


 遥斗は振り返る。


「ここ……危ないから」


 咄嗟に選んだ理由。もっともらしい、けれど本当ではない言葉。


 遥斗は、澪をじっと見つめた。


「それ、理由じゃないよな」


 胸が、強く締めつけられる。


「……何が?」


「俺がここに来たこと、嫌なんだろ」


 澪は、答えられなかった。


 白猫の存在が、すぐそばにある。気配だけが、濃くなる。


「ここ、澪にとって大事な場所なんだろ」


 遥斗は、踏み込まない距離を保ったまま言う。


「誰にも見せたくない場所」


 その言葉に、膝が少しだけ震えた。


「……どうして、そんなこと分かるの」


「分かるよ」


 遥斗は、静かに言った。


「嘘つくときと同じ顔してる」


 その瞬考虑、澪は息ができなくなった。


 ――見抜かれている。


 白猫の言葉が、脳裏をよぎる。


『厄介だ』


 澪は、思わず視線を逸らした。


「……帰って」


 今度は、さっきよりも弱い声。


 遥斗は、少しだけ考えてから頷いた。


「今日は、帰る」


 そして、付け加える。


「でも、聞きたいことがある」


 澪は、顔を上げた。


「澪が、ここで誰と話してるのか」


 空気が、凍りついた。


 白猫が、低く唸る。


「答えなくていい」


 遥斗は、すぐに言った。


「今は。ただ……独り言にしては、ちゃんと会話してるように見えた」


 澪の胸が、どくどくと鳴る。


「気のせいだよ」


 即答だった。


 嘘だと、自分でも分かる。


 遥斗は、しばらく澪を見つめてから、微かに笑った。


「そうか」


 その笑顔が、なぜか怖かった。


 責めるでも、疑うでもない。ただ、理解しようとしている目。


「じゃあ、また学校で」


 遥斗はそう言って、来た道を引き返した。


 澪は、その背中が見えなくなるまで、動けなかった。


 白猫が、澪の足元に現れる。


「言っただろ」


 低い声。


「嘘に、違和感を覚える目をしている」


「……どうすればいいの」


 澪は、絞り出すように言った。


 白猫は、しばらく考えるように黙った。


「嘘を、重ねるな」


「……無理だよ」


「無理でも、重ねるな」


 白猫の声は、いつもより強かった。


「重ねた嘘は、いずれ自分を見失わせる」


 澪は、唇を噛みしめる。


 灯台の影が、二人の足元に重なっていた。


 その夜、澪は自分の部屋で、遥斗の言葉を何度も反芻していた。


『嘘つくときと同じ顔』


 そんな顔を、自分はしているのだろうか。


 鏡を覗いてみる。そこにいるのは、いつもと変わらない自分。


 ――違う。


 どこか、ひびが入っている。


 そのひびは、白猫だけが知っているはずだった。


 けれど、もう一人、気づき始めた人間がいる。


 それが、怖くてたまらなかった。

おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ