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灯台の猫と、嘘をつく少女  作者: 倉木元貴


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遥斗の本音 第2話

 沈黙の中で、遥斗は何度か口を開きかけた。

 フェンス越しに吹き抜ける潮風が、金属をわずかに鳴らし、遠くで部活の掛け声がかすれて聞こえる。

 そのたびに、遥斗は言葉を飲み込んだ。


 澪は、急かさなかった。

 夕暮れの光が校舎の壁を斜めに照らし、二人の足元に長い影を落としている。

 今度は、待つ側だ。


「……本当は」


 ようやく、遥斗が言った。

 喉を通る音が、やけに大きく澪の耳に残る。


「引き止めたかった」


 その声は、弱かった。

 風にさらわれそうで、それでも確かにそこにあった。


「“やめたい”って言葉を、軽く流したくなかった」


 フェンスの向こうで、波が砕ける。

 澪の胸が、静かに締め付けられる。


「でも、どう言えばいいか分からなかった」


 遥斗は視線を落とし、コンクリートのひび割れを見つめていた。

 正論しか、浮かばなかった。

 優しさを、言葉にする術を知らなかった。


「だから……強い言葉を選んだ」


 遥斗は、自分を責めるように笑う。

 夕焼けが、その笑顔を半分だけ赤く染める。


「それで、失った気がしてる」


 澪は、ゆっくり首を振った。

 制服の襟が、風に揺れる。


「失ったって、決めたのは遥斗自身だよ」


 遥斗が、はっとする。

 空の色が、少しずつオレンジから群青へ溶けていく。


「事実と、気持ちは違う」


 澪は、静かに続ける。


「事実は、まだ分からない。でも、気持ちは……ずっと一人で抱えてた」


 それは、遥斗に向けた言葉であり、

 同時に、澪自身の胸にも返ってきた。


「引き止めたかったって気持ち」


 澪は、遥斗を見る。

 同じ夕焼けを映した瞳。


「それ、本音だよね」


 遥斗は、ゆっくり頷く。


「うん」


 それだけで、何かがほどけた。

 肩に入っていた力が、すっと抜ける。


 白猫の声が、澪の記憶に重なる。


 ――嘘は、心の影だ。


 フェンスの影が地面に伸び、二人の足元で重なっている。

 影があるのは、光があるからだ。

 遥斗の本音は、影じゃない。

 光に向かう途中で生まれた、揺れだ。


「遥斗」


 澪は、少しだけ迷ってから言った。


「その本音、間違いじゃない」


 正しいかどうかじゃない。

 生きていた証だ。


 遥斗は、深く息を吐く。

 胸に溜まっていた空気を、夕暮れに返すように。


「……初めて、そう言われた」


 声が、少し震えていた。


 澪は、微笑む。

 西日が、その表情を柔らかく縁取る。


「私も、初めて言った」


 二人の間に、夕暮れの光が差し込む。

 フェンスの影が、地面に重なる。

 影は、もう、怖くなかった。

 校舎裏は、ゆっくりとオレンジ色に染まっていく。


 遥斗は、フェンスから背中を離し、澪の隣に立った。

 肩と肩の距離が、ほんの少し縮まる。


 同じ高さで、同じ方向を見る。

 それだけのことが、不思議と大きな意味を持っていた。


「……許すってさ」


 遥斗が、ぽつりと言う。

 遠くで、下校を告げるチャイムが鳴る。


「どうやるんだろうな」


 澪は、すぐには答えなかった。

 代わりに、自分の胸に手を当てる。

 心臓の音が、確かにそこにある。


「私も、分からない」


 正直な答え。


「でも」


 少し間を置いて、続ける。


「許せないままでも、一緒に生きていいと思う」


 遥斗が、澪を見る。

 夕焼けの中で、その目がわずかに見開かれる。


「許せるようになるまで、立ち止まらなくていい」


 澪の言葉は、柔らかかった。

 それは、白猫が教えてくれなかった選択肢だ。

 問い続けること。

 それ自体が、前に進む形。


「……澪は、強いな」


 遥斗が言う。


 澪は、首を振った。


「違うよ」


 強さじゃない。


「逃げなくなっただけ」


 遥斗は、小さく笑った。


「それ、十分すごい」


 風が吹き、制服の裾が揺れる。

 潮の匂いが、少しだけ濃くなる。


 遥斗は、視線を海に向けたまま言った。


「俺さ……」


 少し間を置く。


「ここに来てよかった」


 澪は、驚いて遥斗を見る。


「澪に会えたから」


 その言葉に、照れや下心はなかった。

 夕暮れと同じ温度で、ただそこに置かれた事実。


 澪は、胸が温かくなるのを感じる。

 嘘じゃない言葉は、こんなふうに残るのだ。


「私も」


 澪は、同じトーンで答えた。


「遥斗に話せてよかった」


 並んで立つ二人の影が、地面に伸びる。

 どちらかが支える影じゃない。

 重なり合いながら、前に伸びる影だった。


 帰り道、二人は並んで歩いた。

 アスファルトに落ちた夕日の名残が、靴先を照らす。

 会話は少なかったが、沈黙は重くなかった。


 澪の胸の奥で、白猫の声がふと蘇る。


 ――嘘は、心の影だ。


 以前なら、その言葉に縛られていた。

 今は、違う。

 影は、光がある証だと分かっている。


「澪」


 遥斗が、歩きながら言う。


「白猫ってさ……」


 街灯が一つ、二人の後ろで灯る。

 少し迷ってから、続ける。


「最後に、何か言ってた?」


 澪は、一瞬立ち止まりそうになり、歩調を保ったまま答える。


「……直接は、何も」


 それは、半分本当で、半分嘘だ。

 白猫は、言葉を残さなかった。

 でも、問いを残した。


「ただ」


 澪は続ける。


「“自分に嘘をつくなら、それは前に進むためのものにしろ”って」


 遥斗は、少し考える。


「それ、白猫らしいな」


 澪は、微笑んだ。

 声に出して言うと、重みが和らぐ。


 白猫は、澪だけの存在だった。

 でも、その意味は、今、遥斗にも共有されている。


「俺もさ」


 遥斗が言う。


「自分に嘘、ついてた」


 澪は、隣を見る。

 街灯の下で、遥斗の表情がはっきり見える。


「“もう気にしてない”って」


 遥斗は、苦笑する。


「全然、そんなことなかった」


 澪は、頷く。


「それ、悪い嘘じゃない」


 遥斗が、少し驚いた顔をする。


「前に進むためなら、嘘も仮置きでいい」


 完全に正直になるのは、きっと時間がかかる。

 でも。


「一緒なら、確認できる」


 遥斗は、立ち止まり、澪を見る。


「……一緒に?」


 街灯の光が、二人の影を再び地面に落とす。


 澪は、迷わず頷いた。


「うん」


 それは、依存じゃない。

 並走だ。


 白猫がいなくても。

 問いは、消えない。


 でも、答えを探す道は、

 もう、一人じゃなかった。

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