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灯台の猫と、嘘をつく少女  作者: 倉木元貴


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澪の過去と影嘘猫 第3話

 公園を出るころ、空は少しずつ色を変え始めていた。

 夕方の光が、町の輪郭を柔らかく包む。

 澪は、歩きながらぽつりと言った。


「私ね……誰にも、許されてないって思ってた」


 遥斗は、足を止めずに聞いている。


「大人たちは、私を責めなかった。でも、それが余計につらかった」


 責められれば、分かりやすかった。

 怒鳴られれば、罰を受けて終われた。

 でも、現実は違った。


「“もう大丈夫だから”って言われて……」


 その言葉が、澪の胸に突き刺さった。


 ――大丈夫なわけ、ないのに。


「みんな、早く忘れたかったんだと思う」


 事故を。責任を。不安を。

 澪は、歩きながら拳を握る。


「忘れられないのが、私だけだった」


 だから、澪は選んだ。忘れない役を。背負う役を。誰も口にしなくなった罪を、一人で抱える役を。


「それが、白猫だった」


 遥斗が、静かに言う。


「……一人で忘れないための存在」


 澪は、頷いた。


「うん。忘れないため。でも……壊れないためでもあった」


 思い出すたびに、胸が裂けそうになる。

 それを一人で受け止めるには、澪は幼すぎた。


「最初に声を聞いたのは、事故のあとだった」


 灯台の下。誰もいないはずの場所。

 白い影が、足元を横切った。


 ――嘘つき。


 初めて聞いた、その声。

 澪は、震えた。でも、逃げなかった。


「責めてくれるなら、まだいいと思った」


 遥斗は、唇を噛む。


「……それ、きついな」


「うん。でも」


 澪は、少しだけ微笑んだ。


「白猫は、私を責めなかった」


 代わりに、言った。


 ――それ、本当に君のせい?


 その問いが、澪を生かした。

 責め続けるために。

 壊れないために。


「白猫は、私の罪悪感そのものだった」


 そして同時に――。


「私が、生き続けるための、装置だった」


 夕焼けの中、澪は空を見上げる。白い雲が、ゆっくり流れていく。

 もう、縛られない。

 問いは、澪の中に残っている。でもそれは、呪いじゃない。

 澪自身が、自分に向ける問いだ。


 その夜、澪は眠れなかった。

 布団に入っても、目を閉じると白い影が浮かぶ。


 ――消える。


 その言葉が、頭の中で何度も反響する。

 白猫が灯台に縛られている存在だと知ったとき、澪は初めて、終わりを意識した。

 灯台がなくなれば、白猫も、いなくなる。

 分かっている。分かっていたはずなのに。


「……いやだ」


 小さく呟いた声は、闇に吸い込まれた。

 澪は、布団を握りしめる。

 白猫がいなくなったら、自分はどうなるのか。

 また、全部一人で背負えるのか。問いを投げかける声が、なくなったら。


 ――私は、また嘘に逃げるんじゃないか。


 胸が、苦しくなる。

 澪は、起き上がり、スマートフォンを手に取った。

 時刻は、深夜一時を回っている。

 それでも、迷わず遥斗の名前を押した。

 数回の呼び出し音のあと、声が聞こえる。


『……どうした』


 眠そうな声。

 それでも、切られなかった。


「白猫が……いなくなったら」


 澪の声は、震えていた。


「私、また壊れるかもしれない」


 一瞬、沈黙。

 それから、遥斗の声が少し強くなる。


『壊れない』


「……どうして、言い切れるの」


『俺がいる』


 その言葉は、迷いがなかった。


『それに』


 少し間を置いて、続ける。


『白猫は、澪が立てなくなる前に消えるんだ』


 澪は、息を止める。


「……それ、どういう……」


『役目を終えた存在は、しがみつかない』


 白猫みたいなやつは、特に。

 澪は、涙が滲むのを感じた。


「でも……怖い」


 正直な言葉だった。


『怖くていい』


 遥斗は、即答した。


『怖いまま、前に行けばいい』


 その言葉は、白猫が言わなかった言葉だった。でも、今の澪には、必要な言葉だった。

 電話を切ったあとも、澪はしばらく天井を見つめていた。

 怖さは、消えない。それでも、逃げ道じゃない、誰かの声がある。

 澪は、目を閉じた。

 白い影が、少し遠くなった気がした。


 翌日、澪は一人で灯台へ向かった。

 風が強く、波が岩に砕ける音がいつもより荒い。

 崩れかけた階段を上りながら、澪は思う。


 ――私は、守られていたんじゃない。


 白猫に。違う。選んでいたのだ。問いかけを。痛みを。

 立ち止まらないための、厳しさを。

 灯台の扉は、半分壊れたままだった。中に入ると、薄暗い。


「来たよ」


 澪は、誰にともなく言った。白猫の姿は、ない。

 それでも、澪は続ける。


「私、依存してた」


 声は、震えなかった。


「嘘を指摘してもらわないと、本当が分からなかった」


 それは、弱さだ。でも、否定しない。

 弱さがあったから、生き延びた。


「でもね」


 澪は、床に座り込む。


「これからは、自分で問いかける」


 答えを、急がなくていい。

 白猫の声がなくても。


「だから……行ってもいい」


 その言葉を口にした瞬間、胸が痛んだ。

 痛みは、覚悟の証だった。

 風が吹き抜ける。

 白い毛が、ふっと視界を横切った気がした。

 幻かもしれない。でも、澪は目を逸らさなかった。


「ありがとう」


 短い言葉。それで、十分だった。

 澪は、ゆっくり立ち上がる。

 振り返らず、出口へ向かう。

 別れは、終わりじゃない。


 自分で歩き出すための、始まりだ。


 灯台を出ると、空はもう夕暮れに近づいていた。

 海は静かで、昨日までの荒さが嘘のようだ。

 澪は、防波堤に腰を下ろし、足をぶらぶらさせる。

 胸の奥は、不思議なほど静かだった。

 白猫がいなくなったことを、まだ完全に受け入れたわけじゃない。それでも、拒んではいない。

 澪は、胸に手を当てる。

 そこには、まだ問いがある。


 ――私は、本当に大丈夫?


 すぐに答えは出ない。だから、今まで澪は嘘をついてきた。でも、嘘は、逃げるためだけのものじゃない。立ち上がるために、必要なこともある。

 澪は、ようやく気づく。

 白猫が求めていた“最後の嘘”とは、それは、現実を否定する言葉じゃない。

 未来を閉ざさないための、仮の言葉。


 ――今は、まだ、そう思えなくても。

 ――それでも、歩き出すための言葉。


 澪は、小さく呟いた。


「……私は、もう大丈夫」


 胸が、少しだけ痛む。でも、崩れない。

 それが、答えだった。

 波が、防波堤に当たる。白い泡が、すぐに消える。

 影は、そこにない。けれど、澪は、確かに何かを受け取っていた。

 問い続ける力。

 立ち止まらない勇気。

 そして、いつか本音になる嘘。

 澪は、立ち上がる。

 遠くで、灯台が夕日に照らされていた。

 まだ、そこにある。でも、もう、縛られてはいない。

 澪は、町へ戻る道を歩き出した。

 背中に、静かな光を感じながら。

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