灯台の取り壊し 第4話
白猫の言葉が、澪の中で何度も反芻されていた。
――次は、灯台の中だ。
灯台の中。立ち入り禁止の、あの場所。
子どもの頃、事故のあと、一度も足を踏み入れていない場所。
考えるだけで、胸が重くなる。それでも。
逃げ続けてきた「中心」が、そこにあるのだと、澪は直感していた。
翌日、放課後。
澪は昇降口で、遥斗に声をかけた。
「……灯台の中に、行こうと思う」
遥斗は、一瞬だけ驚いた顔をしてから、すぐに真剣な表情になる。
「一人で?」
澪は、首を振った。
「……一緒に来てほしい」
その言葉を口にするのに、想像以上の勇気が要った。
遥斗は、少しだけ間を置いてから、頷く。
「分かった。無理だと思ったら、すぐ引き返そう」
その条件が、ありがたかった。
二人で海沿いの道を歩く。夕暮れの灯台は、影を長く伸ばしていた。灯台に近づくにつれ、胸の鼓動が早くなる。
「……鍵、あるの?」
遥斗が聞く。
「多分」
澪は、曖昧に答えた。
町の人が使っていた古い鍵。祖父が、持っていたもの。
――まだ、引き出しにある。
灯台の扉の前に立つ。錆びた取っ手。触れると、冷たい。
澪は、ポケットから鍵を取り出す。差し込む手が、震えた。
「無理しなくていい」
遥斗が、低い声で言う。
澪は、深く息を吸う。
「……今、行かないと」
鍵が、回った。
重い音を立てて、扉が開く。中は、薄暗い。
潮と、古い木の匂いが混ざっている。
一段目の階段に足をかけた瞬間、膝が強張った。
――あの日。
記憶が、喉元までせり上がる。白猫の姿は、ない。
けれど、確かに「見られている」感覚があった。
階段を上るごとに、空気が重くなる。
足音が、やけに大きく響く。
「……ここで」
澪は、立ち止まる。中腹の踊り場。小さな窓から、海が見える。
「事故が、あった」
遥斗は、何も言わない。
ただ、澪の隣に立つ。
「……私」
澪は、声を絞り出す。
「助けなきゃ、って思った。でも」
言葉が、途切れる。
喉が、締めつけられる。
「動けなかった」
沈黙。
風が、窓を鳴らす。
遥斗が、静かに言った。
「それは、澪が、悪いことなの?」
澪は、答えられなかった。答えを、ずっと拒んできたから。
そのとき。
階段の上から、足音がした。
――軽い。
知っている音。
「……来たか」
白猫の声。
澪は、顔を上げる。
白猫は、螺旋階段の上に立っていた。
その姿は、今にも消えそうに淡い。
「ここから先は、嘘じゃ、登れない」
澪の胸が、強く鳴る。
白猫は、続ける。
「本当のことを、一段ずつだ」
澪は、遥斗を見る。
遥斗は、頷いた。
澪は、前を向く。
逃げない。今度こそ。
灯台の中で、澪は初めて、自分の影と真正面から向き合おうとしていた。
灯台の内部は、思っていたよりも狭かった。
螺旋階段が、上へ上へと続いている。
一段ごとに、軋む音がする。
澪は、手すりを握りしめながら、白猫の後を追った。
遥斗は、少し後ろで、澪の足取りを確かめるように歩いている。
白猫の姿は、階段を上るにつれて、さらに薄くなっていった。
「……ここ」
白猫が、立ち止まる。灯台の中ほど。小さな扉がある。澪は、その前で足が止まった見覚えが、あった。
ここだ。
事故が起きた場所。
白猫は、振り返らずに言う。
「開ける前に一つだけ」
澪は、息を詰める。
「お前は、本当に、守れなかったと思ってるか?」
澪は、迷いなく頷いた。
「……思ってる」
白猫は、静かに言う。
「それは、お前の嘘だ」
胸が、強く締めつけられる。
「違う……」
澪は、声を震わせる。
「私が、遅れたから。私が、怖がったから?助けられなかった」
白猫は、初めて澪の方を向いた。
その目は、優しかった。
「怖がるのは罪じゃない」
澪の喉が、詰まる。
「でも」
白猫は、続ける。
「お前は、一人で背負いすぎた」
白猫が、扉に前足をかける。
ぎいと小さな音を立てて、扉が開いた。中は、狭い倉庫のような空間だった。
壁には、古い備品。そして。
床に、痕跡が残っている。
澪の視界が、歪んだ。
――あの日。
記憶が、鮮明に蘇る。夏。強い日差し。灯台の中。大人たちの声。自分の、叫び。
澪は、膝から崩れ落ちる。
「……違う……違う……」
遥斗が、すぐに駆け寄る。
「澪」
澪は、床を見つめる。
「私……鍵、閉めてなかった……」
遥斗は、息を呑む。
白猫が、低く言う。
「閉めてた」
澪は、顔を上げる。
「……え?」
「大人が……ちゃんと、閉めてた」
澪の胸が、ざわつく。
「じゃあ、どうして……」
白猫は、静かに答える。
「事故は、お前の判断で、起きたものじゃない」
澪は、首を振る。
「でも、私……動けなかった」
白猫は、澪の前に座る。
「動けなかった自分を。罰し続けるためにお前は、嘘をついてきた」
澪は、嗚咽を漏らす。
白猫は、続ける。
「それが俺だ」
その言葉に、澪は息を止めた。
白猫は、静かに言う。
「俺は、お前が、自分を殺さないために生まれた」
遥斗は、言葉を失っていた。
灯台の中で、空気が震える。
澪の嘘。後悔。罪悪感。それらが、白猫という形を取っていた。
白猫は、澪を見る。
「そろそろ、次へ行け」
澪は、涙で滲む視界の中、頷いた。
真実は、痛い。でも。
嘘より、温かかった。
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