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灯台の猫と、嘘をつく少女  作者: 倉木元貴


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灯台の取り壊し 第2話

 その夜、澪は布団に入っても、なかなか眠れなかった。

 目を閉じると、掲示板の文字が浮かぶ。


 ――灯台、取り壊し。


 胸の奥が、ざわざわと落ち着かない。時計を見ると、もう日付が変わっていた。

 澪は、静かに布団を抜け出す。

 家族は、もう眠っている。音を立てないように玄関を開け、夜の空気を吸い込んだ。

 海の匂いが、濃い。

 無意識のうちに、足は灯台へ向かっていた。

 夜道を照らす街灯はまばらで、影が長く伸びている。

 灯台が見えた瞬間、胸が少しだけ落ち着いた。


 ――まだ、ある。


 それだけで、息ができた。


「……遅いな」


 声がした。澪は、立ち止まる。

 灯台の根元、暗がりに白猫がいた。

 昼間より、さらに輪郭が薄い。

 風に溶け込んでしまいそうだった。


「来ちゃった」


 澪は、小さく言う。

 白猫は、責めるでもなく、ただ澪を見る。


「眠れなかったか。しかたないな」


 澪は、頷く。


「考えないようにしても。勝手に、頭に浮かぶ」


 白猫は、灯台に視線を向ける。


「ここはな。お前の後悔で、出来てる」


 澪の胸が、痛む。


「……分かってる。でも」


 言葉が、続かない。

 白猫は、ゆっくりと歩き出す。

 澪も、その後を追う。

 灯台の扉は、固く閉ざされている。


「入れない」


 澪が言うと、白猫は首を振った。


「今日は、外でいい。頭を冷やすのにもちょうどいい」


 夜の灯台は、昼間よりも冷たい。

 白猫は、灯台の壁に寄りかかるように座る。


「なあ、澪。お前、嘘をつくとき誰の顔、浮かべてる?」


 澪は、息を詰める。


「……分からない」


 白猫は、静かに首を振る。


「違う。分かってるのに。見ないふりをしてる」


 澪は、膝を抱える。


「……守れなかった人」


 声が、震えた。

 白猫は、肯定も否定もしない。


「だから、お前は嘘をつく。相手のためじゃない。自分が壊れないためだ」


 澪は、目を閉じる。


 その通りだった。


「でも」


 白猫は、続ける。


「俺がいることで、お前は、止まってもいた」


 澪は、白猫を見る。


「……足枷?」


「盾だ」


 白猫は、即答した。


「だが。盾は、いつか置かないと、前に進めない。荷物になるからな」


 風が強く吹く。

 白猫の姿が、揺らいだ。

 澪は、思わず手を伸ばす。

 触れない。指先が、すり抜ける。


「……怖い」


 澪は、正直に言った。


「また、失うのが怖い」


 白猫は、少しだけ笑った。


「失うんじゃない。渡すんだ」


 澪は、その意味が分からないまま、涙がこぼれた。


 夜の灯台は、黙って二人を見下ろしている。

 何も言わず。

 ただ、終わりが近いことだけを、静かに告げていた。


 翌朝、澪は目覚ましが鳴る前に目を覚ました。

 眠ったはずなのに、身体は重い。

 夢の中でも、灯台の影から離れられなかった気がした。

 朝食の席で、母が声をかける。


「澪、大丈夫? 顔色悪いわよ。ちゃんと寝てる?」


 澪は、スプーンを持つ手を止める。


「……うん」


 条件反射のように、そう答えてから、胸の奥がちくりと痛んだ。

 嘘だ。

 小さくて、誰も困らせない嘘。

 それでも、白猫の声が、脳裏によぎる。


 ――選べ。


 澪は、視線を落としたまま、言い直す。


「……本当は、あんまり」


 母は、一瞬驚いたように澪を見る。

 そして、ふっと力を抜いた。


「そう。無理しないでね。疲れた時は休んでもいいからね」


 それだけだった。

 責められもしない。問い詰められもしない。ただ、優しさだった。

 澪の胸に、静かな波紋が広がる。

 学校へ向かう道。

 空は澄んでいるのに、頭の中は曇っていた。

 教室に入ると、いつものざわめきが耳に入る。

 けれど、今日は距離がある。

 音が、膜一枚隔てた向こうにあるようだった。


「澪」


 席に着くと、遥斗が声をかけてきた。


「昨日、大丈夫だった?」


 澪は、答えに迷う。

 “大丈夫”と、“大丈夫じゃない”。

 どちらも、完全には嘘じゃない。


「……少し、考えてた」


 そう選んだ。

 遥斗は、それ以上深く聞かず、頷いた。


「そっか」


 その距離感が、ありがたい。

 授業が始まる。

 ノートを取ろうとしても、文字が頭に入らない。

 黒板の向こうに、灯台の白が重なる。

 チョークの音が、波音に変わる。

 不意に、白猫の姿が浮かぶ。


 ――ここには、来るな。


 そう言われた気がして、澪は小さく首を振った。

 昼休み。

 友人が話しかけてくる。


「澪、今日の放課後、寄り道しない?」


 澪は、反射的に「ごめん」と言いかけて、止めた。

 理由を、嘘で包もうとした自分に気づいたからだ。


「……今日は、やめとく」


 それだけ言うと、友人は「そっか」と笑った。

 それで、終わりだった。

 嘘を足さなくても、世界は壊れない。

 その事実が、少しだけ澪を楽にした。


 放課後。

 昇降口で、遥斗が待っていた。


「灯台、行く?」


 澪は、胸の奥がきゅっとなるのを感じながら、首を振る。


「今日は……行かない」


 遥斗は、意外そうに眉を上げた。


「珍しいな」


「……近づきすぎると」


 言葉を探す。


「苦しくなるから。お願いだからこれ以上苦しめないで」


 遥斗は、数秒考えてから、頷いた。


「じゃあ、海だけ見て帰ろう」


 灯台の見えない位置まで。

 それが、今日の澪の“選択”だった。

 白猫はいない。

 けれど、胸の奥で、確かに声がする。


 ――今は、それでいい。


 澪は、初めて、灯台から少しだけ距離を取った自分を、否定せずにいられた。

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