転校生の違和感 第4話
灯台を離れた後も、澪の胸は重かった。夕暮れの海が鈍い色に沈んでいく。
白猫の言葉が、波の音に混じって何度も蘇る。
──「選べ」「俺か、前に進むか」
どちらかしかない選択肢のように突きつけられた気がして、足取りが鈍る。
それでも、嫌でも時間は進む。
家に帰っても、夕食の味がよくわからなかった。食卓には湯気が立ち上るのに、匂いだけが遠い。家族の会話に相槌を打ちながら、頭の中では別の景色が広がっていた。
灯台。白猫。薄れていく影。
夜、澪は自分の部屋で膝を抱えた。
誰かに話したい。けれど。
──全部話せない。
誰かに知られる。それが怖い。
スマホを手に取り、遥斗の名前を見る。
画面に触れる前に、指が止まる。
送っていいのかわからない。
頼っていいのかもわからない。
結局、そのまま画面を伏せた。
翌日。
学校はいつも通りに始まった。
澪は、教室で遥斗と目が合う。
一瞬、何かを言おうとして、やめる。
遥斗も、何も言わなかった。
距離が少しだけ、前のように戻った気がした。
昼休み。
澪は屋上へ向かった。階段を上がるたび、外の風の音が近づく。
風に当たれば、少しは頭が冷める気がした。
扉を開けると、先客がいた。
遥斗だった。
澪は足を止めた。
「あ……」
遥斗は、振り返って気づく。
「来ると思った」
その言い方に、澪は少し驚いた。
「どうして?」
「教室での顔」
短い答え。
「悩んでいる顔してた」
澪は苦笑いを浮かべる。
隠せていない。
遥斗は、フェンスの方へ視線を戻した。
「無理に話さなくてもいいよ」
その言葉が、何度目かわからないほど、胸に沁みる。
「でも」
遥斗は続ける。
「話したくなったら、ここに来ればいい」
澪は、胸の奥が熱くなる。
「……何も、聞かないの?」
遥斗は首を振った。
「聞かない。鈴谷が話してくれるまで」
沈黙が、屋上を満たす。風がフェンスを鳴らす。
澪は唇を噛み締めた。
──選ばなくていい時間。その存在が、どれほど救いになるか。
「ありがとう」
澪は小さく言った。
遥斗は振り返らずに言う。
「礼を言われるようなことじゃない」
それ以上は踏み込まない。それ以上引かない。
その距離感が、澪には心地よかった。
放課後。
澪は、灯台へ向かう足を止めた。
今日は、行かない。
そう決めた。
白猫のことを考えなかったわけじゃない。
選択を、少しだけ保留するため。
海沿いの道を歩きながら、澪は空を見上げる。雲がゆっくりと流れている。
──前に進むって、どういうことだろう。
その答えは、まだ見えなかった。
翌日。
澪は、無意識のうちに、灯台の方向を見ていた。
学校からの帰り道、分かれ道の手前で足が止まる。昨日は行かなかった。その選択が正しかったのかどうか、まだわからない。
風が、潮の匂いを運んでくる。
──今日は? 自分に問いかけて、澪は小さく首を振った。
「……行かない」
そう決めて、灯台とは別の道に進む。
胸の奥がちくりと痛んだ。
その夜の眠りは浅かった。
夢の中で、灯台の階段を何度も上がる。上がっても上がっても、頂上には辿り着かない。
白い影が、途中の踊り場で立ち尽くしている。
呼びかけても、声は届かない。
目を覚ました時、喉がひりついていた。
数日後。
澪は、授業が終わると、気づけば灯台へ向かっていた。
足が勝手に動く。
──依存。
その言葉が頭をよぎる。
灯台に入った瞬間、空気が変わった。
「遅かったな」
白猫の声。
澪は、胸が詰まる。
「ここ最近……来なかったな」
白猫は手すりに座っている。
だが、その姿はさらに薄い。
「知っている」
白猫は、淡々と言った。
「全部、見ていたから」
澪は、ハッとする。
「どこから?」
「ここから」
白猫は、灯台を見渡す。
「お前が来ないと、俺は、動けない」
澪は息を呑む。
「……それって」
言葉が続かない。
「縛られているんだ」
白猫は短く言った。
「お前が俺を必要とするほど、俺はここに縛られる」
澪の胸が、ぎゅっと締め付けられる。
「私……」
声が震える。
「あなたに依存しているの?」
白猫は、すぐには答えなかった。
やがて静かに言う。
「依存は、悪じゃない。だが」
澪に視線を向ける。
「手放せないのなら、歪んでいく」
澪は膝をつく。
灯台の冷たい床が、手のひらに伝わる。
「私……」
俯いたまま言う。
「あなたがいないと、どうしていいかわからない。正しさなんて知らない」
白猫は、澪の前に降り立つ。
だが、距離は、まだ遠い。
「それが、お前の影だ」
澪は、涙が落ちるのを止められなかった。
──守れなかった。
──また同じ。
「違う」
白猫の声が、強くなる。
「お前は、もう気づいている」
澪は顔を上げる。
「依存していることに。遅れていることに。それが、最初の一歩だ」
海から流れてくる風が、灯台を揺らす。
白猫の姿が、一瞬かき消えかける。
「……お願い……消えないで……」
澪が叫ぶ。
白猫は、静かに答える。
「まだ、消えない。だが、時間は進んでいる。止めることはできない」
澪は、拳を握りしめた。
──選ばなきゃ。依存か、前進か。
その問いが、はっきりと輪郭を持って、澪の前に立ちはだかっていた。
おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします




