転校生の違和感 第2話
その夜、澪はなかなか眠れなかった。
窓の外では、波が一定のリズムで聞こえてくる。カーテンの隙間から差し込む月明かりが、天井に淡い模様を描いていた。
──独り言。
自分で口にしたその言葉が、何度も頭の中で反響する。
嘘だった。
わかっている。
けれど、他にどう言えばよかったのかも、わからなかった。
布団の中で、澪は目を閉じる。
白猫の姿が、自然と浮かぶ。
「……何も言わないの?」
小さく呟く。
返事はない。
それが余計に不安を煽った。
翌朝。
澪は少し寝不足のまま学校へ向かった。教室に入ると、遥斗はすでに席に着いていた。
視線が合う。
一瞬。
そして逸らされる。
──避けられてる? まあいいけど。
胸がちくりと痛む。
ホームルームが終わり、授業が始まる。澪はノートを取るふりをしながら、背後の気配を意識していた。
昼休み。
澪は、人気のない階段踊り場へ向かう。
──逃げている。
自覚はある。けれど、今は話しかける勇気が出なかった。
「鈴谷」
呼ぶ声がして、立ち止まる。
遥斗だった。
息が詰まる。
「……何?」
澪はいつもの調子を装う。
遥斗は、澪の様子をじっと見つめてから言った。
「昨日のこと」
澪の心臓が跳ねる。
「気にしてない」
即答。それも、嘘。
遥斗は、小さく首を振った。
「そういうところ」
澪は言葉を失う。
「そういうところが」
遥斗は、言い淀みながらも続ける。
「違和感なんだと思う」
澪は息を呑んだ。
「違和感?」
遥斗は頷く。
「鈴谷は……本音を言う前に、必ず一回様子を見る」
胸を突かれたような感覚が走る。
「言葉を選ぶのは、悪いことじゃない」
遥斗は静かに言う。
「でも……」
視線を逸らしながら言う。
「隠すために選んでいる気がする」
澪は何も言えなかった。
図星だった。誰にもバレることはないと思っていた。
だが、遥斗は、責める口調ではなかった。
ただ事実を並べているだけ。
「昨日」
遥斗は続ける。
「誰かと話していた。それ自体はいい。誰にだって、そういう時期はあると思うから。でも……」
澪を見る。
「嘘をついた時、鈴谷の声が少しだけ変わった気がした」
澪の喉がひりつく。
──音が違う。
白猫の言葉が蘇る。
「……他人のこと見過ぎ」
澪は苦笑して言った。
逃げの言葉。遥斗を突き放すための言葉。
遥斗は、それ以上踏み込んでこなかった。
「ごめん」
そう言って距離を取る。
澪は背中に残る視線を感じながら、その場を離れた。
放課後。
澪は灯台へ向かった。
坂道を上る足取りが重い。
「……いたでしょ」
澪は声を潜める。
白猫がいつもの場所に座っていた。
「聞いていた」
短い答え。
澪はしゃがみ込む。
「バレてる?」
「半分」
白猫は言う。
「完全には見せていない」
澪は少し安心し、少し苦しくなる。
「どうすればいいの?」
白猫は、澪を見つめる。
「選べ。隠すか。見せるか」
澪は拳を握った。
──また、選択。もういい。
逃げ場のない問い。灯台の影が、澪の足元で揺れていた。
夕方の空は、夏の終わりを思わせる色に染まっていた。
オレンジと紫が混ざり合い、海の上に長い影を落としている。澪は校舎の裏手にある自販機の前で、何を買うでもなく立ち尽くしていた。
白猫に言われた言葉が、頭から離れない。
──選べ。
隠すか、見せるか。
その選択肢は、澪にとっていつも残酷なものだった。
隠せば守れる。見せれば壊れる。
そう信じてきた。
「鈴谷」
背後から声がした。
振り向くと、遥斗が立っていた。部活帰りなのか、シャツの袖を少し捲っている。
「……何?」
澪はいつもより少し低い声で返した。遠ざけるように。
「さっきのこと」
遥斗は、澪の隣に立つ。距離はギリギリ近すぎないくらい。
「言い方。悪かったかもしれない」
澪は黙って見ていた。
「君を責めるつもりはなかった」
遥斗は、視線を自販機に向けたまま言う。
「ただ……」
一拍置く。
「鈴谷が苦しそうに嘘をついているのが、気になった」
澪は、胸の奥が熱くなるのを感じた。
「……優しい嘘だよ」
反射的にそう返してしまった。
「誰も傷つけない」
遥斗は首を横に振った。
「鈴谷は傷ついている」
短い言葉。逃げ場がない。
澪は視線を落とす。
「それでも……」
声が震える。
「本当のことを言ったら、嫌われるかもしれない。失望されるかもしれない」
遥斗はしばらく黙っていた。
やがて静かに言う。
「嫌うかどうかは。聞いた側が決めることだ」
澪は驚いて顔を上げる。
「澪が先に決める必要はない」
その言葉は、澪の中の常識を、静かに壊していった。
心の中で何かが崩れるのと、受け入れたくない感情で彷徨っていた。
「俺は」
遥斗は澪を見た。強い眼差しで。
「知らされないことよりも、嘘をつかれるほうが、少しだけ怖い」
澪の喉がきゅっと鳴る。
──拒絶されない。
そう初めて感じた。
完全に理解されなくても、それでも、ここにいていい。曖昧なくらいでもそれでいい。
「……全部は、話せない」
澪は正直に言った。
遥斗は頷く。
「それでいい。全部を求める権利なんて、俺にはない」
その言葉に、澪の目が熱くなる。
「でも……」
遥斗は続ける。
「話せる時が来たら、嘘じゃなくて、沈黙を選んでほしい」
澪はゆっくりと息を吐いた。
「……考えてみる」
それは逃げではなかった。約束でもない。
ただの選択の余地。
それが、こんなにも楽だとは知らなかった。
別れ際、遥斗は振り返った。
「鈴谷。俺は……」
一瞬言葉に詰まる。
「鈴谷の本音を奪うつもりはないから」
澪は小さく頷いた。
遥斗が去ったあと、澪はその場に立ち尽くした。
白猫の声が遅れて響く。
「拒まれなかったな」
澪は驚いて、周囲を見る。
白猫は自販機の横に、まるで置物のように座っていた。
「……聞いていたの?」
「聞いていたさ」
澪は苦笑いをする。
「どう思う?」
白猫は少し考えてから言った。
「外の世界は、お前は思っているほど、残酷なものじゃない」
澪はその言葉を胸に刻んだ。
夕焼けが街を静かに包み込んでいた。
次第に夕焼けは、ゆっくりと色を失っていく。
澪は、灯台と猫に別れを告げて、家路に就いた。
おもしろかったら評価、ブックマークよろしくお願いします




