第5話「幼馴染という檻」
月曜の朝。
目覚ましが鳴る前に、元樹は目を覚ました。
布団の中でぼんやりと天井を見つめながら、昨日の出来事を思い返す。
――奈々美さんと過ごした時間。
――クレーンゲームで取ってもらったフィギュア。
――別れ際の、あの笑顔。
机の上に置かれたフィギュアの箱が、朝の光に照らされて小さく光っている。
嬉しかったはずなのに、胸の奥には説明のつかないざわめきが残っていた。
「元樹、朝ごはんよー!」
階下から母親の声が聞こえ、元樹は重い体を起こした。
制服に着替えて階段を下りると、テーブルには焼きたてのトーストと目玉焼きが並んでいた。
由美は既に制服を着て、慌ただしく朝食を詰め込んでいる。
「おはよ、お兄ちゃん。昨日はお疲れさま」
「……おはよう」
由美はにやりと笑いながら、兄の顔を覗き込んだ。
「なんか顔色悪くない? 昨日あの美人さんとのデートしてたんでしょ?」
「何の話だ?」
元樹は慌てて知らない振りをするが、由美の言葉に頬が熱くなる。
「ふーん? でも楽しかったんでしょ? フィギュア取ってもらったって話、聞いたよ」
「……誰から聞いた」
由美はくすくす笑いながら立ち上がった。
「秘密。じゃあ私、先に行くね。お兄ちゃんも遅刻しないでよ」
妹が出て行った後、元樹は一人でトーストをかじりながら考え込む。
(……由美はどうして知ってるんだ?)
不安が胸の奥でざわめく中、元樹は急いで朝食を済ませて家を出た。
通学路を歩いていると、案の定、角の向こうから奈々美さんが現れた。
まるで元樹の歩く速度を計算していたかのような、完璧なタイミング。
「おはよう、渡部くん」
穏やかな笑顔。
だが元樹の背筋に、微かな寒気が走る。
「……おはよう。今日も偶然だな」
「偶然かしら?」
奈々美さんは首を傾げ、意味深に微笑んだ。
その瞬間、元樹の心臓が一度強く跳ねる。
二人は並んで歩き始める。
朝の通学路は穏やかで、他の生徒たちの笑い声も聞こえてくる。
けれど元樹には、隣を歩く奈々美さんの存在だけが異質に感じられた。
「昨日は楽しかったね」
「う、うん……」
「フィギュア、喜んでもらえてよかった」
「ありがとう……本当に」
会話は自然に流れているはずなのに、元樹の胸は締め付けられるようだった。
奈々美さんの声は優しく、表情も穏やか。
それなのに、どこか計算された完璧さを感じてしまう。
「ねえ、渡部くん」
「……なに?」
「今度はもっとゆっくり遊びたいな」
その言葉に、元樹の足が止まりそうになる。
奈々美は立ち止まり、振り返って元樹を見つめた。
黒い瞳の奥に、昨日は見えなかった何かが潜んでいる。
「……そう、だね」
曖昧に答える元樹を見て、奈々美さんは満足そうに微笑んだ。
そして再び歩き始める。
元樹は小さく息を吐きながら後に続く。
胸の奥で、不安と期待が複雑に絡み合っていた。
教室にて
教室に入ると、いつものざわめきが元樹を迎えた。
玲はまだ来ていないようで、前の席は空いている。
元樹が自分の席に着くと、奈々美も静かに隣に座った。
朝の光が窓から差し込み、彼女の横顔を淡く照らしている。
「おはよう、元樹」
振り返ると、玲が息を切らせながら教室に駆け込んできた。
その瞬間、奈々美さんの表情がわずかに変わったのを、元樹は見逃さなかった。
「おはよう、玲。朝練だったのか?」
「うん、ちょっと走りすぎちゃった」
玲は笑いながら前の席に座る。
その自然な明るさが、教室の空気を一瞬で和ませた。
「昨日はありがとう。楽しかった」
元樹がそう言うと、玲は嬉しそうに笑う。
「こちらこそ。また今度、一緒にご飯食べよう」
「ああ」
二人の会話を、奈々美さんは黙って聞いていた。
表情は変わらないが、その静けさには重さがある。
玲が教科書を出している間、奈々美さんが小さく口を開いた。
「上野さんとは、よく一緒にいるのね」
囁くような声。
元樹だけに聞こえる音量で、静かに告げられた。
「……幼馴染だからな」
「そう……幼馴染」
奈々美は「幼馴染」という言葉を、まるで味わうように繰り返した。
その声音に、元樹は背筋が凍る思いがした。
一時間目の授業が始まると、奈々美さんは真面目に授業を受けているように見えた。
けれど時折、元樹の方に向けられる視線は相変わらず鋭く、監視するような重さを持っていた。
授業の合間、玲が振り返って話しかけてくる。
「そういえば元樹、昨日は何してたの?」
その質問に、元樹の心臓が跳ね上がる。
隣に座る奈々美さんの存在を強く意識しながら、曖昧に答える。
「えっと……ちょっと街をぶらぶらして」
「ふーん、一人で?」
玲の無邪気な問いに、元樹は言葉を詰まらせる。
そのとき、奈々美さんが静かに口を開いた。
「私も昨日、街にいたの。偶然、渡部くんと会ったのよ」
自然な口調。
だがその言葉は、元樹にとって爆弾のようだった。
玲は驚いたように目を丸くする。
「え、そうなの? すごい偶然だね」
「ええ。……偶然だったわ」
奈々美さんの口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
その笑みを見て、元樹の胸が締め付けられた。
「そうだったんだ。二人とも楽しめた?」
「はい。とても楽しい時間でした」
奈々美さんは穏やかに答える。
だが元樹には、その言葉の裏に隠された意味が重く響いた。
玲は特に疑うこともなく、「よかった」と微笑んで前を向いた。
その自然な反応を見て、元樹は少しほっとする。
けれど隣からは、奈々美さんの視線が突き刺さり続けていた。
昼休みのチャイムが鳴ると、玲は元気よく立ち上がった。
「元樹、今日も一緒にお弁当食べる?」
「ああ、もちろん」
元樹が答えると、奈々美さんも静かに立ち上がる。
「私も……一緒してもいい?」
その申し出に、玲は快く頷いた。
「もちろん! 三人で食べよう」
だが元樹の胸には、複雑な感情が渦巻いていた。
玲と奈々美さん。二人の存在が同時にあることへの、説明のつかない不安。
三人は机を寄せ合い、お弁当を広げる。
玲は相変わらず明るく話しかけ、奈々美さんは穏やかに相づちを打つ。
「奈々美さんって、前はどこに住んでたの?」
玲の質問に、奈々美さんは少し考えるような表情を見せる。
「田舎町よ。でも……あまり覚えていないの。小さい頃のことは」
「そうなんだ。転校って大変でしょ?」
「ええ。でも……なんだか懐かしい感じがするの」
その言葉に、元樹の箸が止まる。
奈々美さんの視線が、一瞬元樹に向けられた。
「懐かしい?」
玲が首を傾げる。
「なんとなく、だけど」
奈々美さんは微笑みながら答える。
「でも不思議ね。人って、初めて来た場所でもそう感じることがあるのかも」
玲の何気ない言葉に、奈々美の表情がわずかに変わった気がした。
だがすぐに穏やかな笑顔を取り戻す。
「そうね。きっと……そういうことなの」
元樹は二人の会話を聞きながら、胸の奥でざわめきが大きくなるのを感じていた。
放課後の出来事
放課後、元樹は図書室に向かおうとしていた。
廊下を歩いていると、後ろから足音が聞こえる。
振り返ると、奈々美さんが立っていた。
「渡部くん」
「……柊」
人通りの少ない廊下で、二人きり。
その状況に、元樹の心臓が早鐘を打つ。
「図書室に行くの?」
「うん……調べ物があって」
「私も一緒に行ってもいい?」
断る理由もなく、元樹は頷く。
二人は並んで図書室へ向かった。
図書室は静かで、数人の生徒が本を読んでいるだけだった。
奈々美さんは元樹の後をついて来て、同じテーブルに座る。
元樹が参考書を広げていると、奈々美さんが小さく口を開いた。
「渡部くん」
「……なに?」
「上野さんのこと、大切にしているのね」
唐突な言葉に、元樹の手が止まる。
「……幼馴染だから」
「そう。幼馴染」
奈々美は「幼馴染」という言葉を、再び意味深に繰り返した。
「でも……私は思うの。過去ってすごく大事だなって」
「過去……?」
元樹が顔を上げると、奈々美さんの黒い瞳がすぐ近くにあった。
その瞳の奥に、冷たい光が宿っている。
「でも人は変わるものよ。昔の関係に固執していると……大切なものを見失うかもしれない」
その言葉の重さに、元樹の呼吸が浅くなる。
「柊……」
「私はね、渡部くん」
奈々美さんの声が一段と低くなる。
「あなたのことを、本当に理解している。過去も、現在も……そして未来も」
「何を言って……」
「いつか、思い出すわ。私たちの約束のこと」
その瞬間、元樹の頭に鋭い痛みが走った。
断片的な記憶の欠片が、脳裏を駆け巡る。
――公園の夕暮れ。
――小さな女の子の泣き声。
――「絶対に離れない」という約束の言葉。
「……っ!」
元樹は頭を押さえ、苦痛に顔を歪める。
奈々美さんは心配そうに顔を覗き込むが、その瞳の奥には満足そうな光があった。
「大丈夫? 無理しないで」
優しい声。
だがその優しさの裏に潜む何かが、元樹を恐怖で震えさせた。
その夜
家に帰った元樹は、部屋のベッドに横になりながら、今日の出来事を反芻していた。
図書室での奈々美さんの言葉。
あの時感じた、鋭い頭痛と記憶の断片。
「約束って……何の約束だ」
机の上のフィギュアが、暗闇の中で小さく光っている。
昨日は嬉しかったはずのプレゼントが、今は重い意味を持って感じられる。
スマホが震える音がして、元樹は画面を見る。
玲からのメッセージだった。
『お疲れさま。今日は奈々美さんと三人で食べられてよかった。彼女、いい人そうだね』
その文面を読んで、元樹は複雑な気持ちになる。
玲にとって奈々美さんは、ただの新しい友達。
でも元樹には、彼女の裏の顔が見えている。
『ああ、そうだな』
短く返信を送り、スマホを置く。
窓の外は静かな夜が広がっていた。
街灯の光が道路を照らし、遠くで犬の鳴き声が聞こえる。
元樹は目を閉じ、記憶の奥を探ろうとする。
でも靄がかかったように、はっきりとした像は結ばない。
ただ一つ、確かに感じることがある。
奈々美と自分の間には、何らかの過去の繋がりがあるということ。
そしてそれは、決して穏やかなものではないということ。
「……明日からも、気をつけないと」
元樹は小さく呟き、布団を深くかぶった。
夜の闇の中で、奈々美の微笑みが脳裏に浮かんでは消えていった。
翌日の朝
火曜の朝も、奈々美さんは完璧なタイミングで現れた。
「おはよう、渡部くん」
「……おはよう」
今日も並んで歩く二人。
だが元樹の警戒心は、昨日よりもさらに強くなっていた。
「昨夜はよく眠れた?」
「……普通だよ」
「そう。でも少し疲れて見える」
奈々美の観察眼の鋭さに、元樹は内心驚く。
確かに昨夜は、なかなか寝付けなかった。
「心配することがあるの?」
その問いに、元樹の足が止まる。
「……別に」
「もし何か困ったことがあったら、私に相談して。私は……渡部くんの味方だから」
その言葉は優しく響く。
でも元樹には、その「味方」という言葉が重く感じられた。
学校に着くと、玲が校門のところで待っていた。
「おはよう、元樹! 奈々美さんも」
「おはよう」
玲の明るい声に、元樹の心が少し軽くなる。
三人で校舎に向かいながら、元樹は玲の存在がどれだけ自分を安心させるかを改めて実感していた。
授業中の異変
三時間目の数学の時間。
先生が黒板に数式を書いている間、元樹は集中して授業を受けようとしていた。
ふと、隣から視線を感じる。
いつものことだと思い、気にしないようにするが、今日の奈々美さんの視線は違った。
より鋭く、より深く。
まるで元樹の心の奥まで見透かそうとするような。
元樹は居心地悪く感じながら、ノートに文字を書き続ける。
でも手が震え、文字が歪んでしまう。
そのとき、奈々美さんの手がそっと元樹の机に置かれた。
小さなメモ紙が、さりげなく滑らされる。
元樹は周りに気づかれないよう、メモを手に取る。
そこには、丁寧な字でこう書かれていた。
『放課後、屋上で待ってる』
心臓が一度強く跳ねる。
元樹は奈々美の方を見るが、彼女は何事もなかったように授業を受けていた。
メモを机の中にしまいながら、元樹の胸に不安が広がっていく。
屋上での再会
放課後、元樹は迷いながらも屋上に向かった。
階段を上る足音が、やけに大きく響く。
屋上の扉を開けると、夕陽の光が目に入る。
そして、フェンスの向こうを見つめる奈々美さんの後ろ姿があった。
「来てくれたのね」
振り返る奈々美さん。
夕陽に照らされた横顔は美しいが、その瞳には冷たい光が宿っている。
「……何の話だ」
元樹は距離を保ちながら問いかける。
「思い出した?」
「何を……」
「私たちの約束」
奈々美さんはゆっくりと元樹に近づく。
その度に、元樹の心臓の鼓動が早くなる。
「小さい頃、あの町の公園で……あなたは私に言ったの」
元樹の頭に、またあの痛みが走る。
記憶の断片が、より鮮明に蘇ってくる。
――夕暮れの公園。
――泣いている女の子。
――「僕が守ってあげる」という自分の声。
――「ずっと一緒にいよう」という約束。
「……っ!」
元樹は頭を押さえながら後ずさる。
「そう。やっと思い出し始めた」
奈々美さんの口元に、満足そうな笑みが浮かぶ。
「あなたは私を置いて行った。約束を破って、あの町から逃げた」
「逃げた……?」
「でも私は諦めなかった。ずっと、あなたを探し続けた」
奈々美さんの声が一段と低くなる。
「そして今、戻ってきた。約束を果たすために」
その言葉に、元樹の全身に鳥肌が立つ。
「柊……」
「私はね、渡部くん」
奈々美さんは一歩、また一歩と近づく。
「あなたのことが大好き。昔も、今も。だから……」
彼女の瞳が、狂気を帯びて光る。
「誰にも渡さない」
その瞬間、元樹は理解した。
奈々美の正体を。
そして自分が置かれた状況の危険性を。
屋上の夕陽が二人を照らす中、元樹は必死に冷静さを保とうとしていた。
過去の真実
「覚えている? あの日のこと」
奈々美の声は穏やかだが、その瞳は狂気を宿している。
元樹の記憶が、徐々に鮮明になっていく。
――七歳の夏。
――公園で一人で泣いている女の子。
――「お父さんとお母さんがいなくなっちゃった」という言葉。
――「僕が一緒にいるから」と慰めた自分。
「君は……あの時の……」
「そう。私は柊奈々美。あなたが慰めてくれた、女の子」
奈々美さんは微笑むが、その笑顔は歪んでいる。
「でもあなたは忘れた。私を置いて、家族と一緒にこの町を離れた」
元樹の記憶が、さらに蘇る。
父親の転勤で、急に町を離れることになった八歳の夏。
奈々美に別れを告げる暇もなく、引っ越してしまったこと。
「僕は……」
「言い訳はいらない。でも、大丈夫」
奈々美は優しく微笑む。
「私は許してあげる。その代わり、昔みたいに名前で呼んで」
その言葉に、元樹は答えるしかなかった。
「奈々美、君は……」
「私がどれだけあなたを探したか、分かる?」
奈々美の声が震え始める。
「養護施設を転々として、でもずっとあなたのことを考えてた」
「成長して、この町に来た時に、あなたとまた出会えたの」
元樹は言葉を失う。
目の前の美しい少女が、あの頃の寂しがりやの女の子だということを受け入れるのが困難だった。
「でも……玲という邪魔者がいるのね」
その名前が出た瞬間、元樹の心臓が止まりそうになる。
「玲は関係ない」
「関係ないって?」
奈々美の笑みが、より歪んでいく。
「幼馴染。特別な存在。あなたの心を占めている女」
「そんなことは……」
「私には分かるの。あなたが玲を見る時の目。私を見る時とは全然違う」
奈々美の声が、怒りに震え始める。
「でも大丈夫。私がいれば、もう玲なんて必要ないわ」
その言葉に含まれる危険な響きに、元樹は恐怖を覚える。
「玲に何かするつもりか」
「さあ。それはあなた次第よ」
奈々美は再び穏やかな笑みを浮かべる。
「私だけを見て。私だけを愛して。そうすれば……何も起こらない」
夕陽が徐々に沈み、屋上は薄暗くなっていく。
その中で、奈々美の瞳だけが異様に光っていた。
下校時の緊張
屋上での会話の後、元樹は震える手で階段を下りた。
奈々美は何事もなかったように、穏やかな表情で後に続く。
「また明日ね、渡部くん」
校門で別れる際、奈々美は優しく微笑んだ。
だがその笑顔の裏に潜む狂気を知った今、元樹には恐怖しか感じられない。
家に帰る道すがら、元樹の頭は混乱していた。
七歳の記憶、奈々美の告白、玲への脅威。
すべてが重くのしかかり、足取りが重くなる。
家に着いても、夕食の味は分からなかった。
由美の明るい話し声も、遠くから聞こえてくるようで、集中できない。
「お兄ちゃん、大丈夫? 顔色悪いよ」
「……ちょっと疲れてるだけ」
由美は心配そうに見つめるが、それ以上は追及しなかった。
部屋に戻ると、元樹はベッドに倒れ込む。
天井を見つめながら、今日の出来事を整理しようとする。
――奈々美は本当にあの時の女の子だったのか。
――彼女の愛情は、いつから執着に変わったのか。
――そして、玲は本当に危険なのか。
スマホを手に取り、玲にメッセージを送ろうとする。
でも、何と書けばいいのか分からない。
「気をつけて」と言ったところで、玲には理由が分からないだろう。
そして奈々美を敵に回すことの危険性も、十分すぎるほど感じていた。
結局、メッセージは送らずにスマホを置いた。
窓の外では夜が深くなり、街灯だけが静寂を照らしている。
元樹は眠れない夜を過ごすことになるだろうと覚悟しながら、目を閉じた。
でもその時、窓の外に人影が見えた気がして、慌てて起き上がる。
カーテンをそっと開けて外を見るが、そこには誰もいなかった。
ただ風に揺れる木の枝があるだけ。
(……気のせいか)
そう思いながらも、元樹の不安は消えることがなかった。
新たな一日の始まり
翌朝、元樹は重いまぶたを無理やり上げて起床した。
昨夜はほとんど眠れず、体が鉛のように重い。
鏡を見ると、目の下に濃いクマができていた。
「また今日も……」
奈々美との遭遇を思うだけで、胃が重くなる。
でも学校を休むわけにもいかない。
制服に着替え、重い足取りで家を出る。
案の定、いつもの角で奈々美が待っていた。
「おはよう、渡部くん。昨夜はよく眠れた?」
その問いかけに、元樹の背筋が凍る。
まるで自分の睡眠状況を知っているかのような口調だった。
「……普通だよ」
「そう? でも疲れて見える。心配」
奈々美の瞳には、優しさと狂気が同居している。
その複雑な感情に、元樹は困惑する。
「今日も一緒に帰れるかな?」
「……分からない。用事があるかもしれないから」
元樹は曖昧に答えるが、奈々美は満足そうに微笑む・・・
幼い頃の記憶に縛られ、再び交わった二人の運命。
奈々美の「誰にも渡さない」という言葉は、愛なのか、それとも呪いなのか。
元樹が見た彼女の笑顔の裏に潜む狂気は、これから何をもたらすのか。
次回、さらに深まる三人の関係にご期待ください。




