第29話 「崩壊する日常」
一月十六日。
あの事件から、一週間が経った。
俺、渡部元樹は今日も病院に通っていた。
奈々美の体調は順調に回復している。
医者も「このペースなら、もうすぐ退院できるかもしれない」と言ってくれた。
それは嬉しいニュースだった。
でも——
心のどこかで、玲のことが気になっていた。
あれから、玲とは一度も話していない。
学校でも、玲は俺を避けている。
草壁さんとは、ずっと一緒にいる。
「大丈夫かな……」
小さく呟く。
光明からの報告では、玲の様子が日に日におかしくなっているらしい。
草壁さんへの依存が強まっている。
まるで、草壁さんなしでは生きていけないような。
「やっぱり……」
俺の予感は当たっていた。
草壁さんは、玲に執着している。
そして、玲も草壁さんに依存してしまっている。
奈々美が俺にしたのと、同じように。
「何とかしないと……」
でも、俺にできることはあるのだろうか。
玲は俺を拒絶している。
話を聞いてくれるとは思えない。
「元樹くん」
奈々美が声をかけてくる。
「何か、考え事?」
「あ、ああ……」
俺は誤魔化す。
「ちょっと、学校のことで」
「そっか」
奈々美が微笑む。
「元樹くんは真面目だね」
「そんなことないよ」
俺は笑う。
でも、心の奥では——
玲のことで、頭が一杯だった。
午後六時。
病院を出る。
冬の夕暮れは早い。
もう、あたりは暗くなり始めている。
「寒いな……」
白い息を吐きながら、バス停に向かう。
人通りは少ない。
街灯の光が、道を照らしている。
「早く帰らないと……」
そう思いながら歩いていた時——
背後から、何かの気配を感じた。
「……?」
振り返ろうとした瞬間。
ゴッ。
鈍い音と共に、激痛が頭を襲った。
「うっ……」
視界が揺れる。
何が起きたのか、理解できない。
膝が崩れる。
地面が近づいてくる。
「誰……」
声を出そうとしたが、出ない。
意識が、遠のいていく。
最後に見えたのは——
暗い空と、街灯の光。
そして——
誰かの影。
「……玲……」
小さく呟いて——
俺の意識は、闇に落ちていった。
同じ日、午後三時。
私、山田未菜は光明くんと一緒に、廊下を歩いていた。
「ねえ、光明くん」
「ん?」
「玲ちゃんのこと……」
私は心配そうに言う。
「やっぱり、おかしいよ」
「そうだな……」
光明くんも頷く。
「草壁とずっと一緒にいて」
「他の友達とも、全然話さなくなった」
その言葉に、私は不安になる。
「このままじゃ……」
「ああ」
光明くんが真剣な表情になる。
「何か、しないといけないかもしれない」
その時——
職員室から、佐々木先生が出てきた。
「山田さん、木口くん」
「はい」
私たちは立ち止まる。
「ちょっと、いいかな」
先生が真剣な顔で言う。
「上野さんのことなんだけど……」
その言葉に、私の心臓が跳ねた。
「玲ちゃんが……どうかしたんですか?」
「実は……」
先生が眉をひそめる。
「今日、欠席の連絡が来たんだ」
「欠席……」
「でも、今、上野さんの家に電話したら」
先生が続ける。
「お母さんが『学校に行ったはずだ』って」
その瞬間、私の血の気が引いた。
「え……」
「つまり……」
光明くんが声を震わせる。
「玲が、行方不明……?」
「そういうことになる」
先生が頷く。
「警察には連絡した」
「でも、二人とも、何か知らないか?」
その質問に、私は首を振る。
「わかりません……」
「でも……」
私は思い出す。
「草壁さんなら、何か知ってるかもしれません」
「草壁……」
先生が考える。
「確かに、最近ずっと一緒だったな」
「草壁さんは?」
光明くんが聞く。
「今日は来てる?」
「いや……」
先生が首を振る。
「草壁さんも、欠席だ」
その言葉に、私と光明くんは顔を見合わせた。
「まさか……」
「二人とも、一緒に……」
光明くんが呟く。
「とにかく」
先生が言う。
「何か情報があったら、すぐに連絡してくれ」
「はい」
私たちは頷いた。
先生が職員室に戻る。
私と光明くんは、廊下に残された。
「未菜……」
光明くんが私を見る。
「どうする?」
「探す」
私は即答する。
「玲ちゃんを、探す」
「どこを?」
「わからない……」
私は必死に考える。
「でも、じっとしてられない」
「わかった」
光明くんが頷く。
「俺も手伝う」
「ありがとう」
私は光明くんの手を握る。
「行こう」
二人で学校を飛び出した。
まず向かったのは、玲ちゃんの家。
チャイムを鳴らす。
すぐに、玲ちゃんのお母さんが出てきた。
「あら、未菜ちゃん……」
お母さんの顔は、青ざめていた。
「玲、知らない……?」
「すみません……」
私は申し訳なさそうに言う。
「わからないんです」
「そう……」
お母さんが泣きそうな顔をする。
「警察に連絡したけど……」
「まだ、何の情報もなくて……」
その様子を見て、私の胸が痛んだ。
「絶対に見つけます」
私は強く言う。
「玲ちゃんを、必ず見つけます」
「お願い……」
お母さんが私の手を握る。
「玲を……お願い……」
その手の温もりに、私は決意を新たにした。
玲ちゃんの家を出て、私たちは町を探し始めた。
「どこだろう……」
光明くんが呟く。
「玲が行きそうな場所……」
「公園とか……」
私は提案する。
「いつも行ってた場所を、回ってみよう」
「ああ」
まず向かったのは、学校近くの公園。
でも、そこに玲ちゃんの姿はなかった。
「いない……」
次に、商店街。
駅前。
図書館。
全部回ったけど、玲ちゃんはどこにもいなかった。
「どこにいるの……」
私は不安でたまらなくなる。
「玲ちゃん……」
空はどんどん暗くなっていく。
冬の夕暮れ。
もう、午後五時を過ぎていた。
「未菜」
光明くんが私の肩に手を置く。
「一旦、落ち着こう」
「でも……」
「このまま闇雲に探しても、見つからない」
光明くんが続ける。
「ちゃんと考えて、動かないと」
その言葉に、私は深呼吸する。
「そうだね……」
「まず、草壁のことを調べよう」
光明くんが提案する。
「草壁の家、知ってるか?」
「いや……」
私は首を振る。
「聞いたことない」
「じゃあ、草壁の友達に聞いてみるか」
「佐藤さん……」
私は思い出す。
「草壁さんと同じクラスの佐藤愛さん」
「あの子なら、何か知ってるかも」
「連絡してみる」
私はスマホを取り出す。
佐藤愛さんの連絡先は、クラスのグループラインで知っていた。
メッセージを送る。
『佐藤さん、急ぎで聞きたいことがあります』
『草壁さんのこと、何か知りませんか?』
すぐに返信が来た。
『え、何かあったんですか?』
『穂香ちゃん、今日学校休んでましたけど』
私は続けてメッセージを送る。
『玲ちゃんが行方不明なんです』
『草壁さんも連絡が取れなくて』
『何か知ってたら、教えてください』
しばらく既読がつかなかった。
そして——
『……実は、気になることがあって』
『昨日、穂香ちゃんから変なメッセージが来たんです』
私は身を乗り出す。
『どんなメッセージですか?』
『「玲さんと、ずっと一緒にいられる場所を見つけた」って』
『「もう、誰にも邪魔されない」って』
その言葉に、私の背筋が凍った。
「光明くん……」
私は光明くんにスマホを見せる。
「これ……」
光明くんも目を見開く。
「まずい……」
「本気で、玲を……」
私たちは顔を見合わせた。
『場所、何か聞いてませんか?』
私は必死にメッセージを送る。
『わからないです……』
『でも、穂香ちゃん、中学の時の話をしてて』
『「あの時みたいに、二人だけの場所があればいいのに」って』
中学の時。
二人だけの場所。
「光明くん」
私は光明くんを見る。
「草壁さんの出身中学、どこだっけ?」
「確か……」
光明くんが考える。
「桜ヶ丘中学だったはず」
「それって……」
「ああ」
光明くんが頷く。
「元樹と奈々美さんが、昔住んでた町だ」
その言葉に、私はハッとする。
「もしかして……」
「草壁が、そこに……」
光明くんが続ける。
「でも、桜ヶ丘は遠いぞ」
「電車で一時間以上かかる」
「わからない……」
私は混乱する。
「でも、他に手がかりがないなら……」
その時——
私のスマホが鳴った。
佐藤愛さんからの電話だった。
「もしもし」
『山田さん!』
愛さんの慌てた声が聞こえる。
『思い出しました!』
「何を?」
『穂香ちゃん、前に言ってたんです』
愛さんが続ける。
『「中学の時、よく行ってた廃工場がある」って』
『「誰も来ない、静かな場所」って』
廃工場。
その言葉に、私は直感した。
「そこだ……」
「場所、わかりますか?」
『詳しくは知らないんですけど……』
愛さんが考える。
『確か、桜ヶ丘の工業地帯の方だって』
「わかりました」
私は強く言う。
「ありがとうございます」
電話を切る。
「光明くん」
私は光明くんを見る。
「桜ヶ丘に行こう」
「でも……」
光明くんが時計を見る。
「もう六時だ」
「それに、廃工場なんて危険すぎる」
「警察に連絡した方が……」
「時間がない」
私は強く言う。
「もし本当に草壁さんが玲ちゃんを……」
私の声が震える。
「今すぐ行かないと……」
その必死さに、光明くんは頷いた。
「わかった」
「行こう」
二人で駅に向かって走る。
電車に飛び乗り、桜ヶ丘に向かった。
車内で、私は玲ちゃんのことを考え続けていた。
「玲ちゃん……」
小さく呟く。
「無事でいて……」
光明くんが私の手を握る。
「大丈夫」
「絶対に、見つける」
その言葉に、私は少し落ち着いた。
「ありがとう……」
電車が桜ヶ丘駅に到着する。
もう、あたりは真っ暗だった。
「工業地帯は……」
光明くんがスマホで地図を確認する。
「駅から北に二キロくらいだ」
「歩くしかないな」
「うん」
二人で駅を出る。
冬の夜は、とても寒い。
街灯の光を頼りに、歩き始めた。
住宅街を抜けると、徐々に建物が少なくなっていく。
そして——
工業地帯に入った。
古い工場が並んでいる。
でも、どれも稼働していないようだ。
「廃工場……」
私は呟く。
「どれだろう……」
「一つずつ、確認するしかない」
光明くんが言う。
私たちは、工場を一つずつ見て回った。
でも、どれも鍵がかかっていて、中には入れない。
「ここじゃない……」
次の工場。
その次の工場。
全部、違う。
「玲ちゃん……」
私は不安でたまらなくなる。
「どこにいるの……」
その時——
光明くんが立ち止まった。
「未菜」
「何?」
「あそこ……」
光明くんが指差す方向を見る。
少し離れたところに、大きな工場がある。
他の工場と違って、窓から微かに光が漏れている。
「誰か……いる?」
私たちは顔を見合わせた。
「行ってみよう」
慎重に近づく。
工場の入り口は、半開きになっていた。
「入れる……」
光明くんが小声で言う。
「でも、危険かもしれない」
「私が先に……」
「だめだ」
光明くんが私を止める。
「俺が先に行く」
「光明くん……」
「未菜は、ここで待ってろ」
「もし何かあったら、すぐに警察に連絡してくれ」
その真剣な表情に、私は頷いた。
「わかった……」
「でも、無理しないで」
「ああ」
光明くんが工場の中に入っていく。
私は外で待つ。
心臓が激しく鳴っている。
「光明くん……」
小さく呟く。
「気をつけて……」
数分が経った。
長く感じる。
そして——
光明くんが戻ってきた。
「未菜」
「どうだった?」
「……中に、誰もいない」
光明くんが首を振る。
「でも、誰かが最近使った形跡がある」
「食べ物の包み紙とか、ペットボトルとか」
その言葉に、私は焦る。
「じゃあ、ここに……」
「たぶん」
光明くんが頷く。
「でも、今はいない」
「どこに行ったんだろう……」
私は周りを見回す。
真っ暗な工業地帯。
どこに行けば……
「とりあえず今日は遅いから一旦帰ろう」
光明が未菜に言う。
「そう…だね」
二人はまた電車に乗り、地元に帰る。
電車を降り、改札口を抜けた。
その時——
遠くから、何かの音が聞こえた。
「……?」
私は耳を澄ます。
救急車のサイレン。
「あっちの方……」
光明くんが音の方向を見る。
「何かあったのかな……」
「行ってみよう」
私たちは音のする方向に走った。
工業地帯を抜けて、住宅街に入る。
そして——
私は、目の前の光景に息を呑んだ。
「え……」
道路に、人が倒れている。
警察と救急車が来ている。
そして——
倒れている人の顔を見て、私は叫んだ。
「元樹くん!」
駆け寄る。
元樹くんが、地面に倒れている。
頭から血を流している。
「元樹くん! 元樹くん!」
私は必死に呼びかける。
でも、反応がない。
「元樹くん……」
救急隊員が元樹くんを担架に乗せる。
「あなたは?」
警察官が私に聞く。
「友達です……」
私は震える声で答える。
「何があったんですか……」
「それが……」
警察官が説明する。
「通報があって駆けつけたら、この状態で倒れていた」
「後頭部を鈍器で殴られたようだ」
「殴られた……?」
私は信じられない。
「誰が……」
「それは、まだわからない」
警察官が続ける。
「目撃者もいないし」
「でも、明らかに事件だ」
事件。
その言葉に、私の頭が混乱する。
元樹くんが襲われた。
玲ちゃんが行方不明。
草壁さんも行方不明。
「まさか……」
私は戦慄する。
「草壁さんが……」
「草壁?」
警察官が反応する。
「それは誰だ?」
「あ……」
私は説明する。
「私の友達が、行方不明なんです」
「草壁穂香さんという人と一緒に……」
「行方不明?」
警察官が真剣な表情になる。
「詳しく聞かせてくれ」
私は全部話した。
玲ちゃんのこと。
草壁さんのこと。
廃工場のこと。
全部。
警察官はメモを取りながら聞いていた。
「わかった」
「すぐに捜索する」
「君は、病院に行って被害者の様子を見てきてくれ」
「はい……」
私は頷く。
救急車が出発する。
私と光明くんも、タクシーで病院に向かった。
車の中で、私は泣いていた。
「元樹くん……玲ちゃん……」
涙が止まらない。
「未菜……」
光明くんが私の肩を抱く。
「大丈夫」
「二人とも、絶対に大丈夫だから」
その言葉に、私は光明くんにしがみついた。
「怖い……」
「こんなこと、本当に起きてるの……」
「大丈夫」
光明くんが繰り返す。
「俺が、守るから」
病院に到着する。
受付で元樹くんのことを聞く。
「渡部元樹さんは、今手術中です」
看護師さんが言う。
「手術……」
私は震える。
「大丈夫なんですか……」
「頭部の外傷ですが、命に別状はないと思います」
看護師さんが優しく言う。
「もう少し待ってください」
「はい……」
私たちは待合室で待った。
時計を見る。
午後八時。
長い時間が過ぎていく。
「元樹くん……」
小さく呟く。
「早く、目を覚まして……」
光明くんが私の手を握ってくれている。
その温もりだけが、私の支えだった。
途中で元樹くんお母さんと妹さんが合流して事情を説明した。
暫くしてようやく、医者が出てきた。
「渡部元樹さんのご家族の方は?」
「あ、友達です」
私は立ち上がる。
「元樹くんは……」
「手術は成功しました」
医者が言う。
「頭部に裂傷がありましたが、幸い脳に損傷はありませんでした」
「今は眠っていますが、明日の朝には目を覚ますでしょう」
その言葉に、私は安堵のため息をついた。
「良かった……」
「ただ……」
医者が続ける。
「かなりの衝撃を受けています」
「しばらくは安静が必要です」
「わかりました」
私は頷く。
「ありがとうございます」
医者が去る。
私は光明くんを見た。
「良かった……」
「ああ」
光明くんも頷く。
「元樹は、大丈夫だ」
「でも……」
私は不安そうに言う。
「玲ちゃんは……」
その時、私のスマホが鳴った。
佐々木先生からだった。
「もしもし」
『山田、大変なことになった』
先生の切迫した声が聞こえる。
『上野の荷物が、工業地帯の廃工場で見つかった』
「え……」
『警察が捜索してる』
『でも、上野も草壁も、まだ見つかってない』
その言葉に、私は震えた。
「どうして……」
『とにかく、何か情報があったら連絡してくれ』
「わかりました……」
電話を切る。
私は光明くんに状況を説明した。
「玲ちゃんの荷物が……」
「そうか……」
光明くんが深刻な表情になる。
「やっぱり、あの廃工場に……」
「でも、今はいない……」
私は不安でたまらなくなる。
「どこに行ったの……」
「玲ちゃん……」
涙が溢れてくる。
「玲ちゃん……無事でいて……」
光明くんが私を抱きしめる。
「大丈夫」
「絶対に、見つかるから」
その言葉を信じたかった。
でも、不安は消えなかった。
一月十七日、午前六時。
私は病院のロビーで、一晩中待っていた。
光明くんも、隣で寝ずに付き添ってくれている。
「元樹くん、まだ目を覚まさないかな……」
「もうすぐだろ」
光明くんが言う。
「医者も、朝には目を覚ますって」
その時——
看護師さんが来た。
「渡部さん、意識が戻りました」
「本当ですか!」
私たちは立ち上がる。
「会えますか?」
「はい」
「でも、あまり長くは……」
「わかりました」
私たちは元樹くんの病室に向かった。
ドアを開ける。
元樹くんが、ベッドに横になっていた。
頭に包帯を巻いている。
「元樹くん……」
私は近づく。
元樹くんが目を開ける。
「未菜……?」
弱々しい声。
「光明も……」
「元樹」
光明くんが心配そうに言う。
「大丈夫か?」
「ああ……」
元樹の母親が近づく。
「元樹大丈夫?」
「お兄ちゃん心配したよ」
二人が心配そうに確認してくる。
「ああ、大丈夫…っつ!」
元樹くんが頷こうとして、痛みで顔をしかめる。
「頭が……痛い……」
「無理しないで」
私は言う。
「今、看護師さん呼ぶから」
「いや……」
元樹くんが私の手を掴む。
「それより……何があったんだ?」
「俺、倒れてて……」
その質問に、私は説明する。
元樹くんが襲われたこと。
私が見つけたこと。
病院に運ばれたこと。
全部。
元樹くんは黙って聞いていた。
「そうか……」
「俺、襲われたのか……」
「元樹くん、誰に襲われたか、覚えてる?」
私は聞く。
「わからない……」
元樹くんが首を振る。
「後ろから、いきなり……」
「顔も、見えなかった……」
その時、ドアがノックされた。
「はい」
ドアが開いて、警察官が入ってくる。
「渡部元樹さんですね」
「はい……」
「少し、事情を聞かせてもらえますか」
警察官が椅子に座る。
「昨日の夜、何があったか、教えてください」
元樹くんは、ゆっくりと説明し始めた。
「病院の帰りでした」
「午後六時過ぎだったと思います」
「バス停に向かって歩いてて……」
元樹くんが続ける。
「突然、後ろから……」
「何かで殴られました」
「犯人の顔は?」
「見てません……」
元樹くんが申し訳なさそうに言う。
「後ろからだったので……」
「声は?」
「何も……」
「わかりました」
警察官がメモを取る。
「他に、何か覚えていることは?」
「いえ……」
元樹くんが考える。
「ただ……」
「ただ?」
「気配は感じました」
元樹くんが言う。
「殴られる直前に、誰かが後ろにいるって」
「でも、振り返る前に……」
警察官は頷いて、さらにメモを取る。
「わかりました」
「もし何か思い出したら、すぐに連絡してください」
「はい……」
警察官が立ち上がる。
「それと……」
警察官が付け加える。
「上野玲さんのこと、知っていますか?」
その名前に、元樹くんの表情が変わった。
「玲……?」
「はい」
「昨日から、行方不明になっています」
その言葉に、元樹くんは目を見開いた。
「行方不明……?」
「玲が……」
「何か、心当たりはありませんか?」
警察官が聞く。
「いや……」
元樹くんが震える声で答える。
「でも……草壁さんのことは……」
「草壁穂香さんですね」
警察官が頷く。
「彼女も、行方不明です」
「二人は一緒にいると思われます」
元樹くんの顔が青ざめる。
「まさか……」
「何か、知っていますか?」
「草壁さんが……」
元樹くんが言う。
「玲に、執着していました」
「友達の域を超えた……」
「異常な執着でした」
その証言に、警察官は真剣な表情になった。
「詳しく聞かせてください」
元樹くんは、草壁さんのことを全部話した。
玲への執着。
中学時代の過去。
そして、自分が忠告したこと。
全部。
警察官はメモを取り続けていた。
「わかりました」
「貴重な情報、ありがとうございます」
「草壁穂香さんを重要参考人として、捜索します」
警察官が病室を出る。
私と光明くんと元樹くんが、残された。
「玲……」
元樹くんが呟く。
「玲が、行方不明……」
その言葉に、涙が溢れてくる。
「俺のせいだ……」
「俺が、ちゃんと守れなかったから……」
「元樹くん」
私は言う。
「元樹くんのせいじゃないよ」
「でも……」
「玲ちゃんは、きっと大丈夫」
私は強く言う。
「必ず、見つける」
その時——
病室のドアが勢いよく開いた。
「元樹くん!」
息を切らした声。
振り返ると——
奈々美さんが立っていた。
髪は乱れ、顔は青ざめている。
病衣のまま、裸足で走ってきたようだ。
「柊さん、待ってください!」
看護師さんが後ろから追いかけてくる。
「病室を出ては……」
でも、奈々美さんは聞いていなかった。
まっすぐに、元樹くんのベッドに駆け寄る。
「元樹くん……」
奈々美さんが元樹くんに抱きつく。
「元樹くん……元樹くん……」
泣きながら、何度も名前を呼ぶ。
「奈々美……」
元樹が驚く。
「どうして……」
「病室、出ちゃだめだろ……」
「そんなの、どうでもいい」
奈々美さんが顔を上げる。
涙で濡れた顔。
「元樹くんが、襲われたって聞いて……」
「居ても立ってもいられなくて……」
奈々美さんが元樹くんをさらに強く抱きしめる。
「怖かった……」
「元樹くんが、死んじゃったんじゃないかって……」
「大丈夫だよ」
元樹くんが奈々美さんの背中を撫でる。
「俺、大丈夫だから」
「本当に……?」
奈々美さんが元樹くんを見つめる。
「ああ」
元樹くんが微笑む。
「ちょっと頭を打っただけだ」
「すぐに良くなるよ」
その言葉に、奈々美さんは少し落ち着いたようだった。
「良かった……」
「本当に、良かった……」
看護師さんが近づいてくる。
「柊さん、病室に戻りましょう」
「体調が悪くなりますよ」
「はい……」
奈々美さんが立ち上がろうとして——
私を見た。
「あなたは……」
「あ、山田未菜です」
私は自己紹介する。
「光明くんの彼女で……」
「そう……」
奈々美さんが私を見る。
その目は——
どこか、冷たい。
「何があったの?」
奈々美さんが私に聞く。
「元樹くんが襲われたって、どういうこと?」
「それは……」
私は説明し始める。
元樹くんが病院の帰りに襲われたこと。
私が見つけたこと。
そして——
玲ちゃんが行方不明なこと。
草壁さんも行方不明なこと。
全部。
奈々美さんは黙って聞いていた。
でも——
その表情が、徐々に変わっていく。
最初は心配そうな顔。
でも、玲ちゃんの話をすると——
目が、鋭くなった。
まるで、何かを見抜くような目。
「草壁穂香……」
奈々美さんが呟く。
「その子が……」
「はい」
私は頷く。
「たぶん、草壁さんが玲ちゃんを……」
その瞬間——
奈々美さんの顔が、一変した。
冷たい。
いや、冷たいなんてものじゃない。
凍りつくような、恐ろしい表情。
「そう……」
奈々美さんが低い声で言う。
「草壁穂香が……」
その声のトーンに、私は背筋が凍る。
「柊さん……?」
「元樹くんを傷つけて」
奈々美さんが続ける。
「許さない……」
その言葉に込められた、怒り。
いや、怒りを超えた何か。
「柊さん……」
元樹くんも驚いている。
「奈々美……?」
「元樹くん」
奈々美さんが元樹くんを見る。
でも、すぐに表情を柔らかくする。
「ごめんなさい」
「心配させて」
「でも……」
奈々美さんが私を見る。
また、あの冷たい目に戻る。
「草壁穂香は、絶対に許さない」
「元樹くんを傷つけた罪は、重いわ」
その言葉に、私は思わず後ずさりした。
怖い。
奈々美さんの目が、怖い。
まるで——
何かを殺そうとしているような目。
「柊」
光明くんが口を開く。
「落ち着いて」
「落ち着いてるわ」
奈々美さんが光明くんを見る。
「これ以上ないくらい、冷静よ」
その声は、確かに冷静だった。
でも、その冷静さが逆に怖い。
「柊さん、病室に……」
看護師さんが再び促す。
「わかりました」
奈々美さんが頷く。
「でも、その前に」
奈々美さんが私を見る。
「あなた、上野さんを探すんでしょ?」
「え……はい」
私は頷く。
「必ず、見つけます」
「そう」
奈々美さんが微笑む。
でも、その笑顔は——
全然、温かくない。
「頑張ってね」
「上野さんを、早く見つけてあげて」
「頑張る……」
私は答える。
「そして……」
奈々美さんが続ける。
「草壁穂香を見つけたら」
「必ず、捕まえてね」
「元樹くんを傷つけた罪を」
「償わせないと」
その言葉に込められた、冷たい決意。
私は思わず、頷いていた。
「うん……」
「いい子ね」
奈々美さんが微笑む。
「じゃあ、お願いね」
奈々美さんが看護師さんと一緒に、病室を出ていく。
ドアが閉まる。
私と光明くんと元樹くんが、残された。
しばらく、誰も何も言えなかった。
「今の……」
光明くんが小さく呟く。
「柊さん……怖かったな……」
「ああ……」
私も頷く。
「あんな顔、初めて見た……」
元樹くんは黙っていた。
でも、その表情は——
複雑だった。
「奈々美……」
小さく呟く。
「お前……」
でも、それ以上は何も言わなかった。
「元樹くん」
私は元樹くんを見る。
「私、玲ちゃんを探しに行く」
「必ず、見つける」
「未菜……」
元樹くんが私を見る。
「でも、危険だ……」
「大丈夫」
私は強く言う。
「光明くんも一緒だし」
「それに、警察もいる」
「でも……」
元樹くんが起き上がろうとする。
「俺も、行かないと……」
「だめ」
私は元樹くんを押し留める。
「元樹くんは、ここで休んでて」
「玲ちゃんのことは、私に任せて」
「未菜……」
「お願い」
私は真剣な目で言う。
「元樹くんが無理したら」
「奈々美さんが悲しむ」
「だから、ここで待ってて」
その言葉に、元樹くんは迷った。
でも、最後には頷いた。
「わかった……」
「頼む……」
「玲を……」
「うん」
私は頷く。
「絶対に、見つける」
私は光明くんと一緒に、病室を出た。
廊下を歩きながら、光明くんが言う。
「未菜」
「ん?」
「本当に、大丈夫か?」
「何が?」
「柊のこと」
光明くんが真剣な顔で言う。
「あの目……」
「普通じゃなかった、あれは人を殺す目だ」
その言葉に、私も頷く。
「うん……」
「怖かった……」
「でも、元樹のことが心配だったんだろ」
光明くんが続ける。
「だから、あんな顔になったんだ」
「そうだね……」
私は答える。
でも、心の奥では——
何か、引っかかるものがあった。
奈々美さんの目。
あれは、ただの心配じゃない。
何か、もっと深い——
闇のようなものを感じた。
「とにかく」
私は頭を振る。
「今は、玲ちゃんを探すことに集中しよう」
「ああ」
光明くんが頷く。
「行こう」
病院を出る。
外はまだ暗い。
冬の朝は遅い。
「どこから探す?」
光明くんが聞く。
「警察が、廃工場を中心に捜索してるはずだから……」
私は考える。
「私たちは、別の場所を……」
その時、私のスマホが鳴った。
佐々木先生からだった。
「もしもし」
『山田さん、大変だ』
先生の切迫した声。
『上野さんの携帯電話が見つかった』
「え! どこで!」
『桜ヶ丘駅の近くだ』
先生が続ける。
『線路沿いの道に、落ちていたらしい』
「線路沿い……」
私は地図を思い浮かべる。
「わかりました」
「すぐに行きます」
電話を切る。
「光明くん」
「桜ヶ丘駅に行こう」
「ああ」
私たちは駅に向かって走った。
タクシーを拾い、桜ヶ丘駅に向かう。
車の中で、私は祈り続けていた。
「玲ちゃん……」
「無事でいて……」
「お願い……」
光明くんが私の手を握る。
「大丈夫」
「絶対に、見つかるから」
その言葉を信じたかった。
でも——
不安は、消えなかった。
桜ヶ丘駅に到着する。
警察が、線路沿いの道を捜索していた。
「あの……」
私は警察官に声をかける。
「上野玲さんの携帯電話が見つかったと……」
「ああ、君たちか」
警察官が頷く。
「こっちだ」
案内されて、線路沿いの道に行く。
そこには、玲ちゃんのスマホが落ちていた。
「玲ちゃんの……」
私は手を伸ばそうとする。
「待って」
警察官が止める。
「証拠品だから、触らないで」
「はい……」
私は手を引っ込める。
でも、確かに玲ちゃんのスマホだった。
ケースに、玲ちゃんの好きなキャラクターのシールが貼ってある。
「玲ちゃん……」
小さく呟く。
「どこにいるの……」
警察官が説明する。
「この辺りを、捜索している」
「もし何か見つけたら、すぐに連絡する」
「お願いします……」
私は頭を下げる。
警察官が捜索を続ける。
私と光明くんも、周りを探し始めた。
線路沿いの道。
住宅街。
公園。
全部見て回る。
でも、玲ちゃんの姿はどこにもない。
「玲ちゃん……」
私は泣きそうになる。
「どこにいるの……」
「未菜」
光明くんが私の肩を抱く。
「諦めるな」
「絶対に、見つかる」
「うん……」
私は涙を拭く。
「諦めない……」
その時——
遠くから、声が聞こえた。
「こっちだ!」
「誰か、倒れてる!」
警察官の声。
私と光明くんは顔を見合わせた。
「まさか……」
走り出す。
声のする方向に向かう。
そして——
私は、その光景を目にした。
橋の下。
川の近く。
誰かが、倒れている。
「玲ちゃん!」
私は叫んで、駆け寄る。
でも——
そこに倒れていたのは——
草壁穂香だった。
「草壁さん……」
私は立ち止まる。
穂香は、地面に倒れている。
でも、動いている。
まだ、意識があるようだ。
「草壁穂香さん」
警察官が近づく。
「大丈夫ですか?」
「……」
穂香が顔を上げる。
その顔は——
ボロボロだった。
傷だらけで、涙の跡がある。
「草壁さん」
警察官が続ける。
「上野玲さんは、どこですか?」
その問いに——
穂香が笑った。
「玲さん……」
震える声。
「玲さんは……」
「私のものよ……」
その言葉に、私の血の気が引いた。
「どこにいるんですか!」
私は叫ぶ。
「玲ちゃんを、どこに連れて行ったの!」
「教えて!」
でも、穂香はただ笑っていた。
「玲さん……」
「私の……玲さん……」
「もう……誰にも……」
「渡さない……」
その狂気じみた笑い声に——
私は、戦慄した。
「草壁穂香」
警察官が厳しい声で言う。
「あなたを、傷害と誘拐の容疑で逮捕します」
「黙秘権があります……」
警察官が手錠をかける。
穂香は抵抗しなかった。
ただ、笑い続けていた。
「玲さん……」
「私の……玲さん……」
「永遠に……一緒……」
その言葉の意味が——
私にはわからなかった。
でも——
とても、恐ろしい予感がした。
「光明くん……」
私は震える声で言う。
「玲ちゃん……」
「大丈夫だ」
光明くんが私を抱きしめる。
「必ず、見つかる」
「絶対に」
でも——
私の不安は、消えなかった。
穂香が連行されていく。
救急車も来て、穂香の傷を手当てする。
警察が、さらに捜索範囲を広げる。
私と光明くんも、探し続けた。
でも——
玲ちゃんは、見つからなかった。
午前十時。
私は疲れ果てて、ベンチに座り込んだ。
「玲ちゃん……」
涙が止まらない。
「どこにいるの……」
光明くんが隣に座る。
「未菜……」
「ごめん……」
私は泣きながら言う。
「私、玲ちゃんを守れなかった……」
「親友なのに……」
「未菜のせいじゃない」
光明くんが強く言う。
「誰も、悪くない」
「悪いのは、草壁だけだ」
その言葉に、私は光明くんにしがみついた。
「でも……」
「でも……」
泣き続ける私。
光明くんは、ただ抱きしめてくれていた。
その時——
私のスマホが鳴った。
佐々木先生からだった。
「もしもし……」
涙声で答える。
『山田』
先生の声も、震えていた。
『上野が……』
「見つかったんですか!」
私は立ち上がる。
「玲ちゃんは! どこに!」
『……病院だ』
先生が続ける。
『意識不明の重体で……』
その言葉に——
私の世界が、崩れ落ちた。
「え……」
「玲ちゃんが……」
「意識不明……?」
『今、〇〇病院に搬送されている』
『すぐに来てくれ』
「わかりました……」
電話を切る。
「光明くん……」
私は震える声で言う。
「玲ちゃんが……」
「見つかった……」
「でも……」
「意識不明……」
その言葉を聞いて、光明くんの顔も青ざめた。
「そんな……」
「病院に行こう」
私は走り出す。
光明くんも、後を追う。
タクシーを拾い、病院に向かう。
車の中で、私は祈り続けた。
「玲ちゃん……」
「お願い……」
「死なないで……」
「お願い……」
涙が止まらない。
光明くんが私の手を握る。
「大丈夫……」
「玲は、強い子だから……」
その言葉に、私はすがった。
「そうだよね……」
「玲ちゃんは、強いよね……」
「だから……」
「きっと、大丈夫……」
でも——
その言葉を、自分でも信じられなかった。
病院に到着する。
受付で玲ちゃんのことを聞く。
「上野玲さんは、集中治療室です」
看護師さんが言う。
「三階の奥です」
「ありがとうございます」
私たちは走って、三階に向かった。
集中治療室の前。
そこには、玲ちゃんのお母さんがいた。
「おばさん……」
私は駆け寄る。
お母さんは、泣いていた。
「未菜ちゃん……」
「玲は……」
「玲は……」
そう言って、お母さんは泣き崩れた。
私も、お母さんを抱きしめる。
「大丈夫です……」
「玲ちゃんは、きっと大丈夫です……」
でも——
その言葉は、空しく響いた。
医者が出てきた。
「上野玲さんのご家族の方ですか?」
「はい……」
お母さんが答える。
「娘の容態は……」
「現在、意識不明の状態です」
医者が深刻な表情で言う。
「頭部に強い打撲があり、脳に損傷が見られます」
「今は、命を繋ぎ止めている状態です」
その説明に、私は膝が崩れそうになった。
「そんな……」
「玲ちゃん……」
「今後の見通しは?」
光明くんが聞く。
「わかりません……」
医者が首を振る。
「意識が戻るかどうかも……」
「今は、ただ祈るしかありません」
その言葉に——
私は、その場に座り込んだ。
「玲ちゃん……」
「嘘でしょ……」
「こんなの……」
光明くんが私を支える。
「未菜……」
「玲ちゃん……」
私は泣き続けた。
親友が、意識不明。
命の危機。
全部が、信じられなかった。
「玲ちゃん……」
「目を覚まして……」
「お願い……」
でも——
集中治療室の向こうから、何の返事もなかった。
ただ、機械の音だけが——
静かに、響いていた。
私は、その音を聞きながら——
ただ、祈り続けることしかできなかった。
「玲ちゃん……」
「生きて……」
「お願い……」
「生きて……」
その祈りが、届くことを——
ただ、願い続けた。
同じ時刻。
元樹の病室。
俺は、ベッドに横になっていた。
頭の痛みは、少し和らいでいる。
でも——
心の痛みは、増すばかりだった。
「玲……」
小さく呟く。
玲が、行方不明。
草壁さんに、連れ去られた。
そして——
俺は、何もできない。
「くそ……」
拳を握りしめる。
「俺は……」
「何をやってるんだ……」
その時、ドアがノックされた。
「はい」
ドアが開いて——
奈々美が入ってきた。
「元樹くん」
「奈々美……」
「病室、大丈夫なのか?」
「ええ」
奈々美が微笑む。
「看護師さんに許可をもらったわ」
「少しだけなら、いいって」
奈々美が椅子に座る。
「元樹くん、どう?」
「痛みは?」
「ああ、大丈夫」
俺は答える。
「もう、そんなに痛くない」
「良かった……」
奈々美が安心したような顔をする。
でも——
その目は、さっきと同じ。
どこか、冷たい。
「奈々美」
俺は聞く。
「さっき、どうしたんだ?」
「さっき?」
「ああ」
俺は続ける。
「草壁さんのこと、聞いた時……」
「すごく、怖い顔してた」
その指摘に、奈々美は少し考えてから答えた。
「だって……」
「元樹くんを傷つけたんだもの」
「許せないわ」
その声は、穏やかだった。
でも——
その言葉に込められた感情は、穏やかじゃない。
「奈々美……」
「元樹くん」
奈々美が俺の手を取る。
「私ね」
「元樹くんのためなら、何でもするの」
「元樹くんを傷つける人は」
「絶対に、許さない」
その言葉に、俺は複雑な気持ちになった。
嬉しい。
奈々美が、俺を想ってくれている。
でも——
同時に、怖い。
奈々美の執着が、また始まっているような気がする。
「ありがとう……」
俺は言う。
「でも、そんなに気にしなくていいよ」
「気にするわ」
奈々美が強く言う。
「だって、元樹くんは私の全てだもの」
「元樹くんがいなくなったら」
「私、生きていけない」
その告白に、俺は何も言えなくなった。
「奈々美……」
「だから」
奈々美が俺を見つめる。
「元樹くんを守る」
「誰からも」
「何からも」
その決意に——
俺は、ただ頷くことしかできなかった。
「ありがとう……」
奈々美が微笑む。
「じゃあ、もう病室に戻るわ」
「あまり長くいると、怒られちゃうから」
「ああ……」
「また、来るね」
奈々美が立ち上がる。
ドアに向かって歩き出す。
でも——
ドアの前で、立ち止まった。
「元樹くん」
「ん?」
「上野さんのこと……」
奈々美が振り返らずに言う。
「心配してるでしょ?」
その言葉に、俺は答えられなかった。
確かに、心配している。
でも、それを奈々美に言っていいのか。
「まあ、いいわ」
奈々美が続ける。
「元樹くんは、優しいから」
「幼馴染のことが、心配なのは当然よね」
「奈々美……」
「でも」
奈々美が続ける。
「上野さんが見つかったら」
「ちゃんと、私を見てね」
「他の誰でもなく」
「私だけを」
その言葉に——
俺は、背筋が寒くなった。
「わかった……」
「良かった」
奈々美が微笑む。
「じゃあね」
ドアが閉まる。
俺は、一人残された。
「奈々美……」
小さく呟く。
奈々美の執着が、また強くなっている。
でも——
今は、それを気にしている場合じゃない。
「玲……」
俺は祈る。
「無事でいてくれ……」
「頼む……」
その祈りが、届くことを——
ただ、願い続けた。
午後三時。
私は、まだ集中治療室の前にいた。
玲ちゃんのお母さんも、ずっとここにいる。
光明くんも、私の隣に座っている。
「玲ちゃん……」
小さく呟く。
「早く、目を覚まして……」
その時、医者が出てきた。
「上野玲さんのご家族の方」
「はい」
お母さんが立ち上がる。
「娘は……」
「状態は、安定してきました」
医者が言う。
「まだ意識は戻っていませんが」
「命の危険は、脱したと思います」
その言葉に、私たちは安堵のため息をついた。
「良かった……」
「でも……」
医者が続ける。
「意識が戻るまでには、時間がかかるかもしれません」
「今は、ただ待つしかありません」
「わかりました……」
お母さんが頷く。
「ありがとうございます」
医者が去る。
私は、その場に座り込んだ。
「良かった……」
「玲ちゃん、命は助かった……」
涙が溢れてくる。
でも、今度は安堵の涙。
「良かった……」
光明くんが私の肩を抱く。
「ああ」
「良かったな」
私たちは、しばらくそうしていた。
「未菜ちゃん」
お母さんが私を呼ぶ。
「はい……」
「ありがとう」
お母さんが涙を流しながら言う。
「玲を、探してくれて」
「いえ……」
私は首を振る。
「私、何もできなくて……」
「そんなことない」
お母さんが私の手を握る。
「未菜ちゃんがいてくれたから」
「玲は、見つかった」
「ありがとう」
その言葉に、私も泣いた。
「おばさん……」
私たちは、抱き合って泣いた。
長い、長い一日だった。
でも——
玲ちゃんは、生きている。
それだけが、救いだった。
「玲ちゃん……」
私は心の中で呟く。
「早く、目を覚まして」
「待ってるから」
その祈りを胸に——
私は、玲ちゃんが目を覚ますのを——
ただ、待ち続けることを誓った。
「必ず、また笑い合おうね」
「玲ちゃん……」
そして——
この物語は、まだ終わらない。
玲が目を覚ますまで。
全ての真実が明らかになるまで。
本当に草壁穂香がやったのだろうか!?
物語は、続いていく。
でも、今は——
ただ、祈ることしかできなかった。
「玲ちゃん……」
「帰ってきて……」
その祈りが、届くことを——信じて。
29話をお読みいただき、ありがとうございます。
元樹への襲撃、玲の失踪、そして意識不明の重体——物語はさらに深刻な展開を迎えました。草壁穂香は逮捕されましたが、本当に彼女が全ての元凶なのでしょうか。それとも、まだ見えていない真実があるのか。
奈々美の執着も再び強まり始めています。「元樹くんは私の全て」「他の誰でもなく、私だけを」——彼女の言葉には、以前と同じ危うさが滲み出ています。
次話では、玲の意識が戻るのか、そして事件の真相に迫ります。
暁の裏




