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奈々美さんの裏の顔  作者: 暁の裏


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第23.5話 side:玲「心の奥の本音」

 十二月初旬。


 放課後の教室に、私、上野玲は一人残っていた。


 窓から差し込む秋の夕日が、机の上のノートを橙色に染めている。クラスメイトたちの声はもうほとんど聞こえない。部活に行く者、友達と帰る者、それぞれの放課後が

 始まっている。


 私はペンを握ったまま、じっとノートの文字を見つめていた。


 数学の問題。


 解けない。


 いや、正確には「解こうとする気力」が湧いてこない。


「……はぁ」


 小さくため息をついて、ペンを置く。


 窓の外を見ると、グラウンドでサッカー部が練習している。掛け声が風に乗って聞こえてくる。いつもの光景。変わらない日常。


 でも――私の中では、何もかもが変わってしまった。


 あれは、十一月の終わり頃だった。


 元樹が急に学校を休むようになった。


 最初は体調不良だと思っていた。でも、一週間経っても戻ってこない。心配で、光明に聞いた。


「元樹、何かあったの?」


 光明は困ったような顔をして、少し黙ってから答えた。


「……実は、柊さんが入院してるらしいんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が凍りついた。


「入院……?」


「詳しくは知らないけど、重い病気みたいで。元樹が毎日病院に通ってるって」


「そう……」


 それだけ言って、私は会話を終わらせた。


 光明はまだ何か言いたそうだったけど、私はそれ以上聞きたくなかった。


 聞いたら、きっと壊れてしまう。


 そんな予感があった。


 思い返せば、元樹と私の関係は、ずっと昔から続いていた。


 小学校に上がる前からだ。


 母同士が仲良しで、よく一緒に遊んでいた。公園で、児童館で、お互いの家で。いつも一緒だった。


 小さくて可愛い由美ちゃんを抱っこして、「お姉ちゃんになった気分」を味わった。


 元樹は少し照れくさそうに笑っていた。


「俺、お兄ちゃんになったんだ」


「うん、知ってる。由美ちゃん、可愛いね」


「そうだな」


 元樹はそう言いながら、妹の頭をそっと撫でた。


 その優しい手つきを見て、私は思った。


(元樹って、優しいんだな)


 当たり前のように思っていたけど、改めてそう感じた瞬間だった。


 小学生のとき。


 元樹が急に引っ越すことになった。


「え……引っ越し?」


「うん。お母さんが再婚するから」


 元樹は少し寂しそうに笑った。


「別の町に行くんだ」


 その言葉を聞いたとき、胸が苦しくなった。


「いつ……?」


「来月」


「そっか……」


 私はそれ以上何も言えなかった。


 引っ越しの日。


 私は元樹の家の前で、ずっと立っていた。トラックが荷物を運び出していく。家の中が少しずつ空っぽになっていく。


「玲」


 元樹が声をかけてきた。


「……うん」


「また……会えるかな」


 その問いに、私は必死に笑顔を作った。


「うん、絶対会える」


「そっか」


 元樹も笑った。


 でも、その笑顔は少し泣きそうだった。


 トラックが出発する。


 私は手を振り続けた。


 元樹も窓から手を振り返してくれた。


 そして――トラックが角を曲がって、見えなくなった。


 その瞬間、涙が溢れ出した。


「元樹……」


 初めて自覚した。


 私は、元樹のことが好きだった。


 友達としてじゃない。


 もっと特別な感情。


 でも、その気持ちに気づいたときには、もう遅かった。


 二年後。


 元樹が戻ってきた。


「お父さんと、離婚したんだ」


 元樹はそう言った。


「だから、またこの町に戻ってきた」


 その言葉を聞いて、私は心の底から嬉しかった。


「おかえり、元樹」


「ただいま、玲」


 また一緒にいられる。


 それだけで、世界が輝いて見えた。


 中学に入学したとき。


 元樹と同じクラスになった。


「よろしくな、玲」


「うん、よろしく」


 自然に隣の席に座る。


 周りのクラスメイトが「幼馴染なの?」と聞いてくる。


「うん、小さい頃からの友達」


 そう答えながら、胸の奥では別の言葉が渦巻いていた。


(友達……けど私は、元樹のことが……)


 でも、言えなかった。


 言ったら、今の関係が壊れてしまう気がした。


 元樹にとって私は「幼馴染」。


 それ以上でも以下でもない。


 だから、私はその立場に甘んじることにした。


 一緒にいられるなら、それでいい。


 そう思っていた。


 高校に入学して。


 また同じクラスになった。


「また一緒だな」


「うん」


 元樹は嬉しそうに笑った。


 私も笑い返した。


 この関係が、ずっと続けばいいのに。


 そう思っていた矢先――


 柊奈々美が転校してきた。


 あの日から、全てが狂い始めた。


「はい、静かに。今日は転校生を紹介するぞ」


 担任の佐々木先生が、一人の少女を連れて教室に入ってきた。


 黒髪ショート。片目を覆う前髪。暗い雰囲気。


 でも、確かに美しい。


「柊奈々美です。よろしくお願いします」


 小さな声で自己紹介をする彼女。


 クラス中がざわつく。


「じゃあ、奈々美さんの席は……渡部の隣が空いてるな」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が嫌な予感で満たされた。


 元樹の隣。


 私の前の席。


 そこに、彼女が座る。


 奈々美さんは無言で頷き、元樹の隣に座った。


 その瞬間――彼女の瞳が、一瞬だけこちらを向いた。


 冷たい。


 鋭い。


 まるで、私の存在を値踏みするような視線。


 背筋が凍る。


(この子……何か、おかしい)


 直感が警告を発していた。


 案の定、奈々美さんは元樹に異常な執着を見せ始めた。


 授業中、ずっと元樹を見ている。


 休み時間も、元樹の隣から離れない。


 放課後も、一緒に帰ろうとする。


「ねえ元樹、あの子さぁ……」


 私は元樹に警告しようとした。


「全然笑わないし、なんか変じゃない?」


「別に……人見知りなんだろ」


 元樹は気づいていなかった。


 いや、気づこうとしていなかった。


「でもさ、やけに元樹のこと見てない? 授業中とかも」


「……授業中?」


 元樹は少し考え込む。


 でも、すぐに笑って誤魔化した。


「いや、考えすぎだろ」


 その反応を見て、私は諦めた。


 元樹は、自分では気づけない。


 だから、私が守らなきゃいけない。


 そう思った。


 でも――守れなかった。


 ゴールデンウィーク明け、元樹は明らかに変わっていた。


 奈々美さんとの距離が、異様に近くなっていた。


「元樹くんは私と食べるの」


 昼休み、私が元樹を誘おうとしたとき、奈々美さんが割り込んできた。


「でも、昔からずっと――」


「昔は昔よ。今は私が元樹くんの恋人なの」


 その宣言に、教室の空気が凍りついた。


 恋人。


 その言葉が、胸に突き刺さる。


「……そう、だね」


 私は引き下がるしかなかった。


 元樹は何も言わない。


 ただ、申し訳なさそうな顔をしているだけ。


(どうして……)


 胸が苦しい。


 息ができない。


 涙が溢れそうになるのを、必死に堪えた。


 その日の放課後。


 私は一人で屋上に行った。


 誰もいない。


 フェンスに寄りかかって、空を見上げる。


「くそ……」


 涙が止まらなかった。


「何で……何で私じゃないの……」


 ずっと一緒にいたのに。


 小さい頃から、ずっと側にいたのに。


 元樹が辛いとき、いつも支えてきたのに。


 なのに、選ばれたのは――転校してきたばかりの、あの子。


「悔しい……」


 拳を握りしめる。


 爪が手のひらに食い込んで、痛い。


 でも、心の痛みの方が、もっと痛かった。


 六月。


 期末試験の時期。


 元樹の様子がおかしくなってきた。


 いつも疲れた顔をしている。


 成績も下がっているらしい。


 奈々美さんの束縛が、どんどん激しくなっているようだった。


「玲」


 光明が声をかけてきた。


「元樹のこと……心配だよな」


「……うん」


「あいつ、最近ずっと元気ないし」


 光明は続ける。


「柊さんと、うまくいってないみたいなんだ」


 その言葉に、複雑な気持ちになる。


 元樹が苦しんでいる。


 それは悲しい。


 でも同時に――少しだけ、期待してしまう自分もいる。


(もしかしたら……)


 元樹が奈々美さんと別れるかもしれない。


 そうしたら、また私の側に戻ってきてくれるかもしれない。


 そんな不純な期待。


 自分でも最低だと思った。


 でも、止められなかった。


 七月。


 終業式の日。


 元樹が奈々美さんに「自由になりたい」と告げたらしい。


 そして、奈々美さんは転校した。


「玲」


 放課後、元樹が声をかけてきた。


「……なに?」


「あのさ……聞いてくれるか?」


 元樹は少し迷うような表情をしてから、話し始めた。


「奈々美と……別れたんだ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸が高鳴った。


「そう……」


「俺、ずっと苦しかった」


 元樹が続ける。


「束縛が辛くて」


「自由になりたくて」


「それで、正直に言ったんだ」


 元樹は俯く。


「……」


「俺……ひどいことしたのかな」


 その問いに、私は首を振った。


「そんなことない」


「玲……」


「元樹は、自分の気持ちに正直になっただけだよ」


 私は続ける。


「それは、悪いことじゃない」


「……ありがとう」


 元樹は少し笑った。


 その笑顔を見て、私は思った。


(今なら……)


 今なら、元樹に気持ちを伝えられるかもしれない。


 でも――その勇気は、まだ出なかった。


 夏休み。


 元樹の様子が、また変わった。


 解放されたはずなのに、どこか物足りなさそうな表情をしている。


「元樹、最近どう?」


 ある日、二人で会ったとき、私は聞いてみた。


「ん? 普通だけど」


「そう……?」


 でも、その表情は「普通」には見えなかった。


 まるで、何かを探しているような。


 失くしたものを求めているような。


 そんな顔。


「奈々美さんのこと……まだ気になってる?」


 思い切って聞いてみた。


 元樹は少し驚いた顔をしてから、苦笑した。


「……わかる?」


「うん」


「やっぱり、玲には隠せないな」


 元樹が続ける。


「あいつのこと……心配なんだ」


「どこにいるのか、元気にしてるのか」


「俺が傷つけたままになってないか」


 その言葉を聞いて、胸が冷たくなった。


(まだ……奈々美さんのことを……)


 私の気持ちに、元樹は気づいていない。


 ずっと一緒にいたのに。


 ずっと側で支えてきたのに。


 見えているのは――奈々美さんだけ。


「そっか」


 それだけ言って、私は話題を変えた。


 これ以上聞いたら、きっと泣いてしまう。


 九月一日。


 始業式の日。


 元樹が私に告白してきた。


「玲……俺、お前のことが好きだ」


「付き合ってくれ」


 その言葉を聞いたとき、信じられなかった。


「え……?」


「俺、この夏ずっと考えてた」


 元樹が続ける。


「奈々美のことも大切だった」


「でも、本当に一緒にいたいのは……玲、お前なんだ」


 胸が高鳴る。


 嬉しい。


 嬉しいはずなのに――


 どこか、引っかかるものがあった。


「本当に……いいの?」


「ああ」


 元樹が頷く。


「俺、玲と一緒にいたい」


 その言葉に、私は頷いた。


「……うん」


「ありがとう!」


 元樹が笑顔を見せる。


 その笑顔を見て、私も笑った。


(これで……元樹は私のものだ)


 そう思った。


 でも――心の奥底では、不安が消えなかった。


(本当に……奈々美さんのことは、忘れられるの?)


 その疑問が、ずっと残り続けていた。


 元樹と付き合い始めた。


 最初は幸せだった。


 一緒に登下校して。


 一緒にお弁当を食べて。


 一緒に放課後を過ごして。


 ずっと夢見ていた関係。


 でも――何かが違った。


 元樹は、時々遠くを見ている。


 まるで、何かを思い出しているような。


「元樹、何考えてるの?」


「ん? いや、何も」


 笑って誤魔化す。


 でも、その笑顔の奥に――奈々美さんの影が見える。


 気がする。


「そう……」


 私は、それ以上追及できなかった。


 聞いたら、元樹を失ってしまう気がした。


 そして先日。


 私は、前を向くことを決めた。


「私……決めたの」


 玲が元樹を見つめる。


「前を向くって」


 その言葉に、元樹は驚く。


「玲……」


「あなたと別れて、すごく辛かった」


 玲が続ける。


「毎日、泣いてた」


「学校にも行けなかった」


「でも……」


 玲は深呼吸をする。


「このままじゃダメだって、気づいたの」


「いつまでも、あなたに執着してたら」


「私、本当に壊れちゃうって」


 その言葉に、元樹は胸が痛む。


「玲……ごめん」


「謝らないで」


 玲が首を振る。


「もう、いいの」


「私、あなたを許すことにした」


 そう言いながら――心の奥底では、真逆のことを思っていた。


(許さない)


(絶対に、許さない)


 でも、それを口には出さなかった。


「ありがとう……」


 元樹は涙を流していた。


 その涙を見て、私も泣きたくなった。


 でも、堪えた。


(泣いたら、負けだ)


 私は笑顔を作った。


「元樹、幸せになってね」


「玲……」


「大丈夫。私ももう、前を向くから」


 嘘だった。


 全部、嘘。


 前なんて、向けるわけがない。


 元樹を失って、どうやって前を向けばいいの?


 でも――そう言うしかなかった。


 元樹を、奈々美さんのところに送り出すためには。


 それから、私は一人になった。


 学校には通っている。


 でも、心はからっぽ。


 授業を受けても、内容が頭に入らない。


 友達と話しても、楽しくない。


 全てが色褪せて見える。


「玲ちゃん、大丈夫?」


 未菜が心配そうに聞いてくる。


「うん、大丈夫」


 笑顔で答える。


 でも、未菜は信じていない様子だった。


「無理しないでね」


「ありがとう」


 未菜の優しさが、逆に辛い。


 私は、優しくされる資格なんてない。


 だって、心の中では――元樹を恨んでいるから。


 夕暮れの教室。


 一人残って、窓の外を見つめる。


 オレンジ色の空。


 沈んでいく太陽。


 夜が近づいてくる。


「……許さない」


 小さく呟く。


「絶対に、許さないから」


 その言葉は、誰にも聞こえない。


 ただ、夕焼けの空に吸い込まれていく。


 私の中の憎しみは、日に日に大きくなっている。


 元樹への。


 奈々美さんへの。


 そして――こんな醜い感情を抱いてしまう、自分自身への。


「何で……」


 涙が溢れる。


「何で、私じゃダメだったの……」


 ずっと一緒にいたのに。


 ずっと支えてきたのに。


 小学生の頃から、ずっと元樹のことを想っていたのに。


 なのに――選ばれたのは、奈々美さん。


 転校してきて、数ヶ月しか経っていない彼女。


「悔しい……」


「悔しいよ……」


 泣きながら、拳を握りしめる。


 爪が手のひらに食い込んで、血が滲む。


 でも、痛みは感じない。


 心の痛みの方が、もっと痛いから。


 あの日のことを、思い出す。


 元樹が引っ越す日。


「玲」


 元樹が声をかけてきた。


「……うん」


「また……会えるかな」


 その問いに、私は答えた。


「うん、絶対会える」


 あの日の約束。


 私たちは、また会えた。


 一緒に、中学に通った。


 一緒に、高校に入った。


 ずっと一緒だった。


 でも――


「一緒にいても……心は一緒じゃなかった」


 元樹の心は、いつも遠くを見ていた。


 私がどれだけ近くにいても。


 どれだけ愛情を注いでも。


 元樹の心を、掴むことはできなかった。


「……っ」


 また涙が溢れる。


 止まらない。


 胸が苦しい。


 息ができない。


「元樹……」


 その名前を呼ぶ。


 でも、元樹はもういない。


 元樹は今、奈々美さんの側にいる。


 私の側じゃない。


 机の上のノートを見つめる。


 そこには、落書きがたくさん描かれている。


 元樹の名前。


 ハートマーク。


「渡部玲」という苗字。


 勝手に書いた、妄想の名前。


「……馬鹿みたい」


 自嘲する。


 こんなこと、もう叶わない。


 元樹は、奈々美さんを選んだ。


 私は――捨てられた。


「許せない……」


 呟く。


「許すって言ったけど……嘘だから」


 誰にも聞こえない声で、本音を吐き出す。


「元樹のこと……絶対に、許さない」


「奈々美さんのことも……許さない」


 憎しみが、心を満たしていく。


 でも同時に――悲しみも、後悔も、全てが混ざり合っている。


「何で……何でこんなことになったの……」


 泣きながら、机に突っ伏す。


 夕日が沈んでいく。


 教室が暗くなっていく。


 でも、私は動けなかった。


 ただ、泣き続けるしかなかった。


 その日の夜。


 家に帰ってから、ずっとベッドで横になっていた。


 母が夕食を作る音が、遠くから聞こえる。


「玲ー、ご飯よー」


 母の声が聞こえる。


「……今日はいらない」


「え? 体調悪いの?」


「うん……ちょっと」


 母が部屋に入ってくる。


「大丈夫? 熱は?」


 額に手を当てられる。


「熱はないみたいだけど……」


 母が心配そうに顔を覗き込む。


「玲、最近元気ないわね。何かあった?」


 その問いに、私は首を振った。


「何もないよ」


「そう……?」


 母は納得していない様子だったけど、それ以上は聞かなかった。


「無理しないでね。何かあったら、いつでも言ってね」


「うん……ありがとう」


 母が部屋を出ていく。


 一人になると、また涙が溢れてきた。


(お母さん……ごめん)


 心配かけてしまっている。


 でも、本当のことは言えない。


 元樹に振られたなんて。


 奈々美さんに負けたなんて。


 そんなこと、恥ずかしくて言えない。


 スマホを手に取る。


 未菜からメッセージが来ていた。


『玲ちゃん、大丈夫? 辛かったら話聞くよ』


 優しい言葉。


 でも、返信する気力がない。


『ありがとう。でも大丈夫』


 短く返信する。


 すぐに既読がついた。


『本当に? 無理してない?』


『してないよ』


 また嘘をついた。


『そっか。でも、いつでも連絡してね』


『うん』


 それだけ返信して、スマホを置く。


 天井を見つめる。


 暗い部屋の中で、時計の針の音だけが響いている。


 カチ、カチ、カチ。


 規則正しい音。


 でも、私の心は不規則に乱れている。


「元樹……」


 その名前を呼ぶ。


「何で……」


「何で、私じゃダメだったの……」


 答えは返ってこない。


 ただ、暗闇の中で、私の声が虚しく消えていくだけ。


 次の日。


 学校に行くのが辛かった。


 でも、休んだら――きっとみんなに心配される。


「大丈夫」って、笑顔を作り続けなきゃいけない。


 制服に着替えて、鏡を見る。


 そこには、疲れ切った顔の私がいた。


 目の下にはクマができている。


 顔色も悪い。


「……最悪」


 ため息をつく。


 でも、学校には行かないと。


 カバンを持って、家を出る。


 いつもの道。


 いつもの景色。


 でも、全てが違って見える。


 元樹がいない世界。


 それがこんなにも色褪せて見えるなんて。


 学校に着くと、光明と未菜が心配そうに近づいてきた。


「玲、大丈夫か?」


「うん……」


 笑顔を作る。


 でも、二人は信じていない様子だった。


「無理してるだろ」


 光明が言う。


「してないよ」


「玲ちゃん……」


 未菜が涙ぐむ。


「そんな顔しないで」


 その言葉に、胸が痛む。


「ごめん……心配かけて」


「謝らなくていいよ」


 光明が言う。


「俺たち、友達だろ」


「何かあったら、いつでも頼ってくれ」


 その優しさが、逆に辛い。


「ありがとう……」


 それだけ言って、教室に入る。


 自分の席に座ると――前の席は空いていた。


 元樹の席。


 今は誰も座っていない。


 元樹は、今日も病院に行っているんだろう。


 奈々美さんの側に。


「……っ」


 胸が締め付けられる。


(また……奈々美さんといるんだ)


 嫉妬が渦巻く。


 憎しみが膨らむ。


 でも――それを表に出すことはできない。


 私は「許した」んだから。


「前を向く」って言ったんだから。


 だから――この感情は、心の奥底に閉じ込めておくしかない。


 授業が始まる。


 先生の声が聞こえる。


 でも、内容が全く頭に入ってこない。


 ノートにペンを走らせるけど、何を書いているのかわからない。


 窓の外を見る。


 空は青い。


 雲が流れている。


 穏やかな秋の日。


 でも、私の心は嵐の中にいた。


(許さない)


(絶対に、許さない)


 心の中で、何度も繰り返す。


 でも――同時に思う。


(でも……元樹が幸せなら……)


(それでいいのかな……)


 矛盾した感情。


 愛と憎しみ。


 幸せを願う気持ちと、不幸を願う気持ち。


 全てが混ざり合って、私を苦しめる。


「……っ」


 涙が溢れそうになる。


 必死に堪える。


 ここで泣いたら、みんなに心配される。


「大丈夫?」って聞かれる。


 でも、大丈夫じゃない。


 全然、大丈夫じゃない。


 休み時間。


 トイレに行って、個室に入る。


 ドアを閉めて、便座に座る。


「はぁ……」


 ため息をつく。


 ここなら、誰にも見られない。


 涙を流しても、誰にも気づかれない。


「……元樹」


 小さく名前を呼ぶ。


「会いたい……」


 でも、会えない。


 元樹は今、奈々美さんの側にいる。



 私の側じゃない。


「何で……」


「何で、こんなことになったの……」


 時間を巻き戻したい。


 奈々美さんが転校してくる前に。


 元樹と、まだ普通に話せていた頃に。


 でも――時間は戻らない。


 過去は変えられない。


「……っ」


 また涙が溢れる。


 止まらない。


 どれだけ泣いても、胸の痛みは消えない。


 むしろ、どんどん大きくなっていく。


「苦しい……」


「助けて……」


 誰かに助けてほしい。


 この痛みから、救ってほしい。


 でも――誰も助けてくれない。


 この痛みは、私一人で抱えるしかない。


 しばらくして、個室から出る。


 鏡で自分の顔を見る。


 目が赤い。


 泣いた跡が残っている。


「……最悪」


 水で顔を洗う。


 冷たい水が、少しだけ気持ちを落ち着かせてくれる。


 ハンカチで顔を拭いて、もう一度鏡を見る。


 まだ少し赤いけど、ごまかせる範囲。


「大丈夫……」


 自分に言い聞かせる。


「私は、大丈夫」


 笑顔を作る。


 でも、その笑顔は――どこか歪んでいた。


 放課後。


 一人で帰る道。


 いつもは元樹と一緒だったのに。


 今は、一人。


 寂しい。


 胸が空っぽ。


「……」


 黙々と歩く。


 周りには、カップルや友達同士で楽しそうに話している人たちがいる。


 それを見るたびに、胸が痛む。


(私も……元樹と一緒に歩きたかった)


(ずっと、二人で)


 でも、それは叶わない。


 元樹は、奈々美さんを選んだ。


 私じゃない。


「……っ」


 また涙が溢れそうになる。


 でも、堪える。


 ここで泣いたら、周りの人に見られる。


 家に着くまで、我慢しないと。


 足を速める。


 早く、家に帰りたい。


 一人になりたい。


 誰にも見られない場所で、思い切り泣きたい。


 家に着いて、自分の部屋に駆け込む。


 ドアを閉めて、ベッドに倒れ込む。


「……っ」


 枕に顔を埋めて、声を殺して泣く。


 涙が止まらない。


 どれだけ泣いても、胸の痛みは消えない。


「元樹……」


「元樹……」


 何度も名前を呼ぶ。


 でも、元樹はここにいない。


 元樹は、奈々美さんの側にいる。


「悔しい……」


「悔しいよ……」


 拳でベッドを叩く。


 何度も、何度も。


 手が痛くなるまで。


 でも、心の痛みは消えない。


「許さない……」


「絶対に、許さないから……」


 憎しみの言葉を吐き出す。


 でも同時に――


「でも……元樹が幸せなら……」


 矛盾した感情。


 愛しているからこそ、憎い。


 憎いからこそ、愛しい。


 その矛盾が、私を苦しめる。


「もう……嫌だ……」


「こんなの……嫌だ……」


 泣き疲れて、そのまま眠ってしまった。


 夢を見た。


 小学生の頃の夢。


 元樹と、公園で遊んでいる。


「玲、鬼ごっこしよう!」


「うん!」


 二人で走り回る。


 元樹を追いかける。


 でも、捕まえられない。


 元樹は、どんどん遠くに行ってしまう。


「待って!」


 叫ぶ。


 でも、元樹は振り返らない。


 そして――元樹の隣に、奈々美さんが現れる。


 二人は手を繋いで、笑っている。


「やめて……」


「元樹……こっちを見て……」


 でも、元樹は振り向かない。


 奈々美さんと、どこかに行ってしまう。


「待って……」


「置いていかないで……」


 必死に追いかける。


 でも、足が動かない。


 まるで、地面に縛られているみたい。


「元樹……!」


 叫んだところで――目が覚めた。


「……っ」


 額に汗が滲んでいる。


 心臓がバクバクと鳴っている。


「夢……」


 ただの夢。


 でも――夢の中の光景が、現実のように思えた。


 元樹は、私から離れていく。


 奈々美さんの方に。


 そして――私は、取り残される。


「嫌だ……」


「そんなの、嫌だ……」


 また涙が溢れてきた。


 時計を見ると、夜の九時を回っていた。


「……寝すぎた」


 ベッドから起き上がる。


 お腹が空いている。


 でも、食べる気力がない。


 部屋を出て、リビングに行く。


 母が心配そうに顔を上げる。


「玲、起きたの?」


「うん……」


「ご飯、温めておくわね」


「……いらない」


「でも、何も食べてないでしょ」


 母が立ち上がる。


「少しでいいから、食べなさい」


 優しい声。


 でも、その優しさが逆に辛い。


「……うん」


 テーブルに座る。


 母が温めたご飯を持ってくる。


「はい」


「ありがとう……」


 箸を持つ。


 でも、喉を通らない。


 無理やり口に運ぶけど、味がしない。


「玲……」


 母が心配そうに見ている。


「大丈夫? 本当に、何もない?」


 その問いに、私は笑顔を作った。


「大丈夫だよ。ちょっと疲れてるだけ」


「そう……?」


 母は納得していない様子だった。


 でも、それ以上は聞かなかった。


「無理しないでね」


「うん」


 それだけ言って、私は部屋に戻った。


 ベッドに横になって、天井を見つめる。


 スマホを手に取る。


 元樹との思い出の写真を見る。


 中学の時の写真。


 二人で笑っている。


「……あの頃は、楽しかったな」


 呟く。


 元樹は、まだ私だけを見ていた。


 奈々美さんなんていなかった。


「戻りたい……」


「あの頃に、戻りたい……」


 でも、戻れない。


 時間は流れて、状況は変わった。


 元樹は、奈々美さんを選んだ。


 私は――捨てられた。


「……っ」


 スマホを投げ出す。


 枕に顔を埋める。


「何で……」


「何で、こんなことに……」


 涙が止まらない。


 胸が苦しい。


 息ができない。


「助けて……」


「誰か……助けて……」


 でも、誰も助けてくれない。


 この苦しみは、私一人で抱えるしかない。


 ずっと、ずっと。


 そして――今。


 放課後。


 私は一人、教室に残っている。


 窓の外では、部活の掛け声が聞こえる。


 日常は続いている。


 でも、私の日常は――あの日から、止まったまま。


「元樹……」


 小さく名前を呼ぶ。


「許すって言ったけど……嘘だから」


 誰にも聞こえない声で、本音を吐き出す。


「絶対に……許さないから」


 憎しみの言葉。


 でも同時に――


「でも……幸せになってね」


 矛盾した願い。


 私の心は、引き裂かれている。


 愛と憎しみの間で。


 幸せを願う気持ちと、不幸を願う気持ちの間で。


「元樹……」


 また、その名前を呼ぶ。


 でも、元樹は答えてくれない。


 元樹は今、奈々美さんの側にいる。


 私の側じゃない。


「……っ」


 涙が溢れる。


 でも、もう泣き疲れた。


 涙も、枯れてきた。


 ただ――心の痛みだけが、残っている。


 消えない痛み。


 ずっと、ずっと。


 夕日が沈んでいく。


 オレンジ色が、徐々に紫色に変わっていく。


 夜が近づいてくる。


「帰らないと……」


 重い体を持ち上げる。


 カバンを持って、教室を出る。


 廊下は誰もいない。


 静かで、寂しい。


 階段を降りて、昇降口に向かう。


 靴を履き替えて、外に出る。


 秋の冷たい風が、頬を撫でる。


「寒い……」


 体を抱きしめる。


 でも、寒いのは体だけじゃない。


 心も、凍えている。


 元樹がいない世界は――こんなにも寒い。


「……」


 黙々と歩く。


 家に帰る道。


 いつもの道。


 でも、今日も一人。


 寂しい。


 空っぽ。


「元樹……」


 その名前を呼ぶ。


 でも――もう、答えは返ってこない。


 元樹は、私のものじゃない。


 奈々美さんのもの。


「許さない……」


 小さく呟く。


「絶対に……許さないから……」


 その言葉だけが、暗い道に消えていった。


 家に着いて、部屋に入る。


 ベッドに倒れ込む。


「……疲れた」


 体も心も、ボロボロ。


 でも――明日も、学校に行かないといけない。


 笑顔を作り続けないといけない。


「大丈夫」って、言い続けないといけない。


「……辛い」


 呟く。


 でも、誰も聞いていない。


 この辛さは、私一人で抱えるしかない。


 ずっと、ずっと。


 スマホを見ると、未菜からメッセージが来ていた。


『玲ちゃん、明日一緒にお昼食べよ?』


 優しい誘い。


『うん、ありがとう』


 短く返信する。


 未菜は、ずっと私を支えてくれている。


 光明も。


 みんな、優しい。


 でも――その優しさが、逆に辛い。


 私は、優しくされる資格なんてない。


 だって――心の中では、元樹と奈々美さんを恨んでいるから。


「……っ」


 自己嫌悪に陥る。


 こんな醜い感情を抱いている自分が、嫌い。


 でも、止められない。


 憎しみは、日に日に大きくなっている。


「どうすればいいの……」


 答えは、出ない。


 ただ――この苦しみの中で、もがき続けるしかない。


 ずっと、ずっと。


 窓の外を見ると、月が出ていた。


 綺麗な満月。


 でも、その輝きは――私の心には届かない。


「元樹……」


 また、その名前を呼ぶ。


「いつか……」


「いつか、この気持ち……伝わるかな……」


 でも、それは叶わない願い。


 元樹の心は、もう奈々美さんのもの。


 私の入る隙間は、ない。


「……っ」


 枕に顔を埋める。


 涙は、もう出ない。


 ただ――心の痛みだけが、残っている。


 消えない痛み。


 癒えない傷。


 ずっと、ずっと。


 そして――私は、決意する。


(表向きは……「許した」ことにする)


(元樹の幸せを、願っているふりをする)


 でも――心の奥底では。


(絶対に、許さない)


(元樹も、奈々美さんも)


 その憎しみを、ずっと抱き続ける。


 いつか――その憎しみが、形になる日まで。


「元樹……」


 最後に、もう一度名前を呼ぶ。


「私のこと……忘れないでね」


 その願いだけを胸に。


 私は――暗闇の中で、目を閉じた。


 憎しみと愛情が交錯する―


読んでくれて、ありがとう。


私、上野玲です。


この物語の中で、私は「負けヒロイン」って呼ばれるんでしょうね。

幼馴染で、主人公の側にずっといたのに、転校生に負けた女の子。

よくある話です。


でも――現実って、そういうものなのかもしれません。


どれだけ一緒にいても。

どれだけ愛していても。

選ばれないことがある。


私は、小学生の頃から元樹のことが好きでした。

一緒に遊んで、笑って、時には喧嘩もして。

元樹が引っ越したときは、本当に辛かった。

戻ってきてくれたときは、心の底から嬉しかった。


「ずっと一緒にいられる」


そう思っていました。


でも――奈々美さんが現れて、全てが変わりました。


元樹は、彼女を選びました。

私じゃなく。

正直に言います。

許せません。


「許す」って口では言ったけど、嘘です。

元樹のことも、奈々美さんのことも、今でも恨んでいます。


でも同時に――元樹の幸せを願っている自分もいます。

矛盾してますよね。


愛と憎しみは、表裏一体なんです。

この物語を読んでくれた人に、一つだけ伝えたいことがあります。

恋愛って、努力だけじゃどうにもならないことがある。

どれだけ頑張っても、報われないことがある。

それが現実です。


辛いけど、それが現実。

でも――それでも、前を向かなきゃいけない。

私は今、必死に前を向こうとしています。

元樹への気持ちを断ち切って。

新しい自分を見つけようとしています。

……まだ、うまくいってないけど。

いつか、この痛みが癒える日が来るのかな。

わからないけど――そう信じるしかない。


最後に。


元樹、聞いてる?

私は「許す」って言ったけど、心の奥底では許してないから。

あなたが幸せになればなるほど、私の心は痛む。

それでも――幸せになってね。

矛盾してるけど、それが私の本音。

奈々美さん、あなたにも言いたいことがある。

元樹を大切にしてね。

私ができなかったこと、あなたにはできるかもしれない。


でも――忘れないで。


元樹の側には、ずっと私がいたってこと。

あなたより、ずっと長く。

……未練がましいですね。


ごめんなさい。


でも、これが私の本音です。

読んでくれて、ありがとう。

私の物語は、ここで終わり。

でも、私の人生は続いていく。

いつか――この痛みを乗り越えて、笑える日が来るといいな。

そう信じて、前を向きます。

たとえ、元樹がいない世界でも。


上野玲

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