第19話 「君と、ちゃんと向き合えた」
九月一日、始業式の朝。
元樹は制服に着替えながら、深呼吸を繰り返していた。
鏡に映る自分の顔は、どこか緊張している。
「今日……答えを出さないと」
昨夜のメッセージで約束した通り、玲に返事をする日だ。
この夏休みの間、自分の気持ちと向き合い続けた。
奈々美との思い出。
楽しかった時間。
でも同時に感じていた息苦しさ。
そして玲。
一緒にいると心が軽くなる。
自然体でいられる。
笑顔になれる。
「俺は……」
答えは、もう出ていた。
階段を降りると、由美が朝食を食べていた。
「おはよ、お兄ちゃん。今日から二学期だね」
「ああ……」
元樹の緊張した様子を見て、由美は不思議そうな顔をする。
「どうしたの? 変な顔してる」
「いや……今日、大事な日だから」
「大事な日?」
由美が首を傾げる。
「まあ……色々あるんだよ」
「ふーん?」
由美はにやにや笑いながらパンをかじる。
「玲さんに何か言うの?」
その鋭い指摘に、元樹は動揺する。
「な、何でわかるんだよ」
「だって、お兄ちゃん、この夏ずっと悩んでたじゃん」
由美は続ける。
「奈々美さんのことも好きだけど、玲さんのことも……って顔してた」
妹の観察力に、元樹は驚く。
「そんなに分かりやすかったか?」
「うん。でもね」
由美は真面目な表情になる。
「お兄ちゃんが選んだ人なら、私は応援するよ」
「由美……」
「だって、お兄ちゃんが幸せそうな顔してるのが一番だもん」
その言葉に、元樹は胸が温かくなった。
「ありがとう」
「頑張ってね!」
由美の応援を背に、元樹は家を出た。
登校途中、元樹の心臓は激しく跳ね続けていた。
今日、玲に告白する。
いや、正確には玲の告白に答える。
「本当に……これでいいんだよな」
自分に問いかける。
答えは明確だった。
「ああ……俺は、玲と一緒にいたい」
その確信を胸に、元樹は学校に向かった。
学校の門をくぐると、すぐに懐かしい制服姿の生徒たちが目に入る。
久しぶりの学校。
夏休みが終わり、また日常が戻ってくる。
「元樹!」
声をかけられて振り返ると、光明が走ってきた。
「おお、光明。久しぶり」
「夏休み、どうだった?」
「色々……あったよ」
元樹の複雑な表情を見て、光明は察する。
「そっか。でも、何か吹っ切れた顔してるな」
「そうかな?」
「ああ。なんかスッキリしてる」
光明の言葉に、元樹は小さく笑う。
「今日、玲に返事するんだ」
その言葉に、光明の目が輝く。
「マジで!?」
「ああ」
「で、答えは?」
光明の問いに、元樹は頷く。
「俺……玲と付き合いたい」
その決意の言葉に、光明は元樹の肩を叩く。
「良かった。お前がそう言ってくれて」
「支えてくれてありがとう、光明」
「当たり前だろ。友達だからな」
二人は教室に向かった。
教室のドアを開けると、すでに何人かの生徒が席についていた。
そして――玲も、窓際の席に座っていた。
元樹と目が合う。
玲の表情が一瞬強張る。
今日、答えを聞かされることを知っているからだ。
「おはよう、玲」
元樹が声をかけると、玲は小さく微笑む。
「おはよう、元樹」
その笑顔は緊張しているが、同時に期待も滲んでいる。
「あの……放課後、時間ある?」
元樹の問いに、玲は頷く。
「うん。待ってる」
短い会話だったが、二人の間には確かな約束が交わされた。
始業式が体育館で行われた。
校長先生の長い話が続く中、元樹の心は落ち着かなかった。
隣に座る光明が小声で話しかける。
「緊張してるな」
「ああ……」
「大丈夫だって。玲も待ってるんだから」
光明の励ましに、元樹は少し気持ちが楽になる。
始業式が終わり、教室に戻る。
ホームルームで先生が連絡事項を伝える間も、元樹の視線は時々玲の方に向かう。
玲も時折振り返り、二人の目が合う。
そのたびに、元樹の心臓は激しく跳ねた。
午後の授業が始まる前、元樹は廊下で偶然、未菜と遭遇した。
「あ、元樹くん。おはよう」
「おはよう、未菜」
「今日、玲ちゃんに返事するんでしょ?」
未菜の言葉に、元樹は驚く。
「知ってるのか?」
「うん。光明から聞いた」
未菜は優しく微笑む。
「私、応援してるから。玲ちゃん、ずっと元樹くんのこと好きだったんだよ」
「俺も……ようやく自分の気持ちに気づいた」
元樹の言葉に、未菜は嬉しそうに笑う。
「良かった。玲ちゃん、きっと喜ぶよ」
「ありがとう」
「頑張ってね!」
未菜の応援を受けて、元樹はさらに決意を固めた。
授業が終わり、放課後になった。
元樹は玲に声をかける。
「玲、行こうか」
「うん」
二人は並んで教室を出た。
クラスメートたちの視線が集まるが、気にしない。
目的地は、夏祭りの日に玲が告白した公園だった。
「あの公園に行こう」
元樹の提案に、玲は頷く。
「うん……あの場所がいいね」
二人は無言で歩き続ける。
夏の終わりを告げる風が、二人の間を吹き抜けていく。
公園に着くと、夕暮れの光がブランコを照らしていた。
玲が先にブランコに座り、元樹もその隣に座る。
「元樹……」
玲が口を開く。
「答え、聞かせてくれる?」
その真剣な表情に、元樹は深呼吸をする。
「ああ……この夏、ずっと考えてた」
元樹は正直に話し始める。
「奈々美との思い出、楽しかった時間、全部本当だった」
「……」
「でも、同時に息苦しさも感じてた」
元樹は続ける。
「奈々美は俺を必要としてくれた。それは嬉しかったけど……」
「でも?」
「でも、本当の自分でいられなかった」
元樹の告白に、玲は静かに耳を傾ける。
「玲と一緒にいる時は違う。自然体でいられる」
元樹は玲を見つめる。
「笑えるし、泣けるし、弱音も吐ける」
「元樹……」
「玲、俺は――」
元樹は立ち上がり、玲の前に立つ。
「俺は、お前と付き合いたい」
その言葉に、玲の目に涙が浮かぶ。
「本当に……?」
「ああ。ずっと側にいてくれた玲と、これからも一緒にいたい」
元樹の真剣な表情に、玲は立ち上がる。
「私も……私も元樹と一緒にいたい」
二人は見つめ合い、そして――
自然と抱き合っていた。
「ありがとう、玲」
「こちらこそ……ありがとう」
夕陽の中で、二人の新しい関係が始まった。
しばらく抱き合った後、二人は照れながら離れた。
「あの……これから、どうする?」
玲が恥ずかしそうに聞く。
「どうするって?」
「付き合うって……何から始めればいいのかな」
玲の可愛らしい質問に、元樹は笑う。
「まずは……手を繋いで帰るとか?」
「うん!」
玲は嬉しそうに元樹の手を握る。
その温もりが、二人の心を満たしていく。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
二人は手を繋いで公園を後にした。
夕暮れの道を、ゆっくりと歩いていく。
時々会話をしながら、時々沈黙を楽しみながら。
「ねえ、元樹」
「何?」
「明日から、学校でも手繋いでいい?」
玲の質問に、元樹は少し考えてから答える。
「恥ずかしいけど……いいよ」
「やった!」
玲の喜ぶ姿を見て、元樹も笑顔になる。
幼馴染から恋人になった二人。
新しい関係の始まりだった。
家に帰ると、由美が玄関で待っていた。
「お帰り、お兄ちゃん! で、どうだったの!?」
興奮した様子の由美に、元樹は照れながら答える。
「ああ……玲と付き合うことになった」
「やった!!」
由美が飛び跳ねて喜ぶ。
「おめでとう、お兄ちゃん!」
「ありがとう」
「玲さん、すっごく喜んでたでしょ?」
「ああ……泣いてた」
元樹の言葉に、由美は満足そうに微笑む。
「良かった。お兄ちゃん、幸せそうな顔してる」
「そうかな?」
「うん。すっごく」
由美の言葉に、元樹は自分でも気づく。
確かに、心が軽い。
玲と付き合うことを決めて、本当に良かった。
「じゃあ、奈々美さんには連絡したの?」
由美の質問に、元樹の表情が曇る。
「いや……まだ」
「ちゃんと伝えないと」
「わかってる」
元樹は部屋に向かった。
玲との関係が始まった喜びと同時に、奈々美に伝えなければならない現実。
その重さが、胸にのしかかる。
部屋に入った元樹は、ベッドに座ってスマホを見つめた。
奈々美に連絡する。
玲と付き合うことになったと伝える。
「でも……どう伝えればいいんだ」
悩みながらも、元樹はメッセージを書き始める。
『奈々美、報告がある。俺、玲と付き合うことになった。』
シンプルだが、正直な内容。
送信ボタンに指をかけるが、なかなか押せない。
「奈々美……ごめん」
小さく呟いて、元樹は送信ボタンを押した。
メッセージが送信される。
既読はすぐにつかない。
元樹はスマホを置いて、窓の外を見つめた。
夜の闇が、静かに広がっていく。
一方、由美は自分の部屋でスマホを見ていた。
奈々美からメッセージが来ていた。
『由美ちゃん、お兄さんの様子はどう?』
由美は少し迷ったが、正直に返信することにした。
『お兄ちゃん、玲さんと付き合うことになりました』
送信してすぐ、奈々美から返信が来る。
『そう』
たった二文字。
でも、その裏にある感情を、由美は感じ取った。
『奈々美さん……大丈夫ですか?』
由美が心配して送ると、しばらくしてから返信が来た。
『大丈夫よ。元樹くんが幸せなら、それでいいの』
その言葉は優しかったが、由美は何か引っかかるものを感じた。
でも、それ以上何も言えず、由美は『はい、わかりました』とだけ返信した。
その夜、奈々美は一人で部屋にいた。
元樹からのメッセージを何度も読み返す。
『俺、玲と付き合うことになった』
その言葉が、心に突き刺さる。
「元樹くん……」
奈々美の目から、涙が溢れ出す。
我慢していた感情が、堰を切ったように流れ出す。
「どうして……」
膝を抱えて、奈々美は泣き続ける。
この夏、元樹との関係を修復しようと努力した。
距離を置いて、元樹に考える時間を与えた。
変わろうとした。
でも――結果は、玲を選ばれたこと。
「私の何が……ダメだったの?」
自問自答を繰り返す。
愛し方が間違っていたのか。
束縛しすぎたのか。
それとも――そもそも、元樹には愛されていなかったのか。
「いや……」
奈々美は首を振る。
「元樹くんは、私を必要としてくれてた」
水族館での楽しい時間。
別れ際の抱擁。
あの温もりは、嘘じゃない。
「きっと……上野玲が邪魔をしたの」
奈々美の思考が、徐々に歪んでいく。
「幼馴染という立場を利用して、元樹くんを奪った」
涙を拭いながら、奈々美は立ち上がる。
鏡に映る自分の顔は、涙で濡れている。
「でも……まだ諦めない」
奈々美の瞳に、危険な光が宿る。
「元樹くんは、私のものなの」
その言葉と共に、奈々美の心に新たな計画が芽生え始めた。
翌日、学校。
元樹と玲は、約束通り手を繋いで登校した。
「恥ずかしいな……」
元樹が小声で言うと、玲は笑う。
「でも嬉しいでしょ?」
「まあ……そうだけど」
二人の姿を見て、クラスメートたちがざわめく。
「えっ、渡部と上野って付き合ってるの!?」
「マジで!? 幼馴染だったよね」
「いいなぁ、青春って感じ」
様々な声が聞こえる中、二人は教室に入った。
「おはよう」
光明と未菜が笑顔で迎える。
「おめでとう、二人とも」
未菜が嬉しそうに言う。
「ありがとう」
玲も照れながら答える。
「やっとくっついたな」
光明が元樹の肩を叩く。
「ああ……お前のおかげでもあるよ」
「いいって。友達だからな」
朝のホームルームが始まる前、教室は和やかな雰囲気に包まれていた。
しかし――その平和な時間は、長くは続かなかった。
昼休み、元樹のスマホが震えた。
奈々美からのメッセージだった。
『元樹くん、おめでとう。玲さんと幸せにね』
その短い文面に、元樹は安堵する。
「奈々美……怒ってないみたいだな」
しかし、その安堵は早すぎた。
続けてメッセージが届く。
『でも、本当にそれでいいの?』
その一文に、元樹の胸がざわつく。
『私たちの約束、忘れたの?』
約束。
7年前の、あの約束。
『ずっと一緒にいるって、誓ったよね』
その言葉が、元樹の心を揺さぶる。
「約束って……あれは子供の頃の――」
しかし、奈々美にとっては違う。
その約束こそが、彼女の人生の全てだった。
『元樹くん、やっぱり私は諦めないから』
最後のメッセージを読んで、元樹は背筋が寒くなった。
「元樹、どうしたの?」
隣で弁当を食べている玲が心配そうに聞く。
「いや……何でもない」
元樹は笑顔を作るが、心の中では不安が渦巻いていた。
奈々美の最後のメッセージ。
『諦めない』という言葉。
「嫌な予感がする……」
小さく呟く元樹を、玲は心配そうに見つめていた。
その日の放課後、由美は部活動を終えて帰宅する途中だった。
すると、見覚えのある姿が目に入る。
「奈々美さん……?」
遠くから、奈々美がこちらを見ていた。
由美が手を振ろうとした瞬間、奈々美は背を向けて立ち去った。
「どうしてここに?……」
不思議に思いながら、由美は家に向かった。
家に着くと、スマホにメッセージが届いていた。
奈々美からだった。
『由美ちゃん、今日学校の近くにいたの見たよね』
『はい、どうしたんですか?』
『ちょっと元樹くんの様子が見たくてこっちに来たの』
その言葉に、由美は少し心配になる。
『奈々美さん、お兄ちゃんのこと……』
『ええ。好きよ』
由美は返信に困る。
お兄ちゃんはもう玲さんと付き合っている。
でも、奈々美さんは諦めていない。
『でも、お兄ちゃんは玲さんと……』
『わかってる。でも、諦めたくないの』
奈々美の返信に、由美は不安を感じた。
『奈々美さん、無理しないでください』
『大丈夫。私、ちゃんと考えてるから』
その言葉の裏に、何か危険なものを感じながらも、由美は何も言えなかった。
9月4日
元樹の誕生日だった。
朝、教室に入ると、玲が嬉しそうに駆け寄ってきた。
「元樹、誕生日おめでとう!」
「あ、ありがとう」
元樹は少し照れる。
玲は小さな包みを差し出す。
「これ、プレゼント」
「えっ、いいのか?」
「当然でしょ。開けてみて」
元樹が包みを開けると、中には腕時計が入っていた。
シンプルなデザインで、高校生が持つのにちょうどいい。
「すごく……いいな」
「気に入ってくれた?」
「ああ、ありがとう」
元樹は嬉しそうに腕時計をつける。
「これから、いつもつけてる」
その言葉に、玲は満面の笑みを浮かべた。
「放課後、どこか行かない? 誕生日のお祝いしたい」
「いいのか?」
「当たり前でしょ。恋人の誕生日なんだから」
玲の言葉に、元樹の心が温かくなる。
「じゃあ、お願いするよ」
放課後、二人は駅前のレストランに入った。
玲が予約していた窓際の席に座る。
「ここ、予約してたのか?」
「うん。元樹の誕生日だから、ちゃんとお祝いしたくて」
玲の気遣いに、元樹は感動する。
「ありがとう、玲」
「これからもずっと、一緒にお祝いしたいな」
玲の言葉に、元樹は頷く。
「ああ……俺もだ」
料理が運ばれてきて、二人は楽しく食事を始める。
他愛もない話をしながら、笑い合う。
「元樹、本当に腕時計気に入ってくれた?」
「ああ、すごく嬉しい」
元樹は腕時計を見つめる。
「これから、大切にするよ」
「良かった」
玲は安心したように微笑む。
「実は、選ぶのすごく迷ったんだ」
「そうなんだ」
「元樹に似合うものって何かなって、ずっと考えてた」
その真剣さに、元樹は胸が熱くなる。
「玲……」
「何?」
「本当にありがとう。俺、玲と付き合えて幸せだよ」
その言葉に、玲の目に涙が浮かぶ。
「私も……元樹と一緒にいられて幸せ」
二人は見つめ合い、笑顔を交わす。
幸せな時間が、ゆっくりと流れていく。
食事が終わり、店を出ると夕暮れの空が広がっていた。
「きれいな夕焼けだね」
玲が空を見上げる。
「ああ」
元樹も同じように空を見上げる。
二人は並んで、しばらく夕焼けを眺めていた。
「元樹」
「ん?」
「これからも、ずっと一緒にいようね」
玲の言葉に、元樹は頷く。
「ああ、約束する」
その約束を胸に、二人は手を繋いで家路についた。
しかし――この幸せな時間を、遠くから見つめる影があった。
奈々美だった。
「誕生日……」
小さく呟きながら、奈々美は二人の後ろ姿を見つめる。
「私も、お祝いしたかった」
その目から、涙が一筋流れ落ちる。
「でも……もう遅い」
奈々美は拳を握りしめる。
「元樹くんは、玲のものになってしまった」
嫉妬と悲しみが、心の中で渦巻く。
「でも……諦めない」
その決意と共に、奈々美は暗闇に消えていった。
翌日、元樹は玲に正直に話した。
「実は……明日、奈々美と会う約束をしたんだ」
その言葉に、玲の表情が曇る。
「そう……なんで?」
「友達として、話したいことがあるって」
玲は少し考えてから答える。
「わかった。行ってきて」
「本当にいいのか?」
「うん」
玲は微笑むが、その笑顔は少し無理をしているように見える。
「でも、約束してほしいことがある」
「何?」
「ちゃんと、線引きをすること」
玲の真剣な表情に、元樹は頷く。
「わかった。俺は玲のことが好きだから」
元樹は玲にもらった腕時計を見せる。
「この時計を見るたびに、玲のことを思い出す」
その言葉に、玲は少し安心する。
「うん……信じてる」
しかし、玲の心の中では不安が渦巻いていた。
元樹は駅前で奈々美を待っていた。
約束の時間になると、奈々美が現れる。
「元樹くん、待った?」
「いや、今来たところ」
奈々美は以前より柔らかい雰囲気を纏っていた。
髪型も変えて、より自然な美しさが際立っている。
「どこか、お茶でもしない?」
「ああ」
二人は近くのカフェに入った。
席に座り、注文を済ませる。
「それで……話したいことって?」
元樹が聞くと、奈々美は少し寂しそうに微笑む。
「ちゃんと謝りたかったの」
「謝る?」
「うん。以前の私、おかしかった」
奈々美は正直に話し始める。
「元樹くんを束縛して、苦しめて……」
「奈々美……」
「でも、今は反省してる」
奈々美の目には、涙が浮かんでいる。
「だから、友達として、またやり直せたらって」
その言葉に、元樹は心が揺れる。
「俺も……あの時、ひどいこと言った」
「ううん、元樹くんは悪くない」
奈々美は首を振る。
「全部、私が悪かったの」
その素直な謝罪に、元樹は胸が痛む。
「でも、玲さんと幸せになってほしい」
奈々美は微笑む。
「私は、遠くから応援してるから」
その言葉は優しく、元樹は少し安心する。
「ありがとう、奈々美」
「こちらこそ」
しかし――奈々美の心の中は、全く違っていた。
「嘘よ、全部嘘」
表面では笑顔を浮かべながら、心の中では毒を吐く。
「玲なんかに、元樹くんを渡すものか」
奈々美の計画は、着実に進行していた。
カフェを出た後、二人は少し散歩をした。
「秋になってきたね」
奈々美が空を見上げる。
「ああ……もうすぐ運動会だな」
「運動会?」
「ああ」
元樹の答えに、奈々美は興味を示す。
「そうなんだ。見に行ってもいい?」
「え……」
元樹は少し戸惑う。
奈々美が見に来ることを、玲はどう思うだろう。
「ダメかな?」
奈々美が寂しそうに聞く。
「いや……いいよ」
「本当? 嬉しい」
奈々美は優しく、元樹は複雑な気持ちになる。
友達として接しているつもりだが、どこか違和感がある。
「じゃあ、運動会楽しみにしてるね」
「ああ」
二人は駅で別れた。
元樹が家に向かう背中を、奈々美は冷たい目で見つめていた。
「運動会……面白いことになりそうね」
その言葉と共に、奈々美の計画は次の段階へと進んでいく。
その夜、玲は一人で部屋にいた。
元樹が奈々美と会っている時間、ずっと落ち着かなかった。
スマホが震える。
元樹からのメッセージだった。
『今、帰ったよ』
玲は返信する。
『うん、お帰り』
しばらくして、元樹から電話がかかってきた。
「もしもし、玲」
「元樹……どうだった?」
「奈々美と話してきた」
元樹は正直に報告する。
「謝られたんだ。以前のことを反省してるって」
「そう……」
「友達として、やり直したいって」
その言葉に、玲は複雑な気持ちになる。
「元樹は、それでいいの?」
「うん。奈々美とは友達でいたい」
元樹の答えに、玲は少し不安を感じる。
「わかった……」
「玲、大丈夫か?」
「うん、大丈夫」
玲は無理に明るく答える。
「私、元樹を信じてるから」
「ありがとう」
元樹は優しい声で返事をする。
「それでね、休みにデートしようよ」
玲がデートを提案する。
「ああ、いいよ」
元樹は玲の提案に二つ返事で答える。
「じゃあ、お休み」
電話を切った後、玲は深いため息をついた。
「本当に……大丈夫かな」
不安が、心の中で大きくなっていく。
その夜、奈々美は一人で計画を練っていた。
「友達として近づく……」
ノートに書き出していく。
「そして、徐々に元樹くんと玲の関係を壊していく」
奈々美の目が、危険に輝く。
「まずは、玲への嫉妬を煽る」
具体的な計画を立てていく。
「元樹くんに頻繁に連絡する」
「偶然を装って会う」
「玲には見せない、特別な笑顔を見せる」
全てが計算されている。
「そして――玲が不安になったところで、決定打を」
奈々美の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「元樹くんは、必ず私のものになる」
元樹と玲のデートの日がやってきた。
二人は駅前の映画館で待ち合わせをした。
「おはよう、元樹」
玲が笑顔で手を振る。
白いワンピースが、秋の日差しに映えている。
「おはよう。可愛いな、その服」
「ありがとう」
玲は照れながら元樹の腕を取る。
「じゃあ、行こうか」
二人は映画館に入った。
上映される映画は、話題の恋愛映画。
元樹は正直、恋愛映画は苦手だったが、玲が見たいと言ったので了承した。
「楽しみだね」
玲が嬉しそうに言う。
「ああ」
二人は並んで座り、映画が始まるのを待った。
しかし――映画館の別の席に、奈々美の姿があった。
偶然を装って、同じ映画を見に来たのだ。
「元樹くん……」
遠くから二人の様子を見つめる。
元樹と玲が笑い合っている姿。
手を繋いでいる姿。
「楽しそうね……」
奈々美の拳が、強く握りしめられる。
嫉妬と怒りが、心の中で渦巻いていく。
「でも……まだよ」
奈々美は深呼吸をして、感情を抑える。
「焦らない。計画通りに進める」
映画が始まる。
スクリーンに映し出される恋愛物語を、奈々美は冷たい目で見つめていた。
映画が終わり、元樹と玲は映画館を出た。
「良かったね」
玲が感動した様子で言う。
「ああ……」
元樹も素直に楽しめた。
二人はカフェに入り、映画の感想を語り合う。
「主人公の女の子、健気だったね」
玲が言うと、元樹は頷く。
「そうだな。でも、もっと早く気持ちを伝えればよかったのに」
「うん。でも、それが恋愛の難しいところだよね」
二人の会話は尽きない。
しかし――カフェの隣のテーブルに、変装した奈々美が座っていた。
二人の会話を、じっと聞いている。
「気持ちを伝えるタイミング……」
奈々美は心の中で呟く。
「私も、もっと上手く伝えれたらよかったのかな…」
でも、今更後悔しても仕方がない。
大切なのは、これからだ。
「元樹くんを取り戻す……」
その決意を新たにして、奈々美は二人の様子を観察し続けた。
デートが終わり、元樹と玲は駅で別れた。
「今日は楽しかったね」
玲が満足そうに言う。
「ああ。また行こう」
「うん!」
玲が電車に乗り込む直前、元樹が声をかける。
「玲」
「何?」
「好きだよ」
その言葉に、玲の顔が真っ赤になる。
「私も……好き」
照れながらも、しっかりと伝える玲。
二人は笑い合い、玲が電車に乗り込んだ。
元樹が手を振って見送る。
しかし――その様子を、遠くから奈々美が見ていた。
「好きだよ……か」
奈々美の表情が歪む。
「その言葉、私にも言ってくれたよね」
過去の記憶が蘇る。
元樹が優しく微笑んでくれた時の顔。
一緒に過ごした楽しい時間。
「全部……玲に奪われた」
奈々美の心に、憎しみが募っていく。
「許さない……」
その言葉と共に、奈々美の計画は次の段階へと進んでいく。
運動会の練習が本格的に始まった。
元樹はクラス対抗リレーの選手に選ばれていた。
「渡部、お前速いからアンカー頼むわ」
体育委員の言葉に、元樹は頷く。
「わかった」
「玲も女子リレーのアンカーだろ? 二人で頑張ろうぜ」
光明が笑いながら言う。
「ああ」
元樹と玲は、それぞれのチームでリレー練習に励んだ。
放課後のグラウンドで、元樹は必死に走る。
バトンを受け取り、全力で駆け抜ける。
「ナイス、元樹!」
光明が声をかける。
「お前のラストスパート、すごいな」
練習が終わり、元樹と玲は一緒に帰った。
「今日の練習、疲れたね」
玲が笑う。
「ああ……でも、楽しかった」
「運動会当日、頑張ろうね」
「ああ」
二人の会話は弾む。
しかし――その様子を、遠くから見つめる影があった。
奈々美だった。
「楽しそうね……」
小さく呟きながら、奈々美は二人の後を追う。
気づかれないよう、距離を保ちながら。
「でも……運動会当日が楽しみ」
その言葉と共に、奈々美の計画は着実に進行していた。
その日の放課後、元樹は奈々美からメッセージを受け取った。
『元樹くん、運動会の練習お疲れ様。リレー選手に選ばれたんだって? 頑張ってね』
その内容に、元樹は少し驚く。
「誰から聞いたんだろう……」
返信しようとした時、続けてメッセージが来る。
『玲さんも選手なんだね。二人で頑張る姿、素敵だと思う』
その言葉は優しいが、どこか棘を感じる。
『運動会、楽しみにしてるから』
最後のメッセージを読んで、元樹は少し不安になる。
「奈々美……本当に大丈夫なのか?」
その不安は的中する。
奈々美の本当の計画は、これから始まるのだから。
同じ頃、奈々美は一人で微笑んでいた。
「元樹くんと玲が、リレーのアンカー……」
ノートに書き出していく。
「完璧なシチュエーション」
奈々美の目が、危険に輝く。
「運動会当日、何か起こるかもしれないわね」
具体的な計画を立て始める。
「まずは、練習の邪魔をする」
「玲に不安を与える」
「そして――当日、決定的な一撃を」
全てが計算されている。
「元樹くんは、私のもの」
その言葉と共に、奈々美の暴走が始まろうとしていた。
運動会の練習が最終段階に入った。
元樹と玲は、それぞれのリレーチームで練習に励む。
「もう一回、走るぞ」
体育委員の声に、元樹は構える。
バトンを受け取り、全力で駆け抜ける。
玲も女子チームで、同じように全力で走っていた。
二人の真剣な姿に、クラスメートたちが声援を送る。
「頑張れ!」
「いいぞ!」
練習は順調に進んでいた。
しかし――グラウンドの端から、奈々美がその様子を見ていた。
「速い……」
元樹の走る姿を見て、奈々美は呟く。
「でも、運動会当日……何が起こるかわからないわ」
嫉妬が、心の中で燃え上がる。
「玲と一緒に走る姿、見たくない」
奈々美の目が、危険に輝く。
「何か……しないと」
その夜、由美が元樹の部屋に入ってきた。
「お兄ちゃん、ちょっといい?」
「何だ?」
「今日、グラウンドの近くで奈々美さん見たんだけど……」
「え?」
「お兄ちゃんたちの練習、遠くから見てた」
由美の言葉に、元樹は背筋が寒くなる。
「見てた……?」
「うん。すごく真剣な顔で」
その情報に、元樹は不安になる。
「奈々美……まだ諦めてないのか」
由美が心配そうに聞く。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ああ……でも、気をつけないと」
元樹は決意する。
「玲を守らないと」
その言葉に、由美は頷いた。
「私も協力するよ」
「ありがとう」
しかし、奈々美の計画は既に動き出していた。
そして――その暴走は、誰も止められないほどエスカレートしていく。
運動会まで残り二週間となった。
練習はさらに本格化し、放課後は毎日グラウンドで汗を流す。
「もう一回、この走順で確認しよう」
体育委員が提案し、元樹も頷く。
リレーのバトンパスを何度も練習する。
「ナイス!」
成功するたびに、チームメートから拍手が起こる。
「このままいけば、優勝狙えるぞ」
光明が興奮して叫ぶ。
「元樹と俺たちで、絶対勝とうぜ」
その言葉に、元樹は笑う。
「ああ、頑張ろう」
しかし――フェンスの外から、奈々美がその様子を見ていた。
「楽しそう……」
奈々美の拳が強く握りしめられる。
「私も、元樹くんと一緒に走りたかった」
嫉妬と怒りが、心の中で燃え上がる。
「でも……まだよ」
奈々美は深呼吸をして、感情を抑える。
「運動会当日まで待つ」
その決意と共に、奈々美は学校を後にした。
その夜、玲は一人で不安に襲われていた。
最近、誰かに見られているような感覚がある。
学校でも、帰り道でも。
「気のせいかな……」
でも、その不安は消えない。
スマホを見ると、見知らぬ番号からメッセージが届いていた。
『元樹くんは、本当にあなたのものかしら?』
その内容に、玲は震える。
「まさか……?」
返信しようとするが、送信できない。
すぐに電話番号をブロックする。
「怖い……」
玲は元樹に連絡しようとするが、心配かけたくなくて止める。
「私が強くならないと」
そう自分に言い聞かせるが、不安は消えなかった。
練習が一段落して、元樹と玲は二人で帰っていた。
「玲、最近何か変だな」
元樹が心配そうに聞く。
「え……そんなことないよ」
玲は無理に笑顔を作る。
「でも、疲れてるように見える」
「練習、頑張りすぎたかも」
玲の答えに、元樹は納得できない。
「何か隠してないか?」
「隠してないよ」
玲は元樹の手を握る。
「大丈夫。元樹が側にいてくれるから」
その言葉に、元樹は少し安心する。
「何かあったら、すぐ言ってくれよ」
「うん」
しかし、玲は元樹に言えないことがあった。
見知らぬ番号からのメッセージ。
誰かに見られている感覚。
「言ったら、元樹が心配するから……」
一人で抱え込む玲。
その判断が、後に大きな問題を引き起こすことになる。
運動会まで残り一週間。
学校全体が準備に追われていた。
元樹のクラスも、リレーの最終調整に入る。
「最後の確認するぞ」
体育委員が皆を集める。
元樹はアンカーとして、チームメートとバトンパスの練習をする。
「ナイス!」
成功するたびに、チームから歓声が上がる。
「このチームワークなら、優勝できるぞ」
光明が自信満々に言う。
「元樹のラストスパート、期待してるからな」
その言葉に、元樹は笑う。
「任せろ」
玲も女子チームで最終練習をしていた。
真剣な表情で走る姿に、元樹は見とれる。
「玲、格好いいな……」
小声で呟く元樹を、光明がからかう。
「惚れ直したか?」
「うるさいな」
二人の会話を、クラスメートたちが笑いながら聞いていた。
和やかな雰囲気の中、練習は順調に進んでいた。
しかし――フェンスの外から、再び奈々美がその様子を見ていた。
「楽しそう……」
玲の真剣に走る姿を見て、奈々美は呟く。
「でも、その笑顔は私が奪ってあげる」
嫉妬が、心の中で燃え上がる。
「運動会当日……楽しみね」
奈々美の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「全てを台無しにしてあげる」
その夜、玲は一人で不安に襲われていた。
最近、誰かに見られているような感覚がある。
学校でも、帰り道でも、練習中でも。
「気のせいかな……」
でも、その不安は消えない。
窓のカーテンを閉めながら、玲は外を見る。
暗闇の中、何かが動いたような気がした。
「誰かいる……?」
心臓が激しく跳ね上がる。
でも、よく見ると誰もいない。
「気のせいだよね……」
玲は自分に言い聞かせる。
しかし、不安は消えなかった。
スマホを見ると、また見知らぬ番号からメッセージが届いていた。
『運動会、楽しみにしてるわ』
その内容に、玲は震える。
「……」
番号をブロックしようとするが、すでに送信者は削除されている。
「怖い……」
玲は布団にくるまり、震えていた。
元樹に相談したい。
でも、心配かけたくない。
「私が……強くならないと」
そう自分に言い聞かせるが、恐怖は消えなかった。
運動会の前日。
最終確認のため、元樹たちは放課後グラウンドに集まった。
「明日は絶対勝つぞ!」
体育委員が気合を入れる。
「おう!」
全員で声を揃える。
元樹もアンカーとして、気合を入れ直す。
「頑張らないとな」
玲も女子チームで最終練習をしていた。
しかし、その表情はどこか疲れているように見える。
「玲、大丈夫か?」
練習後、元樹が心配そうに聞く。
「うん……ちょっと緊張してるだけ」
玲は無理に笑顔を作る。
「明日、頑張ろうね」
「ああ」
元樹は玲の様子が気になったが、それ以上は聞けなかった。
二人が帰ろうとした時、校門の前に人影が見えた。
「あれ……」
元樹が目を凝らすと、奈々美が立っていた。
「奈々美?」
元樹が声をかけると、奈々美は微笑む。
「元樹くん、偶然ね」
「どうしたんだ?」
「明日の運動会、見にくるために前日入りよ」
その言葉に、玲の表情が強張る。
「え……」
「ダメかな?」
奈々美が寂しそうに聞く。
「いや……運動会見に来るためにそこまでするかと思って」
元樹が笑う。
笑う顔を見て、奈々美は嬉しそうに微笑む。
「良かった。楽しみにしてるね」
そう言って、奈々美は立ち去った。
残された元樹と玲は、複雑な表情で見つめ合う。
「元樹……」
「ごめん、玲」
元樹が謝ると、玲は首を振る。
「ううん、仕方ないよ」
でも、その声は震えていた。
家に帰った玲は、ベッドに倒れ込んだ。
「奈々美さんが……来る」
不安が、心の中で大きくなる。
「あの人が、明日何かするつもりなのかな」
最近の奇妙なメッセージ。
見られている感覚。
全てが奈々美と繋がっているような気がする。
「でも、証拠がない……」
玲は枕に顔を埋める。
「元樹を信じないと」
でも、不安は消えなかった。
同じ頃、奈々美は一人で微笑んでいた。
「明日……全てが変わる」
鏡の前で、自分の髪を整える。
「元樹くんの前で、最高に美しい私を見せないと」
奈々美は引き出しから、ある物を取り出す。
小さな瓶。
「これを使えば……」
奈々美の目が、危険に輝く。
「玲は走れなくなる」
その瓶には、下剤が入っていた。
奈々美の計画は、玲の飲み物に下剤を混ぜること。
そうすれば、玲はリレーに出られなくなる。
「そして、元樹くんが失望する」
奈々美は冷たく笑う。
「玲が頼りないって、わかってもらえる」
完璧な計画だった。
誰も疑わない。
誰も止められない。
「元樹くん……明日、全てを取り戻すわ」
運動会当日。
朝、空は快晴だった。
絶好の運動会日和。
元樹は早めに家を出た。
「今日は頑張ってね、お兄ちゃん」
由美が見送る。
「ああ、ありがとう」
元樹は学校に向かった。
校門をくぐると、すでに多くの生徒が準備を始めていた。
「元樹、おはよう!」
光明が駆け寄ってくる。
「今日は絶対勝つぞ!」
「ああ」
二人は拳を合わせる。
教室に入ると、玲がすでに席についていた。
「おはよう、玲」
「おはよう、元樹」
玲の顔色は少し悪く見える。
「大丈夫か?」
「うん……ちょっと緊張してるだけ」
元樹は心配になるが、玲が無理に笑顔を作っているのを見て、それ以上は聞けなかった。
午前九時、開会式が始まった。
全校生徒がグラウンドに整列する。
校長先生の挨拶が終わり、いよいよ競技が始まる。
「頑張ろうね」
玲が元樹に声をかける。
「ああ。お互いに頑張ろう」
二人は笑顔を交わす。
しかし――観客席の一角に、奈々美の姿があった。
「始まったわね」
小さく呟きながら、奈々美は元樹と玲を見つめる。
「楽しみ……」
その目は、冷たく光っていた。
午前の競技が順調に進む。
玲の女子リレーは午後一番に予定されていた。
昼休み、玲はクラスメートたちと弁当を食べていた。
「玲ちゃん、緊張してる?」
友人が聞くと、玲は笑う。
「ちょっとね」
「大丈夫だよ。玲ちゃん速いもん」
励まされて、玲は少し気持ちが楽になる。
「ありがとう」
弁当を食べ終わり、玲はトイレに立った。
その時――
「玲さん」
背後から声がかかる。
振り返ると、奈々美が立っていた。
「奈々美さん……」
玲は警戒する。
「こんにちわ、来てたんですね」
「ええ。元樹くんの応援に」
奈々美は微笑む。
「玲さんも頑張ってね」
「はい……」
玲が立ち去ろうとした時、奈々美が声をかける。
「あ、そうだ。これ、飲む?」
奈々美がペットボトルを差し出す。
「スポーツドリンク。開けてないから安全よ」
「いえ、大丈夫です」
玲は断ろうとするが、奈々美が強く勧める。
「遠慮しないで。午後のリレー、頑張ってほしいから」
その優しい言葉に、玲は断りきれなくなる。
「じゃあ……ありがとうございます」
玲はペットボトルを受け取った。
「頑張ってね」
奈々美は微笑んで立ち去る。
玲は受け取ったペットボトルを見つめる。
「何か……変な感じ」
でも、封が開いていないことを確認して、玲は安心する。
「気にしすぎかな」
喉が渇いていた玲は、そのスポーツドリンクを飲み始めた。
しかし――玲は知らなかった。
奈々美が事前に細工をしていたことを。
ペットボトルの底から注射器で下剤を注入し、穴を接着剤で塞いでいたのだ。
「美味しい……」
玲は半分ほど飲んで、ペットボトルをしまった。
そして――午後の競技が始まる直前。
玲の腹部に、激しい痛みが走った。
「う……」
顔色が一気に悪くなる。
「玲ちゃん、どうしたの!?」
友人が心配そうに聞く。
「お腹が……」
玲は冷や汗をかきながら、トイレに駆け込んだ。
「大丈夫!?」
友人が追いかけるが、玲はトイレから出てこない。
「玲ちゃん!」
しばらくして、玲がトイレから出てきた。
その顔色は青白く、立っているのがやっとの様子。
「玲、大丈夫か!?」
元樹が駆け寄る。
「元樹……ごめん」
玲は申し訳なさそうに言う。
「お腹の調子が……悪くて」
「無理するな。保健室に行こう」
元樹が玲を支えようとするが、玲は首を振る。
「大丈夫……走れる」
「でも……」
「みんなに迷惑かけられない」
玲の必死な様子を見て、元樹は複雑な表情になる。
しかし――その様子を、観客席から奈々美が見ていた。
「計画通り……」
小さく呟きながら、満足そうに微笑む。
「これで、玲は走れない」
女子リレーの時間が来た。
玲はスタートラインに立つが、その顔色は最悪だった。
「玲ちゃん、本当に大丈夫!?」
チームメートが心配する。
「大丈夫……頑張る」
玲は無理に笑顔を作る。
スタートの合図が鳴る。
一走者が走り出す。
玲はアンカーとして、バトンを待つ。
しかし、腹痛は収まらない。
「耐えないと……」
冷や汗をかきながら、玲は構える。
三走者がバトンを持って近づいてくる。
玲は手を伸ばす。
バトンを受け取った瞬間――
玲の足が、もつれた。
「あっ!」
玲は転倒してしまう。
「玲ちゃん!」
周りから悲鳴が上がる。
元樹も観客席から飛び出す。
「玲!」
グラウンドに駆けつけると、玲は地面に倒れていた。
「玲、大丈夫か!?」
元樹が抱き起こすと、玲は涙を流していた。
「ごめん……ごめんなさい」
「謝るな。保健室に行こう」
元樹は玲を抱えて、保健室に向かった。
観客席からは、心配する声が聞こえる。
しかし――奈々美だけが、冷たく微笑んでいた。
「完璧……」
保健室で、玲は横になっていた。
養護教諭が診察する。
「食あたりかもしれませんね。今日、何か変なもの食べました?」
「いえ……」
玲は首を振る。
「朝も普通の朝食だったし……」
その時、玲は思い出す。
昼に、奈々美からもらったスポーツドリンク。
「まさか……」
玲の顔が青ざめる。
「どうしました?」
養護教諭が聞くが、玲は答えられない。
証拠がない。
ただの疑いに過ぎない。
「何でもありません……」
玲は目を閉じる。
涙が、頬を伝って流れ落ちた。
元樹は玲の手を握る。
「玲……」
「元樹、ごめんね」
玲が謝ると、元樹は首を振る。
「謝るな。玲は悪くない」
「でも……みんなに迷惑を」
「そんなこと、誰も思ってない」
元樹の優しい言葉に、玲はさらに涙を流す。
「ありがとう……」
しばらくして、玲は少し落ち着いた。
「元樹、リレーの時間だよ」
玲が言うと、元樹は戸惑う。
「でも、玲を一人にできない」
「大丈夫。先生がいてくれるから」
玲は無理に笑顔を作る。
「元樹の走る姿、見たいの」
その言葉に、元樹は決意する。
「わかった。玲のためにも、頑張ってくる」
「うん。応援してる」
元樹は玲の手を握りしめてから、グラウンドに向かった。
男子リレーの時間。
元樹はアンカーのポジションに立つ。
「元樹、大丈夫か?」
光明が心配そうに聞く。
「ああ……玲のためにも、頑張る」
その決意に、光明は頷く。
「よし、行くぞ!」
スタートの合図が鳴る。
一走者が走り出す。
観客席からは、大きな歓声が上がる。
しかし――奈々美の視線は、元樹だけに注がれていた。
「元樹くん……」
その瞳は、熱を帯びている。
「格好いい……」
奈々美の心臓が、激しく跳ね上がる。
「やっぱり、元樹くんは私のものにならないと」
バトンが次々と渡されていく。
そして――三走者が元樹にバトンを渡す。
「頼んだ!」
元樹はバトンを受け取り、全力で走り出す。
風を切る音。
観客の歓声。
全てが遠くに聞こえる。
元樹の頭には、玲の顔が浮かんでいた。
「玲のためにも……勝つ!」
ラストスパート。
元樹は全力で駆け抜ける。
そして――
ゴール!
「やった!」
チームメートたちが歓声を上げる。
元樹のチームが、一位でゴールした。
「元樹、すごい!」
光明が駆け寄ってくる。
「お前のラストスパート、最高だったぞ!」
元樹は息を切らしながら、保健室の方を見る。
「玲……見ててくれたかな」
保健室では、玲が窓から元樹の走る姿を見ていた。
「元樹……格好良かった」
涙を流しながら、玲は微笑む。
「優勝、おめでとう」
その時――保健室のドアが開いた。
奈々美が入ってくる。
「玲さん、大丈夫?」
優しい声をかける奈々美。
しかし、玲はその顔を見て、確信する。
「奈々美さん……」
玲の声が震える。
「あのスポーツドリンクに、何か入れたの?」
その指摘に、奈々美は一瞬表情を変える。
しかし、すぐに無邪気な笑顔に戻る。
「何を言ってるの?」
「私、あれを飲んでからお腹の調子が悪くなった」
玲は続ける。
「偶然じゃない。あなたが仕組んだんだ」
奈々美は静かに玲に近づく。
「証拠は?」
その冷たい声に、玲は身体が震える。
「証拠がないなら、ただの言いがかりよ」
奈々美の瞳が、冷たく光る。
「それに……たとえ本当だとしても、誰が信じるの?」
奈々美は玲の耳元で囁く。
「私は、元樹くんの昔からの友達。あなたは、ただの幼馴染」
その言葉に、玲は拳を握りしめる。
「元樹くんは……私のものなの」
奈々美の狂気的な宣言。
その瞬間、玲は理解した。
奈々美は、何も変わっていない。
表面的には穏やかに見えても、本質は同じ。
元樹への執着は、むしろ強くなっている。
「私は……負けない」
玲が睨みつけると、奈々美は笑う。
「ふふ、強がりね」
そう言って、奈々美は保健室を出て行った。
残された玲は、唇を噛みしめる。
「元樹を……守らないと」
その決意を新たにした。
運動会が終わり、閉会式が行われた。
元樹のクラスは総合優勝を果たし、みんなで喜びを分かち合う。
しかし、元樹の心は晴れなかった。
玲のことが心配で仕方がない。
「元樹、打ち上げ行くだろ?」
光明が誘うが、元樹は首を振る。
「悪い、玲のところに行きたいんだ」
「そっか。じゃあ、また明日な」
光明の理解に感謝して、元樹は保健室に向かった。
保健室に入ると、玲はベッドに横になっていた。
「玲、大丈夫か?」
元樹が声をかけると、玲は起き上がる。
「元樹……優勝おめでとう」
「ありがとう」
元樹は玲の隣に座る。
「もう、身体は大丈夫なのか?」
「うん……だいぶ良くなった」
玲は元樹を見つめる。
「元樹の走る姿、見てたよ。すごく格好良かった」
「玲が見ててくれたから、頑張れた」
二人は微笑み合う。
「元樹……」
玲が何か言いかけた時、養護教諭が入ってきた。
「上野さん、もう帰っても大丈夫ですよ」
「ありがとうございました」
玲は立ち上がり、元樹と一緒に保健室を出た。
帰り道、玲は元樹に打ち明けようか迷っていた。
奈々美のこと。
スポーツドリンクのこと。
保健室での会話のこと。
でも、証拠がない。
元樹を困らせるだけかもしれない。
「玲、何か言いたそうだな」
元樹が聞くと、玲は迷った末に口を開く。
「実は……」
玲は勇気を出して、全てを話した。
奈々美からもらったスポーツドリンクのこと。
その後の腹痛のこと。
そして、保健室での奈々美の言葉。
元樹は黙って聞いていた。
話し終わった後、玲は不安そうに元樹を見る。
「信じて……くれる?」
その問いに、元樹は即座に答える。
「ああ、信じる」
元樹は玲の手を握る。
「玲が嘘をつくはずがない」
その言葉に、玲の目に涙が浮かぶ。
「ありがとう……」
「でも、奈々美がそんなことを……」
元樹の表情が曇る。
「俺、奈々美と話してくる」
「元樹……」
「玲を傷つけることは、許せない」
元樹の真剣な表情に、玲は胸が熱くなる。
「気をつけてね」
「ああ」
二人は駅で別れた。
元樹は決意を固めながら、家に向かった。
「奈々美……一体、何を考えてるんだ」
その夜、元樹は奈々美にメッセージを送った。
『奈々美、話がある。明日、会えないか?』
すぐに返信が来る。
『いいよ。何の話?』
『直接会って話したい』
『わかった。明日の放課後、駅前で』
『わかった』
メッセージを閉じた後、元樹は深く息を吐いた。
「明日……ちゃんと話し合わないと」
その決意を胸に、元樹はベッドに横になった。
しかし、なかなか眠れない。
奈々美のこと、玲のこと、全てが頭の中でぐるぐると回る。
「どうすればいいんだ……」
窓の外を見ると、月が明るく輝いていた。
「明日……全てが変わるかもしれない」
その予感と共に、元樹は眠りについた。
同じ頃、奈々美も一人で考えていた。
「元樹くんから、話があるって……」
鏡の前で髪を整えながら、奈々美は微笑む。
「もしかして、告白かな」
希望的観測に、心が躍る。
「玲と別れて、私を選んでくれる」
でも、すぐに現実に引き戻される。
「いや……違うかも」
奈々美の表情が曇る。
「もしかして、今日のことがバレた?」
不安が込み上げる。
「でも、証拠はないはず」
奈々美は自分に言い聞かせる。
「大丈夫。私は完璧に計画した」
鏡に映る自分の顔を見つめながら、奈々美は決意を固める。
「明日……元樹くんを説得する」
その決意と共に、奈々美の暴走はさらにエスカレートしていく。
――玲と元樹くん、幸せそうね。
でも、私もちゃんと“努力”しなくちゃ。
だって、恋ってそういうものでしょ?
ーー奈々美ーー




