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奈々美さんの裏の顔  作者: 暁の裏


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2/21

第2話 「教室の視線」

翌朝。


「……ん……」


重いまぶたを無理やり持ち上げる。視界にまず飛び込んでくるのは、古い木造の天井。

節目の浮き上がった板の模様は、子供のころから何度も見てきたはずなのに、今朝はやけに不気味に思えた。


カーテンの隙間から、白々しい朝の光が差し込んでいる。

目を細めると、視界の奥でぼんやりと影が揺れた気がして、胸がざわついた。


(……夢か……?)


ゆっくり上体を起こし、乱れた布団を払いのける。

眠ったはずなのに、体は重く、鉛を抱えたように動かない。

昨夜、なかなか寝付けなかったせいだ。


原因は分かっている。


「……ずっと一緒に帰れるといいな」


夕暮れの帰り道で奈々美さんが口にした、あの言葉。

耳元で囁かれたように、頭の奥で繰り返し反響し続けていた。


その声は優しいようでいて、冷たい。

甘やかすようでいて、縛りつけるようでもある。


枕元の時計を見ると、針はすでに七時を回っている。

ため息をひとつ落として立ち上がり、洗面所へ向かう。


鏡に映る顔は、どこか疲れ切っていた。

目の下にはうっすらと影――クマが浮かんでいる。


「……なんで、俺……」


水道の蛇口をひねり、冷たい水で顔を洗う。

何度も繰り返しても、頭にこびりついたざわめきは落ちてくれない。


◇ ◇ ◇


制服に着替えて家を出ると、まだ朝の空気はひんやりとしていた。

黒峠町の通学路は、古い商店や古民家が点々と並び、細い石畳の道を抜けていく。

ここでの暮らしは長い。子供のころから、ほとんど景色は変わっていない。


けれど今朝は、どこか異質に見えた。


(……昨日のことが、頭に残ってるせいだろ……)


肩にかけた鞄を持ち直しながら歩いていると、不意に首筋をなぞる感覚が走った。

風のせいではない。

確かに――“視線”だ。


反射的に振り返る。


だが、そこには誰もいない。

ただ、まだ開いていない商店のシャッターと、規則正しく並ぶ民家の窓だけがある。

人影も、猫の姿さえもない。


(気のせい……か?)


そう思い込もうとした矢先。


「おはよう」


耳元に近いほどの距離から、声が落ちた。

胸の奥が跳ね、足が止まる。


振り返ると、そこには奈々美さんが立っていた。


制服の襟元はきちんと整い、黒髪は朝日に淡く光っている。

普通の女子高生らしい姿なのに彼女は笑わず、ただ無表情でこちらを見つめていた。


「……柊?」

「一緒に行こうと思って」


穏やかな口調。

でも、それは友達を誘う自然な響きではなく、どこか既に“決定されている事実”を告げるような重さを帯びていた。


「いや、たまたま同じ道だっただけだろ?」

俺は努めて軽く返す。だが、声は微かに震えていた。


奈々美さんは、小さく首を横に振った。


「……偶然じゃないよ」


一瞬、空気が固まった気がした。

その言葉が意味するものを問いただそうとしたが、彼女はすでに歩き出していた。


並んで歩く足音が、石畳に規則正しく響く。

俺の歩幅に合わせるように、ぴたりと寄り添ってくる。


ほんの数十センチの距離。

けれど、その近さが不思議と息苦しかった。


(……本当に偶然じゃないのか?)


胸の奥で、昨日から疼いている“記憶の断片”が、また疼き始める。


――夕暮れの坂道。

――誰かに手を握られ、振りほどこうとしても離れない。

――「置いていかないで」と泣きながら繰り返す声。


足が止まりかける。

けれど、隣を歩く奈々美さんは気づかないふりをして、淡々と歩みを進めていた。


まるで、最初から「一緒に登校すること」が決められていたかのように--。




教室の前まで来ると、奈々美さんは一瞬だけ足を止めた。

隣に立っているはずなのに、彼女の存在はやけに濃く、まるで背中に影が貼りついているようだった。


俺が引き戸に手をかけると、彼女も同じ動作をしそうになって――けれど寸前で止まり、静かに俺の後ろへ下がった。

小さな気配の変化なのに、なぜか妙に心臓が早鐘を打つ。


「……入るね」

誰に言うでもなくそう呟いて、俺は戸を開いた。


ギィ、と乾いた音が廊下に響く。

朝の教室は、すでに何人かの生徒でざわついていた。

椅子を引く音、談笑する声、ペンを走らせる音――それらがごちゃ混ぜになった空気に、奈々美さんと並んで入っていく。


その瞬間、空気がわずかに張り詰めた気がした。

視線がちらりとこちらへ流れる。

「転校生と一緒に来た」という事実が、ほんの数秒でクラス全体に伝わってしまったかのように。


俺は努めて何も気にしないふりをして、自分の席へ向かう。

すると、背後から静かな足音。

奈々美さんはためらうことなく、自分の机の前まで来て――ぴたりと足を止めた。


「……それじゃあまたね」


短くそう言った。

声は小さいが、明確に俺に向けられたものだった。

俺を見ているわけでもないのに、妙に印象だけが濃い。


そして彼女は軽く会釈すると、静かに椅子を引いて座った。

無表情の横顔。そこには感情の色が一切浮かんでいない。

ただその仕草だけが、不可解な余韻を残した。


◇ ◇ ◇


俺が席に腰を下ろしたとき、すぐ隣から柔らかい声がした。


「おはよ、元樹」


顔を上げると、玲がこちらを覗き込んでいた。

部活の朝練を終えてきたのか、髪が少し乱れていて、額にうっすら汗が光っている。

その姿は健康的で、奈々美さんの静けさとは対照的だった。


「……お前、もう来てたのか」

「うん、朝練終わったから先に戻ってきてたんだよ」

玲は軽く肩をすくめて笑うと、少し身を乗り出してきた。


「ねえ、さっきの子と一緒に来てたでしょ? 柊さんだよね?」


俺は一瞬言葉に詰まったが、すぐに取り繕う。

「……たまたま道が同じだっただけ」


「ふぅん?」

玲は首をかしげる。けれど、その表情はどこか楽しげで、からかうような色を含んでいた。

「偶然にしては、息ぴったりに見えたけどなぁ。だってほら、二人して同じタイミングで教室入ってきたじゃん」


「だから違うって」

思わず声が少し強くなる。


玲はくすっと笑って、椅子の背にもたれた。

「……そっか。元樹がそう言うならそうなんだろうけどね」

彼女は頬杖をつきながら、目だけを細める。

幼馴染だからこそ分かる――その目はまだ納得していない。


「でもさ……あの子、なんか雰囲気ちょっと違わない?」

玲は小声で言った。

「悪い意味じゃなくてね。ただ……普通の転校生って感じじゃなくて……なんか、暗いっていうか。目がすごく印象的でさ」


胸がちくりと反応する。

昨日から続く、説明できないざわめき。

それを玲に指摘された気がして、心臓が微妙に跳ねた。


「……普通、だと思うけどな」

乾いた声で返すと、玲は「そっか」とだけ言って、それ以上は追及しなかった。

ただ、机に肘をつきながら俺をじっと見ていた。


◇ ◇ ◇


そのやり取りの最中。


――視線を感じた。


ゆっくり振り返ると、隣の席の奈々美さんが、静かにこちらを見ていた。

感情の読めない黒い瞳。

無表情なのに、その視線は妙に鋭く、突き刺さるようだった。


俺と玲の間に流れた会話を、すべて聞いていたかのように。

観察し、測り、記録しているかのように。


玲は気づいたのか、少し居心地悪そうに視線を逸らした。

その仕草が、余計に空気を重くした。


俺は息を詰めながら、机の上に視線を落とした。

手のひらが汗ばみ、心臓の音だけが耳の奥で響いていた。


奈々美さんは――やはり、ただの転校生ではない。

そう思わされるには、十分すぎるほどの一瞬だった。



キーンコーンカーンコーン――。


乾いたチャイムの音が、教室全体を揺らした。

その瞬間、ざわついていた声が波のように引いていく。


前の扉が開き、佐々木先生が教科書を小脇に抱えて入ってくる。

「はい、席につけー。今日はここからな」

黒板にチョークが走る音が、やけに乾いて耳に響いた。


俺は教科書を机に出しながら、ちらりと隣に目をやった。

奈々美さんはすでにきちんと教科書を開き、姿勢を正して座っている。

その横顔は真剣そのもの。

――普通の生徒と、なんら変わらない。


けれど。


ふと、視線がぶつかった。


彼女の瞳が、わずかにこちらへ向いていた。

ほんの一瞬だけかと思ったが、違う。

黒板に目を戻しているようで――視線の先は確かに俺だ。


(……気のせいだろ。黒板と俺の席がたまたま重なってるだけ)


自分にそう言い聞かせる。

だがページをめくるたび、ノートに文字を書こうとするたびに、視線がついてくる感覚があった。


授業の声は耳に入っている。

だが、頭に残らない。

ただ、隣から突き刺さるような気配だけが、脳裏を占めていく。


ペンを握る手にじわじわと汗が滲む。

ページにインクの跡が歪んだ。


◇ ◇ ◇


「渡部。……渡部!」


不意に名前を呼ばれ、心臓が跳ねた。

「えっ、あ、はい!」

立ち上がると、教室中の視線が一斉にこちらに向かう。


担任が眉をひそめた。

「……板書の途中でぼんやりするな。ここ、読んでみろ」


「……はい」

教科書を開き、なんとか声を出す。

つっかえながらも読み進める間、隣の奈々美さんがどうしているのか気になって仕方がなかった。


ちらりと横目をやる。


彼女は教科書に目を落としていた。

――けれど、口元にかすかな笑みが浮かんでいるように見えた。


それが何を意味するのかは分からない。

ただ、不思議な寒気だけが背中を這い上がってきた。


◇ ◇ ◇


読み終わって席に座る。

担任は黒板に再び文字を書き始め、教室に緊張が薄れていく。


けれど俺の耳には、まだ自分の鼓動だけが大きく響いていた。


(……やっぱり気のせい、なのか? それとも……)


視線を落としたノートの文字は、震えて読めないほど歪んでいた。




読んでくださり、ありがとうございます。


今回は教室での視線や静かな緊張を中心に描きました。

奈々美さんの不穏さ、玲の優しさ……二人の対比を楽しんでいただけたら嬉しいです。


物語はまだ始まったばかり。

次回も元樹の不安と、奈々美さんの裏の顔にご注目ください。

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