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第五話

 まだ少年だった頃のアルフレッドは、己の中に眠る異能に怯えていた。

 剣を握れば常人の倍以上の速さで振るえ、怒りや恐怖を覚えると周囲に雷光が走る。

 人々は彼を忌み嫌い、「魔に触れた子」と呼んだ。

 居場所を失いかけた少年を拾ったのが――導師ゼムである。


 白髭をたくわえ、飄々とした老導師は、アルフレッドを見て笑った。

「ふむ、才能を恐れる必要はない。恐れるべきは、自分を制御できぬ弱さだ」



 ゼムは辺境の山に庵を構え、そこでアルフレッドに剣と魔法を教え込んだ。

「力は剣に宿すな。心に宿せ。剣はその意志を形にする器にすぎん」

 その言葉のもと、アルフレッドは何度も大地に叩き伏せられ、雷撃に焼かれ、己の未熟を知った。


 時にゼムは厳しく、時に穏やかだった。

 疲れ果てて倒れ込むアルフレッドに、老導師は薬草茶を差し出しながら語る。

「お前の力は異端ではない。この世界の歪みに抗う剣だ。ならば、その剣をどこに向けるかを見極めろ」



 数年にわたる修行の末、アルフレッドは己の力を制御し、剣と魔法を自在に扱えるようになった。

 だがゼムはある日、旅の途中で病に倒れ、最期の床で弟子に告げた。

「お前は私を超えてゆけ。己の天命を探すのだ」


 老導師は静かに瞼を閉じ、その魂は風のように消えていった。

 アルフレッドは墓前に誓った。

 ――己の剣と魔法で、闇を斬り、この世界を歩むと。



 港の余波に揺れる夜明けの道を進みながら、アルフレッドはふと老導師の声を思い出す。

「恐れるな。剣は心の器だ」


 彼は懐の黒い石を握りしめた。

 ゼムが生きていれば、この戦いをどう見ただろうか――そう思いながら、次なる戦いへと歩を進める。



 アルフレッドは港を後にし、北方の街道を進んでいた。

 古地図に記された修道院は、かつて神への祈りの場として人々に尊ばれていたという。

 だが百年ほど前に疫病で修道士たちが絶え、今では荒れ果てた廃墟と化している。


 道は長く続くが、旅人の姿はなく、風が石畳を吹き抜けるばかり。

 時折、道端には苔むした十字碑が立ち、そこに刻まれた祈りの文言は風雨に削られて判読できなくなっていた。



 途中、立ち寄った小さな村でアルフレッドは耳を傾けた。

「修道院? あそこは行っちゃいけねぇ……夜になると鐘が鳴るんだよ。誰もいないはずなのに、空気を切り裂くような音がな」

「鐘の音を聞いた者は戻らねぇ。魂を呼ばれるんだとよ」


 村人の言葉は迷信めいていたが、アルフレッドの直感はそれをただの噂と片づけられなかった。

(……セイセス=セイセス。奴らが鐘を使うとすれば、それは儀式の導きだ)



 修道院は山岳地帯の奥にある。

 北へ向かうにつれて霧が濃くなり、昼でも光が届かない。

 松明を掲げても数歩先しか見えず、風が吹くたびに鐘の残響のような低い音が耳に響いた。


 アルフレッドは黒い石を取り出した。

 石は紫光を脈動させ、霧の奥――修道院跡の方向をはっきりと示していた。



 やがて街道脇に、朽ちた修道士の僧衣をまとった骸が横たわっているのを見つけた。

 その骨には縫い合わされた痕跡があり、ヴェリアスのものと同じ紋様が刻まれていた。

 だがそれは動くことなく、ただ「見張りの証」として残されているかのようだった。


(ヴェリアスの手がここにも及んでいるのか……いや、別の幹部の痕跡か)


 冷たい風にマントを翻し、アルフレッドは歩みを速めた。

 霧の向こうに、崩れかけた尖塔の影がうっすらと浮かび上がる。

 それが――北方の修道院跡地だった。



 霧の帳を抜けると、崩れかけた修道院の全貌が現れた。

 尖塔は折れ、石壁は苔と蔦に覆われ、窓のステンドグラスは砕け散っている。

 かつて祈りの声が響いたであろう中庭には、瓦礫と枯れ枝が積もり、異様な静寂が支配していた。


 アルフレッドは足を止め、魔剣の柄に手をかける。

(……ただの廃墟ではない。瘴気の気配が漂っている)



 正面の大扉は崩落しており、その隙間から中へ入ることができた。

 だが扉の傍らに、祈りの姿勢のまま朽ち果てた修道士の骸があった。

 その頭蓋には縫合の痕があり、眼窩には紫の鉱石が埋め込まれている。

 近づいた瞬間、骸骨ががたがたと震え、首がゆっくりと持ち上がった。


「……まだ動くか」

 アルフレッドは一閃し、蒼光の刃で骸を焼き払った。

 灰となった残骸は、修道院内部への警告のように風に舞い散っていく。



 内部に足を踏み入れると、冷気が肌を刺した。

 崩れた礼拝堂の奥には、倒れかけた鐘楼がそびえ立っている。

 そこから微かに、風に混じるような低い鐘の音が響いてきた。

 ――誰も鳴らしていないはずの鐘。


 その音を聞いた瞬間、アルフレッドの黒い石が脈動を始めた。

 紫光が指し示す先は、鐘楼の奥――修道院の最深部。


(やはり、幹部の気配……この廃墟を工房にしているのか)



 視線を巡らせると、礼拝堂の壁に古い壁画が残っていた。

 それは天使と悪魔の戦いを描いたものだが、顔の部分が塗り潰され、紫の紋様が重ねられていた。

(……セイセス=セイセスの印)


 アルフレッドは深く息を吐き、剣を抜いた。

「導師ゼム……俺はここでも、闇を斬らねばならない」


 冷たい鐘の残響が、彼を修道院の奥へと誘っていった。



 崩れた扉を抜けて礼拝堂に足を踏み入れると、空気は異様に重く淀んでいた。

 かつて信仰の場だったはずの空間は、いまや冒涜の儀式の舞台に変えられている。

 壁には修道士たちの遺骨が釘打ちされ、頭蓋には縫い目が走り、眼窩には紫の鉱石が埋め込まれていた。

 彼らは祈りを捧げる姿勢のまま磔にされ、口からは乾いた呻き声が漏れ続けていた。


 アルフレッドは眉をひそめ、魔剣の柄を強く握り込む。

(これが……信仰を喰らうやり口か)



 礼拝堂の床には円形の魔方陣が刻まれていた。

 その中心部には鐘の残骸が置かれている。

 ひび割れた金属の表面には無数の手形が浮かび上がり、触れた者の魂を吸い取ったかのように黒ずんでいた。


 アルフレッドが踏み込むと、魔方陣がわずかに光り、床石がずれて階段が現れる。

 冷たい風が地下から吹き上がり、血と腐臭と瘴気が入り混じった臭気が鼻を刺した。



 地下へと降りると、回廊の壁一面に「祈り」の文が刻まれていた。

 だがその文は途中から歪められ、祈りの言葉は呪詛へと変わっていた。


〈光は虚ろなり。救済は偽り。闇こそ真実、縫合こそ永遠〉


 壁の隙間からは腕のような影が伸び、アルフレッドに触れようと蠢いた。

 松明の火に照らされるたび、それは消えるが、耳元には誰かの囁き声がまとわりついて離れない。


「来い……来い……我らは繋がる……」



 やがて回廊は広間へと繋がっていた。

 床には縫合痕だらけの死体が幾重にも積み上げられ、腐敗もせずにただ「眠っている」。

 その中心にある石壇からは、鐘の残響に似た低い脈動音が響いていた。


 黒い石を取り出すと、脈動が共鳴し、これまでにないほど強く震えた。

 (……いる。ここにも幹部が潜んでいる)


 冷たい汗が背を伝う。

 アルフレッドは魔剣を抜き、広間の闇を睨み据えた。



 広間を覆う瘴気は濃く、松明の火さえ掻き消すように揺らめいていた。

 積み上がった死体の山が、不意にざわりと蠢き、まるでひとつの生き物のように震えた。

 その中央、石壇の上に――影が立ち上がった。


 低い鐘の残響が轟き、空間そのものが軋む。

 アルフレッドは魔剣を構え、声を発した。

「……出てこい。闇の幹部」



 瘴気が裂け、現れたのは異様な姿の修道士だった。

 顔は白い仮面で覆われ、胸から下は幾重にも縫い合わされた僧衣に包まれている。

 その背後には鐘楼の残骸が浮かび、鎖で繋がれた魂のようなものが幾つも吊り下がっていた。


 幹部はゆっくりと両腕を広げ、鐘の響きに似た声で語り出す。

「私はカリグ=レアン。祈りを縫い直す者。……人の祈りは弱すぎる。だが縫い合わせれば、永遠に届くのだ」



 アルフレッドの黒い石が激しく脈打ち、紫光を放つ。

 幹部カリグ=レアンはその光を見て、嘲るように笑った。

「ほう……石を持つか。ならばお前も選ばれし素材だ」


 死体の山から縫合の糸が走り、骸骨たちが一斉に立ち上がる。

 眼窩から紫光が灯り、口々に祈りの言葉を逆さに唱え始めた。

「光ハ偽リ……救済ハ無シ……闇ニ縫ワレヨ……」


 アルフレッドは蒼光の魔剣を握り直し、低く言葉を吐き出した。

「……導師ゼム。俺は今こそ、この剣で答える」


 修道院跡の闇を裂き、次なる戦いが幕を開けようとしていた。



 死者の山を背に立つ幹部カリグ=レアンは、鐘の残響に似た声で静かに語り出した。

「祈りは脆い。人は死を前にすれば神を呼ぶが、その声は必ず途絶える。だからこそ――私はそれを縫い直す」


 アルフレッドは剣を構えたまま、冷たい声で返す。

「死を縫う? それは救いではなく、冒涜だ。魂を鎖に繋ぎ、祈りを歪める……それを永遠と呼ぶのか」


 幹部の仮面が僅かに傾き、哀れむような仕草を見せた。

「冒涜? いや、それはお前の弱さだ。死者を土に返すことに、何の意味がある。

 忘れられ、朽ち、やがて無に消える……それが救いか? 私は彼らを忘却から救ったのだ」



 アルフレッドの脳裏に、かつての導師ゼムの声がよみがえる。

「死は終わりではない。魂は大地に還り、また次の命を育む。それを歪めるな」


 深く息を吐き、アルフレッドは剣先をカリグ=レアンに向ける。

「俺の師は言った。死は無意味じゃない。お前のしていることは救済ではなく、終わりの拒絶だ。それはただの恐怖から生まれた執着にすぎない」



 幹部の背後の鐘が鳴り響き、紫光が広間を満たす。

 吊り下がる鎖に繋がれた魂が悲鳴を上げ、無数の声が重なって祈りを逆さに唱え始める。

「光ハ虚ロナリ……救済ハ無シ……闇ニ縫ワレヨ……」


 カリグ=レアンはゆっくりと両手を広げ、仮面の下から声を響かせた。

「ならば示せ。お前の剣が、我が永遠の祈りを断ち切れるのかを――!」


 紫光が爆ぜ、死者たちが一斉に立ち上がる。

 修道院の闇が、ついに戦場へと変貌した。



 カリグ=レアンが両腕を掲げると、背後の崩れかけた鐘楼が轟音を放った。

 鳴り響いた鐘の音はただの金属音ではなく、魂を揺さぶる呪詛の振動だった。

 アルフレッドの鼓膜に鋭い痛みが走り、胸の奥まで震えが伝わる。

 周囲に積まれていた死体の山が一斉に震え、縫い糸に引かれるように立ち上がった。


 彼らは祈りの言葉を逆さに唱えながら、骸骨と肉のままアルフレッドへと群がる。

「……鐘の兵団か」

 アルフレッドは低く呟き、蒼光を纏わせた魔剣を構えた。



 死者たちは槍を構え、盾を掲げ、かつて修道士だった頃の形を歪に再現していた。

 だがその瞳は紫光に染まり、命ではなく鐘の響きに操られている。

「永遠の祈りに加われ……」

 無数の声が合唱のように重なり、倉庫の天井を震わせた。


 アルフレッドは即座に前へ踏み込み、疾風のごとき動きで群れを斬り裂いた。

 蒼光の剣閃が走り、十体の兵が一度に崩れ落ちる。

 だが鐘が再び鳴ると、倒れた兵たちは縫糸で繋ぎ直され、なおも立ち上がってきた。



「斬っても蘇るか……ならば!」

 アルフレッドは剣を地に突き立て、呪文を唱えた。

「雷嵐陣――!」


 床一面に雷光が走り、群がる死者たちを一斉に焼き焦がす。

 焦げた肉片が飛び散り、骸骨が砕け、紫光が悲鳴を上げながら消えていった。


 しかし、鐘の音はなおも鳴り止まず、死者たちは無限のごとく蘇り続ける。

 カリグ=レアンは仮面の奥で声を響かせた。

「お前の剣は終わらぬ祈りを断てぬ。私の軍勢は、永遠だ」



 その言葉とともに、鐘楼からひときわ巨大な影が現れた。

 修道院の大司教だったであろう骸が、全身を鎖で縫われ、鐘そのものを背負った異形となって歩み出したのだ。

 鐘が鳴るたび、周囲の死者たちはさらに狂気を増し、攻撃の手を緩めない。


 アルフレッドは深く息を吐き、魔剣を握り直した。

「……終わらぬ祈りだと? なら、その鐘ごと斬り伏せる!」


 蒼光と鐘の咆哮がぶつかり合い、修道院跡の闇を切り裂く戦いが始まった。



 広間の奥から姿を現したそれは、かつて修道院を束ねていた大司教の骸であった。

 だが今やその威厳は失われ、背には鎖で縫い付けられた巨大な鐘が覆いかぶさるように載せられている。

 鐘は鳴るたびに血のような音を響かせ、魂を震わせる。

 大司教の顔は縫合されて歪み、口からは呪文のような呻きが途切れなく洩れていた。



「来い、鐘の守護者よ! その祈りを響かせろ!」

 カリグ=レアンの命令と同時に、大司教の異形は鐘を鳴らした。

 地を震わせる衝撃音が広間全体を打ち、壁に磔にされた修道士たちの骸が一斉に叫び声を上げる。

 その音に呼応して、足元の死者が蘇り、アルフレッドの進路を塞いだ。


 アルフレッドは疾走し、蒼光の剣で死者を斬り伏せる。

 しかし鐘が再び鳴るたび、倒れた死体が蘇り続ける。

「……終わりなき再生。鐘そのものを断たねばならんか」



 大司教の異形は巨腕を振り上げ、鐘を振り下ろした。

 その一撃は地震のような衝撃を生み、石床が砕け散る。

 アルフレッドは雷光の速さで飛び退き、壁を蹴って宙を舞うと、鐘を背負う鎖を狙った。


「断雷剣――裂閃!」

 蒼光の斬撃が鎖を切り裂き、火花が散った。

 しかし鐘はなおも背に食い込み、大司教の体と一体化している。



 鐘が三度鳴り響いた。

 その瞬間、アルフレッドの視界が歪み、心臓を握り潰されるような圧迫感が襲う。

 見上げると、大司教の裂けた口から無数の顔が覗き、哀れみと憎悪の声を同時に発していた。

「救エ……救ワレ……滅ビヨ……」

 声の渦が精神を蝕み、剣を握る手が震える。


(……ここで怯めば、俺も縫われる!)


 アルフレッドは導師ゼムの言葉を思い出し、己の心を固めた。

 蒼光を瞳に宿し、幻影を焼き払いながら叫ぶ。

「闇に縫われることはない――俺の剣は、心の器だ!」



 魔剣が雷鳴を宿し、広間を白光で満たした。

 鐘と大司教の肉体をまとめて断ち切るため、アルフレッドは突進する。

「次は……本命だ!」


 鐘と死者の祈りがぶつかり合い、修道院跡の闇はさらなる混沌へと呑み込まれていった。



 大司教の異形が背負う鐘は、まるで生き物のように震え、紫光を脈打っていた。

 鳴り響くたびに魂を裂く衝撃が奔り、立ち上がった死者たちがさらに狂気を増す。

 鐘はただの道具ではなく――この軍勢全てを縫い合わせる心臓部。


「ここを斬らねば……終わらん!」

 アルフレッドは自らに言い聞かせ、魔剣を振りかぶった。



 大司教の巨腕が横薙ぎに振るわれ、鐘を背負った巨体が突進してくる。

 石壁が砕け、回廊が揺れた。

 アルフレッドは一瞬目を閉じ、導師ゼムの声を思い出す。

「剣は心の器だ。己の恐れを斬り払え」


 目を開いた瞬間、蒼光が爆ぜた。

 雷のごとき加速で巨腕の下をすり抜け、鐘を背負う背中へと迫る。



「断雷剣――轟閃!!」


 魔剣が雷鳴と共に振り下ろされ、鐘を縛る鎖を一気に切り裂いた。

 火花と瘴気が噴き出し、鐘が傾く。

 大司教の異形が咆哮し、無数の顔が一斉に絶叫を上げた。


 鐘が地へと落下する瞬間、アルフレッドは再び跳躍し、全魔力を剣に込めた。


「終われえええっ!」


 稲妻のごとき斬撃が鐘そのものを叩き割った。



 割れた鐘は紫光を撒き散らし、悲鳴のような残響を響かせながら粉々に砕け散った。

 同時に大司教の異形は崩れ落ち、縫い合わされた肉体が解けて無数の骸骨となり地に散った。

 死者の軍勢も糸の切れた人形のように倒れ込み、広間は一気に静寂を取り戻す。


 残響だけが長く耳に残り、やがてそれすら消えた。



 だが奥から聞こえてきたのは、カリグ=レアンの声だった。

「ほう……鐘を斬り落としたか。実に見事だ。だが――祈りはひとつではない」


 瘴気が再び広間を覆い、幹部がゆっくりと歩み出る。

 仮面の奥で笑みを浮かべ、両手を広げた。

「さあ、ここからが真の説法だ」


 アルフレッドは魔剣を構え直し、血のように重い空気を吸い込んだ。

「……上等だ。闇の祈りごと、斬り伏せてやる」



 鐘を砕かれても、カリグ=レアンは揺るがなかった。

「鐘はひとつにすぎぬ。だが私こそが祈りそのものだ。滅びるのは貴様だ、剣士よ」

 仮面の奥から響く声は、同時に数十人が唱和しているような重層的な響きを持っていた。

 その言葉に呼応するように、広間の壁に埋め込まれていた修道士たちの骸が一斉に呻き声を上げ、紫光の縫糸を吐き出した。


 縫糸は蛇のように伸び、床や柱を這いながらアルフレッドを絡め取ろうとする。



「くっ……!」

 アルフレッドは蒼光の魔剣を振るい、迫る糸を斬り払う。

 だが切った端から再生し、今度は鎖のように重厚な形へと変質していく。

 その鎖が空間を縫い合わせ、逃げ場を塞いでいく。


 カリグ=レアンは仮面越しに嗤った。

「世界は綻びに満ちている。私はそれを縫う。お前の魂もまた、その綻びを埋める糸の一部となろう」



「俺の魂は縫われはしない!」

 アルフレッドは霊視術・破幻眼を発動。

 縫糸の流れが紫光の筋となって視界に浮かび上がる。

 その中心――カリグ=レアンの胸部に脈打つ黒紫の結晶核。


(……やはり、奴の力も核に依存している!)


 アルフレッドは床を蹴り、疾風のごとく迫る。

「断雷剣――閃光!」

 蒼光の斬撃が仮面を掠め、火花と血飛沫を散らす。



 カリグ=レアンの仮面が割れ、その下から現れたのは――縫い合わされた無数の修道士の顔だった。

 目も口も縫い重ねられ、呻きと祈りが同時に漏れ出す。

「我は一人ではない。百の祈りを縫い合わせた存在だ。お前ごときに斬れるはずがない!」


 その顔の群れが一斉に叫ぶと、広間全体が震え、崩れかけた柱から瘴気が噴き出した。

 アルフレッドの足元さえも縫糸が這い寄り、逃げ場を消そうとする。



 アルフレッドは深く息を吐き、魔剣を握り直した。

「……導師ゼム。今こそ、心を器に」


 蒼光が刃に宿り、紫光の瘴気を切り裂く閃光となる。

 闇と光、縫合と断絶――相反する力が修道院跡で激突しようとしていた。



 カリグ=レアンが腕を広げると、縫糸が広間全体に走った。

 割れた床石は縫い付けられて閉じ、崩れた壁が再び繋ぎ直されて立ち上がる。

 まるで修道院そのものが「生きた肉体」となり、幹部の支配下に置かれていた。


「世界は綻びに満ちている……私はそれを縫う。永遠に!」

 仮面の奥から幾百もの声が重なり、鐘の残響のように空間を震わせた。



 無数の糸がアルフレッドの四肢を狙い、蛇のように絡みつこうとする。

 超常の反射で剣を閃かせ、何本も切り払う。

 だが切った端から再生し、今度は鋼鉄のように硬化して襲いかかる。

「斬っても無駄だ。糸は終わらぬ祈り……」


 縫糸の束が一斉に襲い、アルフレッドを包囲した。



「ならば――断ち切るまで!」

 アルフレッドは魔力を練り、蒼光を全身に纏う。

 剣が雷鳴を吐き、光が縫糸を焼き裂いた。

「断雷剣――嵐閃!」


 雷撃が嵐のように広がり、糸を焼き尽くす。

 だが焼けた糸はすぐさま再生し、今度はより太く、より深く結晶核から力を吸い上げていた。



 カリグ=レアンは胸の結晶核に手を添えた。

「見よ、これこそ我が祈りの核。百の魂を縫い合わせた結晶だ。斬れるものなら斬ってみせよ!」


 核が紫光を迸らせ、広間に鎖の雨が降り注ぐ。

 壁に縫い付けられた修道士の骸たちが一斉に叫び、瘴気の波動がアルフレッドに襲いかかる。

 足元が縫われ、空間さえも閉じ込められていく。



(……このままでは押し潰される!)

 アルフレッドは必死に剣を振るうが、縫糸は次々と絡みつき、肩や脚を縛りつけていく。

 結晶核の脈動が鼓動のように響き、頭蓋を内側から叩き割るかのような痛みが広がった。


 カリグ=レアンは仮面の奥から勝ち誇った笑みを滲ませる。

「抗え、抗え! そのもがきさえ、祈りとして縫い付けてやろう!」


 紫光に呑まれそうになりながらも、アルフレッドはなお剣を握り続けた。

「俺は……縫われはしない!」



 縫糸が四肢を絡め取り、結晶核の鼓動が脳髄を打ち破るように響く。

 視界は紫に染まり、肺は瘴気で焼かれる。

 剣を握る手さえ、力が抜けていく。


 カリグ=レアンの声が空間を満たした。

「終われ。お前の意志も魂も、縫い合わせて我が祈りとせよ!」


 その時――脳裏に、懐かしい声が蘇った。



 導師ゼム。

 白髭の老導師が、焚火の前で穏やかに語っていた光景が甦る。


「力は剣に宿るものではない。剣は心を映す鏡にすぎん。恐怖を斬れ。迷いを斬れ。お前の心が澄み渡れば、雷は必ず応える」


 アルフレッドは血の味を噛みしめながら、胸の奥でその言葉を繰り返した。


(恐怖を……斬れ。迷いを……斬れ!)


 心臓が灼けるように熱を帯び、紫の鎖が締め付ける中で、蒼光が逆流するように全身を駆け抜けた。

 瘴気を裂き、縫糸を焼く雷鳴が体内から迸る。


「俺の魂は、俺自身のものだ!」


 縛めが一斉に爆ぜ、紫光と蒼光が広間で激突する。

 アルフレッドの瞳は稲妻のごとく輝き、魔剣はこれまでにない力を宿していた。



 雷鳴をまとった剣を両手で握り、アルフレッドはゆっくりと立ち上がった。

 足元に縫い付けられていた床石すら砕け散り、彼の周囲に光の奔流が走る。


「ゼム師よ……俺は恐れを斬る。これが俺の剣だ!」


 カリグ=レアンは初めて声を震わせた。

「馬鹿な……その光は……!」


 蒼光が紫光を呑み込み、決戦の前触れが広間を震わせた。



 広間を覆っていた紫光の縫糸が、アルフレッドの覚醒した蒼光に押し返されていく。

 雷鳴が轟き、空気は焦げるような熱を帯びた。

 カリグ=レアンは縫糸をさらに増殖させて抵抗するが、蒼光に触れた瞬間、糸は焼き切れ、消え去った。


「恐怖を縫うことはできぬ! 心を斬ることもできぬ!」

 アルフレッドの声が、鐘の残響を圧倒するほどに響き渡る。



 視界に浮かぶのは、カリグ=レアンの胸に埋め込まれた黒紫の結晶核。

 それは幹部の魂と祈り、縫い合わせた百の命を束ねる源だった。


 アルフレッドは疾風のごとく踏み込み、魔剣を振りかざした。

「断雷剣――絶鳴閃!!」


 稲妻が剣を走り抜け、刃は一直線に核を貫く。



 轟音と共に結晶核が砕け散った。

 紫光が爆ぜ、無数の縫糸が一斉に弾け飛ぶ。

 壁に縫い付けられていた修道士の骸は解放され、長き呻きを終えて崩れ落ちる。

 広間に響いていた祈りの逆唱は掻き消え、静寂が訪れた。


 カリグ=レアンは膝をつき、仮面の下から複数の顔を涙のように崩れ落とした。

「なぜだ……永遠の祈りが……なぜ、斬れる……」

 その声はやがて掠れ、霧のように消え去った。



 広間は瓦礫と死体で埋め尽くされていたが、縫合の力は完全に消えていた。

 黒い石を取り出すと、その光も静まり返り――次なる方向を探すように、かすかに鼓動を刻んでいた。


 アルフレッドは深く息を吐き、魔剣を収めた。

(……幹部カリグ=レアン、討滅。だが闇はまだ、続いている)



 結晶核を斬り砕いた後、修道院跡には重苦しい静寂が広がっていた。

 かつて縫い付けられていた修道士たちの骸は力を失い、ただの骨となって崩れ落ちている。

 長き呪縛から解放されたのか、彼らの顔はわずかに安らぎを取り戻していたように見えた。


 アルフレッドは魔剣を収め、石床に散らばる骸を見下ろした。

(……せめて、もう二度と縫われることがないように)



 広間の奥に隠れていた数名の村人が、恐る恐る姿を現した。

 鐘の音に操られていた彼らは、まだ朦朧としていたが、アルフレッドを見ると膝をついて涙を流した。


「あなたが……救ってくれたのですか……」

「鐘の響きが頭から離れない……ですが、今はもう……」


 アルフレッドは頷き、短く答えた。

「解放された。二度と縫い糸に囚われることはない」


 人々は涙を流し、崩れ落ちた仲間の骸を前に祈りを捧げた。



 修道院の奥には、幹部カリグ=レアンが残した書板や血塗られた聖典が転がっていた。

 その記述は祈りを歪め、神の名を偽り、縫合の儀式を正当化するものだった。

 そしてそこには、さらなる「会合」の地が記されていた。

〈東方の山岳都市ルクレア・エルザナにて〉


 アルフレッドは黒い石を取り出す。

 石は確かに震え、次なる闇の方向を示していた。



 村人たちは修道院跡の瓦礫に焚火を起こし、アルフレッドに温かな茶を差し出した。

「あなたが来なければ、私たちは皆……あの鐘に縫われていた」

「どうか、この恩を忘れません」


 アルフレッドは茶を受け取り、短く頷く。

 彼の瞳には、師ゼムの声が再び甦っていた。

「恐怖を斬れ。迷いを斬れ。お前の剣は心を映す鏡だ」


 茶の温もりが冷え切った体に広がる。

 だが彼の旅路に、安息は長くは続かない。

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