表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/27

第二十五話

 夜明け前の空は、鉛色に沈んでいた。


 ヴァル=ネアを離れて半日。

 アルフレッドは、かつて街道だった痕跡を辿りながら、無言で歩き続けていた。舗装は砕け、道標は倒れ、ここが「道」であったという記憶だけが、地面に薄く残っている。


 黒い石は懐の奥で静かだ。

 脈動はある。だが、これまでのように急かすものではない。


(……待っている、か)


 追え、とも。

 殺せ、とも。

 今は語らない。


 それが逆に、アルフレッドの神経を研ぎ澄ませていた。


 丘を越えた先で、風向きが変わる。

 乾いた匂いに、鉄と油の気配が混じった。


 人の営み――だが、街ではない。


 アルフレッドは足を止め、低い岩陰から様子を窺う。


 見えたのは、仮設の集落だった。

 天幕、荷車、簡易炉。だが兵士の配置は整いすぎている。物資の運び方も、退路の確保も、戦場を前提にした動きだ。


(傭兵団……いや、違う)


 黒晶製の杭が、地面に等間隔で打ち込まれている。

 それは防壁ではない。術式の基点だ。


「セイセス=セイセスの前線か」


 だが、規模が小さい。

 拠点というより――中継点。


 アルフレッドがそう判断した、その瞬間。


 空気が、わずかに歪んだ。


「……見つかっているな」


 背後ではない。

 上だ。


 岩壁の上に、いつの間にか人影が立っていた。


 長衣に、素顔。

 だが、目だけが異様に澄んでいる。


「警戒しなくていい。今は撃たない」


 男は両手を見せた。


「私はセイセス=セイセスではない。だが、あれに属していた」


 アルフレッドは剣に手をかけたまま、視線を逸らさない。


「裏切り者か」


「追放者だ」


 男は苦く笑う。


「君の噂は、内部にも届いている。“黒い石に選ばれた破壊者”。グラウが高揚した理由も、理解できる」


 その名に、アルフレッドの目が細くなる。


「……用件は」


「忠告だ」


 男は真剣な顔になった。


「この先にあるのは、拠点ではない。実験場だ。都市でも、施設でもない」


 一拍、置いてから告げる。


「――人間を素材に、世界構造を書き換えるための場所だ」


 風が、天幕を揺らす。

 遠くで金属音が鳴った。


 アルフレッドは、ゆっくりと息を吐いた。


「場所は」


 男は一瞬、逡巡し――指をさす。


「黒い石が、もう示しているだろう」


 確かに。

 懐で、石が脈打った。


 男は続ける。


「そこには、セイセス=セイセスだけじゃない。虚空教団も――深く噛んでいる」


「観測者とは、別口だ」


 アルフレッドは、剣を完全に抜いた。


「……十分だ」


 男は安堵したように頷く。


「やはり、止める気はないか」


「止める?」


 アルフレッドは岩陰から立ち上がる。


「潰す」


 その言葉に、男は目を閉じた。


「なら、せめて――これを」


 投げ渡されたのは、小さな黒晶片。

 だが、質が違う。歪みが少なく、純度が高い。


「内部通行符号だ。完全じゃないが、深部まで潜れる」


「借りは?」


「生き延びろ」


 男は、それだけ言って背を向けた。


 次の瞬間、姿が消える。

 追跡の痕跡は、最初から存在しなかったかのように。


 アルフレッドは黒晶片を握りしめる。


(実験場……か)


 復讐だけでは、足りない段階に来ている。

 それを、否定する気はなかった。


 黒い石が、はっきりと鼓動を強める。


 進め、と。


 アルフレッドは、仮設集落を迂回し、

 さらに奥――世界が歪み始める地点へと、歩を進めた。


 次の戦いは、

 もう「戦場」ですらない。


 ――世界の裏側だ。



 地平が、歪んでいた。


 進むほどに、距離感が狂う。

 一歩が十歩に延び、十歩が半歩


 ……と感じた瞬間、アルフレッドは立ち止まった。


 足元の影が、微妙に遅れて動いたのだ。

 光源は一定、影だけが半拍ずれる――空間の位相が捻じれている証拠。


(ここから先は、普通の場所じゃない)


 黒い石が、低く唸るように脈打つ。

 導くというより、共鳴している。


 前方に、構造物が現れた。


 都市でも、砦でもない。

 地面から突き出た無数の柱――黒晶と金属、骨と肉が混ざり合ったような材質。柱同士は宙に浮いた線で結ばれ、網目状の術式が空間そのものに刻まれている。


 ――実験場。


 男の言葉は誇張ではなかった。


 柱の間を、何かが歩いている。

 人の形だが、動きが揃いすぎている。首の角度、歩幅、視線の高さ。個体差がない。


(操られている……いや)


 アルフレッドの目が細まる。


(同期している)


 個々が命令を受けているのではない。

 一つの“意思構造”を、複数の肉体が共有している。


 その中心――最も高い柱の下で、空間が折り畳まれた。


 音もなく、人物が“組み上がる”。


 仮面はない。

 だが、顔はどこか均整が崩れている。左右が微妙に噛み合っていない。人を模した像が、後から調整されたような歪み。


「来たか」


 声は、複数の方向から同時に響いた。


「黒い石の担い手。いや――変数」


 アルフレッドは剣を抜かなかった。

 代わりに、一歩踏み出す。


「セイセス=セイセスか」


「その名も、もう一つの殻だ」


 人物は、胸に手を当てる。


「私は管理者。観測者が“見る”存在なら、私は“調整する”側」


 黒晶の柱が、一斉に低鳴りを上げる。

 同期体たちが、ゆっくりとこちらを向いた。


「君は予定外だった。だが――」


 管理者の口元が、歪に吊り上がる。


「使える」


 その瞬間、アルフレッドの背後で空間が崩れた。


 退路が、消える。

 前方の柱が、人型へと再構成されていく。


 肉体ではない。

 術式そのものが敵になる。


 黒い石が、鋭く脈動した。


(やはり、ここか)


 アルフレッドは、剣を構える。


「忠告しておく」


 管理者が言う。


「ここでは、力を振るうほど――君自身が素材になる」


 アルフレッドは、静かに笑った。


「なら、都合がいい」


 雷光が、剣身を走る。


「素材が壊れれば、実験は失敗だ」


 次の瞬間、世界の裏側で、

 戦いが始まった。



 雷光が走った瞬間、空間そのものが悲鳴を上げた。


 剣が振るわれたのではない。

 世界の継ぎ目が、斬られた。


 管理者の足元から、幾何学的な紋様が砕け散る。柱から再構成されかけていた人型が、形を保てず、黒晶の破片と情報の残滓へと分解された。


「……なるほど」


 管理者は一歩も退かない。

 だが、その声には明確な高揚が混じった。


「物理破壊ではない。構造理解の上で、位相を壊している」


 同期体が、一斉に動く。


 四方八方から踏み込む動きは、無駄がなく、感情もない。

 だが――


(浅い)


 アルフレッドは、迎撃ではなく踏み込んだ。


 雷を纏った剣が、最初の一体を切り裂く。

 肉体は存在しているが、魂がない。斬った感触が軽すぎる。


 次の瞬間、その個体が崩壊するより先に、背後の同期体が同じ動作を再現した。


「学習速度が異常だな」


 アルフレッドは回転しながら斬撃を重ねる。


「いいデータだ」


 管理者が、両腕を広げた。


 柱が鳴動し、空間に“層”が生まれる。

 重なった世界の断面が、刃の軌道を歪めた。


 斬ったはずの敵が、半拍遅れて存在を主張する。


(時間操作じゃない……順序の再配置)


 アルフレッドは瞬時に理解し、剣を止めた。


 次の瞬間、雷光が剣から離れ、空中で爆ぜる。


 同期体の一群が、まとめて吹き飛んだ。


「――分離か!」


 管理者が、初めて一歩下がる。


「通常、君たちは“武器=肉体”という前提で戦う。だが君は、魔力を独立した存在として扱っている」


「分析は終わったか」


 アルフレッドは、低く言った。


「次は、こちらの番だ」


 黒い石が、強く脈動する。


 柱の一本が、震えた。


「……?」


 管理者の視線が、わずかに揺れる。


 柱が、拒絶したのだ。


「共鳴を、奪った?」


 アルフレッドは踏み込む。


「お前は“調整者”だ。だが――」


 剣が、管理者の目前まで迫る。


「世界の持ち主じゃない」


 雷光が、爆発的に解放された。


 管理者の身体が、光に包まれ、

 輪郭が、ほどける。


 だが――完全には消えない。


「はは……!」


 歪んだ笑いが、複数の方向から響く。


「いい! 実にいい!」


 管理者の姿が、柱の影へと分散する。


「ここでは終わりだ、変数。だが、次は条件を揃える」


 柱が一斉に沈み、実験場が収縮を始める。


 空間が、畳まれる。


(強制排除か)


 アルフレッドは舌打ちし、後退する。


 最後に、管理者の声が響いた。


「セイセス=セイセスは、もう“組織”じゃない。虚空教団も同じだ」


 一拍。


「――君が壊すまで、形を変え続ける」


 世界が反転し、アルフレッドの足が、再び大地を踏んだ。


 荒野の夜。

 実験場の痕跡は、跡形もない。


 だが、黒い石は――


 これまで以上に、はっきりと脈動していた。


 次の戦場は、近い。


 アルフレッドは剣を収め、前を見据える。


「……追いかける」


 復讐は、もはや個人へのものではない。


 世界の歪みそのものが、次なる敵となっていた。



 夜明け前の風が、荒野を横切った。


 実験場の名残はない。地面はただの砂と岩に戻り、黒晶の柱も、歪んだ空間も、最初から存在しなかったかのように消えている。だが――感触だけが残っていた。


 アルフレッドは片膝をつき、掌で地面に触れる。


(完全には消えていない)


 微弱だが、確かな違和感。

 世界が“修正された”痕跡。


 黒い石が、胸元で脈打つ。

 先ほどまでの導きとは異なる、指差すような衝動。


 西ではない。

 北――山脈の向こうだ。


 アルフレッドは立ち上がり、外套を整える。


 そのとき、背後で小さな音がした。


 砂利を踏む音。

 人の気配。


 剣を抜くには至らない。だが、全身の感覚を張り詰める。


「……出てこい」


 数拍の沈黙の後、岩陰から姿を現したのは――子供だった。


 十にも満たない少女。

 薄汚れた外套に身を包み、痩せた手には短い杖。魔力はほとんど感じられない。


 だが、目が違った。


 焦点が、合っていない。

 いや――合いすぎている。


「あなた……壊した人?」


 少女は、躊躇なく言った。


「“柱の世界”」


 アルフレッドは、動きを止めた。


(見えていた……?)


「ここには、もう何もない」


「ううん」


 少女は首を振る。


「“何もない”っていう形に、なっただけ」


 短い沈黙。


 風が、二人の間を通り抜ける。


「君は何者だ」


 アルフレッドの問いに、少女は少し考えたあと、素直に答えた。


「私は……余白」


 その言葉に、黒い石が一瞬、強く反応した。


「見られなかった未来の端っこ。観測者が捨てた可能性」


 アルフレッドは、少女から目を離さない。


「ベイリル=オラリオンの関係者か」


「ちがう」


 即答だった。


「でも、あの人たちは私を“誤差”って呼ぶ」


 少女は、アルフレッドを見上げる。


「あなたは、誤差を壊す?」


 アルフレッドは、少しだけ考えた。


「壊すかどうかは、選ぶ」


 少女の口元が、わずかに緩む。


「……よかった」


 彼女は、杖で地面を指した。


 そこに、薄く光る線が浮かび上がる。

 山脈へと続く、古い街道。


「次は、あそこ」


 アルフレッドは、その線を見つめる。


「何がある」


「“形を持とうとしている戦場”」


 少女は、淡々と告げた。


「セイセス=セイセスの残骸と、虚空教団の先触れが、重なる場所」


 夜明けの光が、地平を染め始める。


 アルフレッドは歩き出した。


「来るか」


 少女は、少し驚いたように瞬きをしてから、頷いた。


「……うん」


 二人は並んで、街道へ向かう。


 戦いは、終わっていない。

 むしろ――輪郭を持ち始めただけだ。


 そしてその輪郭の中心には、アルフレッドという“変数”が、確かに存在していた。



 街道は、山へ近づくにつれて不自然なほど静まり返っていった。


 風はある。雲も流れている。

 だが、生き物の気配がない。鳥も、虫も、獣も――最初から存在しなかったかのように、世界が空白を保っている。


 アルフレッドは歩みを緩めない。

 隣を歩く少女の足取りも、疲れを知らぬかのように一定だった。


(……子供の歩幅じゃない)


 違和感は、最初からあった。

 だが彼は、あえて口にしなかった。


 やがて、街道は途切れ、谷へと続く石段に変わる。

 谷の底には、霧に包まれた盆地が広がり、その中心に――黒い祭壇が見えた。


 黒い石。

 古い術式。

 そして、地脈を歪めるほどの瘴気。


 セイセス=セイセスの拠点。

 それも、ただの前線ではない。


「ここだよ」


 少女が、立ち止まって言った。


「“形を持とうとしている戦場”」


 アルフレッドは祭壇を見据えたまま、静かに問う。


「……最初から、ここへ連れてくるつもりだったか」


「うん」


 少女は、あっさりと頷いた。


 その瞬間、空気が変わる。


 谷を覆っていた霧が、一斉に沈む。

 地面に刻まれていた無数の符文が、血のような赤黒い光を放ち始めた。


 ――結界の完全起動。


「歓迎するよ、アルフレッド」


 少女の声は、もう幼くなかった。

 澄んでいたはずの声音が、深く、重く、複数の層を持った響きに変わる。


 彼女は、ゆっくりと振り返る。


 痩せた身体が、軋むように変質していく。

 影が引き伸ばされ、背後に角のある獣の輪郭が重なり、瞳が深い紫へと染まった。


 外套が裂け、内側から現れたのは、黒晶と肉が融合した紋章。


 ――セイセス=セイセス幹部位階の証。


「名を、聞かせておこうか」


 少女――否、“それ”は微笑んだ。


「私はリリス=ノクティル。闇の眷属を束ねる者。観測でも、調整でもない――供給側だよ」


 アルフレッドは、剣を抜いた。


 雷が、即座に刃を走る。


「……やはり、餌だったか」


「餌?」


 リリスは首を傾げ、楽しそうに笑った。


「ちがうよ。君は触媒」


 祭壇の周囲で、地面が割れる。

 黒い泥のような影が湧き上がり、人型、獣型、歪んだ翼を持つ影へと変わっていく。


 闇の眷属。

 瘴気の集合体であり、セイセス=セイセスが“世界の裏側”から引きずり出した存在。


「君が動くたび、世界が歪む。その歪みを糧に、私たちは次の段階へ進む」


 リリスの背後で、闇が翼のように広がる。


「虚空教団は“見る”だけ。でも私たちは――使う」


 アルフレッドは、低く息を吐いた。


「……ガキの皮を被る趣味、悪いな」


「効率的でしょ?」


 無邪気な口調のまま、リリスは手を掲げる。


「さあ。ここからは――実演だ」


 闇の眷属たちが、一斉に動き出す。

 空間が沈み、重力が歪み、雷光すら飲み込もうとする黒が迫る。


 アルフレッドは一歩、前へ出た。


「誘いに乗ったのは、俺だ」


 剣を構え、雷を圧縮する。


「――後悔するなよ」


 雷鳴が、谷を引き裂いた。


 こうして、セイセス=セイセス幹部リリス=ノクティルとアルフレッドの戦いが、正式に幕を開ける。


 これは罠ではない。

 幹部自らが選んだ、決戦の舞台だった。



 雷鳴が谷を震わせた瞬間、闇が笑った。


「――あは。いい音」


 リリス=ノクティルは両腕を広げ、歓喜に身を委ねるように仰け反った。

 闇の翼が脈打ち、空間そのものが彼女の呼吸に合わせて収縮と拡張を繰り返す。


「ねえ、アルフレッド。分かる?」

「今ここで起きてるの、戦闘じゃないよ」


 次の瞬間、雷が落ちる。

 一直線の閃光が、彼女の心臓を正確に貫――


 貫かなかった。


 雷は彼女に触れる直前で、黒い虚空に“溶けた”。


「――ほら」


 リリスの指先が、軽く弾かれる。


 雷光が、逆流した。


 アルフレッドは即座に剣を振り抜き、雷を切断する。

 だが切り裂かれた雷は霧散せず、無数の黒い文字へと変質し、空中に固定された。


「雷を“現象”として扱ってる……?」


 アルフレッドが低く呟く。


「正解。でも半分」


 リリスは楽しげに指を鳴らす。


「私はね、因果を食べるの。魔法が起きる“理由”そのものを、闇に落とす」


 空中の黒い文字が、一斉に崩れ落ちる。

 それは文字ではなかった。呪文の成立条件だ。


 次の瞬間、谷全体が裏返る。


 上下の感覚が反転し、空が地面になり、地面が奈落へと変わる。

 アルフレッドは踏み込み、無理やり空間を蹴った。


「……ッ、重力操作じゃない!」


「うん。意味の入れ替え」


 リリスの声が、四方八方から降り注ぐ。


「落ちる、って概念をね。“生きる”と交換しただけ」


 闇の眷属たちが、再び湧き上がる。

 だが今回は、数ではない。


 一体一体が、異なる死に方を内包している。

 斬れば呪い、焼けば腐り、砕けば時間が歪む。


「……狂ってるな」


 アルフレッドは、しかし笑った。


「だが、制御している」


 雷が、剣ではなく足元に落ちる。

 自分自身を中心に、円環が形成される。


「だったら――」


 雷が爆ぜ、円環が世界を押し返す。


「制御ごと、叩き割る」


 闇の眷属が、一斉に蒸発した。

 存在が消えたのではない。成立しなかった。


 その中心で、リリスが拍手する。


「最高……! ねえ、ねえ、ねえ!」


 彼女の瞳が、狂気に輝く。


「君、壊すのが上手すぎるよ。普通はね、“壊す”って発想すら出てこないの」


 リリスは一歩、前に出る。


 その足取りで、谷の地脈が悲鳴を上げた。


「だから殺さない。壊れ方を、もっと見たい」


 彼女の背後に、巨大な闇の円環が展開する。

 そこには、無数の“可能性の死”が渦巻いていた。


 アルフレッドは、剣を強く握り直す。


 黒い石が、灼けるように脈打つ。


「……上等だ」


 雷が、今までとは違う音を立てて走る。


「お前は、ここで終わらせない。だが――」


 一歩、踏み出す。


「主導権は渡さない」


 雷と闇が、真正面から激突する。


 光が、黒に呑まれ。

 黒が、光に裂かれる。


 勝敗は決まらない。

 だが確実に――


 この戦いは、

 世界の深部にまで爪痕を刻み始めていた。



 雷と闇がぶつかり合い、谷の中心で音のない爆発が起きた。


 光も衝撃も、外へは広がらない。

 代わりに、空間そのものが軋み、引き裂かれた紙のように歪んでいく。


「……いい、いいよそれ!」


 リリス=ノクティルは、爆心の中で笑っていた。

 身体は確かに裂かれている。肩口から闇が溢れ、片翼は形を失いかけている――それでも、致命には程遠い。


 彼女は“削られている”だけだ。


「君、ちゃんと私を“敵”として扱ってる。観測でも、素材でもなく……対等に!」


 歓喜に満ちた声と同時に、彼女は両手を地面へ叩きつける。


 谷が応えた。


 地脈が逆流し、瘴気が噴き上がる。

 それは闇の眷属の形を取らない。純粋な“圧”として、アルフレッドを押し潰しにかかる。


 剣が悲鳴を上げる。


 雷が、押し返される。


「……ッ」


 アルフレッドは膝を沈めながら、歯を食いしばった。


(魔法じゃない……世界への要求か)


「そう!」


 リリスは即座に肯定した。


「私はね、術式を使わない。“こうなれ”って、世界にお願いするだけ」


 その言葉と同時に、圧がさらに増す。

 空気が鉛のように重くなり、視界の端が暗転していく。


「でもね」


 リリスは、楽しそうに首を傾げた。


「お願いって、拒否されると……ちょっと傷つくんだ」


 アルフレッドは、ゆっくりと立ち上がった。


 膝が震える。

 筋肉が軋む。

 それでも、倒れない。


「だったら――」


 彼は、剣を地面に突き立てた。


 雷が、空ではなく地下へと流れ込む。


「世界に頼むな。叩き起こせ」


 雷が地脈を走り、瘴気の流れを強制的に反転させる。

 谷が、悲鳴を上げた。


「……っは!」


 リリスの表情が、初めて歪む。

 歓喜ではない。純粋な興奮だ。


「やっぱり……! 君、世界を“殴れる”側だ!」


 彼女は片翼を捨てるように闇を切り離し、後方へ跳ぶ。

 致命を避けるための退避――だが、逃走ではない。


 空中で、闇が再構築される。


 今度は翼ではなく、巨大な円環。

 無数の術理、呪詛、失敗した世界の断片が渦を巻く。


「ねえ、アルフレッド。ここで殺し合うの、やめよ?」


 その言葉は、あまりにも唐突だった。


「……何?」


 アルフレッドが眉をひそめる。


「だって、ここで死んだら――」


 リリスは、にやりと笑う。


「次がなくなる」


 円環が、ゆっくりと収束を始める。

 周囲の闇の眷属が、次々と溶けて吸い込まれていく。


「今日はね、顔合わせ。力量確認。それと――」


 一瞬、彼女の視線が鋭くなる。


「合格判定」


 空間が、再び歪む。

 転移の兆候。


「セイセス=セイセスの“闇”は、君を歓迎する。敵として。壊し甲斐のある存在として」


 アルフレッドは、剣を構え直す。


「次は、逃がさない」


「いいねぇ……!」


 リリスは、心底嬉しそうに笑った。


「その顔、次に会うまで覚えておくよ」


 闇が、彼女を包み込む。

 円環が閉じ、痕跡すら残さず、リリス=ノクティルの存在は消えた。


 谷に残ったのは、破壊された地脈と、焦げた大地。

 そして――


 まだ、完全には収まらない黒い石の脈動。


 アルフレッドは、深く息を吐く。


「……厄介なのが、出てきたな」


 だが、その声に、怯えはなかった。


 あるのは、確かな手応え。


 セイセス=セイセスは、虚空教団は、そしてリリス=ノクティルは――彼を脅威として認識した。


 戦記は、次の段階へ進む。


 今度は、彼が“追われる側”ではない。


 ――狩る側として。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ